いっそ二人で

 夕暮れ時、街はオレンジの光に包まれる。昼間の喧騒と、夜の静寂の合間の、一日で最も穏やかな時間だ。
 優しい陽光は桜庭の部屋にも漏れなく射し込み、風にひらめくカーテンの影を、茶色のフローリングに落としている。
 蛭魔はソファに腰掛け、アメフト雑誌を熱心に読んでいる。桜庭は、寝転がってステレオから流れる音楽に耳を傾けつつ、そんな蛭魔を時折眺めてみたりした。
 しかしいくら桜庭がじっと見つめても、蛭魔が雑誌から顔を上げる事はない。興味の有る無しに関わらず、大抵の事は何でもそつなくこなすクセに、アメフトの事となると全く周りが見えなくなってしまう。
 普段から、狡猾で打算的で隙が無くて・・・しかしアメフトが関わる時だけはそこに情熱が加わる。
 そういう時の蛭魔は、まるで子供が玩具に夢中になるように目を輝かせている。かまってくれないのは寂しいのだが、そんな蛭魔の顔を見ているのは、それはそれで、楽しい。
 無論、桜庭にとってもアメフトは大切な存在である事に違いはない。だが、オンとオフの切り替えが効く、と言う点で、蛭魔より割り切った目でアメフトを見ている。
 生活に占めるアメフトの割合という意味では、蛭魔は進と似ている。しかし、進が一貫した姿勢であるのに対し、蛭魔はあまりにギャップがあるのだ。
 普段からは想像も出来ない、ひたむきさと無垢な情熱―。
 この世で何が一番大事かと聞かれたら、桜庭は迷う事無く、それは蛭魔だと答える。
 蛭魔はきっとアメフトだと答えるだろう。
 不毛な恋だと、人は言うかもしれないが、桜庭はそれで満足なのだ。そう思えるのは、フィールドに向かう蛭魔の姿が、これまでに桜庭が見た、蛭魔のどんな表情よりも綺麗だからだ。 全力を尽くした、ボロボロの身体を癒す場所がこの腕の中である事を誇りに思うから。
 蛭魔が明日も闘えるのなら、よろこんで全てを差し出せる。蛭魔の大切なものを守る事が、桜庭にとって大切な事なのだ。
(・・・それにしても、ほんと、夢中だなぁ)
 蛭魔の足元のあたりまで這いずって行って、上目遣いに蛭魔を見上げる。雑誌の向こうに見える表情は、やっぱり子供みたいに目を輝かせていて、どうしようもなく、可愛い。
 音楽を止めて、しばし蛭魔に魅入っていた桜庭だったが、ふと、冷蔵庫に何も入っていない事を思い出した。

    「蛭魔ぁ、冷蔵庫に何もないんだけど、夕飯どうする?」
    「何でもいい」
    「どうしよっかな・・昨夜はカレーだったよね」
    「ああ」
    「何か食べたいものある?」 
    「別に」
    「あ、そう」

 これ以上会話を続けるのは無意味だった。
 いざとなれば出前でも頼めばいいか、と夕飯の事は一先ず置いておく事にして、桜庭はコーヒーでも淹れるか、と席を立った。
 数分後、コーヒーカップを両手に持って戻ると、蛭魔は先程と寸分違わぬ姿勢で相変わらず熱心に雑誌に目を落としていた。
「蛭魔、コーヒー」
「ん」
 差し出したカップを受け取る時すら手探りで、桜庭が蛭魔の手を取って渡してやらないと、落としてしまいそうだった。さすがにここまでくると少しくらいこっち見てくれたっていいじゃないかと、愚痴のひとつも言いたくなる感じだ。
「まだ熱いよ?気をつけてね。蛭魔熱いの苦手でしょ」
 おそらく耳を素通りしているだろうと思いつつも、一応注意を促して、桜庭は自分のカップに口を付けた。
(熱・・・)
 思いのほかに熱い液体が口に流れ込んで来た。
(これは蛭魔には無理かも・・・)
 そう思ってもう一度声を掛けようとしたのだったが・・・。
「っつ・・・!!」
 時既に遅し。蛭魔が反射的にに口元からカップを離した。
「ああもう、熱いって言ったのに!大丈夫?」
 見せて、と顎をつまむと、蛭魔は素直に舌先を覗かせた。
 先端が白っぽく変色している。ひりひりとした痛みが蛭魔を襲った。
「夢中になるのもいいけど、気をつけてよ」
 叱るように、少し強めの口調で言うと、蛭魔は気まずそうに横を向いた。
 やれやれ、と思いながらも、こんな時、桜庭は嬉しくなる。
(やっぱ俺がいないとダメなんだよなぁ・・・)
 なんて、蛭魔に直接言ったら殴られそうな台詞なのだが。
「ちょっと待ってて」
 そう言い残すと、桜庭はキッチンへ消えた。やがて戻ってきた桜庭が手ぶらなのを見て、訝しげに見上げる蛭魔の顎を親指でつい、と持ち上げると、桜庭は不意にその唇に口付けた。
 予想外の行動に、蛭魔は目の前の顔を退けようと首を左右に振った。しかし、次の瞬間、口内に滑り込んできた冷たい塊に、睫毛をしばたかせた。
「どう?気持ちい?」
「氷くらい普通に渡しゃいいだろ」
 顔こそ迷惑そうに顰めてみたものの、氷が舌先に触れる度に、痛みは治まっていった。
 蛭魔が口を動かすと、噛み砕かれた氷の欠片がカラカラと涼しげな音を立てた。その様子をしばらくの間黙って見守っていた桜庭が口元に手を伸ばしながら尋ねた。
「もう痛くない?」
「ん・・・大丈夫っぽいな」
 蛭魔が頷くのを確認して。
 その薄い唇ごと、噛り付くように、奪い去った。
「んっ・・・」
 桜庭の舌は無遠慮に蛭魔の口腔を犯す。それが火傷した舌先に触れると、びりっとした痛みが走った。蛭魔が顔を横にずらして抵抗すると、離れた唇と唇の間に、氷の冷たさを含んだ唾液が糸を引いた。

    「ゴメン、痛かった?」
    「当たり前だ!!」
    「ゴメンね。でも、したかったんだ」
    「はぁ?」
    「蛭魔があんまり雑誌に夢中だから」
    「雑誌に妬くのか、お前は」
    「だって、こんなに傍にいるのに蛭魔ってば見向きもしてくれないんだもん」
    「はぁ・・・」

 今度のは溜め息だ。
 拗ねたように唇を突き出す桜庭の後頭部を引き寄せると、自らの唇と重ね合わせた。
 驚いて、僅かに目を見開く桜庭だったが、やがて音を立てて、蛭魔の唇を吸い上げ始めた。その度に、蛭魔の舌先には小さく疼いたが、拒む事はせずに、そっと天井を仰いだ。
 熱いものより何より苦手なのは、このモノ欲しげな唇だ。何だかんだ言っても、いつも拒みきれない。
 自嘲めいた笑いは、しかし、どちらのものともつかない唾液と共に嚥下された。
 
 蛭魔の口の中に残っていた氷の小さな塊は、交わす熱であっという間に溶けてしまった。
 このまま、いっそ二人とも溶けてしまおうか?
 溶けて、溶け合って、ぐちゃぐちゃになってしまうまで。
 そんな衝動に駆られる黄昏色の時間・・・。



"こんなところが可愛いんだよな"(桜庭→蛭魔)というリクにお答えして書いてはみたものの・・・
全くもって的外れなものが出来上がってしまいました(汗)
猫舌蛭魔に桜庭がきゅん、みたいな話になる筈だったんです。
んで、ふーふーしてあげたりする予定だったんです。
何でこんな展開になったのか自分でも謎です。

Morlin.様、遅くなった上にこんなんで申し訳ないです・・・


ぎゃあぁぁ〜vv (のっけから失礼な奴)
凄いです、素晴らしいですvv
猫舌の蛭魔さんというのは思わぬツボでした、はいっ!
こんな可愛いお話を、あこがれのわきゅう様に書いていただけようとはvv
嬉しい・嬉しい・嬉しいです〜〜〜vv
わきゅう様のところの蛭魔さんは、もうもう凄い強腰のカッコいい人で、
でも時々こんな風に桜庭くんにだけ可愛いところや優しいところを見せてくれる。
本人も恐らくは無自覚に、凭れて甘えてたりする、
そんなさりげないつながりが、なんとも甘い人たちなんですようvv
ホントはジャストでキリ番を踏んだ訳でもなかったのに、
優しいご好意を差し伸べてくださり、本当にありがとうございました。
大切にして読ませていただきますね?

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