落霞紅

 足元の海の底に映りこむ光が網目になってどこまでも続いていく。寄せては返していく海の波が生み出すその細かな白い泡がふわふわと、その網目の光の中を漂っていくのが見えた。
 座ったまま伸ばした足の指先だけを浸す。そのまま足を蹴り上げる。ぱしゃんと音をたてながら、きらきらと海の水だったその欠片たちが煌きながら奇麗な弧を描いた。
「…何をやってんだ?」
「海に浸ってる」
「そうか」
 にかっと顔を上げて笑ったルフィの隣の砂浜の上へ、ゾロはその腰を下ろした。遠くから歓声が聞こえてくる。少し離れたところで、奇麗な大きいパラソルが2つほど花開いていて、その下に居るのだろう仲間達が楽しそうにこの奇麗な海を堪能しているらしい。珍しく遊び好きなこの船の船長が一緒になって騒いでいない事に、ゾロは気付いてふと彼の姿を探して、パラソルの影の下から出て来たのだった。
「あいつら、楽しそうだなー」
「ここの所、暑かったからな」
「いいなー、海に入れて」
「…分かっていて、この島に上陸すること決めたんじゃなかったのか?」
「そりゃ、そうだけどさー」
 むうと、下唇を突き出して、少し不機嫌そうな傍らの少年の表情にくすり、と小さな笑いをゾロは零した。海図の中にはあるけれども、小さなこの島には住人は存在しない。島自体が小さく、人が住めるような環境ではないからだ。しかし、この夏島の海域の中では恐らく過ごしやすい島のひとつであることには変わりなかった。だからこそ、補給できる港が存在するわけでもないのに、おとずれる船は途切れる事はないとは、最近船に乗り込んだ博識な考古学者の言葉だった。その言葉を聞いて、楽しげに顔を煌かせたのは、この船の実力者と呼ばれる航海士だった。そうなると、一も二もなくこの船は航路変更を成し遂げてしまった。
 隣に座ったゾロが、砂浜の上にその刀を置いたのを見て、ルフィはその仕事を終えた右手を叩いた。
「何だよ?」
「なあ、ゾロ、オレを担いで海に入らねえか?」
「はあ?」
「体が浸らなきゃ良いんだよなっ、そうすれば力が抜ける事はない! ゾロもシュギョウ出来るぞ!」
「何でそれが修行なんだよ」
「思い付きだ! ダンベル持つよりは軽いけどなっ」
「そうですか」
 そう言いながら、立ち上がるとまだ座り込んだままのルフィへとその大きな掌を差し出す。
「?」
「海に入るんだろ?」
 不思議そうな表情をしたルフィに、こちらも「何を言い出すんだ?」な風の表情でゾロが言葉を返すと、ルフィは両手でがしっと彼の差し出したその掌を握り込んだ。そのままこれ以上は無いほどの笑顔を、その表情へと浮かべる。
「やたっ」


「…あれは何を始めたんでしょうね?」
 パラソルの影の下、海の色に負けないような奇麗な青色のカクテルを満たしたグラスを持ちながら、テーブルへと肘をかけて寄りかかったまま、この船の最年長の彼女はその光景を不思議そうな顔で見つめていた。それに気付いた向かいに座るナミはそれを見て、ああ、としたり顔で頷いた。
「大方、ルフィのわがままを聞いてやってるんでしょ?」
 目の前に奇麗な形に切り揃えられたマンゴーのような果物を一切れ頬張りながら、彼女の疑問にこともなく答えた。
「ああ、いつもの剣士さん限定の船長さんのわがままね?」
「そう、それそれ」
 それきり、二人はそちらへと感心も払わずに、目の前の海で遊ぶ残りの船員へと視線を戻して、少し離れた場所で船長をその手で抱きかかえて、海へと向かう彼の様子などはもう気にも留めなかった。


 それまでははしゃいでいたルフィが、裸足になった足の先に触れた冷たい水の感触に気付くと、ぴくんとその体を強張らせた。いくら誰かに、それも今回の場合、これ以上は無いほどに絶対的な信頼とそれ以上とも言える程の心を寄せている彼に助けられているとしても、力が入らなくなるという事実は恐怖をもたらすものらしいな、とゾロは口には出さずに思った。そのまま気にしてないような風情で、ゾロが沖へと足を運ぶと、抱き上げているルフィの腕が段々と力を込めてくるのが分かる。
「…しがみつくと、前見えないだろうが」
「あ、わり」
 それでも、海の水についた足の先から、するすると水が流れ出すかのように力が抜けていくのは気持ちのよいことではなかった。まだ力の入る両腕と、太ももで自分を抱き上げてくれているゾロの体に力いっぱいにしがみ付いてしまう。その状態に気付いたゾロは、それでも自分にしがみついてくれる愛しさに思わず嬉しくなってしまうが、それでもそんな事をおくびにも出さずに笑う。
「おい、ルフィ、窒息させる気か?」
 言葉とは裏腹にどこか笑いの含んだ声がしがみついた両腕の中から聞こえてきて、ルフィはむう、と下唇を突き出してがつん、とそのまま自分の額を目の下にあるゾロの頭へと振り下ろした。目の前に色とりどりで、大きさもまちまちな星が見え隠れして、ゾロはそのままその衝撃を食らわした腕の中の少年の顔を睨みつけた。
「…っ! てんめぇ」
「うるさい、ゾロが悪い」
「んなこと、言ってると落すぞ」
「何だとっ」
 思わずいきり立ちそうなルフィは、不意に腰の深さにまでなった海に、今まさに言い合いを始めようとした目の前の男の体へと改めてしがみつく。きゅう、と音が出そうな程力いっぱいしがみつかれたゾロは、言い合いの気勢を削がれて思わず小さくため息をついた。
「…うにゅう」
「どういう悲鳴だ、そりゃ」
「…」
「? ルフィ?」
 先刻までの言い合いと同様の言葉が返ってくるとばかり思っていたゾロは、無言になったルフィの様子に彼の体を抱えなおして、そのまま目の前に寄せられていた彼の顔を覗き込んだ。
「どした?」
「…もう、殆ど力入んねぇ…」
「ああ? 戻るか?」
「でも、しゃっこくて気持ち良い」
「はいはい、堪能してください」
 オレはあちいけどな、という小さなゾロの呟きは形となることも無く、彼の喉の奥へと飲み込まれていった。子供体温だと言われる腕の中の少年の温みと共に、いきなり早鐘のようになった自分の鼓動を改めて持て余しているのを感じていた。



 砂浜が近づいてきて、思わずそれまでの浮力によって軽く感じていた濡れた服の重みに気付いた気がして、ゾロは乱雑にその歩を進めた。靴を脱がなかったので、そのままごっきゅごっきゅと靴の中で水が動く感触がして気持ちが悪いのもあって、ざばざばと奇麗な光の網目を作り出すその波の色を踏みつけたまま砂浜へと上がった。
「楽しかったーっ」
 結局、力が入らないわりには「何か光るから、あっちへいけ」だの、「こっちで海中を見せろ」だのというリクエストに全てお答えして来たお陰で、水中で動き回ってしまった。波打ち際まで来て、そのリクエストをしまくった海の中では大人しくしていた、腕の中の少年はぴょん、と力いっぱい跳ねるかのようにゾロの腕から降りた。
「マジで楽しかった! ゾロ、さんきゅーな!」
「あー」
 片足でたったまま、もう片足の靴を脱ぎ捨てると中からこれでもか、という程に海水が流れ出た。そのまま乾いた砂浜の上へとその靴を放り投げると、もう片方も反対の動作で同じように脱ぎ捨てて、そのまま同じ場所へと放り投げた。途端に濡れた体へと降り注ぐ太陽の光が彼の眠気を誘い、思わずくわあ、と大きな欠伸をした。
「眠いのか?」
「んん…」
 がりがりと後頭部をかきながら頷くゾロの前に、ルフィはそのまま砂浜より少し離れた場所へと彼の腕を掴んだまま移動した。少し木陰になりそうな場所の草の上へと座り込んで、足を投げ出した。呆気に取られ、立ち上がったままのゾロの顔を見上げると、にかっと笑って見せ、ぽんぽんと自分の背中を叩いて見せた。
「何だよ?」
「さっきの礼だ、オレの背中に寄りかかってもいいぞ!」
「お前の背中?」
「おう! 立派に背もたれのヤクメを果たしてやるぞ!」
「…てめぇも眠いんだろ?」
 水の中で遊ぶというのは思っているよりも、体力の消耗が激しい。おまけにルフィは悪魔の実の能力者だから、余計に体力を海へと吸い取られているはずだった。
「それもある! でも、礼だっていったら素直に受け取れよ」
 こう、と言い出したらそれ以上は決して譲らない自分の船長の性格はいやと云うほど分かっていたゾロは、彼の横へと座った。
「…オレはこのまま寝っ転がっても充分なんだが…」
「ああー、もう、相変わらず小煩いな、ゾロは」
「何だと?」
「あんまりぐだぐだ言うと、膝枕の刑にするぞ!」
 いつから罰になったんだ、という呟きは無理やりに引っ張られて寄りかからせたルフィの動きで、ゾロの口の中に消えた。
 ふわりと、海から水の気を含んだ涼しい風が吹いてきた。
 木陰は適度に、暑い太陽の日差しを遮っている。
 さっきまで、海の中へと入っていた自分の体は適度に心地よい疲れを訴えている。
 楽しそうに笑っているらしい、ルフィの小さく嬉しそうな含み笑いが、彼の背に寄せた自分の背中から細かく伝わって聞こえてきて暖かい。

 ―――― あったかいなあ…。

 そんな小さなゾロの呟きは、背中越しにいたルフィの耳にだけ届いていた。再び嬉しそうに笑ったルフィは、そのまま腕を伸ばして自分の頭の上にあった麦藁をぽすんとゾロの顔の上へと被せてやった。





 気付くと大分日差しも西へと傾いてきていて、夕焼けが透き通るような青を作り出していた海を鮮やかな朱色へと変化させ始めている。
「…まだ寝てるの?」
 ナミの言葉に、様子を見に行ったチョッパーが大きくこくりと頷いて見せた。
「あの寝息の様子だと、二人とも爆睡しているから、ちょっとやそっとじゃ起きないぞ?」
「このオレ様が差してきてやったパラソルにも気付かないで寝ているしな」
 こんがりと良い色に焼けたウソップとチョッパーが笑いながら、うんうんと頷きあった。
「いいじゃない、今日はここに泊まっても。この島は一晩じゃ、ログはたまらないわよ?」
 ナミの様子に笑いながらロビンはそう言葉を掛けた。
「じきにコックさんが食事の支度が出来たって起こすでしょうし」
「まあ、それもそうね」
 ぱたんとパラソルを閉じた音を手の中でさせて、ナミは呆れた様子で、でも笑いながら結論を出した。チョッパーがくるくると敷物を片付けて、ウソップはわざわざ船から降ろして使ったチェアの片づけをしている。ロビンは藤製のバスケットの蓋を閉じると片づけが終わった事を確認した。
「仕方ないわね、そのうちルフィが『腹減った』て眼を覚ますだろうし、今は起こさないで先に戻る?」
 『仕方ない』と言いながらもふわりと笑うナミの言葉に、3人も頷いた。




 そんな仲間達の視線の先では。少し離れた所で。
 いつの間にやら、地面の上に直接寝転がったゾロの腹の上に。
 背もたれの役目どころか、気持ち良さそうに眠るルフィが頭を預けていた。
 二人の上には、優しいパラソルの影と、海の風が舞い降りる。






end


お待たせをしまくってしまいました(…いつもの挨拶に成り果てている・汗)
13000hitのリク御題、Morlin.様から「甘えるゾロ」ということでしたが。
甘えているのはルフィでした
(笑)
悔しいから甘えてもらおうというルフィの話を書きたかったのですが。
最近、ルフィに振り回されるゾロ、というのを書いてなかったので。
両手が無意識にそんなゾロルを書いてしまいました。
…すいません、甘えてませんし、甘くないです…(←極小サイズに縮小中)

タイトルは当初海の色から採用! とか思っておりましたが、
急遽変更。知っている方も多いかと思いますが、夕焼けの色です。


*うにゃいにゃいvv
 ああ、ここにも奇声を放つ妙な生き物が。(笑)
 嬉しいですぅvv
 こんなに可愛らしい甘え甘やかされなお話を、
 しかもSAMI様の丁寧で繊細な文章でいただけるだなんてっっ!
 かなり無体なリクをしたのかもなと反省しつつ、
 でもでもこんな風に見事にクリアなさるのですもの。
 もうもうおサスガとしか言いようがありませんですvv
 大切にさせていただきますね?
 本当にありがとうございました♪

SAMI様サイト『Erde.』へGO!**


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