月夜見 〜刻印

「…ルフィ、くすぐったいから やめな。」
風呂上がりなぞに、湯冷ましがてら、シャツも着ないで寝そべっていると、
傍に寄って来て、黙ったまま胸の傷を指で辿ることがある。
左肩から腰の右側へ胸板を斜めに駆け降りる、迷いのない真っ直ぐな傷。
もう既
(とう)に痛みも何もないが、
薄い皮膚が盛り上がった肉芽の上は、肌が若いせいか、そっと撫でられるとむず痒い。
こんなものに関心があるような奴だとは思ってなかったから、
手ごと掴まえて、あまりいい趣味とは言えないぞと窘めると、
「俺、この傷、嫌いだ。」
むっつりと呟く。こちらも風呂上りでいつもの帽子はかぶっていないから、
ざんばらな黒い額髪の下、不機嫌そうな顔がまんま間近に見える。
「これがゾロんこと連れてったかも知れないって思うから、嫌いだ。」
ああ、そういう意味か…と吐息が洩れた。
「…ちゃんと生きてるだろが。」
ある意味では情けをかけられた訳だから、あまり威張れたことではないのも事実だが。
豪快に閃いた筈の斬撃が、
だが、髪一条ほどの差で、隣り合ってた地獄と現世とを分断した絶妙な剣。
強いからこそ、達人だからこそ、造作もなく出来る"加減"だったのだろう。
何から何まで桁が違う。
ああまで"世界"は遠いのかと、つくづくと思い知らされた。
「それに、これ見る度にあいつのことまで思い出す。」
ジェラキュール=ミホーク。世界最強の剣士。
奴と立ち合い、力不足から斬られたその時、ルフィもその場に居合わせた。
歯を食いしばって戦いを見届け、そして、
滅多に泣かないこいつが、その瞬間、一粒だけ涙を見せた…らしい。
波間に沈んだ俺には知りようがないこと。
後にも先にも人前で泣いたことのない船長の唯一の涙じゃねぇのかと、
お節介な野郎が随分と後になってわざわざ教えてくれたのだ。
「あいつに斬られたんだって、嫌でも思い出す。」
「…それが"傷"ってもんだ。」
刀傷は、その鋭さと深さ、金属に因るものであることから、
擦り傷や裂傷と違って、まずは一生消えない。
自分の身体に直に負けを記した、言わば"刻印"だ。
溺れぬよう、驕らぬようという"戒め"には丁度良い。
だが、ルフィとしてはお気に召さないらしく、
「なんか、ここだけあいつのもんになっちまったみたいで嫌だ。」
"………。"
気づいてはいないのだろうが、時々とんでもない言い回しをする奴で、
「そんなもんに妬いてどうすんだ。」
俺としては"くつくつ…"と微笑う他はない。
微笑えるだけ、この傷に馴染んだということか。
そうこうする内にも、いつの間にか自由になっていた奴の指先が、
傷を消そうとするかのように再び真上を伝って這い上がってくるから、
「やめなって。…こら、ルフィ。」


                                    〜Fine〜 (01.7.14.)

  *『背中』では"嫌いじゃない"と言ってたくせに、今度は"嫌い"。
   その時その時で言ってることがばらばらな子たちですが、
   それぞれシチュエーションが微妙に違うということで。


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