はなび 番外編 “エプロンはあきれる”


 何処までも澄み切った初夏特有の気持ちの良い青空が、一つの雲も見えないくらいの清清しさで拡がっている。吸い込まれそうなその空の色は、気持ちいいくらいの潔ささえ感じさせた。まるでスキップでも始めそうなくらい楽しそうに、スニーカーが歩道の石畳を蹴った。呆れたように、でも楽しそうに隣のミュールの踵も綺麗な音を響かせる。
 カランと小さな、でも小気味良い音が響いた。
「ルフィ、てめぇ、準備中の札が見えねえのか?」
「見えてるよ!でも、もう始める時間だろっ!」
「…まあな」
「裏返して来てやったぞ!」
「そりゃあ、ありがたいこって…」
呆れたように礼を言うサンジの言葉に対して、そんな事を言いながら、ルフィは勢い良くその開け放ったドアの中で目的の人物を見つけた。
「ホントだっ!ゾロが、サンジの店でバイトしている!!!」
あちゃあ、と声が聞こえそうな表情で、ゾロはその大きな掌で自分の顔を覆った。店の中へと飛び込んできたルフィの後ろには、きっとこの騒動の元凶であろうナミの止まらない笑いを浮かべた顔が見えた。
「ゾロ、ゾロ、かっこいいなっ!」
「新人に纏わりつくのやめろ!ルフィっ!」
「ルフィ、座ろ?」
「おおう!メシ、食いに来たんだ!!」
いつもであれば、座り慣れたカウンターに並んで座るのに、今日は少し段差のある奥まった席へと、ルフィとナミは陣取った。反対側のテーブルのセッティングを直していたゾロに向かって、サンジはくい、と親指で示した。
「御用聞きだ、新人」
「…ああ」
出来れば余り近づきたくない、と心ならずも思ってしまった。照れくさくてしょうがない。そう、いくら条件が良くてもこの話が来た時に断るべきだったんだ。バイトならいくらでもあるだろう、工事現場でも、引越しの作業員でも。
「ご注文は?」
彼にしては珍しい余所行きの声で注文を聞く。その両手をテーブルへと投げ出して、ルフィは珍しい彼の様子にわくわくとゾロの顔を見上げていた。
「ルフィ?勝手にオーダーするわよ?」
「おお!」
ナミが呆れたようにメニューへと視線を落とすのを見て、ルフィはにかり、とゾロへ向かって笑って見せた。一瞬で自分の顔が赤くなるのを感じながら、ゾロは出来るだけ何気ない風を装った。


事の起こりは、何日か前にゾロがサンジの店に昼食を食べにきた時だった。
「…ああん?何だって?」
「…だから、短期で金になるバイトねえ…か、な…って」
そこまで言ってゾロは自分の失言に気付いた。最近、いつも頭に浮かんでいた事が、つい口をついて出てしまった。その失言に気付いた時には、目の前でにやにやと楽しげな笑いを零すカウンターの中のサンジと、自分と同じく昼食を食べに来ていて隣り合わせで座ったナミの二人の様子に、思わず口を押さえようとするが時は既に遅かった。
「ふーん、ゾロ、あなたバイトどうしたの?クビ?」
「不吉な事、言うんじゃねぇよ」
「なら、何で今更金がいつも以上に必要なんだよ?」
「…何ででもだ」
「ふうん、そう?」
楽しそうにその奇麗な指を動かしながら、ナミはその手に持ったブラッディオレンジのジュースの入ったコップのストローに口をつけた。
「アテが無いわけじゃないけど、ね?サンジくん」
「そうですねえ、ナミさん」
「ああ?」
珍しく自分の言葉に会話を続けようとした二人の様子に、ゾロは訝しむかのように顔を上げた。
「バイトの口があるって事、あんたが来る前に丁度その話をしていたのよ、ね?」
「そうですね」
「で?どう?乗る気ある?」
「条件を聞いてみないと、だな」
「条件〜?何よ、私の紹介が気に食わないとでも言うの?」


 オーダーを聞き終えたゾロがカウンターのサンジに声を掛けると、また向こう側のテーブルのセッティングを再開した。いつもが無骨そうに見えるゾロのその掌が、テーブルクロスの端をしっかりと掴んで、ばさりと空気さえも動かさないよう器用に広げた。ゆっくりとクロスが落ちていく。端まで綺麗に皺の無いように、ゾロの手はそのクロスを上手く落ち着かせた。そのまま巻かれたままのテーブルセンターをくるくると解いて広げた。
 その仕草をしているゾロの後姿を、ルフィは黙って見ていた。いつも見慣れているゾロのラフな服装でもなく、時々見に行った剣道の道着姿の凛とした立ち姿とも全然違う。
 白いシャツはしっくりと彼の体のラインに沿っていて、彼のその無駄の無く綺麗に筋肉のついた三角形の背中に見事に嵌っていた。その体に巻かれた黒いギャルソン風のエプロンが、すとんと腰から真っ直ぐなラインを作り出していて、そのまま腰骨の高さを強調している。袴を履き慣れている彼の足の動きは、その一見余り動きやすいとは思えない黒い長いそのエプロンでさえも、気にしないかのようにさり気ない仕種で彼の動きを牽制することもない。
「…お待たせしました」
 そして小さな所作で最大限の動きを作り出す武道に慣れている彼の動きは、こんな場違いな動きとはいえまるで洗練されているかのような印象さえも見せた。その長い指が出来上がった注文の料理をナミとルフィの前に差し出すと、ゾロは照れているのかそそくさと二人の前から立ち去った。それは仕事中だから、という事も理解できるルフィには、何となくいつもと違う雰囲気のゾロの態度に少しわくわくするような気持ちさえしていた。
 カランカランと小気味良い音を響かせて、店内はやがて客が入り始めた。サンジの勤めるこの店は元々が味は良いし、ボーイは勿論、コックに至るまで接客においてはオーナーであるゼフの方針で対応も良く、人気のある店の一つだった。雑誌に掲載された訳ではない。それでも、その味に惹かれて沢山の人がやってくる。気付くと、店はいつものように沢山の人で溢れかえっていた。いつものぶっきらぼうな態度などおくびにも出さずに、ゾロはサンジに指示されるまま、次々と客を裁いていった。サンジ目当ての女性客が見慣れない青年の姿に少し楽しげな声を漏らす。それらにも不調法にならない程度に接客をゾロは続けていた。奇麗な女性の笑い顔に、寝てるんだか起きているのか分からないと評される、いつもはどこか仏頂面した彼もアルカイックスマイルを浮かべている。
「…どしたのよ?ルフィ」
不意に黙り込んでしまったルフィに、ナミは楽しそうに笑いながら声を掛けた。一応接客という仕事上、ゾロの滅多に見られない作り笑いに、彼の口角が小さく震えているのを見て、笑いが止まらないのだった。何しろ、いつも喜怒哀楽が少ない彼であるから、そんな表情はまずお目にかかれる機会がそう多分にある訳でもない。
「…何でもない」
「珍しく口に合わなかったの?」
その料理、と奇麗なナミの指がルフィの手元の皿を指差す。きらり、と小さなビーズで出来たリングが光って見えた。
「んにゃ、めちゃくちゃ旨いぞ」
ぐさり、とルフィは目の前に置かれた今日のランチメニューの子羊のソテーにフォークを突き刺した。ぱくん、とそれを口に含む。もぐもぐと口を動かしながらも、やがてルフィは真っ直ぐにゾロのその仕事の様子を見ている事が出来なくなっていた。
「ごちそうさま」
目の回る忙しさとはこういう状態を言うのだろうか、とゾロがカウンターに汚れた食器を下げて、ふと顔を上げると、ルフィが少し暗い表情のまま会計を済まそうとしているのが目に入った。ナミはどこか不思議そうな顔でサンジとゾロのいるカウンターを振り返ったが、ルフィのその行動を抑制するわけでもない。
「ルフィ?」
そちらを見たゾロと、ふと店内のゾロを振り返ったルフィの視線がぶつかった。ルフィは誰にも気付かれないくらいに小さくその手を振ると、何も言わずにそのまま店を出て行った。
「…5分だけ休憩をやる」
カウンターにコップを乗せたまま、既に動かなくなったドアを見ていたゾロに、サンジは呆れたように声を掛けた。
「ああ?」
「いらないのか?」
「いや」
トレイをサンジに預けて、ゾロは慌ててドアを出た。


「るーふぃー?どしたのよ?一体」
「何となくだ!」
「何となくって、あんたねえ…」
「だってさあ…」
「何よ?ゾロが知らない女の子にも笑いかけていたから?」
サンジの店を出て、黒く濃い影を落してくる街路樹の下、やっと目の前数歩先を歩いていたルフィに、ナミは追いついてその腕を取った。その時のナミの台詞は図星で、ルフィは立ち止まったまま、腕を取るナミの方へも振り向かなかった。
「バカね、あんたは。バイトでしょう?バ・イ・ト。仕事なら愛想笑いの一つや二つしないとダメじゃない」
「分かってる」
「…分かってても、感情がついて行かないって?良かったわね、ゾロ」
楽しげに笑うように話すナミの言葉の中に入り込んだ名前に、初めてルフィは慌てて振り返った。
「…お邪魔のようだから、帰るわね」
「ああ、ナミ!先に帰るなあっ!!!」
「あーのーね!痴話げんかに巻き込まれるような趣味は私には欠片もないの、分かる?」
じゃーね、と手を振ってさっさと走り去ってしまうナミの後姿にルフィは慌てて手を伸ばそうとして止めた。ゾロがその腕を取る。そのままぐい、と自分の方へと腕を引くと、ルフィの体がゾロのほうへと向き直った。
「ルフィ、何だよ、一体」
「うるせー、仕事中だろう?早く店に戻れって」
「戻るけど、あんな顔されたら黙って帰せるかって」
「…余計なお世話だ」
「バイト増やしたの、そんなに気に食わないか?」
「そうじゃない、…けどっ」


着ていたTシャツの裾を、ゾロに掴まれたのとは反対側の腕で、押しのばす。顔を上げられない。ナミが言っていたことは、鋭く核心をついていて、ルフィはただゾロに掴まれた腕の熱さだけが気になってしょうがなかった。
「じゃ、何だよ?ルフィ」
「…バッカヤロウっ!ゾロがオレ以外の奴に笑いかけるなんて、悔しいから見たくないだけだっての!」
ルフィの言葉に、ゾロは一瞬息を呑んだ。そのまま思わず笑いそうになってしまう。相変わらず感情のベクトルが真っ直ぐを見ている彼の言葉が、自分に対しての想いを口にしてくれた。それがどんなに嬉しいことなのか、目の前のこのお子様はきっと気付かないのだろう。そのままゾロはルフィの黒髪をくしゃり、と撫でた。
「ホントにバカだな、お前」
「自覚しているから、いいじゃんかっ!いつものバイトと違って、ゾロ、一生懸命に優しそうに笑うし!」
自分でも何を言っているのか分からなくなっているらしいルフィの様子に、思わずゾロは空を見上げて小さくため息を付いた。いつもの剣道道場でのバイトで愛想笑いなどする訳ないだろうが、という反論も口の中で消える。
「何の為にオレがバイト増やしたんだか…」
「?何だって?」
それまで下を向いたままだったルフィは、ゾロの思ってもいない台詞に思わず見上げた。ああもう、どうしてこんなにコイツの一挙手一投足で、天国から地獄まで自分は翻弄されるんだろう、などと自分自身を思いながらもそれでもゾロは目の前のルフィには太刀打ちできなかった。渡そうと思っていたものを、ポケットからするりと出して、ルフィの掌の中へと落した。


「ルフィ、誕生日、おめでとう」
「ゾロ?」
手の中に押し込まれた小さな箱を包んでいる、細いリボンをルフィはしゅる、と解いた。箱の中から出てきたのは、細いシルバーリング。
「ゾロ、これ、これっ!?」
「ファッションリングだけどな」
せっかく雰囲気作ってから渡そうとしていたのに、というゾロの心からの呟きは目の前のきゃわきゃわと嬉しそうに笑うルフィの前で消えた。
「…ゾロ、でけえ。全然、サイズ合わねえ」
「何!?」
「いいって!チェーン、通して首から提げるから!」
「だって、お前」
「ぜえったいに返品なんかしないからなっ!手も入れたりしないからなっ!ゾロがリングくれるなんて、これから一生無さそうだし!」
ししし、と笑うルフィを思わず抱き締めてしまった。思わずそのまま手でその細い顎を捕まえて、小さなキスを落す。舗道で街路樹の大きな影で良かったと、妙に現実的な事を心のどこかで思いながらも、ゾロはそのまま腕の中で笑うルフィを抱き締め続けた。真っ赤になったまま、楽しそうに嬉しそうに笑っていたルフィの声が、ふと止まる。
「…ぞーろ?」
「何だ?」
「お前、バイトのこと、忘れてねぇ?」
「…っ!!!!!」


「…5分って20分のことだったんだな、あのマリモ男…」
目の前のカウンターで、イライラとしながらタバコの煙を吐き出すサンジに、戻ってきたナミはくすくすと笑った。
「それはサンジくんのが失敗よ?あんな顔しているルフィの前にゾロを放したら、どうなるか分かりきったことでしょう?」
「それはそうなんですが、でもルフィのあんな顔見たら」
「放っとけなかった、んでしょ?相変わらずルフィには甘いわね」
「返す言葉もございません」
「ルフィの機嫌を直すのは、ゾロが一番の特効薬だからね」
手にしたグラスの中で、ストローで弄られ、奇麗にカッティングされた氷がからんと硬質な音を響かせた。くすくすと笑うナミの前で、サンジは照れたように赤くなりながら、既に奇麗になったグラスを磨き続けている。
「ところでゾロがバイト増やした原因、知ってる?」
「?いいえ?」
「ウソップが見かけたそうよ?あのゾロが、一生懸命にリングを選んでいたのを」
「…へー、そうですか」
「楽しそうね?サンジくん」
「ナミさんこそ」


 ルフィが大事そうにチェーンを通したリングを見せびらかすようになり、仲間内からさんっざんゾロがからかわれたのは、それはまた後日のお話。


    〜End〜


Morlin.さま 10000hitのリク御題「『はなび』でギャルソン服を着るゾロ」でございました。
あああ、もうせっかくMorlin.さまに捧げる「はなび」だと言うのに!
ごめんなさい、ごめんなさい、Morlin.さま!(女将の必死)
ゾロが何故ギャルソンするのか、原因を思いつきませんで…。無理やりに既に1ヶ月も経過する
ルフィの誕生日を絡めさせていただきました。…元々、構想はこうだったんですが。
思ったよりも時期を思いっきり逸してしまいました…。
(でーも、ほら、SAMIの所は船長BD企画延長中だし)(自慢すな)
でも、誕生日らしく少しはらぶらぶではないですか?(違いますか、そうですか…)

「はなび」。サブタイトルが段々とネタ切れに…。
(変なサブタイトルつけていたら、笑ってやってください…)
思ったんですが、今6月ですよね。「はなび」、もう少しで1年経過です。びっくり。


*きぃやぁあ〜〜〜〜っ!!!
 はっきり言って壊れましたともさ。このおステキなお話を拝見したその時。
 あの、憧れの“はなび”の、
 ちゃんと両思いなのに何かと障害に邪魔されまくりの
 あまりに不憫なゾロがツボな“はなび”の、(おいおい)
 あのおステキな二人が(プラス、サンジさんとナミさんと)
 ウチのサイトにお目見えだなんて〜〜〜っ!!!
 Morlin.は別に制服フェチではないのですが、
 ギャルソンのスタイルは、腰高でしまった体つきにしか似合わない。
 そう思った途端に、コレを是非ともゾロに着てみてもらいたくなったのでございます。
 ああ、SAMI様の細やかな描写、
 久しくゾロの姿を脳裏に浮かべることが出来なんだ(笑)Morlin.にも、
 そのきりりとと引き締まり、凛然とした、
 そのくせスタイリッシュにも闊達とした身ごなしのギャルソンさんが
 綺麗なまでに思い浮かびましたともさvv
 本当にありがとうございますvv
 大事に読ませていただきますね?

 あああ、嬉しいよぉ〜〜〜っ!!!

SAMI様サイト『Erde.』へGO!**

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