Count down kiss



月と星々が空と海に広がっている。
波は穏やかだ。風は冷たく鋭い。空気は澄んでいる。
虚空のただ中に放り出されたような一艘の中型の船が錨を下ろして、道を失ったように孤立して夜の海原に停滞していた。
その船の帆は畳まれていたが、黒旗に麦わら帽子を被ったジョリーロジャーが描かれていて、海賊船と判る。そのジョリーロジャーを掲げた見張り台に、闇に薫りを添えているかのように、緑髪の青年がいる。静かな目で夜を眺め、身動きもせず防寒具を羽織って三本の刀を側らに、星のように瞬くと、段々と澄み切った眼光になってゆく。
その眼が、明かりの漏れた一室を見おろした。

コックのサンジが蕎麦を用意している傍ら、一名を除いた船員達が食卓に揃っている。
航海士のナミが「もうすぐね」と時計を仰いで呟いた。
狙撃手のウソップのホラ話を真剣に聞いている人間トナカイのチョッパーを膝の上に抱えて、わくわくと席に着いてテーブルに運ばれる様を見ていた船長のルフィは、ふとサンジがナミに「お酒でもどう?」と勧めているのを見て、はっと目を見開き、急いでラウンジを出て行った。
半ば放り出されるように席から転がり落ち床に頭を打ち付けそうになったチョッパーを、床から生えてきた二本の腕が支えた。お?と目を丸くしたチョッパーは、微笑んでいる年長者の女性に「ありがとう、ロビン」と礼を述べた。


一人突然外へ飛び出したルフィは、夜空の元に見える見張り台を真っ直ぐに見上げていた。
はためく海賊旗。
かすかに見える、ゾロ。
しばらくルフィはゾロを仰いでいたが、やがて見上げるのをやめ、縄網を上り始めた。


「…?」
ギシ、ギシ。
縄網が揺れ軋んでいる。誰かが夜食でも持って来てくれたのだろうか。ゾロは片腕をマストの縁に引っ掛けると、顔を出して見下ろした。ゾロは意外な人物に目を丸くした。
――麦わら帽子。ルフィだ。
「よう」
と声を掛けると、麦わら帽子の陰からルフィが顔が上げ目が合うと、にっ、と笑った。ゾロは器用に片眉を跳ね上げる。
「お前が"飛んで"来ないとは珍しいじゃねェか。どうかしたのか?」
疑問に思うままゾロはルフィを眺め下ろしたまま言った。ルフィは「そういう気分なんだ」と言ったきり口を閉ざした。また顔は麦わら帽子に隠れてしまった。一歩一歩、ルフィは丁寧に足を運び手を運び縄網を上り続ける。夜だから縄網は上りづらいのだろう。
なぜわざわざ珍しく縄網を使って上って来ようという気分になったのか不思議に思いつつ、ゾロは酒瓶の栓を口に軽く咥えるようにして開けて飲みながらも、少しずつ上がって来るルフィを眺めていると、ふとラウンジのドアが開き、洩れる明かりが広がったのが見えた。思わずゾロはそちらへ振り向いた。
「おいルフィ、何やってんだ。もうすぐ年が明けちまうぜ?」
扉を開けて縄網を上るルフィに声を投げ掛けているのは、サンジだった。そう言えば今日は大晦日だったか、と今更になってゾロは思い出した。皆が夜更かしをしているのはそのせいだったのか、と納得する。
「食ってていいぞ」
黙々と上るのをやめないルフィに、サンジはラウンジの出入り口で苛立たしげにやや声を強めた。
「おめェが言い出した事だろうがッ。わざわざ蕎麦なんかを作ってやったんだぞッ!?」
「だから、やめるとは言ってないだろ。ちゃんとおれ達の分は残しといてくれよな。皆は皆で先食ってろよ。ゾロなんか見張り台で一人でいんだぞ?カワイソーじゃねェか」
ぷくっと頬を膨らませてサンジへ言うルフィに、ゾロは呆れて良いのやら情けないやら。一人で可哀相、とは――同情ではないか。少しだけ、少しだけだがゾロの自尊心は傷ついた。
「ルフィ、一年の終わりだろうが始まりだろうが、どうせいつもと大差ねェだろ?」
だから気を使う必要はない、皆と一緒にいろ、というゾロの意思を感じ取って、ルフィがむっと口を尖らせてゾロを見上げた。
「イヤだ」
「「おいおい…」」
ゾロとサンジの呆れた呟きが重なった。ルフィは口をへの字にして眉間に皺を寄せ、キッと上を向くと、縄網を二段飛ばしで一気に上った。見張り台へ着いて、ぐいっとルフィはゾロの首を抱き寄せてサンジへ振り返って主張した。

「ゾロと一緒にいたい気分なんだっ」

サンジが肩を竦めて「へいへい」とラウンジの戸を閉めた。漏れていた明かりは丸い窓からのわずかな光だけになった。
静かな波音と冷たい風、頭上に変わらず瞬く星と輝く月。海と夜空の間にいるゾロとルフィ。寒かろうとゾロは自分の肩に顔を預けて黙っているルフィの背を片手で撫でた。
「どうした?ルフィ」
しばらく沈黙した後、ルフィが首から腕を離し、そそくさと自分も見張り台へ入り込んで来る。ゾロがぎりぎりまで後ろへ移動すると、ルフィは目の前に座った。
「しししっ」
あぐらをかいたその両足を両手で挟み込んで、ルフィは笑った。よくは解らないが、皆と騒ぐのが好きなルフィが、何よりすぐさま飯に反応するルフィが、それらを差し置いて自分と一緒にいたい言った事にひそかに喜んでいて、ゾロもかすかに口元に笑みを浮かべ、ルフィの帽子の上から頭に手を乗せると、ルフィは嬉しそうに笑った。
すると突然、ラウンジから声が聞こえてきた。

   「10!」

カウントダウンを開始したようだ。ゾロはルフィの頭に乗せた手でルフィをやや仰向かせると、
「あいつらと一緒じゃなくていいのか、ルフィ?」
「同じ船にいるだろ?」
そう明るく言ってルフィは、「おれもカウントするっ」といきなり宣言すると、「んっ」と目を閉じた。ぎょっとゾロは目を剥いて咄嗟に手を離した。
「なっ…!ル、ルフィ!?」
「んん!」
ずい、とルフィが顔を近づけてくる。ゾロは慌てた。いくら二人でキスをする事に慣れたとしても、皆ではなく自分の傍へわざわざ上ってやって来て、「えいっ」とでも言いそうな感じで改めてキスを強請られて、ゾロは動揺した。

   「…5!」

(やっ、やべェ…っ)

   「4!」

しかしルフィは大人しく目を伏せ、じっとして「0!」の掛け声と共にゾロの口づけを待っている。
ゾロは口元を左手で覆って、赤くなった顔を隠すようにルフィから視線を反らした。

   「3!」

しかしカウントダウンは迫る。ゾロは高鳴る心臓を邪魔に思いながら、ちらりとルフィを窺った。
突風が吹いてルフィの麦わら帽子が背中へ落ち、ルフィが風にかすかに眉根を寄せた。真上から月光に照らされたルフィは、どこか雅やかで艶めいた陰影と光彩を帯びている。

   「2!」

いよいよゾロは慌てた。ルフィは期待して待っているのであり、ルフィの期待に出来る限り応えてやるのがゾロの信条というか、とにかく応えるのが当たり前。――ふと目を瞑ったままのルフィが手探りでゾロの胸板に右手で触れる。その手の感触でゾロは不覚にも体が反応するのを感じた。それでも抑えようとしたが。

   「1!」

(全く、わかったよ……!やってやりゃいいんだろがっ)
きゅ、とルフィがゾロの服を掴むのと同時にゾロは右手でルフィの後頭部へ手を伸ばし、ややヤケになって、ぐいっとルフィの顔を引き寄せた。その勢いに思わずルフィが目を開け「わっ」と声をあげかけ、それを近づいて来た唇に塞がれた。

   「0ォ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

「ハッピー・ニュー・イヤー!!かんぱ〜〜〜いっ!!!」と肝心な船長とその相棒の剣士抜きで新年を祝杯している仲間達の声。

やや乱暴に重なっている唇と唇。
眉を寄せ気味に目を瞑っている者と、目を開けたままの者と。
薄い方の唇が赤く小さな唇を吸い上げるようにしてから離れ、赤々と潤った唇になったルフィは、これまた乱暴にゾロに抱きしめられても、尚も目を開いたままだった。
――やがて。

「あっはっはっはっはっはっはっは!!」

肩口に顔を埋め、ルフィは笑った。ルフィとは反対の方を向いたゾロの耳は真っ赤だった。
「あっはははははは!ははははっ!!」笑い転げてルフィはゾロを指差した。「……あはっ…はははは!!ゾロ真っ赤っかだなーっ!!」
「うるせェっ。笑うな!」
ゾロがルフィへ怒鳴り散らすと、ルフィはますます笑った。
「あっひゃっひゃっひゃ!!!」
体を震わせてルフィはゾロの腕の中で笑い続けた。やがて何とか大笑いするのを堪えると、ルフィはゾロの首へ腕を回した。ゾロはしな垂れかかってくるようなルフィに、思わずドキッと身を引きかけながら、まだ赤い顔のままルフィを見つめ返した。
「ゾロ、ありがとな」
真っ直ぐに見つめられて、ゾロはどきどきしながら答えた。
「――何がだよ」
「んん、何もかも。ゾロ全部がだ」
ルフィは頬を紅潮させて元気に満面に笑みを浮かべた。

「ゾロ、今までみたいにこれからも――な」

「――…」
今までみたいにこれからも一緒にいよう、とそういう意味なのだろう。だから一年の終わりと始まりにルフィはキスをしたがったのだろう。また今年も、昨年のように、今のこの時をつみ重ね、ずっとずっと、今、その瞬間を、生きていこうと。
――海賊だから。
航海は冒険。冒険は命がけだ。命がけの日々。毎日は何の変哲もないけれど、毎日仲間達と一緒にいられる事はとても特別な事。


   今、こうして二人で過ごせるのも、当たり前で特別な事。
   特別な人で、息をするように当たり前になった存在。


例え野望を叶えたとしても。叶えた後が大変なのだ。冒険は海賊をやめない限り続くだろうし、そうなればやはり命がけで毎日を生きる。険しい道でも、この手で切り開いてこの足で進むしかなく、そうして進んで行くつもりだし、これまでも、少しずつ、そうやってここまで来た。
――だから。
間違いなく互いに野望を叶えて、海賊王と大剣豪、共に生きる。

「……ああ。約束だ」

ゾロが微笑を浮かべて答えると、ルフィは明るく笑みを浮かべた。どちらともなく額をくっ付け合って、何か嬉しくて、二人同時にくすぐったいような笑みを浮かべると、ゾロがルフィの瞼にキスを贈り、ルフィがゾロの頬へとキスを贈った。そうして、お互いに唇へと口づけを贈った。

「ルフィー!!聞こえるー!?」
聞こえてきた声に、二人は見張り台から見下ろした。二人にとって一番馴染みのあるナミがラウンジから出て、両手を口に添えて呼んでいる。
「ああ!聞こえるぞ!」
「早く下りて来ないと、蕎麦不味くなっちゃうわよー!?」
「今下りる!!」
「ゾロあんたの分もあるから下りて来たらーっ?お酒もあるわよーっ」
「ああ、行くよ」
二人の返事に、ナミは満足してラウンジの中へ戻って行った。寒いのに戸は二人のために開けたままだ。中から明かりが漏れているのが温かい。安っぽい明かりの筈なのに、やはりそれは人が使う光だからだろうか。
何かくすぐったいような照れくさいような気がして、二人は目線を交して、軽く笑みを作った。


ぐるぐるとルフィは脚をゾロの腰に巻きつけてゾロにおんぶ状態になって、ゾロが縄網を少しずつ降りて行く。もうすぐ降りられそうだったので、ルフィは普通に脚を戻してゾロの背中にしがみついた。
縄網も下り終わってゾロは船に足を降ろして網から手を離し、背中から降りる気配のないルフィの膝裏に腕を入れ背負い直した。
「ルフィ」
「ん?何だ?」
甘えたようにルフィはゾロの肩に頬を寄せて、広い背中に負ぶさったままゾロの顔を覗き込んだ。ゾロは立ち止まって、前を見つめたまま呟いた。
「――お前何しに来たんだ?」
「へ?」
特に何も考えないで来たので、ルフィはゾロに問われて目を丸くした。ゾロが振り向き、
「まさかキスしに来た訳じゃねェだろ?」
と言われてルフィは頬を染め、甘えていた肩からばっと離れた。
「そんな訳ねェだろ!!」
降ろせ、という風にルフィが暴れるので、ゾロは膝を折ってルフィを降ろしてやると、ルフィは片手だけ伸ばして、立ち上がったゾロの防寒具を掴んで、口を尖らせながら俯きがちになった。

「サンジがナミに酒出してるの見てゾロ思い出して、思い出したらいつの間にか外出てて、お前を見たら、今までずっと一緒にいたよな〜とか、これからもずっと一緒にいるんだなァ、とか急に思って、一緒にいたくなって、でも何かゴムゴムのロケットじゃなくて上って行きたくなって上ってお前の所についたら、あいつらが数えてるの聞こえてきて……急に一年の終わりと始まりにゾロとちゅーしたくなったんだよ」

一気にまくしたててルフィは言った。ゾロはルフィの言葉を心の中で繰り返した。

   ――一年の終わりと始まりに。
   ――今までずっと一緒に。
   ――これからもずっと一緒に。

(居た)
(在る)

月が真上に差し掛かるこの刻に。
口づけを。
――ふとゾロは目を閉じて笑みを浮かべ、「そうだな」と呟いて頭上の月を仰いだ。ゾロの言葉にルフィがゾロを見上げた。ゾロがすっと優しい目をルフィへ向けて、口元に小さく笑みを浮かべて、目線が合う。「ルフィ」と呼ばれて頬に片手を添えられて。こんな時、必ずキスをするんだ、とルフィは分かっていて、近づいて来るゾロの気配を感じながら目を閉じると、もう片方の腕に抱きすくめられた。
仲間達のカウントダウンの声がよみがえり、頭の中に響いた。

   3…2…1…

真っ暗な夜の闇の中、二つの影は静かに一つに重なった。
緑髪の青年の顔は目を閉じているのにますます優しさを増し、黒髪の少年の頬は赤く色付いている。
闇の中で二人は一つの塊に過ぎず、漏れる白い吐息さえ一つに交わっている。寄り添った影を、月が祝福するように一筋の光を注ぐ。星々も祝祭して瞬いている。止まった風、穏やかな波の揺れ……影は夜に静かに包まれていた。

重なり合っていた影が離れる。
ゾロは防寒具を脱いで、ルフィの頭から着せた。いきなりの事でルフィは防寒具から頭を出すまで「うわっ何っ何だ何だゾロ!」と慌てふためいた。やっと顔が出ると、ほぅ、と安心したようにルフィが息を吐いた。ゾロがすっぽりとルフィを両腕で抱きしめる。一瞬ルフィは目を丸くして、すぐに眠りにつくような穏やかさで目を閉じ、力強く優しい抱擁にルフィは身を任せた。

仲間達が呼んでいる。
その声に二人は一度ラウンジの方を見、顔を見合わせた。
「行くか?」
「おう」
元気にルフィが伸びをしてゾロから離れると、ゾロは掲げるように上げられたルフィの右手を捕え、見上げてくるルフィへ笑みを向けて、ルフィの右手を繋いで歩き出した。不覚にも一瞬ゾロの笑みに見惚れてしまったルフィは、夜目にも耳まで首まで真っ赤になった。
「ズっ、ズルいぞゾロ!お前はおれの後ろだ!!」
と言ってルフィはゾロの左手と繋いだまま駆け出した。ぐいぐいと手を引いて先を小走りに掛けるルフィの後ろ姿を見て、解りやすいヤツ、とゾロはひそかに笑みを零した。
仲間達が待つ部屋から漏れる明かりの中へと二人は戻って行った。ゾロがドアを閉めると、船は再び月と星に照らされるのみとなったが、部屋からは賑やかな明るい声が夜明けまで途絶える事はなかった。



End.


*浅葉みゆい様から、頂戴いたしました。
 特別な瞬間に一緒にいたい人。
 ルフィでもそんなロマンティックを考えることはあるでしょう。
 冷たい夜空に佇む大事な人へ、自分の力で昇っていこうと思ったところが、
 何だか神妙で可愛いですvv
 ありがとうございましたvv


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