Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ

  沈黙のインターミッション篇
                        (初出『海月透過率』様サイト Novelsコーナー)

 いささか唐突だが、ゴーイングメリー号は大海を航海するには随分と小さな船で、たった5人しか搭乗していないとはいえ、そこはやっぱり搭載している物資との兼ね合いもあって、居住空間にも限界がある。そんな中、男性陣たちの船室にハンモックを掛けての就寝は、空間を無駄なく使うたいそう合理的な対処だし、いかにも海の漢(おとこ)たちという観がある。
 さて…プロローグの舞台はとある夜である。錨を降ろした停留状態での全員就寝とは、考えようによっては物凄く不用心だが、何しろ5人しかいない頭数。見張りだ火の番だのの交替制のシフトなんて組むだけ不毛だし、彼らほどの面子であれば熟睡中を唐突に叩き起こされたのであっても充分な働きをして見せてくれるのだろう…多分。そんな彼らが寝静まる夜更け。時折船が揺れて船体の棟木などが軋むのか、潮騒をバックに独特の音が低く響くのみの船室内だったが、
「…っ?」
 不意に胸が重くなって目が覚めたのはゾロである。何かがドサァッと胸板の上へ落ちて来たらしく、
「ルフィ?」
 一番上のハンモックで寝ている船長が前触れなしに"降って来た"らしいのだが、ハンモックというのはあれでなかなかそう簡単には落っこちないようになっている。どういう暴れ方をしたんだかと思いつつ、顎を引くようにして自分の胸元を覗き込みながら声をかける。照明は落とされているし、こちらの胸板へ伏せるような格好になっているため相手の顔はよく見えない。
「………。」
 このまんま、この格好で、ここで寝続けるつもりかなと思うほど間があってから、
「…ん、悪りぃ。」
 まだ寝ぼけているのだろう、言葉少なに謝って、もそもそと定位置へ戻っていったルフィであり、
"………?"
 こんなことは初めてで、だがまあ大騒ぎするようなことでもなしと、ゾロもそのまま目を閉じて寝息を刻み直した。睡眠中の不意な急襲に、されど相手を素早く見極めて驚かなかったというのも物凄い感覚だが、いくら自分よりタッパは小さいとはいえ、5センチしか違わない…一応172センチはある相手だのに、それがいきなり降って来てもその逞しい体躯(ガタイ)には何ともなかったらしい。もう何遍吹っ飛ばされたり飛び込まれたりして来たことか…を考えれば、このくらいは寝相の延長くらいで収まるのだろうか。それはともかく。そう…この時点では気づけという方が無理な話であったのだ。

           ◇

 問題は翌朝。朝食のテーブルにて、その一大事は発覚した。
"………お?"
 後から思えば、毎朝々々"時告げ鷄"のように元気一杯に皆を叩き起こす声が、今朝に限っては聞こえなかったのもおか訝しなことだった。そして、
「………え?」
「あ…。」
「………。」
「???」
 皆がフォークやスプーン、マグカップやお玉を手に朝っぱらから凍りついていたのは、船長の様子が訝しすぎると決定的に確認出来たからだ。
「ル、ルフィ?」
「お前…どうかしたのか?」
「何がだ?」
「いや、だってだな…。」
 食事の仕方が日頃と違い過ぎる。フォークを動かす速度も、口への運び方も常人並み。いや、もしかしたらよほどの令嬢並みかも知れないくらい遅い。しかも、
「ごっそさん。」
 最初に盛られただけを平らげると、そのまま席を立ってしまったから、
「…今朝の献立、何か不味いもんでもあったか? 煮えてないとか、味が薄いとか。」
「そんなことないわよ。ねぇ?」
「ああ。」
「いつも通り旨いって。」
 だが、イーストブルーでナンバーワン・シェフ殿の受けたショックはちょっと半端ではなかった様子。ともすれば"味は二の次で量が多い方が良いな、でもでも、美味しい方が勿論嬉しいぞ"な男が、ロレーヌ風ベーコンエッグ一切れとクラムチャウダーにハチミツパン1個、リンゴのワイン煮1片、カフェオレ一杯で気が済んでしまう筈がないのだ、日頃なら。
「…もしかして食欲がないってことか?」
「嘘よ、そんな…信じられないわ。」
「何か天変地異でも起こるんじゃねぇのか? 何だかんだと動物並みだかんな、あいつ。」
 おいおい、皆して言いますねぇ。


「何かに不機嫌なのかしら?」
「いや、そんならはっきり言うだろう。あんな風な形で黙って不貞腐れるような湿っぽい奴じゃないぜ。」
 宙へと乗っかるメインマスト頂上の見晴し台に陣取ったウソップとナミがついつい見下ろすのも、
「…余っちまったじゃねぇかよ。」
 いつもは出ない食べ残しに閉口しつつ、後片付けを終えたサンジがキャビンの戸口からつと見やったのも、
「………。」
 いつもの定位置である上甲板に腰を下ろしたゾロからはすぐ横手、舳先の船首像代わりの羊頭の上だ。いつもと同じように向かう先の遥か彼方を眺めている伸びやかな背中と麦ワラ帽子が、なんだか今日に限ってはどこか無口で素っ気ないような気がする。
"体の具合が悪い…とか。"
 残る可能性はこれくらいのもんだが、一般的な設定ならば一番可能性が有りそうな原因でありながら…それを誰も口に乗せられないのは、どこをどう押したり引いたりしたっても、あの男と"病気"とか"体調不良"とかいうフレーズが噛み合ってくれないからだ。満身創痍となっても呵々(かか)と笑っていそうな男なだけに…実際そういう事を何度もやってのけて来ただけに、腹が痛いの頭が痛いのという程度で沈み込むとは思えない。いや、むしろ慣れぬことに却って大騒ぎをするんじゃないのかなと思えるのだ。…と、
「…っ!」
 どういう加減か、前方からびゅっと大きな突風が鋭く吹きつけた。咄嗟のことに顔を背けたゾロの耳朶で三連のピアスが風に躍って…そのわずかな間に事は起こった。
「!? ルフィ?」
 一瞬目を離したその刹那に、羊頭の上から甲板の上へ転げ落ちたルフィで、これもまたこれまでにはまず有り得なかったこと。下手を打てば海へと落ちかねないのだから、そして落ちれば生命にかかわる身の上なのだから、彼には特に…命綱並みに身体を支える反射が素早く働く筈なのだ。宝物の麦ワラ帽子こそ頭にしっかと押さえているものの、なかなか起き上がらないと来て、一番近かったゾロが咄嗟にがばっと立ち上がって傍に寄り、
「どうしたっ?」
 サンジもキャビンから飛び出して来た。
「ルフィっ!」
「大丈夫かっ!? 何があったんだっ?」
 宙空からナミやウソップの心配そうな声が降ってくる。たった5人の、だが、この5人なら誰にも負けない、絶対無敵の麦ワラ海賊団に、まさかこんな密やかな形で危機が訪れようとは…っ!
「ルフィ?」
 甲板に引っ繰り返ったところを、傍らに屈んですくい上げるように抱え起こすゾロであり、遅れて駆けつけたサンジも反対側から覗き込み、
「どうしたっ! 何か飛んで来たのかっ、おいっ?」
 急くように訊く。確かに…見るからに苦しそうに顔をしかめていて、すぐ目の前になったゾロの着ているシャツの胸元をひしっと掴んでいる辺り、痛みか苦しみにかに懸命に耐えているらしいことが窺える。こんな様子を目の当たりにするのは仲間たちには恐らくは初めてなことで、だが、普段の彼なら飛来物なぞ難無く避けていた筈だのに。第一…打撃衝撃にはさしてダメージを受けない彼ではなかったか? ………あれ?
「ルフィ?」
 言わなきゃ解らんぞと、再度声をかけたゾロに、
「………痛てぇ〜。」
 絞り出すような声を返す。
「どこがだ。」
「歯が痛てぇっ!」

  「は…?」

 いや、駄ジャレを言ってるんじゃなくって。

            ◇

「…ったく、ガキじゃあるまいし。」
 場所は変わって、船内の一室。いつもは日没後に皆が集まる、甲板下のリビングルームに据えられたソファーを囲むようにして、まだ陽は高いのにやはり皆が顔を揃えている。ソファーにはガーゼを口の片側の奥へと突っ込むように咥えさせられたルフィが寝入っていて、先程全員がかりででっかい洞(ウロ)の開いた虫歯を引き抜いたばかり。
〈だーっっ、暴れんじゃねぇっ! 抜く歯を間違えるだろうがよっっ!〉
〈いやだーっっ!〉
〈ウソップ、そっち押さえろっっ!〉
〈あ、ああっっ!〉
〈ルフィ、ちょっとだけ我慢なさいっ!〉
〈いいかげんにせんと"麻酔"食らわすぞっっ!〉
 麻酔って…かなづち振り上げてどうする。(第一、彼には効かんだろうに。)…という、数時間がかりの大騒ぎがあって後の昼下がりなのだ。ヤットコを収めた道具箱と…ルフィにはガーゼくらいしか要らなかったが、他の面々には傷薬やら絆創膏やら湿布薬が要った救急箱とを片付けて来たサンジのため息混じりの言葉に、
「乳歯だったっていうのも驚きよね。」
 だからこそ、少々乱暴ながら引き抜くという手を取ったのだが、十七歳にしてまだ乳歯が残っていたとは…ピーターパンじゃあるまいに。ソファーの背に肱をついて覗き込みつつ、ナミがクスクスと笑って見せ、
「けど、歯を抜かれるのが嫌だったから黙ってたってのが、なんか"らしい"よなぁ。」
 人一倍豪胆で無茶ばかりやらかしてるクセに、意外なものが苦手なんだよなぁと、ウソップはそこへ感心しているらしい。つい先程繰り広げた抵抗が…真剣本気で暴れれば負けっこない筈が一応は取り押さえられたところを見ると、抜くしかないと薄々判ってはいたのかも知れないが。ところで…ルフィの歯ってちゃんと堅いのかな? 体中そうなんだからゴム化してないのかな? あ、ナイフとかエレファント本マグロの骨とか噛み砕いてるくらいだから、堅くて丈夫な歯の筈よね。
「ま、これで夕方あたりにゃ元に戻るさ。」
 言いたい放題をされている当の本人は、安らかに健やかに、くーくーと熟睡中。実は昨夜から痛かったらしくて、ゾロの真上へ落ちたのも、その痛さのせいで妙な夢を見たからだとか。
〈口ん中でオケラが暴れる夢だったんだ。凄んげぇホントみたいでビックリした。〉
 よほど生々しい夢だったのね。それからロクに眠れなかったというから、その憔悴も加わって、なかなか重症だったのね。
「さて・と。人騒がせ野郎の寝顔ばっか見てても仕方ねぇ。」
と、サンジが席を外そうと部屋から出て行きかける。
「? どうしたの?」
 内心では結構心配していたくせに、おかしな素振りだとナミが声をかけると、振り返ってにんまり笑って見せる彼で、
「朝も昼もロクに食べてねぇんだ。夜はさぞかし食いやがるだろうから、今から仕込みをと思ってね」
 今朝方傷ついたプライドの躍如もあろう。打って変わって生き生きしているところが現金と言えば現金かも知れないが、それこそサンジにしか出来ない、しかも取って置きの快気祝いだ。
「あははっ。良いわ、あたしも手伝う。」
「あ、俺も俺もっ。」
 立ち上がる皆につられて、前後逆さに座っていた椅子からこれも立ち上がりかけたゾロへは、
「お前は見張りな。」
 すかさずというタイミングで振り返ったサンジが、その人差し指を宙で振る。
「匂いで目が覚めてつまみ食いにって出てこねぇように、夕食時までちゃんと食い止めろよ?」
「…あ、ああ。」
 船長以外に仕切られるのは大嫌いなゾロで、常なら"何だと、コラ"という剣突き合いが始まるところだが、今日の場合は苦笑で収める。和やかにメニューなぞ取り沙汰しながら部屋を出た皆を見送って、胸板の前側になっている背もたれの上へ腕を乗せ、再び…無心に眠り続ける船長殿の寝顔を見やった。ここ一番に頼りにもなるが、人騒がせも十八番の、相変わらずに困った奴だ。けれど…いや、そんな"だから"なのか、これだけの様々な個性を一つところに集めてしまった奴でもある。
"先々でも何かと苦労させられるんだろうな。"
 剣豪の吐息混じりの苦笑が、だがちょっぴり楽しそうに見えたのは、これもまた余裕なのだろうかしらね。今日も今日とて、騒動には困っていない"ゴーイングメリー号"であったとさ。

               〜Fine〜  01.6.16.〜6.18.

     *Morlin.のWebデビュー作でございます。
      こ〜んな長い話をいきなり送りつけられて、
      さぞかし紫苑さんも戸惑われたことでしょうね。
      いつも丁寧に対処してくださって、本当にありがとうございます。
  


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