岩東グラフティ

 このページは思いで深き 北海道立岩見沢東高等学校 のグッズ&写真集です。
皆さんも何か「お宝写真」ございましたらご連絡を。
このページには「岩東校歌」のBGMが埋め込まれています。聞こえない場合は
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【その1】 1971(昭和46)年当時の岩東校舎です。木造モルタル2階建てという、北海道開拓史を彩りそうなモダンな校舎でした。写真右側にある付属図書館(鉄筋コンクリート3階建て)の新しさが妙にアンバランスでしたね。この校舎はご存じのように取り壊されてしまい、今はありません。この写真じゃ小さすぎて…と言う方は、写真をクリックしてください。別ウィンドウで大きな写真を見ることができます。


【その2】さて下のすりきれそうな楽譜こそ、生徒会報の巻頭を飾った校歌「我がたましいの故郷」です。
会報をスキャンしてしかも縮小ですからとても読みにくいのは承知。時代を感じさせるため、あえてそのままにしました。どなたか音楽関係に強い方、ちゃんと書き直していただけませんか?


2000年にHPが開かれてから6年、やっと「ちゃんと書き直して」いただける方が登場しました。
KEIKOさん(小西恵子さん)です! どうもありがとうございました!




【その3】さあ、覚えていますか、岩東名物、夏の夜の夢、学校祭の夜を彩るファイアーとフォークダンスですよ。
こんな時だけでした。あの彼女(または彼)の手を……。ウブでしたね〜。

【その4】さてさて、このページでしか見ることのできない超「お宝」のひとつ、岩見沢周辺の鉄道地図ですよ。
ご覧になればお分かりのように、すでに廃線となった「幌内線」「万字線」などがちゃんと載っています。懐かしいですね。
実はこれ、昭和36年(1961年)当時の国鉄の時刻表から採ったものです。ページ作者の趣味で購入した「復刻国鉄時刻表」より。

【その5】これまた懐かしの授業風景…ではありません。よくご覧になれば、一心不乱のお弁当タイム。私の記憶に間違いがなければ、これはお昼休みではなく、2時間目の授業が終わった後のはず。そうです続に言う「ハヤベン」のスナップなのです。

【その6】そうです、これこそが本当の授業風景です。その証拠にちゃんと眠りに入っている方もおられるようですし。
いったい何の授業だったのか全く記憶にありませんが。



【その7】さてギターの伴奏でみんなでフォークソングを歌う、当時の“お決まり”パターンですが、
あの歌声がよみがえってきますね。文化祭にて。


【その8】修学旅行の京都、某寺にて。生まれて初めて新幹線に乗った人も大勢いました。
実はページ作者もそうでした。それにしても青函連絡船・夜行急行列車を乗り継いでの旅は
今考えるときつかった……。

【その9】当時、岩東の文化祭で行う仮装行列は岩見沢市内の年中行事で、これを
楽しみにしている住民の方も多かったと聞いています。




【その10】“文化”だけじゃない、スポーツだって岩東は良い線行っていたようです。これは
たぶん体育祭。屋外バレーボール……これをやると土埃まみれになってしまうんですよね。


【その11】今は無き木造校舎の当時の放課後、木枠の窓、木製の机とイス。
なにか無性に懐かしいですね。あの当時ここでどんな話をして、どんなことを考えていたのかと。


【その12】そうそう、忘れちゃいけない。下は仮装行列の写真だけれど、実際にこんな
シーンもあったんです。まさにそんな時代でした。写っているのはページ管理人です。



【その13】下の写真は卒業アルバムには載っていません。2000年に他界した
宮本良彦氏の遺品から見つかった1枚です。自分で撮影して自分で焼いたもののようです。
奥さんの政子さんからいただきました。
修学旅行なのかどこかの遠足でのスナップなのか、今でははっきりしませんが。