日々是好日(にちにちこれこうにち)
     雲門禅師 八六四?〜九四九。中国五代の禅僧。浙江 省蘇州の生まれ
     中国の禅宗のひとつ雲門宗の祖。 青原行思系統の禅を学び、広東省に
     ある雲門山で修行 して一宗をたてた。著書に『雲門匡真禅師広録』がある。

 最近よく耳にする言葉である。文字を直訳すれば、毎日が良い日でありますように、毎日が幸せでありますように、となる。しごく簡単に受け取られやすい言葉であるが、そんなに都合のよい言葉ではない。
 中国の唐の時代に書かれた 碧巌録(へきがんろく) という本の六番目に出てくる話に、

   「雲門垂語して云く、十五日已(い)前は汝に問わず、十五日已後、一句を道(い)い将(も)ち来たれ、 自ら代わって云く 日々是好日 」

 過ぎ去った過去を振り返って見るのではなく、これから先、どのように生き方をし、どのような心持ちで生活をしたら良いのかを、雲門禅師は問うて 日々是好日 と言われているのである。
 昨年の夏はことのほか暑い日が続いた。 こう暑いと暑さが大変憎らしく思われる。真冬の寒さが恋しくなる。しかし真冬になって毎日雪の降る寒い日が続くと、夏が恋しく、夏の暑さぐらい耐えしのげると思ってしまう。はてさて何が寒いのか、何が寒いのか…・
 私たちは夏の暑さも冬の寒さも定まったものとして受け取っているだけのことである。日でりが続くと雨が待ち遠しく、雨ともなればその雨は恵みの雨と変わり、梅雨の長雨はとてもいやなものである。それぞれ雨であるが、こうも受け取り方が違ってくるのである。 昨日までしていたことが、今日はそれが悪いことになってしまうことさえある。何が良いことか、何が悪いことか、本当のきめてはなくなり、良いことも悪いことも、また暑いも寒いも一度に捨ててしまえと、雲門禅師は言われているのである。
 先日、檀家へお彼岸の読経に行った。家業は薬局。化粧品も扱っているその店先で、そこの娘さんがお化粧の仕方を教わっていた。まだ高校生なのになあと思いつつ、仏間へと向かった。読経が済んで奥様と話をしていたら、娘さんが学校の文化祭で主役のカルメンを演じることが、夏休み前から決まっていたという。しかし自分はやりたくないが、皆の推薦でいやいや引き受けてしまった。夏休み中このことが頭から離れず、恥じをかきたくない、という一心で憂うつな日が続いた。九月に入り、皆と顔を合わせてからは 「いっそ、同じ恥をかくのなら演技を派手にしよう」 と思った途端、急にやる気が出て、もっかお化粧の仕方を習っているのですよ、と話された。母親も衣装を縫うやらで何やら急に忙しくなったと目を細めておられた。
 帰りに店先をのぞいてみたら、まだお化粧は続いていた。これから先、まだ学園生活には良いことも辛いこともあると思われるが、乗り切っていけるだけの力を身に着けて欲しいと思いつつ、帰路に着いた。
 このように、与えられた役に打ち込むことによって、いやだと思っていることも良い方向に変えることができるのである。
 松原泰道師は「今・ここ・わたし」ということをよく言っておられる。今・この時点に心をおいて生きよ、今日一日をしっかり生きよ、と言う意味である。過去を思い出して思い悩んでいては心が過去にあり、今を生きていない。また、まだきていない未来のことに対して心を悩ますのも心が未来にいっており、現時点を生きていないことになる。今を生きよというのは、この現時点に心をおいて生活せょ、ということである。
 私は現在、仏教情報センターという所に籍を置いている。このセンターは十年程前に設立され、各宗派の僧侶が集まり、東京を中心に活動している。主な仕事は「仏教テレフォン相談」である。開設当時は法事の相談、例えば、七年忌を迎えるのにどのような準備をするのか、お布施はどのくらい包むものか、また、お墓にまつわる諸問題が多く寄せられた。最近はそれ以外に人生問題が多くなり、私たちが経験すらしたことのない相談ごとを問われ、慌てることさえある。
 昨年、大学三年生の学生よりこんな相談があった。「来年就職試験を受けるのですが、どうも勉強に手がつかない、どうしたらよいのでしょうか」。
 聞いてみると、入社試験を受け、入社しても自分はせいぜい課長どまりだろう、そして停年を迎えて退社する。自分の人生はお先が見えている。それを思うと、どうしても勉強ができない、と言う。それなら「あなたは今、何をしなければいけないのですか」と問うと、暫く時間をおいて、「やっぱり入社試験の勉強かな・・・」と答えが返ってきた。つまり彼はまだきていない未来のことに対してもう悲観している。先程申したことにあてはめれば、未来に心がいってしまい、今を生きていない。死んでいるのと同様である。私が問うたことによって、やっと未来にいっていた心が、段々現在に戻ってきたのである。死んだ世界から生きた世界に甦ったのである。
 今を生きるということは、今、与えられている仕事、彼にすれば就職試験に対する勉強。これが今を生きることであり、この毎日が「日々是好日」ということである。今それをしなければ、自分の描いているような暗い未来になってしまうだろう。しかし今、現時点のものごとに打ち込んで勉強しておれば、明るい未来になるだろう。このように私は彼にアドバイスをした。
 私の好きな和歌に、
     「この秋は 雨か嵐か知らねども 今日の務めに田草とるなり」 (二宮尊徳) 
 というのがある。まだきていない秋の天候を心配するより、今日なすべきこと、今なすべきことに全力を尽くしていくことこそ、自分に与えられた今日の務めなのである。
 今から三十年程前に、京都の南禅寺の管長をされていた柴山全慶老師という方がおられた。老師は大変花が好きで、特に椿はご自分の庭に百本以上も植えられていた。移植からせんてい
努定まで全てご自分でなさる。ある日老師の留守中に本山の方がこられて、椿の花を「一枝ぐらいなら分からないだろうから」と言って切っていかれた。その日の夕方、例によって庭を散歩された老師が「今日は誰かこられたのか」と聞かれ、そばにいた私は冷や汗の出る思いをしたことがある。夏には朝夕の水やりが大変であったが、今では良い思い出となっている。
 老師の作られた歌に「花語らず」というのがある。

  花は黙って咲き、黙って散って行く。
  そうして再び杖に帰らない。
  けれども、その一時一処に、この世のすべてを托している。
  一輪の花の声であり、一枚の花の真である。
  限りない生命のよろこびが、悔なくそこに輝いている。

 花を愛した老師らしく、花をよく観、いとしまれる姿が目に浮かぶ詩である。一方花は、その美しさを誇示しょうとして咲いているのではない。人間が見ていようと、見ていまいと、一生懸命咲いている。何ものにもとらわれることなく咲いている。そして大輪の花を咲かせるとさっと散っていく。あっさりしたものである。
 老師のこの歌の中に 「一時一処に、この世のすべてを托している」 とある。
 松原泰道師は、この言葉を「今・ここ」と表現されている。今・ここにこの世の全てを托して花は咲いているのである。一生懸命咲いている姿に私たちは感銘し、そして見習うべき姿だと思われる。
 仏教情報センターのもう一つの活動に「仏教ホスピスの会」がある。ホスピスはもともとキリスト教の活動であるが、「仏教ホスピスの会」の代表をされている方は、十三年間ハワイで布教の仕事をされて、向こうでホスピスの活動を実際にしてこられた、浄土真宗の僧侶である。日本でもホスピス運動を始めよう、ということで活動の一つに取り入れた。病人の治療はお医者さんや看護婦さんがあたり、精神的な苦しみ、悩みをホスピスで聞いてあげ、アドバイスをする活動である。毎月第一土曜日の午後から都内の寺で、会合を開いている。お医者さん、看護婦さん、ガンの愚者さんとそのご家族の方、そして僧侶、合計六十名以上の熱心な方々が集まり、医療現場でのお医者さんの話や、看護婦さんの話、そして患者さんの話、僧侶の話など、その立場に置かれている者が話す会合である。話のあとは幾つかのグループに分かれて引き続き話し合いをする。
 昨年の会報には、会員の方々のなまなましい体験が載せられている。

  −−ガンで亡くなった、ある人の残した日記の中に「すでに自分が助かる見込みのないガンに侵されていることに気づいておりながら、懸命に嘘をつき、励ましてくれる
  家族のために何も言えなかった」と。そして残されたこの方のお子さんも「最後まで
  病名を隠し通し励ますだけで、本当は心から伝えたかった感謝とお別れの言葉を言え
  なかったことが、今になって悔やまれる」と。

  このような状態で不幸にして亡くなると、両方に悔いが残ってしまう。それではあまりにも酷である。それなら患者も家族の者もガンであることを知って、家族皆で励まし、一日一日を大事にする生活にもっていけたら、すばらしい 「日々是好日」の実践ができると思われる。ガン愚者で、あと二年の命と告知されたという婦人が会場にご夫婦で来られ、自分の経験が役に立つのでしたらお話ししましょう、と言って体験談を明るい口調で披露されたことがある。
 どんなに悲しいことでも、ありがたいという感謝の心をもって受け入れるならば、一日一日を好い日として送ることができると思う。文章を書くことは大変苦手である。けれども書くチャンスを与えてくれたことに感謝し、「今・ここ・わたし」 でしかできない、今・この時点に自分をおいて今回、勉強させていただいた。

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