指 針


 昼間でもマイナス10度はザラという、極寒の冬島だったドラムから離れて幾日か。軽快な船足のせいでか気候もどんどん変わり、日ごと夜ごとに防寒具が1つずつ不要になってゆく。灼熱の夏島であるアラバスタへと向かっているのだから、それもある意味では道理。見晴らし台で毛布をかぶる必要がなくなり、手袋や耳当てなどが要らなくなり、コートが重くなる。元の普段着に結構落差があった彼らだが、サンジがダークスーツ姿に戻ったのとほぼ同時に、ルフィがいつものノースリーブシャツに戻ったところが何ともはや。
「お前、一年中暖かい土地で生まれ育ったって言ってなかったか?」
「おう、そうだぜ?」
 威勢のいい返事と共に"それがどうかしたか?"という顔をされて、
「…もういい。」
 これ以上は訊くだけ無駄だと思ったサンジだったのは言うまでもない。
あっはっはっ


「………。」
 昨日辺りから船倉からリビングの隅へと引っ張り出されてあったのは、皆の防寒具や冬服などをまとめてしまってあった木箱だ。寒冷地に近づき出したとあってそこから取り出したミトンやマフラー、コートにブーツなどなどを、今度は再びしまい込むべく、それぞれが不要になったものを片っ端から放り込んでいるのだが、
「どうしたのよ、ゾロ。難しい顔になって。」
 こちらは、あのドクトリーヌくれはから頂戴したコートを、丁寧に不織布のカバーでくるんでしまい込みに来たナミが、木箱の傍らで難しそうなしかめっ面になっている剣豪に気づいて声をかけて来た。難しそうな顔のまま、彼が黙って睨みつけているのは、肩のところを両の手で掴んで広げている一枚のコート。襟と袖口、裾にボアのついた黒地のロングコートで、上背も身体の厚みもある彼が余裕で着ていただけあって、こうやって広げられるとかなり大きい。機能的だが随分と着込まれた年季の入った代物でもあって、
「それって、ワポルの親衛隊が着てたのを追い剥いだコートでしょ?」
「まぁな。」
 あの因縁の我儘王が引き連れていた軍隊を叩きのめしたその折りにせしめた代物。さすがは雪国の軍人のためにと仕立てられたものであり、素人目には分からないような動きやすい工夫があちこちに為されてあって、
「あんたがすんなり着ることが出来たってのも大したもんよね。よっぽど上背があったの? 追い剥いだ相手。」
「追い剥いだ、追い剥いだって連呼すんなよな。」
 人聞きの悪い…と眉を顰める剣豪だが、
「だって事実じゃない。」
 間違ってはないでしょう? と澄ました後で、
「そうね。せめてもう少し善行で鳴らした国のアイテムなら、プレミアもついて高く売れもするだろけど、ただ単に"滅んだ国の軍隊の装備"ってだけになっちゃったから、ただの古着扱いが良いとこでしょうね。」
「…誰が蚤の市での値踏みをしてくれと言ったよ。」
 ナミからのお節介な"評価"へ目許を眇めるゾロであり、
「あら、じゃあ何を考え込んでたのよ。」
「だから…次にまた寒くなった時のために取っといても良いもんかなとだな。」
 そんな些細なことでこの彼が逡巡していたというのが、何だか飲み込み辛くて、
「…はい?」
 思わず聞き返してしまったナミだったが、それと同時くらいにあっと気がつくものがあって…怪訝そうだった顔が見る見るうちに"訳知り顔"へと塗り変わり、ふふんと意味深な笑い方をして見せる。
「そうか、そうよねぇ。あんまり良い思い出はないんだったわよね、そのコート。」
 元の持ち主から追い剥いだということは、彼はあの極寒の地で最低限必要だった筈の防寒具がない身だったということであり、
「おバカな寒中水泳なんかしたり雪崩に巻き込まれたりしたことを思い出しちゃうし、何と言ってもルフィに敵と間違えられた曰く付き…だし?」
「うっせぇな。見て来たように言うんじゃねぇよ。」
 このコートに関して、いやいや、船番をしていた筈の彼がどうしてまた上陸組と合流することとなったかという、事の最初からの顛末やら何やら。口さがない
おいおいナミやサンジは、ルフィに同行していた身なればこそ全く知らない筈だったのだが、気がつけば…一から十まで、いやいやもしかしたら、余計な枝葉や憶測にあたるだろう十一、十二くらいまで(なんじゃそりゃ)しっかり把握しているから、相変わらず油断も隙もないお仲間たちである。
「引っ張り出すたびに思い出して、自分の行動が反省出来るなんてありがたいじゃないの。いい記念になるんだし、置いとけば?」
「うるせぇよっ!」
 この"元・海賊狩り"の今にも噛みつきそうな剣幕にもまるきり動じず、あはは…と笑って立ち去れるところが彼女の強かさの現れ。そんな彼女の背中を見送り、喧嘩腰になった拍子にテーブルの上へ投げ出したコートを、眉を顰めたまま、再び手に取ろうとしたところ、
「あーっ。これ、あん時のコートだろ?」
 横合いからサッと引ったくった手があって。自分の肩にコートの肩を当て、
「デケェなぁ〜。ゾロって、やっぱ、大きいんだなぁ。」
 肩は随分と余っている上に、裾がギリギリ床についているのを見下ろして、感心したような声を出しているのは、
「ルフィ。」
である。
おいおい
「返しな。片付けるんだからよ。」
「うん。」
 伸ばされた手へ素直に返したルフィで、そして…こうと言った手前、手荒に畳んで箱へと収めたゾロではあるが、
「そういや、ゾロ。お前、また迷子になってたんだってな、あん時。」
 けろっとした語調でスパッと言われて、
「…っ!」
 思わず…木箱の蓋にゴンッとお見合いしかかった。顔を上げ、
「な…。」
 なんでそれを知っているんだ…と訊きかける彼へ、
「ウソップから聞いた。船番の最中に退屈しのぎのトレーニングだってんで寒中水泳始めたら、そのまま川に泳ぎ入っちまって。妙なところで上陸しちまったんで、雪に埋もれてて川筋が分かんねくて、仕方ないから筋トレして体を温めてたら雪崩に巻き込まれて。そんで、かぶってた雪の上からビビに踏まれて目ぇ覚ましたって。そいで奴らと合流したんだろ?」
 つらつらと一気に並べてくれたもんだから、
「………。」
 事細かにまあ…と感心こそすれ、ゾロとしては反駁の余地がない。
"…あの野郎。"
 ウソップの言にしては、珍しいことに虚飾や誇張は1つもない。後で訊いたら、下手に話を大きくしなくても充分笑える顛末だったから、だそうだが。
あはは
「あんだけ雪で埋まってた土地じゃあ、右も左も判んなくたって仕方ねぇだろが。」
 憤然と言い返すゾロに、
「まあそうだがよ。」
 ルフィは、納得した…にしては少々引っ掛かりの有りそうな言い方をする。
「ああ? 何だ?」
「うん…。」
 コートを収めた木箱に、自分も手を置いて、
「戻って来られねぇくらいの"迷子"になったらどうすんだって、そう思ったから。」
 そんなことを言い出すものだから、
「………。」
 ゾロとしては言葉に詰まる。人の行動やポリシーには口出ししないで"好きにすれば良いさ"と構えている節のあるルフィだが、仲間を失うことへは自らの身を切られるよりも辛そうな顔をする。あのアーロンに関わらせたくないと考えたナミが、心にもない"裏切り"を吐露して見せた時もそうだったし、それより何より、自分があの世界一の大剣豪・ジェラキュール=ミホークと対峙した時も、だ。対決自体に手出し口出しこそしなかったが、自分が一刀両断という勢いで斬られて海へと沈んだその途端、何とも言えない怒号と共に無謀にもミホーク目がけて突っ込んで行った彼だったと、後日にサンジから聞いたゾロである。
「…大丈夫だ。今の俺には、戻る場所が、ちゃんとあんだからな。何を放り出してでも、意地でも探して帰るさ。」
「ホントか?」
 ああと頷いてやると、
「なら良いんだけどな。」
 安心したように笑って見せる。屈託のないそんな様子を見ていて、
"………。"
 まだルフィにも出会わずに、たった一人で当て処
あてどなくただ彷徨さすらっていた頃の自分こそ"迷子"だったと思ったゾロだ。あの頃の自分は、目標や行く末への想いがあまりにも漠然としていて、ささやかな眠りから目を覚ますたび、言いようのない餓かつえを覚え、焦燥の中でじりじりと落ち着かなかった。そんな気分になるような、人としての感情などいっそ要らないと、あわや一匹の"鬼"に成り下がりかけてもいた。世界一を目指すという信念の激しさがあったればこそ、何とか自分を支えられてもいたが、例えば…あのままあの鷹の目の男に会っていたとして、果たして再戦をああも即座に力強く誓えただろうか。あの場での負けを…自分の力不足を認めた上で、気持ちを素早く立て直せたのは、じりじりと我慢しつつも黙って見届けていてくれたルフィが居たからではなかろうか。その存在を頼りあてにするのではなく、奴が見ているんだからと自分への叱咤への糧にする相手。自分の姿をその眸に映しても恥じないようにと、そう心掛ける"鑑"にする相手。そんな存在を得たことで、不思議と強さにまで安定を得た気がする。

 将来への指針をおく現在地であり、帰る先でもある"居場所"があること。

 人とのつながりは、人の心を一番に強くも弱くもする要素。人を信じることもまた、自身の強さあってこそだ。本当の自由、本当の強さは、基盤がなければ構築出来ない。そのために"頼る"のではなくて…、
"頼られるってのも悪くねぇこったしな。"
 それがこちらからも頼もしいと一目置いてる相手なら、尚のことに面映ゆい。
「???」
 ただじっと見つめてくる剣豪にきょとんとし、
「何だよ。」
 その大きな眸をぱちりと瞬かせた船長殿へ、
「いいや、何でもねぇよ。」
 小さく笑って見せてから、
「人の心配より自分こそ、単独行動取るの、いい加減に改めろよな。」
「う…。」
 それがために巻き込まれた騒動や陥った窮地は数知れず。
「けど、いつだってゾロは必ず辿り着けてんじゃんか。」
「そういうことだ。俺の方向音痴とやらは、お前に関しちゃ何のハンデにもなってないから、構うこたねぇんだよ。」
「うう…。」
 お説教していた筈が、どこでこうなったやら。ふふんと余裕の笑みを浮かべた相棒へ、
"ま・いっか。かっこいいし♪"
 おいおい、それで済ますんかい、船長っ!



  〜Fine〜  01.12.18.


  *カウンター10500HIT キリ番リクエスト
     秋サマ 『迷子』(こやって書くと身も蓋もないというか…)


  *このところ"ドラム出奔直後"の話が続いておりますが、
   今の季節と気候描写が丁度合うのと、
   アニメ組なものですからこの時点の設定が丁度タイムリーなもんで。
   本誌並びにコミックス組の方々には相済みませんです。
   中盤、ちょっと説教臭くなりましたが、こんなお話でいかがでしょうか?


back.gif