カーライル城
Carlisle


カーライルの町は、スコットランドとのボーダーに近いところにあります。今でこそ「イングランドとスコットランドのボーダーはどこか?」と聞かれれば、「ツウィード川かなあ?」と答えることができますが、カーライル城が建てられた中世の時代には、明確な境目はありませんでした。イングランドがエディンバラ近くまでの侵略に成功したかと思うと、別の戦争ではランカスター城がスコットランド人に占領された、といったように、何度となく起こるスコットランド人とイングランド人の争いのため、両国を隔てる国境は流動的でした。カーライル城

イングランドの仇敵であるフランスと仲が良かったスコットランドは(敵の敵は友、ということか?)、イングランドがフランスと戦争に入ると暗躍を始め、イングランド国王にとって北部の守りは頭の痛い課題でした。イングランド北部の守りは、ロンドンから派遣された軍隊ではなく、北部貴族の者たちと彼らに属する者たちに任せることで、北部の防衛問題は一応の決着を見ました。そのため、常にスコットランド人の脅威にさらされて国境地帯を守ってきた北部の地元貴族たちは、次第にイングランドで大きな力を持ち始め、国王にすら影響力を持つようになっていきます。いとこであるリチャード2世を廃して王位についたヘンリー4世の成功の裏には(1399年)、イングランド北東部の大貴族パーシー家の援助がありましたし、ランカスター家のヘンリー6世を廃して玉座に就いたヨーク家のエドワード4世の裏には、「キングメーカー」と呼ばれたネヴィル家のリチャードの助力がありました。

何世紀にもわたってスコットランドとの争いにさらされてきた北部には、そのためにたくさんの強固なお城が建てられました。カーライル城もその一つであり、このお城が歩んできた歴史も、その他の北部のお城と同じように、スコットランド人による侵略、イングランド人による奪還の繰り返しでした。

木製の簡素なカーライル城は、ウィリアム征服王の息子であるウィリアム・ルーファスによって建てられ、その後王位についた彼の弟のヘンリー1世の命によって、この城は城壁を持つ石造りの城へと作りかえられました。カーライル城は、1136年から1157年の間スコットランド人に占領され、その後イングランド人の手に戻った後も、1173年から1134年にかけてスコットランド軍に包囲され続けました。また市民戦争の時代とジャコバイトの反乱の時代にも、スコットランドの手に落ちたことがあるそうです。波乱万丈の歴史を歩んできたカーライル城ですが、現在はイングリッシュ・ヘリテッジの管理となっています。

カーライル城は、カーライル駅から歩いておよそ10分ほどのところにあります。有名なハドリアヌスの壁へ行く途中に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?


カーライル城の公開期間と時間 4/1〜9/30 9:30am-6:00pm
10/1〜10/31 10:00am-5:00pm
11/1〜3/31 10:00am-4:00pm
12/24〜26&1/1 Closed
                                       

カーライル城の入場料:大人3ポンド、学生2.3ポンド、小人1.5ポンド

*上記はいずれも1999-2000年現在。






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