意味を変えて特別になる日。
世間ではもとより、特別、と。
そう認識されているこの夜明けを。



不信心者の祈り。



夜中に、家を出るのは無理かと。
そんな誘いがきたのは大晦日の朝方で。
正月は親戚が集い、何かと身動きが取れなくなるから。
せめて初詣だけでも。
と。珍しく説明書きまで加わったメールを見て、瀬那はすぐさま“大丈夫です”と返した。
今日は大掃除と買出しが主な仕事で。
初詣も、零時を回った夜中に出ることなど一度もなく。
いつもまもりと一緒に、日が高くなってから近くの神社まで行っていたものだから。
初めて、幼馴染み以外の人と。
初めて、夜中の初詣を出向くということは。
例年とは違う、特別な年明けを迎えるということで。
些細なことであるかもしれないけれど、今年の初めにはこんな変化が訪れることなど予想もしていなかった瀬那にとっては、この誘いはとても特別なことで。
いろんなことがあった一年間の締めくくりと。
様々な波乱が待ち受けているに違いない新しい年の初めを。
あの人と一緒に迎える、ただそれだけで。
今までと全く同じ、年越しも年明けも。
その意味が瞬く間に色を変えていく。
初詣のお誘いひとつで、そんな風に思ってしまう自分の単純さに苦笑を浮かべつつも、瀬那は夜中の外出許可を得るために母親に伺いをたてに行くのだった。




黒いコートに黒いマフラー。闇に溶けてしまいそうないでたちの彼は、薄明かりの中ぼんやりと浮かび上がっている大鳥居の傍に立っていた。
どこから出てきたのだろうかとも思ってしまうたくさんの人の波ではあったけれど、不思議と彼の姿だけは見失うことはない。それは彼が自分にとって特別な人だから、ということだけではなく、通常その辺を歩いている人たちよりも長身である、ということや、立っているだけで漂う威圧感めいたものが途絶えることがないということも、要因として挙げられる。
きっと、彼自身そんなつもりはないのだろうけれど。
黒ずくめの格好で、まったく表情を崩すことなく仁王立ちをされたら、自然と輪のような空間ができるのは当然のことで。
それが目印となってくれることは否定しようもない事実なのだけれども。
少しばかり目立ちすぎかも…と。
この人の波の中、確固とした居場所を作っている彼に近付く、ということが照れくさくなってしまう。
けれど、この距離のままに彼を見つめていると、とても切ない気持ちになる。
周囲と交じり合うことが出来ない彼の孤独を、見つけてしまったような気がして。
一種の孤高の空気。
何人たりとも近付けない、胸の内を読ませない、そんな厳しい雰囲気を持っている彼は、何をしていても世間と交じり合うことはなく。拒み、そして、拒まれている。
アメフト、という、チームプレイが重点を占めるスポーツに携っていながらも、彼はいつでも一人きりのような。
表情も、言葉も。極端に少ない人であるからこそ、いろんな誤解をされたりしているのだろうなぁ、と。
そんなことを思ったら、とても悲しくなってしまって。
初めは自分も、彼のことを怖い人だと、思い込んでいたから。
あの空間の中に、足を踏み入れれば。
わかるのに。
あの人がどんなに純粋で、優しくて、あたたかい人であるか。
それでも、それがどんなに勇気のいることであるか、知らないわけではなかったから。
瀬那は少し、歩調を早め、やがて駆け出した。
たくさんの人の波の中。
凍えるように寒い空気の中。
あの人をいつまでも一人きりには出来なくて。
異質なまでの風格を持つあの人の傍に行くことを、照れくさいとも、確かにそう思う気持ちは拭いきれるものではなかったけれど。
「遅れて、すみません」
輪となっていた空間に足を踏み入れて、ぺこり、頭を下げたあと。
ゆるやかに顔を上げれば。
「…いや、そんなに待ってはいない」
瞳の色を和らげて、自分を見下ろす彼の雰囲気が。
かすかに、ほどけていくのが確かに分かって。
彼と世の中との隔たりがほんの僅かだけれど、縮まったことを実感する。
「開門はまだだが、並んでいたほうがいいだろう」
「そうですね」
大鳥居の向こう、ライトアップされている大門を見やって。
清十郎は至極自然に、瀬那の手を握る。
大きな手。堅い手のひら、長い指。そういったものに包まれた自分の手を見やり、瀬那はゆったり歩き出した清十郎の隣に並ぶ。
手を、繋ぐようになったのは、はぐれないようにするためで。
それは。
彼が自分と、というわけではなく。
自分が彼と、はぐれたりしないようにするためだと、気が付いたのはつい最近のこと。
開門を待つ人の列の中。
その人の輪の中に。
僅かな空間を作ることなく入り込んで。
無意識のうちに纏っていた威圧感がすっかり形を潜めてしまっていることは、喜ぶべきか嘆くべきか。
ただ、ひとつ。嬉しい、と思うことは。
自分といるときだけは、超然と世俗離れした孤高の存在ではなく、この溢れかえる人の波に溶け込める一人の人間に立ち戻ってくれること。
一人きりの寂しさを。
孤独というものの意味を。
この人が理解しているかは、定かではないけれど。
この人を独りぼっちにしてはいけないと、そんなことを思うから。
繋ぐというよりも、掴まれているといった表現が正しい、この手を。
やわり、ほどいて。
そうっと握り返す。
驚いたような表情をする清十郎に瀬那は微笑い、また少し、力を込めた。
大丈夫。
離したりしませんから。
この人込みの中、独りぼっちにはしませんから。
離してしまえば流されてしまいそうな人の波の中。
ひそりと手を繋いで、新しい年の幕開けを待つ。



深夜。寒い夜。吐息は白く、皓々と焚かれた火がほのかな暖を与えてくれる。
参道の両脇に並んだ石灯籠にはオレンジ色の光が灯され、足元を照らす。
石畳は薄く氷が張っているようで、滑りやすくなっていた。
和太鼓の響きとともに大門が重厚な音を立てて開き、新年の幕開けを告げる。
押されるように前に進んで、それでも決して手を離すことはせずに、長い時をかけて神前へと進んで。
お賽銭を放って、祈りを捧げる。
今年も良い年でありますように、とか。そんな月並みなことを考えていたけれど。
去年は、あまりにも良いことばかりだったから。
受かればいいな、と思っていた高校に合格していて。
アメフト、というスポーツに出逢って。
この人に惹き合わせてくれた。
それだけでもうたくさんで。
以上を願えば、罰が当たってしまいそうな気がして。
ありがとうございました。
と、そうお礼を。



「明けまして、おめでとうございます」
お参りをすませた後、そう言ってお辞儀をすれば。
「ああ。今年も…よろしく頼む」
と、清十郎も頭を下げたりするものだから。
なんだか、似合わないな、などと失礼なことを思ってつい笑ってしまった。
どうして瀬那が笑っているのか、そんなことを知る由もない清十郎は、一瞬怪訝そうに眉を顰めたけれど。
すぐに、その厳しい表情を和らげた。
「…進さん?」
柔らかなその表情を覗き込めば。
さらりと髪を撫でられて。
「どんな理由でもいい。お前が笑っていれば、それでいい」
真摯な眼差しで、そんなことを言われてしまって。
こんなに寒くて、吐く息はこんなにも白いのに。
体温が一気に上昇したような心持になって、瀬那は俯いた。
作為がないから、清十郎の紡ぐ言葉は全て彼の本心で、違うことなく自分のことを想ってくれているのが分かりすぎるほど分かってしまって。
嬉しいとか恥ずかしいとか、そんな複雑な感情が綯い交ぜになってしまって、顔を上げることも出来ない。
新しい年のはじまり。
その想いを改めて、清十郎が告げたとするのなら。
瀬那はひとつ深呼吸して、跳ねる鼓動を抱えたままに彼を見上げた。
「…ぼくに出来ることなら、なんでも」
実直で純粋なまでの好意を寄せてくれるこの人のためになることならば。
出来うる限りのことを。
瀬那の言葉に、清十郎は目を眇め。
その長い腕でもって、瀬那の身体を絡め取って、胸へと抱き込んで。
驚いて見上げれば、瞳が、合って。
瀬那は瞬間呼吸を止めて、清十郎の瞳を見つめて。
細く、吐息を零した。
「俺の願いは、お前にしか叶えられないことばかりだ」
神様などに、祈ることなど何もない。
と。
不遜なまでの言葉に、この初詣が単なる口実だったことを知る。
仮にもまだここは、神社の敷地内で。
境内のほうではたくさんの人たちが神様に祈りを捧げているというのに。
けれど逃げたり、突き放したり、そんなことは出来なくて。
瀬那は静かに目を閉じた。
震える吐息ごと奪うように、清十郎の唇が触れて。
ここが神域であるとか、そういった微かな信心すらも掻き消えて。
優しく柔らかく慈しむように、触れるだけのくちづけを繰り返す清十郎の想いだけを心に抱える。
新しい年の初めの日。
産まれ落ちてから今まで、特に感慨も無く過ごしてきたこの日が。
確かに特別なものへと意味を変えた。
神様というものを、信じていないわけではないけれど。
それはこの世知辛い人の世の、気休めとしかならない存在であると思っていたことは事実で。
目にも見えない不確かなものであるのなら。
そんな存在よりも、やはり。
同じように不確かなものであるこの想いを、確かなものに変えて伝えたいと。
新たな一年がはじまる最初の日を。
ともすれば擦れ違うことになりそうな心を、確かめ合って、誓い合って。
この一年を一緒に歩いていけるように。
それを神に願うのではなく、お互いに向けて、願う。
ただ、この人に出逢わせてくれた奇跡を考えると。
神様はいるのかな、とも思ったりもするけれど。
今は、そんなことすらも忘れて。
彼のあたたかさを感じる。



惰性で来ているひともいる。
騒ぎたくて集う若者だっている。
けれど、真剣にお参りをする人もいるだろうけど。
その願いが叶うか、なんてことはすべて。
神のみぞ知る、ということで。



                        終わり。

                          2003.01.02  畑野 なすこ


神様は、あなたの心の中に存在するものです。
というのが、畑野なすこの理論です。
新年なので。少しはしゃいでみました。
お待たせしたわりに(いや、待ってないし…)なんか、すみません。
気を引き締めて、2003年頑張ります。
どうもありがとうございました。


 *進セナの大御所様、畑野なすこ様のサイトさんで
  お正月DLF企画とされてらした作品ですvv
  こちら様では、もうもうそれは切なくてジューシィな、
  甘やかだけれどどこか焦れったい二人のお話が沢山拝見できるのですvv
  不肖、筆者がストーンと進セナに嵌まったのも
  こちら様の秀逸なお話に魅せられたせい。
  是非是非、お伺い下さい。
  そして浸ってくださいですvv
  畑野様、新年早々、素晴らしいお年玉をありがとうございましたvv


畑野 なすこ様のサイト『なすばたけ』さんはこちら→***


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