Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
もしものランプ 

 


        



「…っ!」
 はっと目が覚めた此処は、見覚えがある場所だ。木目模様が並んだ天井板。畳敷きに襖の扉。漆喰壁に刳り貫かれた円窓の下には壁に向いた座卓があって、濡れ縁の側の障子には、すぐ間近に植えられた笹の陰が揺れている。少なくとも自分が此処で目覚めて不自然ではない場所だ。部屋の中を見回してほうっと安堵の息をつき、だが、そもそもどうしてそんな事にホッとした自分なのかに、
"…?"
 小首を傾げてしまう。
"…何だろ。"
 寝床から起き上がったものの、なんだか曖昧な想いが詰まってて頭が重いような気がする。思い出さなけりゃいけないことがあったような気がする。目が覚める直前まで見ていた夢のインパクトがあまりにも強かったにもかかわらず、どんな夢だったか具体的に思い出せないような。ここまで出かかっているのに…というような、歯痒くも焦れったい気持ち。
"何だろう。何だったろう。"
 はっきりしない、引っ張り出せない。ぼんやりしたままながら、身体が勝手に"いつものように"支度を整えている。まわりの情景はどこか他人事のように掴みどころがなく、それこそ夢の続きのようだった。そのまま家を出て、隣村までの畔道を速足で行く。ずっと幼い頃からの馴染みがある、のどかで穏やかな田園風景。おおらかな土地だのに、いや"だからこそ"だろうか、物心つくかつかぬかという頃から誰よりも強くなりたいという想いがあった。世界一強い男になるんだと、世界一の剣豪になるんだと、気がつけばそれだけを想い、そればかりを追いかけていた。畔道をどんどん進んで行くと、だんだんと視野に入って来るのは、古くて大きな武家屋敷だ。見慣れた大門は開け放たれていて、道場へ向かう途中の井戸端に、平たい桶を据えて屈み込んでいる少女がいる。
"………あ。"
 こちらの気配に気づいて顔を上げた少女は、勝ち気そうな目を上げて真っ直ぐに見やって来た。
「…ゾロ。早いのね。」

"馬鹿なっ!"

 これは何なんだ? いつの朝だ? 十年以上も前にあっけなく逝ってしまった親友は、最後に見たその時のまま、幼いながら清冽できっぱりとした目をしていて、それがよく映えるすっきりした面差しも何ら変わってはいない。彼女が刃を丁寧に研ぎ上げているのは白鞘の和道一文字。今は自分の腰にある筈の、彼女の形見となった刀ではないか。

  "なんで…どういうことだ、これはっ!"



                       ◇



「ウソップさん、早く早く。」
「…カヤ?」
 いつの間にか、手を引かれて故郷の道を駆けている。大海のど真ん中に浮かぶ小さな島の小さな村。純朴な人々のその大半が、外の世界を実際には知らないまま穏やかな一生を暮らす田舎の村だ。長い髪をした、線の細いきれいな少女。幼なじみと呼べるほど小さい頃からずっと親しかった訳ではないが、それでも仲のいい友達だ。
「お、おいっ! そんな走って大丈夫なのか?」
 身体が弱かったカヤ。いくら何でもそうそうすぐに健康にはなれまいにと気遣うと、
「私は大丈夫。それより、ウソップさんのお父さんが戻って来られたのよ?」

「…………え?」

 自分の耳を疑った。
「何でも、特効薬を見つけたんですって。どんな病にも効く薬。それでウソップさんのお母さんのことを風の噂に聞いて、急いでそれを持って戻っていらしたって…。」
 息を切らせながら語ってくれた内容が、理解は出来るが信じられない。第一…、
"おふくろはもう…。"
 気がつけばカヤはいない。自分の家の前に一人で立っていた。丘の上の懐かしい小さな家。中から人の話し声が微かにする。聞き覚えのある声だ。楽しそうな響きで誰かと語らっている。
"…まさか。だって、おふくろはもうずっと前に…。"
 扉を開けることが出来ない。いる筈のない、会える筈のない誰かと誰か。忘れっこないこの声を、だが、その人物のものだと認めたくない。

 "どうして…。"



                       ◇



 "…あれ?"

 目が覚めた途端、白衣の天使と目が合った。柔らかく目を細めてにっこりとし、
「大丈夫? 苦しくない? あなた、此処に運び込まれてからずっと、眠り続けていたのよ?」
 なんだか記憶が曖昧で、だが、病院らしいこの場所に自分がいるのは訝しいことではないという認識がある。随分と疲れていて…眠ることさえ負担なほど疲れ切っていて。体中が全速力で回復に向かおうとしていて、休むために必要な体力を絞り出す作業と休養とが鬩せめぎ合っているようなそんな気分だ。
「ああそうだ。あなたと一緒に運び込まれた男の人。あの人、有名な海賊だったんですってね。」
「…え?」
「ふふ、心配しなくても大丈夫よ。そんな子供、赤の他人だ…って言い張ってたし、それに、あなたが乗っていたオービット号の生存者の中に、あなたが賄い方の見習いコックだって証言してくれた人もいたし。元気になったら迎えに来てくれるんですって。良かったわね。」
「え???」
 覚えがあるような無いような。どういう会話だろう、これは。そこへ廊下の方でバタバタという騒ぎが起こって、開けたままだったドアから、
「あ、大変よ。あの人、病院ここを抜け出したの。」
 別な看護婦がこちらの彼女にそんな声をかけた。
「え? だって、まだ安静にしてなきゃ…。」
「賞金がかかってる身だから、長居は出来ねぇなんて言ってたでしょ? 動けるようになったものだから、海軍からの手配を予想して逃げたんじゃないかって、担当の先生が言ってたわよ。なんて言ったっけ…赤い足の…?」

「…っ!」

 がばっと跳ね起きた。そうだ、思い出した。ここは"あの遭難"から助け出されて、そのまま運び込まれた病院だ。彼女らの会話に割り込んで、
「その人は…その人は、ここを抜け出したって?」
 切迫した声で訊くと、
「あ、ええ。そうなのよ。まあ、物凄い回復力で、身体の方は九割方も治ってはいたんだけれど。」
 おかしい。そうじゃなかった筈だ。あの時に持っていた金品財宝を全て売り払って海上レストランをぶっ建てて、二人で一緒に海へと出直した筈だ。置いてかれたということか? 愕然としているこちらに気づいてか、最初に話しかけて来た看護婦が心配そうな声をかける。
「そんなにがっかりしなくてもまたどこかで会えるわよ、坊や。」
「あら、でも海賊に戻ってる筈でしょ? 会えない方が良いんじゃない?」
"え?"
 海賊に…戻った?
「…足は? その人、足は…。」
「足? 別に何とも、頑丈そのものだったわよ? あなたと同んなじで、衰弱してただけだったんですもの。休養と栄養を充分取ったからすっかり元気になって…。」
「そうそう、きっとあれって足で蹴って壊したのよ。窓が枠ごと粉々になってたし。」
 彼女らの言いようはたいそう自然だったが、どうしても信じられなくて。
"…何でだ?"
 自分の生命を張って助けてくれた人だった。荒くれたちや冒険の待ち受ける海賊の世界に二度と戻れなくなるのに、自分の右足を自分で断ち切ってまでして…夢を諦めまでして助けてくれた人だった。その日初めて出会ったほんの小さな子供を、自分の夢と同じ"オールブルー"を信じているからというだけの理由で、だ。そして、それからの十年近くを共に過ごした…そう、父親のような人物だのに。



                       ◇



「…ミ、ナミっ? 何をぼーっとしてるの?」
「あ…え?」
 途端にぱぁっと閃いた目映い陽射しに目を細める。青い空の下に畝が連なり、ぴかぴかと艶のある葉の緑とたわわに実ったみかんがそんな陽射しに負けないほど眩しい。
「ほら、今朝のジュースに使う分。」
「あ、うん。」
 小さめのカゴに盛られたみかん。両手で受け止めて、差し出した相手を見やる。
"…あれ?"
 血の繋がりはないがそれは仲良く育った義理の姉・ノジコ。だが、どうして彼女がいるのだろうか。ここは一体…?
「ほら、早く入ろ。ご飯だよ?」
 自分が渡されたのよりもう少し大きめのカゴを抱えて、ノジコが先に立って歩いて行く。村外れの小さな家。ポーチを上がって跳ね扉を押し開けると、台所からのいい匂いが迎えてくれる。
「ありがと、ノジコ、ナミ。こっちに持って来て。」
「あ、ジュースはあたしが絞るよ。」
「おや。上手に出来るのかい? ナイフは気をつけて使うんだよ?」
 料理用の木べらを片手に、オムレツを焼いている女性がいる。若々しくて闊達で明るくて、ちょっと短気で手も早いけど、それでも大好きな"お母さん"だ。

"…なっ!"

 だが…そう、だが、彼女は8年前に殺された筈。思わずカゴを取り落としてしまい、みかんがゴトゴトと音を立てて床へと散らばる。その音に気づいて、
「ん? どうしたんだい? ナミ。」
 こちらへ歩みを運ぶと、髪に手をやり顔をのぞき込んで来る。
"あ…。"
 なんて残酷な夢だろうか。声も匂いも笑顔も、手の温もりまでそのまま、覚えているままだ。大好きだったのに、心にもない大喧嘩をしたその日に…大好きだと確かめ直したその日に殺されてしまった"お母さん"。こらえようとした口許が大きくわなないて、鼻の奥がツンと痛んで、視野が見る見る涙で歪んでしまう。

 "どうして…っ?!"



                       ◇



 ささやかで粗末な岸壁に寄せては返す波の音。目の前に広がるのは故郷フーシャ村の港だ。小さな村の小さな港。だが、そこに停泊している船は、ずっとずっと憧れ続けていた大海賊の持ち船で、大海原への冒険という夢をいつもいつでもかき立ててくれた。
"…あれぇ?"
 なんで、この船が"今"目の前にいるんだろうか。何か変だなぁと小首を傾げていると、
「よお、ルフィ。」
 気さくそうな声がかけられた。
「…え?」
「どうした。そんなところでぼんやりと。」
 村の方から船へ戻って来たのだろう。いつもの黒マント姿の、
「…シャンクス?」
 大好きな人物だのに…このシチエーションにも不合理はまるで無いのに、何かしら辻褄が合わない気がしてしようがない。どこか張りの無い声になったことを聞き咎め、
「何だ何だ? 目ぇ開けたままで寝てんのか?」
 かか呵々と笑って首っ玉を小脇に抱え込むようにし、くちゃくちゃと髪を掻き混ぜてくれる。子供好き…というより、本人自身がいつまでも子供のような男。海賊になったのも物欲や名誉欲からではなく、自分の目で世界中を見て回りたいからだとかで、そのくせ、戦闘能力も度胸も誰にも引けを取らない強靭な海の男。左の目をよぎるように額から頬へ斜めに走る三本傷も、さぞかし凄まじい戦いをくぐり抜けた跡ではなかろうか。そんなシャンクスがルフィも大好きだった。だが、どんなにねだっても海賊の仲間に入れてくれず、そして…あの事件が起こってしまった。
"あれ?"
 抱え込まれた腕と、頭をグリグリと掻き回した手と。両手が揃っていなかったか?
「おいおい、こらこら。」
 掴みかかる格好になって、マントを払うと…両腕がしっかりある彼ではないか。
「シャンクス、左腕…。」
「ん? 腕がどうかしたか?」
 海王類に襲われたルフィを庇って喰いちぎられた筈だのに。
「何だ、おい。今日は訝しいぞ、お前。」
 そうだろうか。訝しいのは自分の方なのだろうか。
「そうだ、ルフィ。俺たちは明日出港するんだが、今度の航海はさほど長いもんじゃない。どうだ? ついて来るか?」
「………え?」
 はっきりと理由は言わなかったが、外海の航海は子供にはとっても危険で、それと…もっと別な見方をすれば余計な"大人の理屈"や賢
さかしい知恵を早々と身につけることになる。だから船長さんは"連れてかないよ"と言い続けているのよと教えてくれたのは酒場のマキノさんだった。昔は解からなかったそんな理屈が今は何となく判るからこそ、こんなことを言い出すシャンクスは変だと思った。

 「…シャンクス?」






        



《さあお前たち、そこからやり直せるんだよ? 良かったねぇ。大切な人、大好きな人、平穏で幸せだった毎日が帰って来るんだよ? 但し、身も心も夢に呑まれたままになるがねぇ。ひっひっひっひ…っ。》
 ここは一体どこなのか。濃密な闇の帳とばりが澱おりのように幾重にも立ち込めていて、その先はどこまで続いているのかまるで見通せない。そんなただ中に5人それぞれが立ち尽くし、脳裏を巡る悪夢に呑まれて表情をこわばらせている。
「あ…。」
 悪夢に呑まれる彼らを、自分まで悲しげに苦しげに息を呑んで見守っていた騎士姿の精霊の傍ら。これもまた人ならぬ者なのだろう、コブのように腰の曲がった誰かがいる。声から察するに老婆のようだが、老木のように年を経た姿のその誰かは、節槫
ふしくれ立った杖をかざして彼ら5人を悪夢の中に封じようとしているらしい。そんな最中、

 「…こんなデタラメ、どうしろってんだ。」

 くっきりとした声が放たれたから、
《なに?》
 これは意外な事態だと、不意打ちに遭ったかのように声を高めた老婆は、窮屈そうに首をゆっくり巡らせた。声がした方を見やれば…ルフィがしっかりとこちらを見据えている。今にも爆発しそうな、本気で怒る直前の…津波の前の海のような、あの無表情でだ。さして大きくもない筈の彼が、その身体中に充満させた怒気を周囲に放っているせいだろう、威圧に満ちて大きく見える。
「シャンクスの腕は俺が奪った。けど、気にすんなって言われた。助けた甲斐のある男になって、いつか海賊王になって、この帽子を返しに行く。俺にはそれで良いんだよ。」
《何だってっっ!》
「ルフィさんっ!」
 忌ま忌ましげな顔つきになる老婆とは逆に、騎士はその表情を輝かせた。正気に返ったのはルフィだけではない。
「えらくつや消しなこと、してくれるじゃねぇかよ。」
 いつの間にやら新しい煙草に火を点け直し、目許から額へざっと掻き上げるように、片手で前髪を梳き上げながら、サンジがそんな風に言い放ち、
「さっきルフィが言っただろうが。俺たちは一番叶えてぇことは自分の手でやりてぇんだよ。」
 低く響いて張りのある、得も言われぬ凄みを帯びた声はゾロのもの。そんな彼も刀の鍔を親指で押し出していて、和道一文字の鯉口を切って見せる。見回せば、5人が5人、全員がしっかり目を覚ましているではないか。
「…そうよ。こんな卑劣なこと、絶っ対許さないんだからっ!」
 眉を吊り上げて顔を上げたナミは、その手に継ぎ棒を構えている。
「人の頭ん中覗いて、勝手なこと、すんじゃねぇよ。」
 ウソップもスリングショットを掴み出していて、右手にはじゃらじゃらとパチンコ玉をひと掴み。彼の連発技は下手なピストル以上の威力がある。
《な、なんだって?》
 まだ状況を認められないでいるらしい老婆を取り囲み、
「何をどうやり直せって言うんだ? しかも、随分と見当違いな目串、刺しやがってよ。」
 サンジがポケットに両手を突っ込んだ"戦闘体勢"で怒り心頭な低い声を浴びせ、
「年寄りを邪険にしたかねぇが、どうやら人間じゃあないらしいしな。バケモノ相手に俺たちゃそうそう温厚じゃねぇんだ。」
 ゾロが真顔で腰を低く落として刀を居合に構え、立ちのぼる気魄で逃げ場を塞いだ。
《う、うう…。》
 底冷えが来そうなほどの、怒りの激しさを込めた鋭い目を向ける彼らに、老婆はすっかり気圧されているらしく、
「とっとと消えろっっ!」
 辺り一帯が震えたそのまま、肌を突き通って来て胸の芯で弾けそうなルフィの怒号一喝が轟くと、

 《ひ…ひいぃぃぃーっっ !!》

 たじろいだ後ずさりのまま甲高い悲鳴を上げた老婆はその身体を煙にしてしまい、何がどうと確認するのも難しいほどの素早さで…騎士が出て来たランプに、一片の気配も残さず吸い込まれてしまったのである。





「…え?」
「おっとぉ?」
「何だ何だ?」
「あら…?」

 一転、辺りが唐突に明るくなって、気がつけば元の甲板の上だ。何事もなかったかのようにゆったりとした潮騒が聞こえる、陽光穏やかな海の上のゴーイングメリー号であり、
「ありがとうございます、ルフィさんっ!」
「へ? …あわわっと。」
 おや、あんたはまだ居たの? 精霊が感に堪えたように声を裏返してルフィに飛びついて来たのだ。鎧ががちゃがちゃとにぎやかだろうねぇ、さぞかし。
おいおい  そんな彼に"にっかーっ"と笑って見せて、
「さっきの婆さんは一体何者だったんだ? お前の知り合いなんだろう?」
 ちょっとちょっと、ルフィくん。あんた、その精霊さんの事は警戒してないの?
「あ、あの…。」
 彼自身も今更ながら同じようなことを思ったらしい。だが、
「俺たちが見せられたものは、お前が"それだけは叶えられない"って言ってたことばっかだったからな。」
 ゾロが言葉を継ぎ、
「ああ、こりゃあ別の誰かの仕業だろうってそう思ったってわけさ。」
 サンジが締める。いいコンビネーションですねぇ。なんで日頃もこういう風に仲良く出来んのかしら、この人たちってば。それはともかく。
「あれは魔女パンニャ。人々の欲望を糧にして来た魔女で、このランプを乗っ取って、これまでの長い間、私を使って沢山の人たちを苦しめていたのです。」
 ………はい?
"おい、筆者ッ。"
 あ、ごめんごめん。 糧ということはそれが活力の元、つまり、栄養源もしくは"ご飯"だったということですね。
「私が夢や希望を叶える力というのは、正確には"寝てみる夢で…"なんですよ。パンニャはそこに付け込んで、術にかかって眠った人たちの活力を吸い取って来たんです。」
「じゃあ、あんたは…。」
「はい。パンニャに捕まっていた眠りの精霊なんです。」
 ゾロさんの守護霊の仲間内でしょうか。
おいおい 不眠症の人には喜ばれるかもしれないねぇ。こらこら 冗談はともかく。
「真
まことの名前を盗まれた私は、パンニャの命に従うことを余儀なくされ、自分がどうしてこんなことをするのかさえ判らぬままでいたんです。」
 ああ、それでさっき"千と1つの願いを云々"なんて曖昧なことを言ってたんだな。心の隙間に入り込む卑劣な魔法。だが、悪夢に呑まれず撥ね除ける者が現れれば、呪いのセオリーが働いて"かけた本人"に全てが跳ね返る。口先の誘惑にも、懐かしい情景を見せての封じ込めにも負けたり萎えたりすることなく、本当の夢に連なる"現実"を手放さなかった彼らの逞しい精神力が勝って、魔女を圧倒して逆に封じてしまったということなのだろう。
「もう何百年もの間、いろいろな人に出会って来ましたが、あなた方のような人に会ったのは初めてです。」
「へぇ〜。」
「ふ〜ん、そうなんだ。」
 ちゃんと聞いているようで、その実、右から左へと聞き流しているゾロや、素直に感心しているルフィと違って、
「……それって。」
 ナミが、サンジが、ウソップが、こそこそと額を寄せ合うと眉を顰めて見せている。それってその何百年もの間ずっと、色々な人を悪夢の中へ呑み込んで来たということではなかろうか。けろっと恐ろしいことを言う騎士殿で、
「ボケ方は全然違うが、ルフィととっつかっつなんじゃないか、あいつ。」
「ああ、俺もそう思う。」
「本当に恐ろしい奴って、案外とああいう人畜無害そうなタイプだったりするのよねぇ。」
「ああ、それこそルフィが良い例だぜ。」
 そのルフィと出会ったことで、新たな視野が開けたり、新しい道、次の道に踏み出した自分たちでもあるくせにねぇ。ま,自分のことともなると、鏡にでも映さないと見えない角度や場所もありますから、それこそ言っても詮無いことではありますが。
「本当にお世話になりました。」
 なんだかとっても腰の低い精霊は、皆にぺこりと頭を下げて、
「お礼というには滸おこがましすぎますが、呪文を使って私と出会わなかった事にさせていただきます。」
「なんでだ?」
「あなた方には嫌なこと辛いことを思い出させてしまいました。そうなってしまった、苦しめてしまったことをなかったことにしたいのです。」
 ファンタジーでは"お約束"ですな。人ならぬものや未来人との遭遇を、それぞれの記憶から消してしまう処理。
「そんなもん、別に構わねぇけどな。」
 ルフィだけではなく、他の皆もあっけらかんと笑っている。自分たちで言った通り、過去は過去だと、自分たちの意志や気概でとうに乗り越えている。付け込もうとした魔女をあっさり追っ払ってしまったくらいに。
「そう仰有る事と思っていましたが、私の方で気が済みません。」
「あら、でも待ってよ。もしかしたら大切なことを覚えたのかもしれないのに、それも勝手に消されてしまうの?」
 さすがは"麦わら海賊団"の知将、頼りの綱の賢者ナミがそんなところに気がついた。確かに、どんな体験であれそれは本人のみに処遇なり価値なりを決められる所有物で、他人が弄繰いじくり回していいものではない筈だ。が、
「それは確かにそうですが、本当に大切なことだったなら、このような奇想天外な体験をなさらなくとも得られるものでもある筈ですよ。」
 おお、結構言うではないかね、精霊さん。

 「いいですか?
  ルフィさんはこのランプを釣り上げはしなかった。
  私と関わりはしなかった。

  良いですね………?」


 ………………………………………………………………。



「おい、ルフィ、釣れそうか?」
「ん〜、まだ全然アタリが来ねぇんだよな。」
 一番前のデッキの船端で、船長のルフィは竿を掲げて釣りの真っ最中。とはいえ、朝から始めて未だ一匹も釣果がない。まあ…根が呑気な彼のこと、たとえ数日ほども魚信が来なくても気にはしないのかも知れない。飽きるということはあるかも知れないが。…と、
「…お?」
 釣糸の先で何かキラリと光ったような気がした。浮きが揺れて、すす…っと海中へ引き込まれる。
「おっとぉ…。」
 タイミングを合わせて竿を振り上げると、空に煌きの放物線を描いて獲物が宙を舞う。
「なんだ、釣れたのか?」
 サンジがウソップが寄って来る。ルフィはにんまり笑って、
「ああ、ほ〜らでっかいだろ?」
 丸々と太って、しかも身丈が1メートルはありそうな大物の魚を、両手に掲げるようにして彼らに見せたのだった。

  《お世話をかけました。》

「…え? 何か言ったか?」
「いやぁ。」
「あれぇ?」






    〜Fine〜  01.6.06.〜6.26.


   *な、なんかまたしても子供キャラが登場しているような。
    関わらなかったことにしますというオチは、
    色々なファンタジーやSFに使われてますが、
    筆者が思い出したのは寺沢武一さんの『コブラ』でした。
     (ど〜だ、年寄りだろーが。
こらこら
    次は"陰踏み鬼"か…な?

   *このお話からビビちゃんを同座させるよう書き直そうかとも思ったのですが、
    彼女の回想シーンを知らないため断念しました、悪しからず。


めーるふぉーむvv ご感想はこちらvv

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