ソールズベリ
Salisbury



ソールズベリの町は、ここから4キロほど離れたところにある“オールド・セーラム”と呼ばれる、鉄器時代から砦が築かれていた丘に追ずる新市街“New Sarum”として作られたという歴史を持ちます。

ストーンヘンジ観光の拠点となるソールズベリには、中世時代から続く古い町並みと、イングランドで最も高い尖塔もつソールズベリ大聖堂があります。1220年に建設が始まり1258年に完成された大聖堂は、その後123メートルの尖塔を持つ現在の姿となりました。大聖堂の内部では美しいステンドグラス優美な曲線を描く天井などに息をのみます。また、ソールズベリ大聖堂には4つしかないオリジナルのマグナ・カルタのうちの一つがあります。でも、ラテン語で書かれているので、見ても全然何が書かれているのか分かりませんでした…。

余談ですが、ばら戦争とヘンリー7世を卒論のテーマとして学んでいた時に、ソールズベリの町の名前が何度か出てくることがありました。1483年4月、エドワード4世の急死により、平穏を取り戻していたかに見えたイングランドに、再び不穏な空気が流れ始めます。エドワード4世には二人の幼い王子たちがいましたが、叔父であるグロスター公リチャードに恐らく秘密裏に暗殺され、リチャード自身がリチャード3世として玉座に就きます。

それから時をおかずにして、イングランド南部を中心にした反乱が起こり、リチャードの腹心の部下であったバッキンガム公が彼に反旗を翻すことになるのですが、反乱に失敗して捕らえられたバッキンガム公が処刑されたのが、ここソールズベリの町でした。イングランド大貴族の一人であり、リチャードの王位簒奪劇の立役者と思われるバッキンガム公がなぜ短期間でリチャードに反目するに至ったのか、現在でも謎のままです…。

また、そんなリチャード3世とヘンリー・チューダー(のちのヘンリー7世)が、イングランド王位をかけて直接相対したボズワースの戦いの際(1485年)、リチャードは「あと1歩!」というところまでヘンリー・チューダーを追い詰めることができたそうで、その時命を落したヘンリー側の騎士(騎士見習かもしれない…)の棺がソールズベリ大聖堂にあります。旗持ちとしてヘンリーのそばにいた騎士だそうですが、リチャードは本当にぎりぎりのところまでヘンリーに肉薄していたってことなんですね…。よく勝てたもんだ、ヘンリー…。



ソールズベリへの行き方:ロンドンから電車で約1時間半ほど。
ストーンヘンジへは、ソールズベリ駅前からツアーバスが出ています。




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