ゆうもうと読む。しかし仏教語としてはゆみょうと読まれる。
勇猛心、勇猛精進と熟語されて、勇ましくたけだけしく励む意味。
臘八示衆の第五夜に「参禅は只但勇猛の一機のみ」と出る。
中村元著『佛教語大辞典』にはゆうみょうと読みがついている。『禅学大辞典』には、ゆうもうと読まれている。道場で修行中に柴山全慶老大師がいわれたのは、ゆうみょうであったと思います。『無量寿経』に「勇猛の精進、志願は惓むことなし」と出る。たけく勇ましく励めば志願はやすむことがないだろうということです。漢字の字ずらを見ても勇ましくたけだけしい様がうかがえます。
私が修行道場に入ったときは、大接心が年に七回程ありました。大接心になると、一週間は一歩も外へ出ずに坐禅三昧になれるのです。道場の門には「面会謝絶」と書かれた看板まで掲げられている。大接心の中でも一番大事な接心は臘八の大接心であります。釈尊が菩提樹下で悟りを開いた日にちなみ、その恩徳に報いるために十二月一日(正確には前の晩)から八日の朝までを一日として、昼夜をわかたず、また横になってねることもなく、ひたすら坐禅するのであります。
当時の柴山全慶老師は七十歳頃でありましたが大変お元気で、臘八中も雲水と同じ時間に行動を共にされました。私が道場に入門したのは十月でしたので、大接心の経験が浅いまま十二月の臘八の接心になりました。新到であったため、総参以外はほとんど坐わったままなので、足が痛いばかりで、一週間がまたたくまにすんだ思いがします。しかしこんなにつらいのは一回で十分だと思ったのに、何回か経験してしまいました。臘八中に老師の提唱には、定例の提唱のあとに、「臘八示衆」なるものが提唱されます。これは白隠禅師が晩年提唱されたものであります。その第五夜の示衆にこのような話があります。
静岡県の庵原に平四郎という青年がおりました。不動尊の石像を彫刻して、吉原山中の滝のそばに安置しました。滝の落ちるのを見て、泡がすぐ消えるのもあるし、二間、三間と遠くへいってから消える泡もあり、ひょっとそれを見て、だれでも見ている泡なのに平四郎は無常感を起こしました。人間も生まれて赤ん坊のうちに死ぬ人もいれば、70,80 までも生きる人もいます。そこで平四郎はいても立ってもいられなくなりました。 そこで大憤志を起こして一人浴室に入って、中から鍵をかけて背骨を真っすぐに伸ばして、坐禅のことは何も知らないが、目をみはって何もまじり気のない坐禅を続けました。八万四千というたくさんの妄想が蜂のごとくにわき起こってくるが、ムーッと無相定に入り、夜明けにスズメの声がひょっと聞こえて、そうして自分の体がなくなったようになり、両眼が飛び出して地上にある。その目が自分をにらんでいる。手を握っているものだから爪が食い込んで痛いのを感じたら、両眼も元のようにもどり、手も足も自由に動くようになりました。
とうとう三日間もこんな状態が続き、三日目の朝に至って、顔を洗って庭に樹を見ると、いつもと違っている。どうもおかしいというので隣の和尚さんにたずねてみたが分からないので、「原へ行って白隠さまに聞いてみなさい」
と言われたのでしょう。白隠さまに会いに行く。 白隠さまの出される公案もスラスラと透過した。そこで白隠さまは皆に向かって言われました。
「彼は参禅の字も知らない、坐禅というものはどんなものなのかも知らない普通のひとである。しかしたった三晩にしてこのように勇猛の一機で妄想と相戦って勝つことが出来た。怠けているもはいつまでたってもいかん。勇猛心をなぜ起こさないのか。何をぐずぐずしているのか。」
と言われたという。
そして柴山老師はきまって「参禅は只但勇猛の一機のみ」と力強く言われました。当時私は入門して間のない時であり、先輩の修行僧がもくもくと座っている姿を見て、おおいに発奮させられたときでありました。
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