月下星群 〜孤高の昴   “風と光の子”


 あれはいつのことだったろうか…。

 朝からいい日和で、海から吹きつける乾いた潮風が気持ち良かった。一杯に張った帆が、風の塊りを次から次へと受け止めては"たぱたぱ"と独特な音を…風の太鼓を鳴らしていた。命名者は船長。

〈風の太鼓?〉
〈ああ、何かそんな音だろう?〉
 そう言って、きれいな歯並びを見せて"ししし…"と笑った無邪気な少年。そんな彼の頭の上には、いつも決まってあの帽子。

「…あっ!」
 不意に一際強い風が甲板上を吹き抜けて、ルフィの帽子を攫っていった。
「おっと。」
 丁度風下のキッチン前にいたサンジが、長い腕を伸ばしてキャッチする。放っておいても自慢の"腕"で掴まえられるルフィだと判ってはいたが、そこは反射が働くというもの。ルフィの方でも、
「ありがとな。」
 駆けて来るとにっこり笑って礼を言う。ぱさぱさな髪が風に躍っている頭へ、ポソッと直に返してやって、
「こんな風の日とか、かぶんない方が良いんじゃねぇのか?」
 サンジは苦笑して見せた。皆が知っているルフィの宝物。これを乱暴に扱われたというだけで、それまで飄々としていたものが一変して怒りに目を吊り上げるほど、また、海へ落ちかかれば、自分こそ生命にかかわるというのに拾いに飛び込んで行きかねないほど、それはそれは大切にしている代物だが、
「それとも紐か何か付けたげましょうか? 顎に回しておけるように。」
 そんな言葉を足したナミも、常々気にはしていたらしい。どんな天候でもどんな激しい戦闘の最中でも、ルフィは必ずその帽子をかぶっている。海へ宙へと飛ばしたことは数え切れないし、敵に踏みつけられたことも何度かある。よく見ればあちこちボロボロで、時々ナミが見かねて修繕してやっている。
「いいよ。無くしたらそれまでだ。でも、絶対失くさねぇもん。」
 いちいちしまっておくのが面倒というのもあろうが、一番の理由は前の持ち主の心意気を引き継いでいるという証しだからではなかろうか。おしゃれで身につけてる訳じゃない、戦闘も冒険も一緒に掻いくぐって来たんだと言ってたこの帽子を、ルフィもまた自分の身体の一部のように思っているのだろう。
「変な言いようよね。」
 ぱたぱた…と船首の方へ戻ってゆく小さな背中を見送りながら、ナミがぽつりと呟いた。
「無くしたらそれまで…だなんて思い切りのいいこと言っといて、でも絶対無くさないだなんて、子供みたいに言い切るんだもの。」

 何につけてもそういうところのある少年だ。この現実世界に"絶対"なんてホントはあり得ない。物事にいくらでも誤差や例外が生じるように、言葉に様々な解釈があるように、常識や正義にさえ幾つもの"正道ホント"があるように。風や時間による風化がある以上、物は形を変えて摩滅してゆくし、人の心が不確かなものである限り、誓いや約束でさえどんどん姿を変える。唯一あるとするならば、生命を持ち去る"死"だけが“絶対にくつがえせないもの”だろう。奪われたが最後、二度と取り返すことの出来ないのが"生命"。だからこそ貴いのであり、大切なのだとも言える。その人がその人である生き方、感じ方、その人"らしさ"が一杯詰まった『生命』は眩しい。その輝きに励まされるから、愛惜しいから、何があろうと失われてはならないと、手を差し伸べたくなる。そんな『絶対の生命』が、彼らにとってはルフィなのだ。


           ◇


『ルフィが口にする"絶対"は魔法の呪文みたいなもんよね。』

 あの後、ナミが感慨深げに呟いた。"絶対"なんてそれこそ絶対あり得ないこと。けれどでも。夢を必ず叶えると、希望は絶対届くさと、彼が言うと全て"本当"になるような気がする。存在し得ない筈な"絶対"もあり得ることのように聞こえる。

「俺、奴に負けちまった。」

 クロコダイルに"絶対負けない"と言った彼が、その口で"敗北"を吐露し、その同じ声が、

「だから、もう負けねぇっ!」
 再びの"絶対"を口にした。

 判ってる。皆も。その帽子をかぶったままな、君の想うことくらい。

「さっさと行って来い…。」

 もう一人の、二度と負けないという"絶対"を約束した男が薄く笑う。私たちの"絶対"の子。私たちの大切な光。また新しい『絶対』を形にするために駆け出す、小さいけれど頼もしい背中を、私たちは見守るのだ。希望と祈りを込めて…。



  〜Fine〜   01.10.30.UP



  *なんか、シチュエーション的には
   随分とタイミングを外しているような気がしますが。
   絶対というのは概念としてしか存在し得ない言葉でして、
   でも、信念の目標とするところとして口にするのは
   大いに構わないと思う…とかいうお話を、
   先日SAMI様としてたことがありまして。
   それがどうしても頭から離れなくって離れなくって、
   こういうのをぺろっと書いてしまいました。
   長さも描写も何だかちょっと中途半端ですが、
   言いたいことは書けたから、まあいっか。(おいおい)

   〜久し振りに原作様に向かい合う気分にさせて下さった、
     SAMI様とスカイ様へ、感謝を込めて。

     


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