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ゲテコレ(5)
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2006.8.10
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ゲテモノ食いコレクション第5弾。
◆竹虫
中国雲南省の昆明のフードコートで食べた。
一緒に行った地元の中国人も「あなたほんとに食べるの?」と少々あきれていたが、
ゲテコレの絶好のネタなので食べない手は無い。
竹の木に寄生する虫なので、そのままの名前「竹虫」(中国語で「ジューチョン」)。
3〜4cmの白いイモムシ的な見た目の虫。
まさにゲテモノといった感じで、当然食欲はわかないが、好奇心はわきあがる。
タカの爪を加えて高温の油で揚げ塩で味を調えたもの、写真のひと皿で10元(日本円で約150円)。
かなり高温で揚げているせいか、食感はサクサクで香りもとくになく、
塩と唐辛子の味がするばかりで、マズくはないが、オイシイとも言えない。
ちょっと油が纏わり付きすぎだが、よくある居酒屋の揚げ物のつまみといった感じ。
もし揚げ方が不十分でイモムシ的な柔らかな食感が残っていたなら、
ちょっと食べられなかったかもしれない。
連れの中国人に「食べる?」と何度か勧めたが、頑なに断られた。
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『いい人』と『いい人ではない人』と
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2006.8.7
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今まで10回くらい中国を旅してきたが、大きなトラブルに遭遇したことは無かった。
しかし、今回はちょっとトラブルになりかけた。
雲南省昆明近郊の観光地で、何気なく散歩したあと、
日も暮れて腹も空いてきたので適当なレストランに入った。
過ごし易い気候の昆明では多いが、
ここもオープンスタイルのレストランだった。
オープンスタイルと言うとオシャレに聞こえるが、
店の面積が狭いから屋外まで接客スペースを広げた結果、露天になってしまった感じの
中国の庶民的レストランである。
夕食の時間にはまだちょっと早かったせいか
店内にはひとりしか客がいなく、私を含めるとふたり。
6人ほどが座れる円卓席にポツンと座って、肉チャーハンを頼んだ。
しばらくして店のおじさんが肉チャーハンを運んできた。
私はよく旅の途中で食べた物を記念にデジカメで写すのだが、
この肉チャーハンも、とくに珍しいものでもなかったが、写しておこうと思い、
鞄に手をかけた。その時だった、40歳前後のおっさん3人組がドカドカと店に入って来た。
初めはただの客かと思ったが、その3人組は、
他に空いた席があるのにも係わらず私の座っている円卓席に座った。
私の隣に座ったおっさんが私を見てニヤニヤしながらタバコを差し出してきた。
彼らと面識は無いし私は何が起きているのか理解できなかったが、
とりあえずタバコは吸わないのでタバコは断った。
タバコを何度も勧めて来るが断り続けていると、隣のおっさんはニヤニヤした表情を
徐々にシリアスに変化させながら話し始めた。
聞いてると彼が言うには「おまえ、さっきゲームセンターで写真撮っただろ!」ということだった。
たしかに私は中国のゲームセンターに興味があったので中で数枚写真を撮った。
心当たりの有った私は瞬時に、
これは撮ったことにイチャモンつけられてカネを巻き上げられるんだ、と悟った。
ヤバイことになっちゃったなぁと思いながら、
ここは外国人であるという立場を利用して、中国語が聞き取れない作戦を開始した。
ただでさえカタコトの私の中国語を、更にカタコトのように演技して
「すいません、全く聞き取れません」の一点張り。
相手もイライラしてきたらしく声のトーンが上がってくる。
こちらも焦りから汗がダラダラ。
店のおじさんもタダ事ではない雰囲気に気付いてこちらを見ている。
相手の3人も、どうにか写真を撮ったことを私にわからせようと、
身振り手振りで説明してくる。
店のおじさんの奥さんらしき人や娘らしき人も登場。
ギャラリーに囲まれ私の焦りもグングンアップ。
3人組はカメラを出せと言い出したが、こちらは聞き取れないという演技で耐え続けた。
相手は身振り手振りでカメラを撮る仕草をしているのだから、
たとえ言葉が通じなくてもわかってもよさそうなものだが、
私はここで負けてはいけないという強い意志で耐えた。
そして相手はようやく根負けした様子で去って行った・・・。
とりあえず助かった。
すぐに店のおじさんと奥さんらしき人が心配した表情で寄ってきた。
「大丈夫か?」「ゲーセンで写真撮ったのか?」「中国語わかるか?」
などと間断なく質問してくる。私は彼らには正直に、
写真撮ったことなどを話した。
彼らの話も完全しは聞き取れなかったが
「彼らはいい人ではない、あなたの聞き取れないふりは賢明だった。」
と言ってくれた。
私が冷めてしまった肉チャーハンをボソボソ食べてる間も、
店のおじさんは店の外を気にしてくれている。
私もまたあいつらが来るんじゃないかと心配だったし、
ちょっと興奮状態でチャーハンを味わう余裕はなかった。
肉チャーハンをなんとか食べ、お代を払って店を出ようとすると、
店のおじさんは外を気にしながら「まだ行くな座れ」と私を制した。
おじさんは、さっきの騒ぎで出てきた娘になにか言って、メモを書かせた。
私の中国語能力が拙かったのと、
どうやらおじさんは読み書きができないらしく、それで娘に代筆させて、
店の伝票に急いで書かれたメモを私に渡した。
日本語に訳すとこう書かれていた。
「中国語読めるか?ここを出たらすぐにタクシーを拾って宿に戻りなさい、
あいつらがまた来て面倒なことになるから。気をつけて。礼はいらない。」
これを受けとって、このいい人たちの心遣いにに感動してしまった。
日本円でたった60円のチャーハンの客にここまで心遣いしてくれるとは・・・。
同じ中国人なのに、いい人じゃない人といい人のコントラストを強く感じた。
私はいい人たちに充分お礼をする間もなく、逃げるようにしてタクシーで帰った。
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チベット族 家庭訪問
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2006.8.6
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香格里拉でチャーターした車の運転手がチベット族のおじさんで、
その日の観光をひととおり終えた後、おじさんにお願いして、
チベット族の一般家庭にお邪魔させてもらった。
おじさんの家も香格里拉の市街地と同じように、
ちょっと中東チックな建築様式で平らな屋根だった。
しかし、門扉には中国らしい赤い吉祥の張り紙があったりで、
辛うじて中国国内であることを感じさせる要素があった。
写真の門前に立って出迎えてくれているのは、おじさんの奥さん。
中に入ると、車2台くらい停められそうな広さのちょっとした庭があり、
焼却炉やガラクタがあった。
家は2階建てでけっこう立派だ。
そしてリビングに通されると、チベット族の民族衣装を着たおばあちゃんがいた。
おじさんや奥さん、そしてあとから登場したおじさんの息子、
みんなジャージなどラフな格好なのに、おばあちゃんだけは民族衣装だった。
リビングのちょっとした祭壇には、
毛沢東ではなくチベット仏教の偉い人「班禅大師」の肖像がかざられていた。
中国国内なのに毛沢東ではないのは、ちょっと政治的に怒られそうな気も・・・。
おじさんの家族構成は、おじさんの母(おばあちゃん)、おじさん、奥さん、娘、息子。
残念ながら娘さんは、仕事で帰宅は遅くなり、今回会うことが叶わなかった(市街地にある病院で看護婦をしているらしい)。
息子は17歳で高校生。今は夏休みで、休みが明ければ高校3年生(中国は9月で進級)。
家族内での会話は完全にチベット語だが、
私と話すときは、標準中国語で話してくれる。しかし、
おじさんと奥さんはかなり訛りがあって聞き取り辛い。
標準中国語の教育をしっかり受けている若い世代の息子の話す中国語は聞き取りやすく、
おじさんや奥さんの言葉を息子が言い直してくれたりするので、
けっこう助けられた。
今回ひとつチベット語を教えてもらった。
「アーラートン」
「お酒を飲もう、飲んでください」という意味で、
同時に「乾杯!」という意味もあるらしい。今回もちろんお酒をごちそうになった。
無色透明の焼酎のようなシャープな感じのお酒、これは
たぶん中国のどこでも売っている「二鍋頭酒」(56度)というやつだと思う。
チベットの名酒とかではなさそうなので残念・・・。
でも、何度も「アーラートン」と言いながら飲まされた・・・。
そして待望の夕食の時間、息子が誰かを呼びに行ったので、
娘さんが帰ってきたのかと思いきや、登場したのは赤い僧衣を纏った若いチベット僧。
彼は夏休みで、チベット族の一般家庭に居候しているそうだ。
2ヶ月の休みが終わればまた寺に帰るらしい。
さて、夕食のメニューはチベット名物料理を期待したが、
出てきたのは普通の中華っぽかった。牛肉とピーマンの炒め物や、青梗菜の炒め物など。
味はなかなかだったが、この日の昼食を遅い時間に食べたため、
多くは食べられなかったのが心残り・・・。
最後まで、おばあさんとはひとこともしゃべらなかったが
(標準中国語ができないのかもしれない)、みな温かい人たちで、
貴重な体験をさせてもらった。
今後の私の人生で、この香格里拉に来る機会があるかどうかわからないが、
来た時にはこのおじさんにまた案内してもらいたいと思った。
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シャングリラ
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2006.8.6
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朝8時、気温12℃、快晴。
空港に降り立つと真夏のファッションでは耐え難い冷気が襲ってくる。
標高3300m、酸素も薄く、空港の売店には当然のように携帯用酸素が売られている。
高山病とまではいかないが、こころなしか軽い頭痛を感じる。
空港を出ても、旅行社のものらしきマイクロバス1台と白タクが数台いるだけである。
いくら地方空港といえども、この閑散とした雰囲気はちょっと不安になる。
気軽に来てはいけない所だったか!?・・・。
空港以外の景色に目を移せば、青い空、山と草原と数軒の疲れた民家。
いやいや、これでいいのだ。必要以上に進歩した文明に侵されていない場所。
それでこそ「シャングリラ」と言えるのかもしれない。
中国雲南省迪慶チベット族自治州にある街「香格里拉」
(漢字でこう書いて「シャングリラ」と読む)。
この地名の由来は、米国の作家ジェームズヒルトンの小説「失われた地平線(LostHorizon)」
の舞台となったシャングリラという土地が、
ここ迪慶チベット族自治州と似ているということから、
当自治州政府が観光も視野に入れ、
2001年に「迪慶(ディーチン)」から「香格里拉(シャングリラ)」へ改名した。
既に絶版になっているこの小説だが、ネットのアマゾンで中古をなんとか手に入れ読んだ。
たしかに山奥にチベット寺院があったりと、ここがシャングリラである条件は揃っている気がした。
理想郷という意味でも使われる「シャングリラ」、
エッチな風俗店でもよくある名前だが・・・それもある意味「理想郷」なのだろう・・・。
さて、観光するには足が必要なので、車を1台チャーターした。
運転手はチベット族のおじさん。とりあえず一緒に朝食を食べながら、
この日の観光コースを相談。おじさんの中国語はかなり訛りがあり聞き取りづらい。
彼らチベット族は普段チベット語で会話しているらしく、街の人々の会話は全く聞き取れない。
街の看板には中国語とあわせてチベット文字が書かれている。
まずは中心地から車で約1時間のところにある碧塔海と属都湖というふたつの湖へ向かった。
香格里拉は非常に小さな地方都市で、少し歩けばすぐに田舎の風景になる。
車に乗り、田舎風景の中を走っていると、ふと北海道を走っている錯覚に陥る。
大草原、点在する民家、たまに道を横切る動物たち。
北海道と違うのは、民家がチベット風で、出会う人が民族衣装だったり、
そしてなんといっても標高が違う。私はあまり詳しくはないが、
高山植物の珍しい花が咲いていたりする。
訪れた碧塔海は標高3539m(もう少しで富士山に届く)。慢性的な頭痛、ちょっと坂を上るとすぐに息切れ、
高山病寸前といったところか。でも景色はすばらしい。
青い空、白い雲、碧の湖に碧の山、酸素は薄いが新鮮な空気が気持ちいい。
それからこのあたりは松茸の産地で、ここから日本へも多く輸出されているらしい。
歩きながら松茸が生えてないかチラチラと探してみたが、
そう簡単に見つけられるものではないようだ・・・。
次に訪れたのは香格里拉最大の大湿原、措給草原。
ここでは観光客相手の商売で馬に乗ってゆっくりのんびりと楽しめる。
私も30元(JPN\450)払って馬に乗せてもらった。
大草原の上を馬に乗ってのんびりと進む。
馬に付けられた鈴のカランコロンというのんびりした音とやさしい風の音。
それに加えて馬を曳いてくれているチベット族の女性が、ときどき民族歌謡を歌ってくれる。
う〜んこのエスニックな雰囲気に私はご満悦。しかしちょっと興ざめだったのは、
彼女が徐に携帯電話を取り出し、やかましいチベット語でなにやらしゃべりだしたことだ。
うむむ・・・こんな大自然の中、
伝統の民族衣装を着た上での文明の利器の使用は控えていただきたかったなぁ・・・。
イメージが壊れるんだよなぁ・・・。
1日目の観光は以上で終了。
このあとチャーターした車の運転手のおじさんのお宅にお邪魔した。
チベット族一般家庭を訪問した様子はまた別の項で書くことにする。
2日目は車をチャーターせずに、市街地周辺や路線バスを利用して観光した。
チベット仏教寺院「松賛林寺」は非常にカッコよかった。
香格里拉市街地の建物もそうだが建築のデザインがおもしろい。
日本や中国など東アジアの建築の特徴といえば反り返った三角の瓦屋根だが、
ここ香格里拉は全くカタチが違う、屋根が四角というか平らなのだ。
香格里拉の標高は高いが冬になっても降雪は少ないそうだ。
そのせいか屋根は単純に平らである。
特徴的にはイランなどの中東の建築に似ていると感じる。
松賛林寺はそれが豪華になった感じで、チベット仏教の聖地ラサのポタラ宮のに似た
彩色が施されている。
建築デザインとしてはきっと東アジア的な反り返った三角屋根の建築物のほうがおもしろいと思うのだが、
このようなデザインの建築物を間近で見たことが無かったので、
松賛林寺は私にとってかなり衝撃的だった。
かっこいいなぁと感心しながら、
チベット仏教寺院の荘厳な建築物周辺でかなり長い時間ウロウロしてしまった、
デジカメのメモリーが足りなくなってしまうほどに・・・。
香格里拉は見るべきものがたくさんあるが、ひとつひとつが離れた距離にあるので、
短い滞在では充分楽しむことができない。
しかし、この松賛林寺を参観できただけでも私は満足である。
いつの日かチベット仏教のポタラ宮も見てみたい。
この2日間、大自然の中を歩き、松賛林寺周辺を歩き、
おおいに日焼けしてしまった。鼻の頭が真っ赤である。
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