月下星群 〜孤高の昴

          其の九 沙漠 U


 そこはアルバーナ宮殿で一番高いという城楼の頂上だった。中央に鎮座する大ドームの脇の尖塔の見晴らし台で、アルバーナという高台に据わった都市に聳
そびえる宮殿の、更に高みに位置するその場所からは、都市をぐるりと取り囲む広大な砂漠の遥か彼方まで、どこまでもどこまでも見通せた。今はちょうど太陽が地平線への熱い接吻をいたそうとしている時間帯。
「うわぁ〜〜〜。でっけぇ夕焼けだなぁ〜。」
 思わず感嘆の声を上げた少年の口を大きな手のひらで塞いで、
「馬鹿っ。誰かが駆けつけたらやばいんだぞ?」
 小声で叱咤する。途端にむむうと判りやすく膨
むくれたものの、温かな懐ろへと掻い込まれる格好になったことに気づいてか、不機嫌顔は引っ込めたルフィだった。


 『砂漠が見てぇ。』


 戦いの中で食らった毒の後遺症で高熱を出し、三昼夜の昏睡状態を経て一番最後に意識が戻った我らが船長殿は、皆からの注意や視線の隙を突いて相棒である剣豪にそんな一言を囁いた。
『何を寝ぼけたことを言ってやがる。』
 寒さにはかなり強いらしいのに暑さは苦手であったらしく、広大な砂漠を横断しなければならなかった旅程では、あれほどヒイヒイと音を上げて見せ、かなり難儀をしていたくせに。道中でさんざん手を焼かされたこともあって、何を今更と感じたゾロであっても無理はない。それに加えて、
『お前、さっきまで臥せってたんだぞ?』
 結構広いこの町の、かなり外れまで出なければ、あの遠大な光景を見渡すことは適わない。ただでさえ大怪我を負っている身。徒歩であれラクダや馬に乗るのであれ、病状や傷に響かぬ筈はない。それに、海賊である自分たちは微妙に"客人"だと大手を振れないかもしれない存在なのだと、ゾロには何となくの自覚というのか予測というのかが既にあって。この宮殿からの出入りを誰かに見とがめれらては、迷惑をかける人間が出るということに気がついてもいたから。それでダメだと暗に窘
たしなめたのだが、
『見たいったら見たいんだっ。』
 強情な船長殿の駄々は収まらず、
『…判ったよ。見えりゃあ良いんだな。』
 仕方がないかと溜息混じり。その実、久し振りの駄々を内心でくすぐったく感じつつ、方向音痴の彼には珍しくも迷うことなく、この、天空に最も近い高みまで少年を導いたゾロだった。


 クロコダイルが宮殿広場への砲台を仕掛けた塔よりも奥になるこの場所は、純粋に見張りのためだけの場所であるらしい。外敵に向かって弓を射ったり砲弾を放ったりするには、この城楼の位置は奥まりすぎている。そして、
「ふわぁ〜。」
 なればこそ、その眺望は見事の一言に尽きた。茜を帯びた空と大地と。見ていて吸い込まれそうになる奥行きは、そのままこの砂漠という曠野の底の深さを思わせた。無表情で素っ気なく、そのくせ、力のない者を容赦なく食らって飲み込む、無慈悲で厳しい世界。屈み込んだ足元にあるのは、くっつけても出来るほんの僅かな指の隙間からこぼれ落ちるほどに微細な砂の集まり。だのに、国家をひとつ、余裕で飲み込んでしまうことだって出来る、途轍もない莫大な力を持った化け物でもある曠野。
"…なんか海に似てるよな。"
 それとも、深い雪に覆われた雪原だとか。自然の力、存在の、何と大きなことか。それへと立ち向かうべく、人は知恵を磨き、助け合ったのだろうに。少しでも手放しになれるだけの余裕が生じると、たちまち傲慢な勘違い野郎が顔を出し、諍いや争いが生じる愚かしさよ。
「………。」
 頬をなぶる空気が、何となくだがしっとりとその密度を増しているような気がする。3年振りに降った雨のせいだろう。人々の苦しみや誤解や齟齬や、この数年のこの国を侵して満ちていた、あらゆる穢
けがれを洗い流してくれたような爽やかな潤い。ルフィもそれには気がついたらしくて、
「風が何か涼しくねぇか?」
 時折吹きつける風に、はたはたとお仕着せの寝間着もどきの裾がはためく。船上でのいつもの格好ではなく、砂漠に入ってからこっちのいでたちでもない装束。青年は黒で少年のは生成りのストライプ。それぞれ色違いなのは、サイズが違うからだろうか。裾が足元まであってゆったりとした、ここいらの服を着せられていた彼らだ。肩から一直線にすとんと降りるさっぱりしたデザインなせいか、小柄で細っこいルフィはますます子供っぽく見えて。
「そうだな。」
 最初に彼の口を塞いだ格好のまま、背後に立って腕の中へと掻い込んだ少年の、麦ワラ帽子のないぱさぱさの黒髪が風に躍るのを鼻先に眺めつつ、ゾロは大して感慨もなさそうな口調で応じていた。
「なあ、ゾロ。」
「んん?」
 ルフィの側でも居心地が良いのか、背後の頼もしい胸板へと軽く凭れてそのまま。重みのあるペンダントのように、若しくは彼にとっては"拘束具"にも似た重々しい防具のように、自分の胸元へと軽く降ろされている、ごつくて長いゾロの腕の輪。それを…半ばじゃれつくような格好で両手で抱き込みながら、大人しく彼方へと視線を投げていたが、
「終わったな。」
 ぽつりと呟いた少年の声が、風にもよじれずくっきりと届く。
「…まぁな。」
 ホントはまだ…後始末とでも言うのだろうか、世間的な"示し"をつけねば収まらないだろう厄介な奴らが、果たしてどう出るかという問題が残っている。王下七武海という、自分たちがその存在を公認とした海賊が起こしたとんでもない不祥事を隠蔽するため、世界政府が、そして海軍が黙ってはいなかろう。彼ら"麦ワラ海賊団"を完全なる悪役に仕立て上げ、何らかの帳尻合わせに持ってゆくことだって辞さないに違いない。だがまあそれはまだ先の話だ。今は先走って案じても始まらない。そんなこんなという思惑を胸の裡
うちで転がしながら、言葉少なに応じたゾロへ、
「俺、ゾロに逢いたかった。」
 ルフィは不意にそうと呟いた。ホントはどこでもよかったのだ。砂漠を眺めたかったなんて口実に過ぎない。ただ、落ち着いて二人きりになりたかっただけ。一杯話したいことがあった。怒りや何や、激しい想いで一杯だった胸中が落ち着くと、次にはそれらがもぞもぞと騒いで止
まなくなった。具体的に言いたい言葉がある訳ではない。頭の中が無秩序なのはいつもの事だが、それでも今回のは度を超していて。伝えたいのに言葉に出来ないことへのむず痒さが、体の中でじたじたと暴れていて。もうもう手がつけられない。この大好きな無愛想野郎にきゅうっとしがみついてわあわあ泣いてみたいほど、胸の中がどうにも切なくて。
「………。」
 それらは、集約すると…今の一言に尽きた。会いたかった。感じたかった。ここにいること。無事でいること。いつもの太々しい顔で、にやりと笑って見せる不敵な彼であること。
「なあ。」
 顎の裏を目一杯晒すように、真上を思い切り見上げて急っつく。自分は言ったぞ? そんな気配があると判る。お前は? ゾロはどうなんだ? という、子供じみた甘えの滲んだどこか愛らしいおねだりへ"くすん"と笑って、
「…ああ。俺も会いたかったさ。」
 返事は素っ気なくて。顔は見えない。声もどこか単調で、だが、それは照れ隠しだと思っていた。だが、
「勝手なことばっか、しやがってよ。会って、今度こそ絶対"説教"してやるって思ってたからな。」
 単調なままの低い声で紡がれた"これ"には、
「………えと。」
 途端に首をすくめるルフィである。


            ◇


 相手の思うところや希望、目的。それらを、具体的な言葉にして投げられなくとも読み取れるような、深い理解と的確な把握。ツーカーよりも深くて、独特な融通の利く機転。慣れやら何やらの積み重ねに加えて、ちょいと癪だが…判りたい知りたいという、ルフィへと向いた自分の側からの"意識"が育んだ代物なのだろう『それ』を、いつのまにやらしっかりと身につけていたゾロ。それまでずっと孤高を保っていた、意識していた訳ではないが"一匹狼"でいた自分が、誰かとこんな風に判り合える間柄に落ち着こうとは、夢にも思わなかった剣豪殿は、だが、そんなツーカーがやさしく温かなばかりでもないことに、さして日を置かず、気づかされることとなる。
"……………。"
 言われなくとも判ることにも色々あって。背中を向けてたって判る間合いやら呼吸やらにはくすぐったい嬉しさもあるが、中には判るのが嫌なものもある。自分は決して望んではおらず、全然嬉しくもないことながら、そうすることを選ぶと思ってたと、そんな風に相手を理解出来てしまう自分は何だか苛立たしい。

  『いけぇーーーーっ!』

 虜囚となったレインディナーズから脱出した途端、意外な形で迎えたクロコダイルとの一騎打ち。この場は自分に任せて一刻も早く首都アルバーナへ向かえと、にっかと笑って言い放ったルフィ。死闘の場に彼をただ一人居残らせて進まねばならなかったあの時の"苦渋の選択"もそれだった。

  『俺たちの命くらい一緒に賭けてみろよっ!』

 自分の野望を果たすため、この砂漠の国を混乱の中に滅ぼそうと構えていた、黒幕クロコダイル。そして、そんな彼の策にまんまと躍らされた反乱軍と国王軍。今にも始まろうとしていた彼らの衝突を、ビビは自分の身を楯にした"説得"でもって回避させようと考えていた。誰一人として罪のない彼らが戦って、互いに傷つけ合い力尽きて倒れるのは間違っているのだからと言う、それは確かに正論であるのだが。

  『仲間だろうがっ!』

 誇りや信念では誰にも負けない彼女ではあったが、いかんせん、持ち得る力は正直言って微々たるもので。彼らの前に立ち塞がってでも…との、ギリギリの限界を覚悟した、正に決死の策であったのだろうが、それは所謂"蟷螂の斧"という代物。果たして効果を上げるのだかどうだか。恐らくは彼女にも確たる自信はなかったのかもしれない。そして、そんな遠回りで穏便な策に真っ向からケチをつけたルフィは、誰をも傷つけたくはないと言う彼女に、自分たちの命も上乗せしてやるからと、だからもっと大勝負に出よう、黒幕そのものをぶっ潰そうと持ちかけたのだ。お前は非力な独りぼっちなんかじゃないのだからと。そんな悲壮な、水臭い"決意"なんかをさっさと決めるんじゃないよと。そして、そんなルフィをキャプテンとする自分たちが成さねばならないことはただ一つだったから、彼を残して先行することを選び、その上で、

  『必ず生き延びろ。
   この先、ここにいる俺たちの中の、誰がどうなってもだ。』

 ゾロはビビにそうと告げた。ルフィの想いを改めてなぞるように、彼の覚悟を自分たちが引き継いだことを示すように。


            ◇


 死を恐れない覚悟は今に始まったものではない。数々の死線を乗り越えて此処まで来た。ルフィと出会うその前から、頭のどこかに、心の真芯にしっかと据わっていた礎のようなもの。世界一の剣豪になるんだと、そのために生きている自分なのだと、表には出さないながらそれだけを一途に思っていた。もしかすると…どこかビビと似たような悲壮さで思い詰めていたのかも。だが、ルフィと出会って…その位置は少しずつ変わって来たような気がする。死を恐れない部分は変わらないが、そこへ"諦めず生き延びること"が対になった。ルフィをあの場に残して先を急いだ時だって、
《死ぬなよ。》
 実のところはそう思っていた。口に出しては言えなかったが、
《絶対負けない。そう約束したんだから、絶対死ぬなよ。》
 そうと思って、いや、祈っていた自分だった。全身が刃物だという凄腕 Mr.1との対峙により、結果として更なるレベルアップを果たした彼だったが、悪魔の実の能力者だった相手とのあの戦いは、どこか絶望と背中合わせなそれでもあって。それへと挑んだ彼は、やはり死線というものを恐れてはいなかったが、それは"死んでも悔いはない"という種のものではなく、
《こんなところで死んで堪
たまるかよな。》
 そんな想いであったと思う。呼びかけていた相手は…やはり死闘の最中にいるのだろうという翳
かげりがどうしても心から振り払えなかった小さな背中。早く鳧つけて追いついて来いと、早く目の前に無事な姿を現せよと、そうと望んでいた小さな船長キャプテン。クロコダイルが先に、その憎々しい威容を再び現したと知ったのへは言いようのない憎しみが沸き上がったが、時を置かず現れたルフィには、思わず笑い出したくなるほどの心からの安堵を覚えたものだった。


「…ったくよ。」
 時に強く吹きつける風にあおられては、丸い額を全開にして頭に張りつく黒い髪を、真上から見下ろしつつ"わさわさ"と大きな手で掻き回してやる。
「だから…ごめんって。」
 それがお仕置きだという訳ではないというのに。いつもなら大きくて無骨な手の温もりが心地いいと眸を細める彼だのに。今は…そうされることで軽く押さえつけられていて仰向けないから、愛しい彼の顔を見上げられないから。もう勘弁してくれようと、情けない声を上げて許しを請うルフィであり、
「ダメだな。お前が悪いんだからな。」
 こちらこそ、大人げなくそんな言いようをして、なかなか"勘弁"してやらない。いつもいつも引っ張り回されているから、たまにはこんなやりとりをしたって良いじゃないかと、すっかり楽しんでいる。
「なあ〜。」
 甘えたいのにお預けを食わされて、じりじりしているのがありありと判る声がまた、格別に美味しい。
おいおい そんな彼にまだ内緒にしていることがあるのもまた、何とも言えずくすぐったいゾロである。鋼を斬れるようになった自分を見たら、彼は何と言うだろう。
"わざわざ言わなきゃ気がつかねぇだろけどな。"
 期待はしてない。そういう奴だ。だから、もしも気がついたら、彼だってびっくりするだろうし、自分もきっともっとくすぐったくなるだろうから、言わない。
「なあ、ゾロ〜。」
 傍から見る分には一体どの辺がお説教なのだか。いやはや、まったく。相変わらず甘いったらない。
「まったくよねぇ。」
 おおうっ! ナミさんっ!
「押し倒すくらい、お手のもんでしょうにね。」
 うわわっ、サンジさんまで! これらのこそこそっとした声がしたのは、床に空いてる穴の蓋扉のすぐ真下。ここへと上がるための石段のぎりぎり手前に集っていたのは、もうお判りですよねの、海賊団のお仲間たちだ。ビビがお夕食と湯浴みをどうぞと、療養棟まで呼びに来たところが約2名の姿がなくて。それで"それっ"と何かのゲームよろしく捜し回って、簡単に見つけた揚げ句に、こうやって立ち聞きに勤しんでいる皆様である次第。その後方で、
「あのぉ〜。まだ、声を掛けないんですか?」
 船に乗ってた間にも、たまに見かけたこの光景。相変わらずだなぁと苦笑混じりになっているビビだったりする。こんなお茶目な光景までがしっかり復活した辺り、うんうん、平和よね。


  〜Fine〜   02.3.23.〜3.24.


  *カウンター20000HIT キリ番リクエスト
     藤沢林檎サマ『切ないゾロル』


  *砂漠バージョンの『海に降る雪』みたいですのな。(笑)
   あれは"蜜月まで"でしたので、これもそうと運んでも良かったのですが、
   先に書いた『沙漠』の方にこそ重なる部分が多いような気がしましたので、
   こちらは"月下星群"に入れました。(あと『風と光の子』とか。)
   それにしても…どの辺が"切ない"んでしょうか。
   途中頑張ったんですが、このラストは…。
   すみません、照れが出ました。
(笑)
   藤沢さま、こんなのでもご納得いただけるでしょうか?

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