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傘なのか・・・雨なのか・・・?
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2003.8.16
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現在、横浜ランドマークタワーでは
オープン10周年を記念して、いくつもの記念企画をやっている。
その中のひとつにウォータードームプロジェクトというのがある。
(8月24日までなので興味有る方は至急どうぞ)
それはランドマークタワーの1階にあり、
右の写真にあるように人の入れる大きさの
水のドームが構成されているのだ。中心の軸を昇ってきた水が軸の頂点から
横に向けて水が放射されドーム状になっている。
噴水にただならぬ癒しを感じてしまう私なので、
写真での紹介を初めて見た瞬間、躍るほどのトキメキを覚えた。
そしてきょう、実際にランドマークタワーへ足を運び、
間近で見、もちろんドーム内にも入った。
あ〜しかし、しか〜し、夢見たほどの感動は得られなかった・・・。
だって、水の落ち方が汚いんだも〜ん!
私が期待していたのは、水のドームが形づくる水膜はゆらゆら揺れるガラスのようで
あって、水がジョボジョボと落ちていくようじゃダメなのだ!
頂上付近は、なんとか水の膜といえる美しさがあったのだが、
下に向かうにつれて水勢は衰えて斑ができてしまい、
水はジョボジョボと玉のように落ち、
膜とは言えない隙間だらけのドームになってしまっている。
おまけにドームの周囲は水浸しで絨毯もシミだらけ・・・。
築れた堤防も不十分・・・。
う〜ん、もう少し水の膜にこだわって欲しかった・・・。
もしくはそれが無理ならば、
頂上からいきなり線状に放射してもきれいだったのではないか、とも想像する。
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空に咲く花
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2003.8.10
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8月になってようやく梅雨が過ぎ、その直後台風10号が日本列島を舐めた。
そしてこの日曜日、東京湾大華火大会に合わせるように東京地方は快晴。
慌しい天気を一掃する透明感のある天気に恵まれ、
まさに花火に相応しい夏の日となった。
午後4時ごろ、地下鉄大江戸線勝どき駅から晴海の会場へ向かった。
同じく花火目当てであろう人の群れに流されて、会場に到着。
花火の開始まで3時間もあるというのに、会場である駐車場スペースは
ほぼ場所取りがされており、端のほうが辛うじて空いているという状態だった。
控えめにレジャーシート敷いて場所を確保するが、
炎天下に加えてアスファルトが熱を含んでいるため、花火開始までは熱地獄だった。
私も連れも花火開始までに挫けてしまうんじゃないかと心配なほどの
暑さだった。その場で買ったアイスキャンディーもみるみる融けだして、
雫をしたたらせる・・・。
夏の海辺の夕暮れ、花火大会となれば・・・
沈みかけた夕日の反射が海面をさざめかす中、
婦人たちが浴衣の裾を海風に遊ばせる。
そしてヒグラシがカナカナと鳴き始める中、花火が夜空を彩り、た〜まや〜・・・
なんて風情のある風景を想像したいのだが、
私たちが陣取ったところは海が近いのに海が見えない場所で、
見えるのは空と人、人、人・・・。
別の会場へ向かう行列、臨時に設けられたトイレを待つ行列、そして
敷き詰められたレジャーシートの上に敷き詰まってる人々。
こんなに人が集まったら地盤沈下してしまうんじゃないかと、
ちょっと大げさな心配もしてしまった。
人ばかりで、蝉も蟻も蚊さえもいない、まさに人が席巻している空間だった。
そして日が暮れて暑さが和らいだ頃、花火の打ち上げが始まった。
打ち上げ場所の間近で見る花火は、見た目の大きさ、
音の大きさ共に迫力があってすばらしかった。
視界の大半を占めてしまうような大きなものは圧巻で、
2秒ほどの時間差で響くドーンという音も特別大きく、
視覚はもちろん空気の振動で聴覚と触覚にも訴える迫力だった。
しかし、そんな大きさに酔い痴れるばかりでもない、
花火の色に関しては少々うんざりしてしまった。
赤、青、緑、紫など、夜空の黒を背景に原色の輝きは単純に美しく見えるのだが、
どうもその原色が安っぽく見えて仕方がない。
そんな花火の色を安っぽく感じるのはなぜなのか、
自分なりに分析して、ひとつの仮説を立ててみた。
「デジタル時代の視覚的弊害」であると考える。
花火の原色が電気的発光に見えてしまっているのだと思う。
単純な色の輝きは、コンピュータのモニターに容易に出せる色に見える。
その他に身近なものに例えると、最近列車や駅でとみに使われるようになった
発光ダイオードの表示器である。赤、緑、橙の3色で列車の行き先などを
表示しいるあれである(最近は青色発光できるものも登場したようだ)。
あの色使いが花火の色とダブってしまって、
花火の色を安っぽく感じるのではないだろうか。
花火を見ていても、発光ダイオードが光っているだけのような
錯覚を感じてしまうのだ。
更に最近ではマンネリ解消のためか、ドラえもんやらタマちゃんやらを
象った花火が登場しているが、花火で具象表現をすればするほど
チープなデジタル表現に見えてきてしまうように思う。
これらの花火を作るには緻密な計算とアイデアが必要なのだろうが、
デジタル表現に慣れてしまった見る側の我々に、
その苦労に見合った感動を届けることはできない気がする。
おまけに花火を見ていると、視界の隅にカメラ付き携帯電話を
空にかざして花火を撮影している姿が入り、
否応無くその液晶画面などの機械的な発光が花火と相まって、
視覚に入るすべての輝きをデジタル的な情報として
認識させてしまうことも否定できない。
とかなんとか難しく考えてみたが、
色以外の、大きさや音の響きはデジタル的とは言えない紛れもないものなので
、花火らしさを充分に堪能することができたわけだが、
ここで余計なお世話かもしれないが花火師さんに提言。
ドラえもんやピカチュウを一生懸命つくるよりも、
もっと音のバラエティを増やしてみてはどうだろうか。
現在の花火は「ヒュ〜」「ドーン」「ザザザザ〜」の3種類ぐらいしか
無いように感じた。これらを創意工夫して様々な音を生み出せば、
新たな花火の魅力ができるのではないだろうか。
そうして空に咲き誇った花々は季節を終えた。
季節が終われば民族大移動である。会場から一斉に人々がぞろぞろと
駅へ向かって大移動を始めた。よくもまぁこんなに人が集まったもんだと
あっけにとられるほどの群れである。日本にはこんなにも人間がいたのかと
驚いてしまう・・・。
地下鉄の駅にもうすぐ辿り着くというところで、長い行列が・・・。
どうやら電車待ちの人々の行列が地上まで続いてしまっているのだ。
炎天下3時間待ちのあとのすばらしい花火でカタルシスを得たのに、
またここで辛苦心労が。帰りの車内の混雑の痛みと暑さはこれまた・・・。
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