月下星群
 〜孤高の昴

              其の四  傷
 

        


 出合い頭にぶつかった小者海賊とのちょっとした小競り合いがあって、それが1時間もかからずにあっさり片付いた頃合いだった。
「ルフィ?」
 背後へと隠そうとするから却って目に留まって気がついた。
「ほら、見せないか。」
 やや強引に掴み取った手首。ぐいっと引くと、左腕の肘の裏側、手首の方へ赤い線が太く一本走っているのが鮮やかに目に飛び込む。十センチ足らずではあるが、乾きかけた血の赤がいやに目立って痛々しい。
「馬鹿、隠し通せると思ってたのか?」
「そんなつもりはないけどさ。」
 大したことはないと言うのを有無をも言わせず、ナミのところまで引き連れて行く。彼女もまた、傷を見て眉を寄せ、急いで薬箱を引っ張り出して来た。
「抵抗なく切られちゃったのは、やわらかいところだったせいね。刀傷ではあるけど、出血した割に浅いから、動かさなきゃ跡は残らないわ。い〜い? 動かしちゃダメって言ってんのよ? あんたは特に"ゴムゴム"の何とかで伸ばしかねないから…。」
「うん、判った。」
「あ、こらっ、話半分でしょ?」
 お説教はごめんだとばかり、振り切って逃げ出したルフィに、大きなため息を一つ。
「んもぉーっ!」
 怒ってはいるが半ば諦め顔なナミでもある。この船だからというより、こういう稼業である以上、怪我はどうしたって付いて回る。いちいち心配するよりも、このくらいで済んでいるとはサスガ私たちよねと、感覚がそういう方向になりつつあるほどである。リビングルームの外へと飛び出して行ったルフィを"やれやれ…"と一緒に見送った剣豪へ、
「で、ゾロは?」
「え?」
「あんたは怪我してないの?」
「あ、ああ、俺はない。」
「さすがねぇー。」
 安心こそすれ感心することでもなかろうと、そっちの方へ呆れたゾロだったが。

          ◇

 痛くない訳ではないが、怪我は悶着や戦闘に関わらず何かといつだって付きものな代物だし、それこそ今に始まったものでもない。それでついつい無頓着に怪我をしている方を振り回しかけては、
「ほら、またナミにどやされるぞ?」
 いち早くゾロに掴み止められる。自分だってとんでもない傷を沢山持ってる彼だのに…と、説得力のなさを突っ込もうと思えば出来たが、いちいち構ってもらえるのがちょっとばかり嬉しいので余計なことは言わない。上甲板と主甲板をつなぐ階段に腰掛けて、ほどけかけた包帯を直してくれながら、
「別に跡が残ったって構わないのにな。」
 そんな風に言うルフィを窘める。
「傷なんて無い方が良いに決まってるだろうが。」
「けど、戦ったっていう"勲章"じゃないか。」
「大概は負け戦の勲章だぞ? 勝負自体には勝ったとしたって、避け損ねの跡なんざ、自慢になるか。」
 彼は平気な顔でそんなことを言う。自分こそ傷だらけの身体をしているのに。
「けど…。」
 言いつのろうとして、だが、ふと止まった手元から上げられた視線に圧された。
「守り切れずに痛い想いをさせたって、それを突きつけられてるようで、こっちが痛てぇんだよ。」
「…ゾロ?」
 大した相手ではなかったが、それでも、いや…だからこそ、ルフィが怪我を負ったというのが自分の痛恨のミスのように思えて仕方がない彼であるらしい。
「別にゾロのせいじゃないぜ?
 それに命にかかわる大怪我でもない。俺が油断してただけで…。」
 そんなの考えすぎだと諭そうとしたルフィだったが、
「どうして油断したんだ?」
「え…?」
 確か、この傷を負った時は…。
「俺が背後に居た。違うか?」
「う、うん。居た。」
 何となく…ゾロが怒ったような顔になっている訳が判った。自分が居たからこそ油断したのなら、これはやっぱり自分が至らなかったせいだと、そう分析した彼なのだろう。ルフィが息を呑んだことに気づいてか、ふと、鋭かった視線が萎えて、
「…お前に怒るのは筋違いだな。すまん。」
 ため息をつき、再び丁寧な手当てを続ける。大きな手だのにさすがは慣れている。締めつけるような違和感はまるでないのに、自分でやるより、ナミに巻いてもらうより、しっかりしていてなかなか解けない。
「俺、ゾロには"守ってもらうため"に仲間になってくれって言った覚えはないぞ?」
 手当ての様子を見下ろしながら、だが、ルフィは言わずにはおれなかった。
「戦闘で相手を倒すのに、お前くらい強い奴が加勢してくれたら頼もしいから、仲間になってくれって思ったんだし、ゾロには"世界一の剣豪になる"っていう野望があるんだろ? そのために…強くなるために剣を振るってるんなら、俺なんかを守るためってのはせいぜい二番目あたりに来るんじゃないのか? これにしたって、別に命にかかわる怪我じゃなし、第一、それを言うなら俺が一番不甲斐ないんだ。ゾロがそんな、気に病むことはないんじゃないのか?」
 ずぼらなルフィにしては一生懸命、しかもきっちりと理を通したことを言っている。だが、
「そういう訳にはいかねぇんだよ。」
 ゾロはゾロでこちらも譲ろうとしない模様だ。結構ルフィには甘くて、いつだって"仕方がないなぁ"と最後には折れてくれる彼が、今日のこの件についてはまったく譲る気配がない。鋭角的な顔立ちが、むっつり黙りこくって、どこかよそよそしい。
「…なんでだよ。」
 ただ叱られているのではなく、ゾロが自分を責めるのがどうにも居たたまれなくて、重ねて訊いたルフィへ、
「………さあな。」
 言葉を濁して答えない。そんな彼なのは、いつもにも良くあることではあったが…。

   −そして、それ以降は、
    口も利かず、目も合わせず、同じ空間にさえ居合わせない彼らとなった。


        2

 実は自分でも把握しかねている。この仲間内の中では戦闘専門のエキスパートなのだから、仲間たちを自分の身より優先しなければと思うのはまあ良い。自分がまるきり無傷だから尚のこと、申し訳ないと思うのも至極当然なことだ。これが他の面子…例えばナミやウソップが怪我をしたのであっても、同じく"後ろめたさ"や"不甲斐なさ"を感じたろう。だが、
"………。"
 ちょっとばかり違うのだ。不甲斐なさや後ろめたさの種類や度合いが。本人が言うように浅い傷だ。自分が負ったなら、手当てなんてうざったいと放っておく程度のかすり傷だ。だが、負った相手がルフィだから、何かしら飲み下せないものが胸に痞
(つか)えて仕方がない。
"………。"
 もっと手酷い大怪我をしたことだってあった。自分やサンジが力尽き、後を彼一人に任せたことだって少なくはない。そう、ルフィは"守ってやる"どころか、下手をすれば自分と同等なほど強い。少なくとも"やるだけの事はやったから後は任せた"と状況の全てを託すことが出来る相手だ。満身創痍となっても絶対諦めず、勝てば血みどろなまま豪快に笑って見せる。そのくらい気丈で豪気な奴だ。
<俺は海賊王になる男だっ!>
 初めて聞いた時は"馬鹿か、こいつ"と思った雄叫びが、今では快感でさえある。自分が世界一の剣豪を目指しているのと同じくらい、きっと叶うことだと思ってもいる。そんな奴から頼もしいと信頼されているというのは、これでなかなか気持ちが良い。
"………。"
 その反面、中身はまるで子供だ。単純明快、良く言えば"無垢"だが、早い話が物知らずの世間知らずで、曖昧とか要領とか融通とかいうことも良く知らず、時に見ていて何とも危なっかしい。そんな彼から、恐らくは一番沢山名前を呼ばれて来た。気の置けない相手として、または頼りにされる対象として、何においても一番に名を呼ばれ、屈託のない笑顔を向けられ、うるさいほど懐かれている。
"………。"
 不思議なことに、後者の方の繋がりもまた捨てられない、替えがたいと思ってやまない自分なのである。ずっとずっと一匹狼の賞金稼ぎとして鳴らしていた筈のこの自分が、だ。それはきっと、自分には不慣れなものでありながら、同時に得難くて、尚且つ、心和むものだから。鬼神と童子が同居する不思議な少年。荒らぶる熱情と透み切った魂を併せ持つ、特別な存在。そんな彼を守れもし、そんな彼から評価され、好かれてもいるというのは、なんだか一種の"特等席"を…それも格別なそれを与えられているような気がするのだ。
"………。"
 逆に言えば、そんな彼からの認識が…その無垢なところから軽蔑・落胆された結果、高みから叩き落とされるとなれば、結構手痛いことだろうなと思えて仕方がない。まさかに怯えている訳ではないが、それでも…やるせないやら居たたまれないやら、どうにも落ち着けず、選りに選って本人にまで当たってしまった。
"…どっちがガキなんだか。"
 それこそ切り替えの利かない子供みたいに気が引けて、寝部屋に戻れず、甲板で夜を過ごしたゾロだった。

          ◇

「こうしよう、ゾロ。」
 翌日、先に手早く朝食を済ませたゾロを甲板まで追って来たルフィは、剣豪が指定席であるいつもの船端へ片膝立てて凭れたところへ、正面からぬっと顔を突き出すようにしてこう言った。
「…何が。」
 内心でかなりがところ気後れしかかったが、そこは何とか押し隠して、平静そうな声を返すと、
「両方とも悪いって事にしよう。」
 ルフィは、それは自信満々な表情で言い切ったのだ。
「何だって?」
「だから。俺が油断してたのは当然悪い。で、俺にはまだ良く判んねぇんだけど、ゾロも何かが悪い。これで相子(あいこ)で喧嘩両生類だ。」
「…それも言うなら"両成敗"だろうが。」
「それそれ、その"成敗"。」
 表情こそいつものけろんとした顔だが、これでも彼なりに一生懸命考えたのだろう。これでは彼の側にも納得の行かない所が残って不本意だろうに、それこそ"両成敗でお相子"と気持ちをねじ伏せて納得することにしたらしい。人への詮索は"どうでも良い"とか"関係ない"とか言って嫌う割に、物によっては結構頑固で、絶対我を折らない彼がそこまでするのはなぜか。
"…こいつめ。"
 答えを待ってじっと見つめてくる仔犬のような黒い眸を眩しげに見やって、ゾロは吐息を一つつくと…やっと微笑った。
「判ったよ。相子だ。この話ではもう怒ったり蒸し返したりしない。」
「やったっ。」
 途端に本当に嬉しそうに笑うルフィで、
「良かった〜。このままずっと、口利いてくれなかったらどうしようって思ってた。」
 ただ屈んでいたのを、その場にぺたんと座り込む。オーバーだなと苦笑して、だが、
「今の"両成敗"ってのは、誰から仕入れたんだ? サンジか?」
 鋭いところを突っ込むのは忘れない剣豪さんである。そして、
「…えっと、ナミに相談した。」
 こちらも正直に白状する船長さんだったりするから、相変わらず息の合うコンビだ。(ちょっと違うぞ。)
「どうしたんだって訊かれたから、どうしたら良いんだろうって訊いたら、良くは判らないんだけどって言って、そんでも一緒に考えてくれたんだ。」

                   *

 喧嘩みたいになって、でもどうしてゾロが自分のせいだと言って聞かないのかが判らなくって…と持ちかけられたナミとしては、何を言いたいルフィなのかが正確には把握出来なかったらしく…ルフィの説明下手もあったろうが、ルフィ自身がゾロの思うところを判らないのでは伝えようがない。そこで、
「そんなに気に病むことはないと思うけど。すぐに忘れるか、どうでも良くなるわよ。」
 特にあんたたちみたいに単純な人たちはと思いはしたが、さすがに口に出して言うのは憚った。第一、そういう通り一遍なことで納得する筈がない。案の定、
「やだ。すぐに仲直り出来ないと困る。」
 大威張りで駄々をこねるルフィであり、
「何が"困る"のよ。」
「ゾロと喋れないと詰まらない。」
そんな風に言うほど、日頃だって会話らしい会話はしてはいないじゃないの…と思ったが、大きな眸でむむうと睨まれては逆らえない。
「しょうがないわねぇ。」
 自分もあんまり得意な分野ではなかったが、それでも何とかしてあげようと、剣豪殿が何とか納得しそうな案とやらを考えてくれたナミだったのだ。

                   *

「で、ナミが言ってたんだ。喧嘩出来ないようじゃホントの仲間や友達とは言えないって。」
 彼女もまた他人には干渉しない方なのだが、ルフィのしょげぶりが余りにも痛々しかったのだろう。
「大好きな奴に嫌われるんじゃないかなって思うと誰だって強く言うのが怖くなるけど、それでどんどん自分に嘘ついて、自分が自分でなくなったら、結局は"そんな奴じゃなかった"って嫌われちゃうよって。」
 幼い子供に一つ一つ噛んで含めるように語ったに違いなく、それを素直に聞いていたルフィの様子までまざまざと浮かんでくるようだった。
「俺もそれはその通りだって思ったし、説明してもらって自信ついたし。だから、喧嘩したこと自体は悪くないけど、早く仲直りしようって思った。」
 相変わらず子供のように要領の悪い説明だが、だからこそ包み隠さず、胸の裡うちを全部をぶちまけていると判る。怪我をさせただけでなく、慣れない悩み事まで抱えさせてしまった訳で、ホント、今回は罪作りな剣豪さんだったことよ。………で。
「何か安心したら腹減ってきた。」
「おいおい。」
 今喰って来たところだろうがと呆れた。と、そこへ現れたのが、
「どうだ。仲直りは出来たのか?」
「…なんでお前まで知ってる。」
 トレイを片手に掲げ持った、サンタ…もとえ、コックさんだ。
こらこら ゾロの言いように"フフン"と鼻で笑って、
「見てりゃあ判るサ。てめえら、判り易すぎだからな。」
 言いながら、持って来たトレイを差し出し、
「二人ともロクに食ってねぇだろうが。食べ残しは俺のプライドが許さねぇ。それ、全部片付けろよ。」
 山盛りのサンドウィッチを置いてゆく。う〜ん、やっぱりサンタさんなのかも。
おいおい
「やりぃ。」
 おおきに喜んで早速ぱくつくルフィの様子を微笑ましげに見やりながら、だが、ふと…思い出したことがあったゾロだった。
「そういやお前、俺んこと殺そうとしたことがあるの、覚えてるか?」
「え〜っ、そんなことあったっけか?」
「…そういう奴だよ、お前はよ。」
 さて、一体いつ何処での話でしょうか?


         〜Fine〜  01.7.11.〜7.13.


  *ゾロさんのモノローグものはやっぱり難しいです。
   この人は外から見ていて、その立居振舞いを"カッコいいなぁ"と
    ぽ〜っと見てる方が楽。
   何たって、いつも自然にやってることだもの。
おいおい


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