時忘れの実 A


        



 お昼前だったのに、おやつ代わりのメロン=ベリーを、デザートにしてはたらふく食べたことで少々半端な時間にくちくいお腹具合となった。そこで、日和も良いことだし、此処で…屋外での"昼食 兼 おやつ"を昼下がりに取ることにしましょうかとコック殿が言い出して、それまでの時間をそれぞれで休憩に充
てることにして。
「あら? ルフィは?」
 適度に木陰になっている辺りを選んで、お昼寝と洒落込もうとしたナミが、ふと気づいて周りを見回す。てっきり…樹下に陣取ってお腹の形が変わるくらいバクバク食べ続けるんじゃないかと思っていたのだが、気がつけばその姿が見えないのだ。肉と違って果物では飽きるのも早い彼なのだろうか。それはそれとして、
「こんな静かにいなくなるだなんて…。」
 そういう時はあまりいいお土産を持って帰らない彼だけに、ついつい眉を顰めたナミだったが、
「大丈夫っすよ、ナミさん。ちゃんと"お守り"が後を追っかけてます。」
「あ、そうなんだ。」
 さすがは万事に行き届いてることと感心し、安心したナミはあらためて、広げた敷布の上へごろりと寝そべった。こんな短い説明で判ったナミもナミならば、それをちゃんと見届けていたサンジもまた、なかなか目端が利くようで。
「皆してルフィには甘いんだな。」
 この連携へ感心するチョッパーに、ビビがクスクスと微笑って見せていた。


 そのルフィは…というと、木立ちを向こうへと抜けたところに広がっていた、海岸へなだらかに下がる草原へと出ていた。別にメロン=ベリーの味に飽きた訳ではなくて、その証拠に脱いだ帽子の中にてんこ盛りにして持って来ていて、適当に腰を下ろしたところで再びパクッと齧りついてみる。しつこくない淡い甘さが、たっぷりの水気とともに口の中一杯に広がって、
「………。」
 やっぱり美味しい。桃やあんずとも違う、癖がないのに後を引く味で、ナミのミカンの木のように船へ持ち込めないかなぁと思ったりもしたが、ビビがこれからどんどん気候が変わるとか言ってたから、こんな可愛らしいまでに脆い実のなる樹は保たないかも知れないなと、ぼんやり自己完結なことを思った。
"………。"
 吹きつける潮風に髪が遊ばれ、服の裾がハタハタと軽い音を立てる。海と空と、二種類の青の天幕のはためきを眺めながら、甘い果実を存分にぱくついていると、
「…ルフィ?」
 背後からの声が不意にかかって、
「…っ。」
 頬張ってた分を喉に詰めそうになった。相変わらず足音をさせない彼だったから、尚のことに不意を突かれたせいだ。
「あ、おい。大丈夫か?」
 後ろからでも、跳ね上がった肩から状況を察することが出来たのだろう。さくさくと脛の辺りをくすぐる草の浅瀬を掻き分けながら大股に歩み寄って来る気配があって、すぐ後ろへしゃがみ込むと大きな手で"とんとん"と背中を軽く叩いてくれる。
「う、うん。大丈夫だ。」
 何とか飲み下し、肩越しに相手を見やる。その途端、真っ直ぐこちらに届くのは、すぐ傍にある温かな匂いと、周りの色々な翠に負けない、奥深い色味をたたえた碧の眸の光。それがふわっと和んで、
「そっか。」
 剣豪は屈んだままで小さく笑うと、そのまま傍らの草の上へルフィと同じように腰を下ろした。片膝を立てていて、いつものように自分の右側。何かあったならすぐさま立ち上がれて、鯉口を切ったそのまま滑り出させた刀を握るのだろう、長い右手を外に延ばして距離を稼ぎ、空いた左の腕でルフィを庇ったり、トンッと突いて先に逃がしたり出来るようにという体勢。これらを…もしかしたら自覚さえないのかも知れないくらい、自然に構えられるゾロであり、まあ…そんな彼であることへ今更細かく言うつもりはないのだが、
「…どしたんだ?」
「ん?」
 あらためて声をかけられて、弾かれたように顔を上げるルフィへ、
「一人になりたいのなら、どっか行くが。」
「ん〜ん、そういう訳じゃあないんだ。」
 さりげなく目を配ってくれている。今だって、どこか様子がおかしいから、妙に大人しい自分だと気づいたから、そんな風に気を回してくれたのだろう。この、荒くたさでは自分と張るほど大雑把な男が、だ。そして、
"………。"
 皆がいたあの場から、らしくもなく離れたくなったのは、ちょっとばかりドキドキしたルフィだったから。それも…他でもない、この剣豪のせいで。どちらかといえば食べ物より酒好きながら、人並みに食べる方でもある彼の、その口許につい眸が行った。果肉を危なっかしい脆さで包む柔らかい皮へ当てられた緋の唇と、そこから少しだけ覗いた白い健やかな歯。水気の多い果実のその果汁が少しばかり手に垂れて、無骨な指から頼もしい腕を伝い、肘近くまでつつつっと流れたのを、無造作に肘を差し上げ、短く出した舌の先でぺろっと舐めた。ただそれだけの一連の仕草を見たその刹那、胸の奥で…まるで軟骨のような堅くて柔いものが"くんっ"と身を捩って撥ねたのである。あんまり良くは判らないけれど、もしかしたら心臓のスイッチだったのかも知れない。だってそれからずっと、何だか落ち着かなくって、
「ん?」
「…っ☆」
 ほら。ゾロの顔を見るだけで、胸の奥の何かが"たたたたっ"て走り出したがる。

            ◇

「…あ"?」
 不意に短い妙な声を上げて、いきなり膝へと倒れ込んで来た。
「え?」
 小さな体は軽いから、さして負担になった訳ではないが、何しろ"倒れた"ものだから、ビビは驚いて、
「チョ、チョッパーさん?」
 恐る恐る声をかけ、ちょいちょいっと頬を突々く。だが、小さなトナカイ船医の伏せられた瞼は少しも開こうとはしなくって、
「チョッパーさんっ?!」
 この人が錯乱すると、顔の形が変わるほど叩くんじゃなかったか?
あはは 眠ったら死ぬという状況ではなかったので、今回はそういう取り乱し方はしなかったビビだったが、それでもたいそう驚いて、
「ナミさん、サンジさんっ!」
 慌てたように彼らを呼んだ。こういう時に最も頼りにするべき"医者"が倒れたのだから世話はない。
「どしたの?」
「クモでも出たかい? ビビちゃん。」
 ちなみに…狙撃手が呼ばれなかったのは、丁度船へと簡易燃料を取りに戻っていたからで、決して頼りにならないと見なされている訳ではないと思うよ、うんうん。それはともかく。
おいおい ぱたりと倒れたそのまま、全く動かなくなってしまった小さなトナカイの様子には、
「え?」
 さしもの気丈夫なナミでさえ息を引いて驚いたようだったが、一方、サンジは平然としていて、
「あ、あ〜あ。そっか、熟してるのを食べたな、こいつ。」
「え?」
 どうやら事情が判っているらしい。女性陣二人に注目されていることへ気づくと、ポケットから出した携帯灰皿へ煙草をねじ込み、
「完熟状態になってる実は、少しばかりアルコール成分を発揮するんですよ、これ。」
 丁度足元にころんと転がっていた、小さな齧り跡のあるメロン=ベリーの実を拾い上げる。言われてみれば、その実は少しばかり果肉の色が濃いような。
「所謂"発酵"ってのをするんでしょうね。人間の大人なら旨みが増える程度の量なんで、さして問題もなく平気なんですが、犬猫とか、他の生き物はアルコールへの反応が違って来ますからね。」
 で、チョッパーは酒には弱かったらしいと? ふにゃふにゃと寝息に混じる小さな声は寝言なのだろうか。それと判ると心配も吹っ飛んで、それにも増して何だか愛らしく見えてくる。覗き込もうとするカルーに、小さく微笑いながらも口許へ人差し指を立てて見せるビビの傍ら、
「…あ、ちょっと待ってよ。お酒に弱いと言えば…。」
 ナミが思い出したのは………。

            ◇

 緑色に染まった草いきれの中、その大きな両の手で頬を包み込まれて、何だか顔まで熱くなって来た。
「ほら、じっとしてな。」
 すぐ間近になった匂いと温みと。深い響きが空気を伝わって直に触れてくるような張りのある声と。頼もしくて大好きで、いつもならワクワクする筈のそれらが、こんなにまで間近いと何だか怖くなるだなんて夢にも思わなかった。やさしく扱われているにも関わらず、どぎまぎしながら身を小さく捩って、
「ん、もう良いってば。」
 相手の手を振り払おうとするルフィである。…思わせ振りな記述かもしんないが、こちらのお二方が特に色っぽい仕儀へとなだれ込んでいた訳ではなくって。口許だけでなく頬にまで飛んでいた果汁を見咎めて、乾いてべとべとになる前に拭ってやろうと、二の腕の手ぬぐいをほどいたゾロだった。特に珍しい構われ方ではなく、結構しょっちゅう手を焼かされている中で、この手のちょっかいはどうかすると本来ならサンジが受け持つところなのだが、今ここに居ないものは仕方がない。膝立ちになって向かい合うゾロに、両手でそっと頬を包み込まれただけで何故だか慌てふためいてしまったルフィであり、振り払おうとした手が空振って、
"あれぇ?"
 視野の中の上下がくらりと揺れて、身体が真っ直ぐになってくれなくて。
「…おっと。」
 倒れ込んだのが選りにも選って正面に居たゾロの胸元。そこから逃れようとした筈が、おとがいの下、鎖骨の合わさる窪みがすぐ目の前に来るほど懐ろ深くにすっぽりと抱き込まれた格好になったものだから、途端に"かぁ〜〜〜っ"と頭の先まで血が上って熱くなった。
「…やっぱり変だな、お前。」
 心配そうな声音がして、大きな乾いた手が胸板と額の間へ滑り込む。
「少し熱い、か。………ん?」
 こちらを再び覗き込みかけたゾロが、だが、何に気づいたか、ちょこっと目許を眇めると、
「………。」
 すいっと顔をそのまま近づけて来たから、
"わっわわっ、わぁ〜〜っ☆"
 ドキドキが一気に最高値にまで駆け上がって………、

  …………………………………………………☆

「…やっぱり酒か。けど、一体どこで飲んで…あれ? ルフィ? どうした?」
 口許から吐き出される甘い息の匂いを嗅いだらしい剣豪が、顔を上げて本人へ問いただそうとしたのだが、その当人はと言えば…興奮状態による体温の急上昇に煽られて、酔いが一気に回ったらしくって。ゾロの腕の中、こてんと見事に昏倒していた。
「ルフィ? どうした? しっかりしろ。」
 訳が判らぬまま、くてんと伸びた小さな身体をそっと抱え込んで、どこか途方に暮れてしまった剣豪だったが、
"…ま・いっか。"
 よくよく見れば、ただくうくうと眠っているだけな様子。ため息混じりに再び座り直した自分の膝へ、こちらの胸板へと横を向いて凭れるように…本人たち気づいていないが立派な"新婚さん抱っこ"という角度で座らせて、間近になった口許をあらためて拭ってやる。(あ"お姫様抱っこ"って言うんだっけかな? これ)
"いい気なもんだよな。"
 安らかな寝顔にゾロの口許がついつい"くすん"とほころんだ。もう大分治って来たが、少し前までは手足の爪が幾つかずつ割れていて、ひどい凍傷のせいで肌の色もそれは痛々しいまだらに傷んでいたのだ。彼がたった一人でとんでもない登攀に挑んでいたその時に傍に居られなかった自分を、途轍もなく不甲斐なく思ったゾロへ、
〈いつもみたいに自分に怒るのはナシだぞ?〉
 先んじてそうとクギを刺した、強くて優しいお子様。どんな苦境も喉元過ぎれば"そんなこともあったっけ"になってしまう、飄々とした海賊王侯補。
「………。」
 愛惜しいという一言で片付けるには大きく深すぎる想いを持て余し、だのに、手出しも出来ず、かと言って見切って離れることも出来ないから困ったもの。
"大剣豪になるのと、どっちが辛いんだろうな。"
 ぽつりと思ったその途端、何を馬鹿なことを…と我に返って苦笑が洩れる。天真爛漫な寝顔の船長。きっと、とっても美味しかったメロン=ベリーの山を攻略征服している夢でも見ているのだろうなと思うと、再びの苦笑が浮かんで止まらない。
"時忘れの実…か"
 サンジが言ってたメロン=ベリーの別名の"時忘れの実"とは、自分にとってはこのルフィのことかも知れない。彼の目指す見果てぬ夢に、時さえ忘れて目が眩んでいる最中なのかも。
「………。」
 いつかは…夢とこのルフィと、どちらかを選ばねばならない時が来るのだろうか。海賊王への道と大剣豪への道が必ずしも重なっているとは限らない。だとしたなら、答えは自分で出すしかない。
"………。"
 気まぐれな少し強い風が、間際をひゅうと唸りながら駆け抜けた。剣豪の耳元で、金のピアスが涼しげな音を立てて揺れ、それが彼の思い詰めをやわらかくほぐす。空の高みでカモメが一羽、ちょっぴり呆れたような声音でカ〜オゥと鳴いた、とある島での昼下がりであった。


   〜Fine〜  01.10.15.

   カウンター4444HIT キリ番リクエスト
         トリコ様 『ルフィが喜ぶ話』



  *しまった。これでは『ルフィが困る話』ではなかろうか。
   ついでに剣豪まで考え込んでないか?
   おかしいなぁ。
   途中までは
   “目新しいもの、食べ物、見晴らしの良い海岸散歩”と
   好きな物尽くしで攻めて、
   とどめに一番大好きな"剣豪"を投入したんだのに。
   やっぱりお子様にアルコールというのは
   禁じ手だったということだろうか。
   こんなになってしまいましたが、
   トリコ様よろしかったらお持ち帰り下さいませ。
   …って、イヤかもなぁ。う〜ん、う〜ん(涙)


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