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│ 「向山型国語で試みる漢詩の授業」                                   │
│  〜私の課題〜                                               │
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  神奈川県立向の岡工業高等学校 定時制   中川 とも子(TOSS若葉)

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│ 向山先生の『俳句の授業IN上海』(明治図書)に感動した。                    │
│ 授業の中で、中国の小学生達は「日本の俳句は、中国の漢詩との深い関わりの中で   │
│生まれてきた」ことを知った。                                       │
│ 彼等は、同じ漢字文化圏である日本と中国の、文化のつながりを理解したのである。    │
│ このような授業を作りたい、と思った。                                  │
│ とはいえ、日本の生徒達に教えるのである。                              │
│ 「漢詩を理解させるのに俳句を持ってくる」という、向山実践の逆パターン(こ           │
│れはこれで挑戦してみたい実践ではあるが)だけでは、対処できない問題がある。       │
│ 以下、構想段階ではあるが述べる。                                   │
│ 実際の授業では、これらのうちのたった一つでも、クリアーできるようにしたい。       │
│ 何より、「漢詩は面白い!」と思ってもらえる授業を提案できれば、と考える。         │
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@「説明をしない」授業へ
 現代文より古文、古文より漢文のほうが、「説明中心の授業」に陥りやすい。
 私自身が高校時代に受けてきた古文・漢文の授業も、そうだった。
 なぜなら、語句の意味や用法、文法(句法)はもとより、その時代の背景や、独特の習慣を知らなければ、内容を理解できないケースが多いからである。
 いきおい、教師はあれもこれも、すべてを説明によって分からせようとする。
 しかし、向山先生がおっしゃるように、
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│  下手な説明、すればするほどわからなくなる。     │
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 むろん、説明をゼロにすることは、きわめて困難であろう。しかし、
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│  脱・『説明中心の漢文の授業』    │
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は、ぜひ試みたい魅力あるテーマであった。実現のためには、次の二つが不可欠である。
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│ (1)いかに「指示・発問」で授業を組み立てるか       │
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 音読100回。すべての言葉を辞書で引く。見開き2ページ100問の発問づくり。
(私は50問しか作れなかったが・・・)←その後100問作りました!
 その上で、指示・発問を吟味しないと、授業が成立するようには組み立てられない。
 もちろん、分析批評や一字読解は、有効な手段の一つである。
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│ (2)いかに「説明」を「語り」にするか        │
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 向山先生の授業「メイク・ア・ウィッシュ」や、「俳句の授業IN上海」では、1分以上の「語り」が入っている。
 しかし、描写性のある、知的な「語り」は、生徒を授業に引き込む。
 「説明」と「語り」との違いは、奥が深い問題である。少しでも「語り」に近づけたい。
  
A「詳細な読解」に傾きすぎない授業を
 一つの詩を何時間もかけて、じっくり解き明かす授業も大切である。
 一方で、これからの授業に必要とされるのは、次のような要素であろう。
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│ ・パッと読んで、全体の構造をつかまえる                 │
│ ・ポイントを絞って理解する                         │
│ ・多読する ← 結果的に、力もつく、好きになる。           │
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 実現のためには次の二点が必要である。
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│ (1)一つでも多くの漢詩を暗唱する     │
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意味はよく分からなくても、暗唱することで、リズムや語彙が増えていく。
 極端な話、読解の時間数を減らしてでも、暗唱できる詩文を多くした方がいい。
 「向山学級詩文集」の中には、漢詩文も数編、載せられている。
 石井式漢字学習の中には、幼稚園児に漢詩を暗唱させるメニューがある。
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│(2)いくつかの詩を「ストーリーのある」「流れるようにつなぐ」授業展開で             │
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 向山先生の「俳句の授業IN上海」では、(中国の子ども達に俳句を理解させるための布石として)いくつかの漢詩の一部分が、効果的に並べられていた。
 「何も全部を教えなくてもいいのだ」と、大きな衝撃を受けた。
 ストーリーのある、流れるようにつなぐ授業展開は、「漢字文化の授業づくり」と共通するものがある。
 ただし、単に「春の詩」「シルクロードに関する詩」というテーマ設定で、いくつかの漢詩を並べたところで、力のある授業展開にはならない。(ということが今回分かった)
 「題材探し+授業構成力」=今後の課題 である。

Bイメージしやすい題材の選定を
 暗唱教材としては、教科書に載っているものなら、どれでも好きなものからでかまわないと思う。(もちろん、教科書に載っているもの以外でも、素敵な詩はたくさんある)
 しかし、内容を理解させるとなると、話は変わってくる。私の今の考えは、こうだ。
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│パッとイメージしにくい言葉があまりにも多い詩は、だめ。               │
│(少なくとも入門期は。) 「難しい」と思われたら、アウトである。           │
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 長編、日本語にないような難しい漢語、固有名詞、現代中国語的な用法、あまりにもつかみにくい比喩、典故(もととなる別の話や詩文)を知らないと理解できないもの・・・・。だめ尽くしである。しかし、以下の詩は比較的親しみやすいと思われる。
 『詩経』より       「桃夭」
 李白(りはく)      「静夜思」
 杜甫(とほ)       「絶句 其の二」「春望」
 王維(おうい)      「鹿柴」「元二の安西に使ひするを送る」
 孟浩然(もうこうねん)  「春暁」
 王翰(おうかん)     「涼州詞」
 柳宗元(りゅうそうげん) 「江雪」
 蘇軾(そしょく)     「春夜」
  漢字の連なりを見て、情景がイメージできるようになるには、頭の中に<回路>が出来る必要がある。
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│親しみやすい教材とは、すなわち、情景がイメージしやすい教材なのである。     │
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これらの詩は、情景がイメージしやすい。暗唱させたり、注を付けていくつかの発問で問うのに、他の詩に比べて大きな困難がない。
 一旦<回路>が出来てしまえば、他の漢詩を読むのもそれほど苦ではなくなる。

C「訓読のルールを教える」だけではなく
・何が何でも訓読文(漢字にカタカナの送りがな、レ点や一・二点がついたもの)
でなくてもよい。目的に応じて使い分けてよい。
・必ずしも旧字体・歴史的仮名遣いでなくてもよい。
新字体・現代仮名遣いで読解のハードルが下がるなら、それを用いてよい。
・白文(漢字のみ。原文)を、パッと見せることがあってもよい。
・逆に、書き下し文(漢字かな交じり文にしたもの。日本語表記)から授業に入るのも
よい。 白文は最後に見せる。私自身、大量に読む時は書き下し文で読む。
・もちろん、訓読のルールをゲーム感覚で身につけるのは、生徒は好きである。
ただ、あれもこれも、慣れないことを一度にさせられるから、漢詩・漢文嫌いになってしまうのである。
 
 以上、気づいた問題をあげてみた。
 漢字文化の共有と中国文化を理解するための、一つの手段として、「漢詩の授業」が
どこまで可能性を広げられるか。非力ながら挑戦してみたい。


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