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国がどこへ行こうとしているのかが見えないのは、哀しいものです。
私たちがどこへ向かえばいいのか分からないのは、不安なものです。
日本と日本人の将来を考えた時、少なからず暗澹たる思いに駆られるのは、この日本というシステムの何かが間違っているからではないでしょうか。大東亜戦争敗戦後、確かに日本は奇跡的経済発展を遂げ、現在、大半の日本人が豊かな生活を享受しています。この日本の経済的豊かさは、他国民からも羨望の的となっています。
しかし、日本が諸外国から国家として、民族として一目置かれているかというと、果たしてどうでしょうか。むしろ、中国や韓国に対しては卑屈な謝罪外交が当然の如くに罷り通っており、他国の失笑を買っているのが現状です。また祖国のために命を擲って戦ってくれた父や祖父たちを祀る靖国神社に、首相が参拝することさえ儘なりません。まるで主権国家とは言い難い国へと堕してしまっているのが、認め難くも認めざるを得ない現在の日本なのです。
(『日本人はとても素敵だった』(桜の花出版)より引用)
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これは桜の花出版の山口修源会長が、日本の将来を案じて書かれた「日本人の誇り シリーズ刊行にあたって」の書き出しです。
昨今の日本人を見ていると言いたくなることがたくさんあります。
どうしてそんなに自分勝手なのですか。どうして権利を主張するばかりで義務はないがしろなのですか。どうしてそこまで自分の国を悪く言えるのですか。日本人はそんなに悪人だったのですか。いまの学校教育もおかしいと思います。なんでも、運動会ではみんなで手をつないでゴールすると聞きました。勉強が嫌いで運動神経だけが自慢の生徒はどうしたらいいのでしょうか。勉強が得意な人、芸術が得意な人、運動が得意な人、得意・不得意はそれぞれです。自分の優れているところが認めてもらえるから一層努力する。劣っている人の気持を理解してあげられる。劣っている人は負けまいと努力する。
そういうものではないでしょうか。どこか平等という観念を履き違えているのです。日本古来の思想・哲学や伝統も教えられることがありません。いや、それどころか歴史教育では、かの大東亜戦争で日本はアジア諸国を侵略して、多くの人民を苦しめたと教えられます。まるで日本人であることが罪だと言わんばかりです。
このような自虐的観念は国という立場であっても同じです。なぜなら、国はその国民という個人の集合だからです。その個人個人の長年に渡る生活様式や習慣は、固有の文化というものを築きあげてきました。日本という国は、 年の歴史を持ち、西欧でも中華のそれでもない、独自の素晴しい感性を持った大和文化を育んできた国です。
これは国学者・本居宣長の和歌です。一言で言えば、桜という象徴にもののあわれをとおして生死の美学を感じる感性です。このように研ぎ澄まされた繊細な感性が私たち日本人の心の原点ではないでしょうか。
さらに、かの帝国主義時代、日本は欧米列強に植民地化されることに抵抗し、一方では、その欧米に学びながらサムライ時代から一挙に維新の近代化を成し遂げたアジア唯一の国です。その国力を総結集した結果、欧米列強からは負けると思われていた日清戦争、日露戦争にも勝利することができました。その先人たちの志は私たちの誇りではないでしょうか。なぜなら、この日本を欧米列強に負けない立派な国にしたいという一念で、自分の命をも顧みず頑張っていましたから。
その日本がいまはどうでしょう。昔の日本人はそんなじゃなかった。いまの日本人は何か大事なものを失ったのではないか。そう思う日本人が増えているのではないでしょうか。
日本人は何を失ったのでしょう。それは日本人であることの誇りだと思います。言い換えれば、日本精神、大和魂あるいは端的に武士道といってもいいでしょう。
混迷の世界情勢の中で、経済大国である日本の役割は益々重要となるに違いありません。しかし、いくら経済的に裕福でも、その国民の精神が貧困であるならば決して世界から尊敬されることはありません。それ程に日本人の精神のあり様は大きな意味があるのです。
私たち日本人が日本人であることに誇りを持ち、さらに異なる民族文化に対しても敬意と理解を示しあうならば、世界はおのずと良き方向に向かうものと思います。
そのためにも、どうかこのサイトで一人でもおおくの方に日本精神に関心を持っていただき、日本精神(大和魂)を持った日本人が増えていくことを期待いたします。
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