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ぼくが会社を辞める理由(ワケ)D
◇
2004.2.16
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・・・・・つづき・・・・・
転職活動というのは意外にたいへんだった。
人材募集に応募して内定をもらうまでには、
こんなにも関門があるのかと驚いてしまった。
まず、履歴書、職務経歴書と作品(複製)のファイルを郵送した。
書類と作品審査を通過すると、あとは面接だけかと思っていたのだが、
そんな甘くはなかった。適正検査、一般常識試験、作文、実技試験1(デッサン)、
実技試験2(色鉛筆による色彩構成)、実技試験3(パースペクティブ)、
そして2度の面接。
正直言って、一般常識試験があるということを聞いて、
内定をもらう自信を無くしてしまった。
新卒採用試験のような関門の多さで気が遠くなってしまったし、
一般常識試験なんてクリアする自信は無かったので、
あぁこの会社に入社するのは無理か・・・と夢が崩れかけたが、
以前から是非入社したいと夢見ていた会社なので、
試験までの少ない時間、できる限り頑張って対策に励んだ。
SPI問題集や一般常識の本を購入したり、
デッサンの感覚を取り戻そうと、
久しぶりに鉛筆を握ってアナログで絵を描いてみたりした。
結果的に採用内定の返事をもらったので、この頑張りは報われた感じだが、
もし不採用になっていたら、疲労困憊でしばらく無気力状態になっただろう。
こうして約2年構想していた私の転職計画は、間もなく完了することになる。
思い起こせば2年前、30歳までには転職をしようと考えていたが、
結局、転職をするのは30歳を迎えたあとになってしまった。
辞めるきっかけを探そうとすると、
タイミング良く私の興味をひく仕事が舞い込んできたり、
意外な会社から誘いがあったり、この2年いろいろあったが、
すべて無駄ではなく良い経験になったと思う。
この経験や思い出を次のステップにつなげていきたい。
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ぼくが会社を辞める理由(ワケ)C
◇
2004.2.15
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・・・・・つづき・・・・・
約2年前から転職を真剣に考え始めてから、
社内や社外の知己に私の転職したい意向を少しずつ話してきた。
するとうれしいことに、2社から、うちで働かないかと
声をかけてもらった。
まず1社目は、大学合格を目指して頑張っていた予備校時代からの友人で、
大手のゲーム会社に勤めている人から声をかけてもらった。
コネがきくというというので、とりあえず話を聞いてみた。
その大手の会社は組織改変があり、ちょうど人材が足りなかったようで、
ゲーム制作経験者を探していたそうだ。更に詳しい話を聞いてみると、
スポーツゲームを中心に制作していく方針の会社で、
私が初めて制作に係わったスポーツゲームのシリーズも手がけるようで、
その会社のスタッフには当時お世話になった面々もあった。
一緒に仕事をした経験のあるスタッフなので、
仕事の進め方はある程度わかっているし、気心知れた友人もいるということで、
なかなか魅力のある話だと思い、ひとまずその会社の社長と会食の機会を設けてもらった。
お酒を飲みながらではあったが、社長と会食するのは非常に緊張する席だった。
おおまかな仕事の方針などを話したり、雑談したりしたが、
やはりスポーツゲームをプロデュースしていく会社なので、
スポーツに関する話題が多くなった。その社長もかなりのスポーツ好きの様子だった。
あまりスポーツに明るくない私にとっては、話題に相槌を打つことがなかなかできなかった。
最後に社長は、入社のことをゆっくりと考えてみてくださいと、優しく言ってくれた。
技術力があるこの会社で働くことは、自分にとってスキルアップにつながるし、
世界を見据えることのできるブランドも持っているので、
たいへん働き甲斐のある職場だとも思ったが、やはりスポーツというジャンルが
私の心に引っかかってしまった。ゲーム制作において、クリエイターの情熱というものは
ゲームを良質にすることに大きく貢献するものだと私は思っている。仕事として割り切って、
スポーツゲームを制作することはできると思うが、
情熱をもったスポーツ好きなスタッフの中に混じって、
果たして私は彼らとうまくやっていくことができるのか、
そして社内の誰よりもスポーツゲームに対するイイ仕事をしていけるのか。
そのあたりにイマイチ確信できるものがなく、結局この会社への入社の話は辞退した。
2社目は、ゲームのジャンルとしては申し分のない、私にとって興味深い時代劇を
扱うゲーム制作会社だ。この会社は、現在私が在籍する会社と関係が深く、
何度か仕事の手伝いもしたことがあり、仕事の進め方も雰囲気も認識している。
逆に私がどんな仕事っぷりかも知っている。
その仕事っぷりを認めてくれていたようで、その会社の取締役の人が、
私の転職願望のウワサを聞きつけたらしく、声をかけてくれた。
給与も現状以上を出してくれそうな様子だったが、ひとつ問題があった。
それは、現在在籍している会社以上にこの会社は、タバコに対して無法地帯なのだ・・・。
この問題さえ解決されれば入社を考えてもいいのだが、
残念ながらこの会社も、タバコ問題を解決する気配はない。
私は、自らが動いて転職活動を始めることにした。
・・・・・つづく・・・・・
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ぼくが会社を辞める理由(ワケ)B
◇
2004.2.14
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・・・・・つづき・・・・・
前回は中国ゲーム市場に対するアツイ思いを語ったが、
私が会社を辞める理由はそれだけではない。
こまごまとした理由が積もった結果の退職でもある。
今回はちょっと後ろ向きな話。
ここで述懐するに足らないこともあるし、
ドロドロしすぎて言えないこともあるし、
インサイダー取引を助長することは言えないので、
愚痴程度に紹介すると、
まず、慢性的にこの会社イヤだなぁと感じていたのは、
タバコに関して無法地帯であるということ。
世の中は喫煙者に対して厳しい流れになっているのに、
社内は旧態依然で嫌煙者には居辛い空気が充満しているのである。
一時期は配慮のある動きがあったが結果的にあまり効果は無く、
今も、帰宅しても衣服にタバコ臭がついているという耐え難い状況が
続いている・・・。近いうちに改善するとは思えず転職を選択することで
私の中で解決することになる。次の会社については、
室内は禁煙であることをしっかり確認をとっておいた。
また、上海へ出張へ行ったときにイヤだなぁと感じたのは、
自分が所属するプロジェクトによって、出張手当の金額が違うことである。
別のプロジェクトで上海へ出張に行った人の金額は、私のもらった金額の
なんと2倍なのである。この差は大きすぎると思う。
しかし2分の1の金額でも充分な金額だったし、
プロジェクトの方針というのもあるだろうから、
そのへんは目をつぶってもいいのだが、耐え難かったのは、
海外旅行保険の費用をケチることである。
会社の仕事で行っているのに、自腹で保険をかけて行くのは
なにかおかしい気がするし、私の出張が大詰めになったころ、
「イラク戦争」や「謎の肺炎SARS」が、
メディアで毎日のように話題になっていた。
(でも当時、インターネットで見る日本からの
ニュースでは中国でもっとも感染者が出ているというのに、
当の中国のメディアではSARSは気持ち悪いくらいに
まったく報道されていなかった。恐るべし中国政府!)
こんな危険度が高い中で、心細く異国で仕事に従事しながら、
自腹で海外旅行保険に入って、風邪をひきながらも頑張っている自分が
とても惨めになってきて、この会社で海外出張はもう行きたくないと思った。
まさに命がけの仕事なのに、会社は保障してくれないなんて・・・。
さてさて、辞める理由には、もちろん人間関係でイヤだなぁと感じたことも含まれる。
この問題はどこの会社へ行ってもあることだが、辞める理由のいくつかにあたるのは
間違いない。この会社には、私に辞めたいと思わせた人が2人いた。
お、誰だ誰だ??
と、期待されたコレを読んでいる会社関係者のみなさん、
ご期待に添えなくてすいません。私はまだこの会社に在籍しているわけで・・・、
この続きはまた日を改めてから。
もちろんイヤだった人ばかりではない。
尊敬する人、信頼できる人、親しみのもてる人、思い浮かぶ人は多い。
しかし、辞めていく人も多い。
この1月にまたひとり尊敬する人が辞めてしまった。
彼の仕事っぷりはすばらしく、彼のデータをみていると、
自分が遠く及ばないと思わせる美しさがあった。
彼がこの会社のゲームグラフィックの質を高めていると言っても言い過ぎではないと思う。
その彼が、とうとう会社のやり方に納得できないと言って辞めてしまった。
彼ともう少し話がしたかった。彼なりにいろいろとあったのだろう。
私も、いろいろとあって、辞めるのだ。
・・・・・つづく・・・・・
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ぼくが会社を辞める理由(ワケ)A
◇
2004.2.11
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・・・・・つづき・・・・・
上海出張の仕事は大きな夢を抱いて臨んだが、
結果的には非常に辛かった。でも様々なことを考えさせられる機会となり、
有意義な面も多くあった。
上海の制作会社のスタッフは、高給取りの超エリートたちだと聞いていたが、
実際一緒に仕事をしてみると、たしかに中国の給与水準からすると
かなり高額な給与をもらいながら、
仕事のレベルは全くといっていいほど使い物にならないレベルだった。
ゲームのためのデータ作りがなんたるかを全くわかってないのだ。
きれいなデータに仕上げようという感覚が全く感じられない、まさに
給料泥棒と評価したくなる仕事っぷりだった。
彼らを指揮しながら、穏やかな性格の私でさえ何度も
「プロ意識を持って仕事をしてください!」と叱った。
(結果、ふたりほどクビにさせちゃった!!!)
中国でのゲーム制作は10年の遅れがあるのかなぁと落胆してしまったが、
仕事をしていくうちに、10人のうち1人ぐらいの割合で、
ずば抜けて仕事のレベルが高い人がいることがわかってきた。
仕事のできる彼らの経歴を聞くと、
ある日系ゲーム企業の中国支社で働いた経験がある人たちばかりだった。
その会社は約16年前から中国に支社をもっており、
ゲーム制作の仕事のノウハウがきっちりと確立してるようだ。
私が出張で行った上海の制作会社も日本の資本だが、設立されて約3年と歴史は浅い。
ゲームの仕事の経験も社員の育成もまだまだ確立されてない印象だ。
現在、様々な分野で注目されている中国市場だが、ゲーム業界でも例外ではない。
中国が大好きな私ももちろん注目しているし、
私の仕事の経験と中途半端に話せる中国語を武器に、
ゲーム業界の中国市場の開拓に一役買いたいと考えている。
中国での成功には、中国人の力が不可欠である。
中国で大ヒットするゲームを作るのは中国人以外にできないと考えてる。
日本人に受け入れられるゲームは日本人しかわからない感覚が取り込まれているし、
アメリカ人に受け入れられるゲームはアメリカ人しか。
同じように中国人に受け入れられるゲームは中国人の持つ感覚なしには生まれないのだ。
日本人の私は、中国での大ヒットゲームを生み出すために
彼らをサポートすることができると思う。
そのために私は、中国において少しでもアドバンテージがあると思われる
ゲーム会社に転職を決めた。件の16年前から現地に支社を持っている会社である。
・・・・・つづく・・・・・
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ぼくが会社を辞める理由(ワケ)@
◇
2004.2.10
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きょう、会社に退職願を提出した。
提出したとき部長は疲れた表情をうかべた。その表情が意味するもの何なのか。
退職に係わる手続きやら雑務が増えることに対する嫌悪の表情か、
それとも私を曲がりなりにも会社に必要な人材と思っていて、
それを失いたくないという惜しみの表情なのか。
部長の気持ちを忖度したところで私の決意にはなんの影響もないので、
淡々と退職に向けて事を進めるだけであるのだが・・・。
転職を真剣に考え始めたのは約2年前。
私の苦手なカードライビングゲームを制作するプロジェクトに内定したことが
転職を意識するきっかけとなった。
しかしそんなとき、子会社で香港映画をテーマにしたゲーム制作が始まりつつあった。
香港映画が大好きな私にとっては非常に魅力のあるジャンルであり、
運良く、その仕事を半年間ほど手伝えることになり、
その仕事を終えるまで転職を先延ばすことにした。
そして、その香港映画をテーマにしたゲームの制作の仕事が終わる頃、
カードライビングゲームのプロジェクトにおいて、
中国上海の制作会社に部分的なデータ制作を発注することが決定し、
その制作管理と指揮をするという仕事が舞い込んできた。
苦手なカードライビングゲームだったが、
中国の文化が大好きでしかも中国語を趣味で勉強していたこともあり、
上海へ出張するという仕事はかなりの魅力があった。
そうして結局その仕事を終えるまでまた転職を先延ばすことにした。
・・・・・つづく・・・・・
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