7月7日(2002年)

夜にこの犬はうちのそばの道路で車の事故にあいました。たまたま居合わせた夫がこの犬を家に連れ帰り、様子を見ると口からは血をだし、足はびっこをひき、ぐったりとしていたのです。夫が動かそうとして抱くと、よほど痛かっったのか噛み付かれてしまいました。動物病院に電話をしたけど、もう遅い時間なのでどこも出てくれません。仕方がないので、様子を見る事にしました。

7月8日

朝起きてみると、意外と犬は元気でした。なんだか病院に連れて行かなくても大丈夫そうだけど、これがうちの子だったらどうする?と家族で話し合い、やはり病院に連れて行く事にしたんです。
病院へ行くといつもは猫しか連れて行かないので、先生は一体この犬はどこの犬?と聞かれました。事情を説明し、容態を見てみると、肝臓が一時的に悪くなっているようだけど、とりあえずは何ともないとの事でした。フィラリアにもかかっているとの事なので、13日の日に又再検査を予約し、肝臓の薬だけをもらいました。

帰ってきてから、名前がないのは都合が悪いので、事故にあった犬なので、ジーコと名前をつけました。

それから娘がデジカメでジーコの姿や、首輪などの写真を撮り、パソコンで「迷い犬預かっています」のポスターを作り、近所のスーパー、パチンコ屋などに貼らせてもらい、警察、保健所にも届け出をしました。

それからすぐにドッグフードを買いに行き、あげてみたけど、全然食べないんです。やはり環境が変わったのが原因なのか、食欲がないのか、見向きもしません。今度は娘が犬用のリードとハーネスを買って来てくれました。なんせ昨日の夜から全然トイレもしないので、散歩をさせなければなりません。
無理矢理引っ張るようにして散歩に連れて行きましたが、結局その日は全然しませんでした。

7月9日

相変わらずジーコは餌を食べません。今日こそはトイレをさせないと、もう3日もしていないんですから。

それから娘は又散歩に連れて行きましたがやはりしません。餌も全然食べてくれないので、何だか弱っていくように見えます。ドッグフードを食べた事がないのか、食欲がないのか見向きもしません。

7月10日

今日も娘が散歩に連れて行くと、やっとトイレをしてくれました。たまりにたまっていたのか、2分間ほどもおしっこをしていたそうです。餌は相変わらず食べません。

ダイアリーにもジーコの事を載せたので皆さんとても心配してくれ、いろいろ情報を教えてくれます。本当に有り難いですね。

7月11日

これではジーコも弱ってしまうので、今度は缶詰めの餌を買って来ました。するとこれには反応し、やっと食べてくれたんです。やれやれ。

こんどはまたもや散歩に2回も連れて行きましたが、やはり今日はトイレはしませんでした。

でも心無しか少し元気が出てきたようで、私達の顔を見るとシッポを振って出てくるようになりました。

ジーコは躾はされていたようで、おすわりとお手はちゃんとします。お手はずっと手をあげっぱなしにして、まるで好きにしてくれ、と言っているようで、笑ってしまいます。

夜家族でまた話し合い、犬は帰巣本能がある筈だから明日はジーコの好きな所を歩かせてみようと言う事になりました。一体どこまで行くのか分かりませんが、付いて行けばもしかしたら、家に帰るかも知れないと言う事になりました。

7月12日

いよいよ娘とジーコの旅の始まりです。一体どこまで行くのか分からないので、娘は完全防備で出掛けました。これは家のすぐ横の広い通りです。ジーコはここで事故にあいました。好きなように歩かせてみると、この道を選んだのです。

車に轢かれた癖に車のいる方、いる方と歩きたがり、困りましたが、ただひたすら歩きます。

歩いて歩いて、ついに隣の市まで来てしまいました。なんだか山奥に向かっているようにも思えます。これで違っていたらどうしよう‥‥‥

今度は田んぼのあぜ道を歩き始めました。ほんとに家に帰るんでしょうか?この日はカンカン照りの日で、そばには自動販売機もコンビニもありません。連れて行った娘は完全にグロッキーです。

2時間程歩くとジーコはある家の前でピタッと止まりました。娘は恐る恐る家の人に声をかけてみました。

すると初老の男の人が出て来たので、娘は「この犬見覚えないでしょうか?」と聞きました。男の人は「あれ、この犬?????」と言い、「うちの犬じゃないかな?」と言いました。ジーコはその日はきちんとシャンプーをし、こざっぱりしたうえにハーネスを付けていたので、自分の家の犬とは一目で分からなかったようです。
娘は事情をつらつらと説明すると、「この犬はよくいなくなるので、3日間くらい帰ってこないのはしょっ中だ」と言いました。さして喜んでいるようにもみえません。ジーコもその人を見てもシッポを振る訳でもなく、何事もなかったように玄関に座り、ここ数日間の私達の苦労もそしらぬ振りという感じです。

傍から見ていても感動の御対面という感じでもなく、なんだか拍子抜けですが、なんせジーコは自分の住んでいた家に帰りつきました。男の人はそれでも嬉しかったのかジーコに「疲れただろう」といい、洗面器に水をなみなみとついであげていましたが、ほんとはその水を奪って娘が飲みたかったくらいだったそうです。

皆さんにもいろいろ御心配をおかけしましたが、これでジーコも元の生活に戻り、私たちもホッとしました。娘も夫も明日からはジーコの顔が見られない、と半ばがっかりしてますが、又ひょっこり現れたりして‥‥‥‥

元気でね、ジーコ!!!!

夫があとから肝臓の薬を届け、飲ませ方の説明をしてきました。

ゆりかご家の人々は最後までお人好しですっ!!!!(^▽^笑)    

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最後に娘が書いた手記を載せます。興味のある方は読んで下さい。

「まよい犬」

7月7日

「犬がはねられた!」

 実家で、七夕の日の夜、その犬は足を踏み外した彦星のように我が家に舞い込んできた。かわいそうにどこかを怪我しているらしく血がポタポタと地面に落ちている。抱きかかえようとする父の手にその犬はガブリとかみつき必死に抵抗していたがやがてグッタリとして それでも必死にどこかに行こうとしていた。

 近所の村のことは何でも知っているおじさんに母が電話連絡をして呼び出し、どこのうちの犬か聞いてみるが全くわからない。逃げようとする犬をおさえて欲しいと父がその人に頼むと「そんな汚い犬さわりたくない」といって手伝おうともせず「放っておけ!そんなの道路の脇に捨てておけばいいんだ」と言い必死に助けようとする父に水を差す。動物好きの父はたまりかねて「お前なんか帰れ」と怒鳴り返す始末。その人を呼んだ母の立場がなくなってしまったが、私もそう叫びたい気持ちだった。

母は動物病院に連絡をするが、時刻はもう夜十時を過ぎており、どの病院にも連絡がつかない。幸い、どこかを怪我してはいるものの生死に関わるような怪我ではないようなので次の朝まで様子を見ようと言うことになった。

 我が家は、いつからか動物好きの家族だった。私と弟が成人してからと言うもの実家に帰る度に猫が一匹ずつ増えてゆき、一時期は猫が4匹もいたことがある。その後、高齢や病気で何匹かは死んでしまい、また違う猫が入れ替わり立ち替わりしているが今はなんとか3匹におさまっている。そしてその猫達はほとんどが行き場を失った猫達だった。

7月8日

 昨日の犬は、グッタリして元気がメッキりないもののどうやら命が危ういというわけでもない。さてこの犬をどうするかと言うことが我が家の朝食のテーマとなる。善悪を簡単に区分して話せば二つの選択で、一つは病院へ連れて行き介抱すること、もう一つはこのまま置いておき、夜中になるとまた放してしまえば自分のうちに帰るかもしれないという選択である。私は今はたまたま実家に帰省しているだけで、両親がどちらを選択してもその犬とは一時的にしか関わる事が出来ないので決心するのは両親達だった。

 父も母も困っていた。

保健所へ預けても飼い主が現れなければ3日で薬殺されてしまうという現実に、動物好きの両親は耐えることは出来ないからだ。しかしすでに実家には3匹の猫がいて果たして、よそ者の犬と猫が仲良く暮らしていけるかどうかわからない。しかし母は「もしこれが自分のうちで元々飼っていた犬だったらどうする?」といい、父は迷わず「病院へ連れて行く」と答えた。もしここで見殺しにしてしまえば結果的には、「道路の脇に捨てておけ」と言ったおじさんと同じ事をすることになってしまうのだ。

 結局その犬は動物病院へ行った。幸いショックで肝機能が一時的に低下しているものの、命に別状はないという。またフィラリアと言う蚊に刺される病気にもかかっていて治療の必要があるということだった。

 私たちはその犬を、事故にあった犬なので「ジーコ」と名付けた。首輪をつけているので飼い犬だったことは間違いない。警察や保健所に連絡をし、飼い主がこの犬を探していないか確認するが今のところ届け出がないという。ジーコは昨日からトイレを一回もしない。ずうっと伏せたまま動かないがトイレに行かないのはかわいそうだと言うことで無理矢理引っ張ってお散歩に行こうとするがいやがって歩かないのであきらめる。

 デジカメで写真を撮り「迷い犬」のポスターをつくり父があちこちに貼ってまわる。スーパー、パチンコ屋、ホームセンター、バス停など。どこも快く引き受けてくれた。

7月9日

 やっとお散歩にも歩けるようになる。昨日新品のハーネスとロープを買ってきた。まだ足を引きずっているが、今日はトイレをしてくれた。でもドックフードは全く手をつけない。口に合わないのだろうか?飼い主からはまだ何も連絡がない。

7月10日

 朝起きて車庫の脇を見たらジーコがしっぽを振っている。起きあがれるようになったらしい。今日は缶詰のドックフードを初めて食べるが、ガツガツは食べない。母が自分で開いているホームページにジーコの話を載せたところ、いろんな反響がある。こういうところに届けたらいいとか、かわいそうな犬を助けてくれてありがとうというお礼のメールも届き始めるが、飼い主からは相変わらず何の連絡もない。

今日は地元と、隣の市の警察にポスターを届けた。ジーコは今日はお散歩に行ったがトイレはしなかった。しょうがないから2回お散歩に行ったがそれでもダメだった。

7月11日

 今日も目覚めると車庫の奥からのそのそとでてきてしっぽを振っている。飼い犬だった証拠にお手、おかわり、お座りはちゃんとする。なでなでするといつまでもお手をしているので笑ってしまう。とても大人しく、猫たちも全然ジーコを怖がらずジーコの餌を食べたりしている。足の打撲も大分良くなったようで、たまに痙攣したりしているがお散歩を喜ぶようになる。たまに立ち止まって東の方向を見ている。うちに帰りたいのか?

 私たち家族はジーコの飼い主は一体どういう人だったのかと言うことを話しあった。放し飼いにして飼っていたのか、脱走したのか。いずれにしてももう事故に遭ってから4日も過ぎているのに、どうして何も届け出ないんだろうと言うことが不思議だった。もしかしたら嫌になって捨てられたのかもしれないと思うととてもかわいそう。でも私たち家族は、朝起きてジーコの顔を見るのがとても楽しみになっていたし、無責任な飼い主の所に帰るくらいなら、もううちの子になりなさいと言う気持ちにもなっていた。

 動物は飼ってくれる人によって幸福を左右される無抵抗な生き物だ。責任を持てない人は動物を飼うべきではないと思う。

7月12日

 今朝も車庫の奥からでてくるかなと思ったら、もうすでに車庫の外にでている。「ジーコ」と呼ぼうとすると遠吠えをしてる。おとなしい犬で事故のあとはキャンともクーンともなかなかった犬だ。飼い主に自分の居場所を教えているようで切なくなる。家族で話し合い、今日は綱をつけてジーコを好きな所に行かせてみようということになる。もしかしたら自分のうちに帰るかもしれない。私は長距離を歩けるように準備をしジーコといつもより長い散歩に出かけた。

 ジーコは車にひかれたのに車の多い通りを歩きたがるし道路をわたりたがる。普通事故にあった犬は車を怖がるものなのにジーコはあえてその道を選んでいるに様に見えた。地下道を通ると今度は山に向かって歩き出す。1時間ほど歩くとすでにそこは隣の市。昔犬を飼っていた時は、いくら好きに歩かせてもそんなところまでは行かなかった。ジーコはもう推定十歳以上の老犬なので綱をグイグイ引っ張るような歩き方はしなかったがその歩き方はまるで目的があって歩いているように見えた。

途中民家があったので「この犬知りませんか」と訪ねたが「見たことがないです」と言われがっかりする。ジーコよ、君はどこへ行くのだ・・・・・ 

 歩くこと1時間半、今度は田んぼの中の農道を歩いている。炎天下の中日陰はどこにもない。運動不足の私はかなり参ってきたが、こうなったらとことんまでつきあうしかない。そして2時間後、今度は畑のあぜ道を通り とある民家の前でジーコは足を止めた。

「この犬ご存じないでしょうか」とその家主に尋ねると、しばらくジーコをさわってから「うちの犬じゃないかな」と言うことである。いつもと違うロープをつけていたので、一目ではわからなかったらしい。またジーコもしっぽを振って喜んでいるわけでもないので本当かどうか怪しいところだったが、玄関の戸を開けるとジーコは自分の定位置らしき場所にさっと入って疲れたと言わんばかりに伏せて座っている。聞くところによると、よく放し飼いにし、また放浪癖があり2,3日帰ってこないことがあるらしい。事故のことなど色々と話し、一通りのお礼は言われたものの、なんだか腑に落ちない。

ジーコと飼い主とのご対面はこうやってあっけなく幕をひき、それは決して感動的と言うには事足りずお粗末なものだった。合計10キロ、2時間を歩いた私の苦労は一体何だったのかしらと言う感じがしたし、「ジーコよ本当に君はこの家に帰ってきたかったのかい?」と言いたい気分だった。

 私の結果報告に、両親は飼い主が見つかって良かったという反面、半ばがっかりしていた。これがもしうちの犬猫だったら、きっとどちらも涙を流さんばかりに感動し喜んだだろう。そして2,3日愛犬がいなくなっても探そうともしない飼い主に憤りを感じていた。

 うちに帰ると母が警察署の署長さんから「この世知辛い世の中に、善良な市民が犬の飼い主を家族ぐるみで捜す感動的なエピソード」として新聞社にこの話を取材させたいとの連絡があったという。しかし飼い主が見つかってしまったので、「記事としての効果はないのではないでしょうか」と言ったが「優しい家族の行為は変わりませんから」と言うことでやはり取材をしたいとのこと。私たち家族は、決してこういった行為を世の中に知らしめるために行った訳ではないので取材を受けることに戸惑ったが、いろいろと考えた結果、やはりその取材を受けることにした。世の中の人にわかって欲しかった事があったからだ。

 それは「責任」と言うことである。

 ジーコはもしかしたらあの交通事故のあと、さらにちがう車に轢かれ、見知らぬ土地でひっそりと死んでしまったかもしれない。それでもジーコは飼い主のことを恨むことなく静かに死んでいっただろう。私、そして私の両親の勝手な憶測だが、きっとジーコは我が家で飼われていた方が幸せだったに違いない。しかし、見知らぬ家でどんなにかわいがられても、ジーコはそんなに遠くの飼い主の元に帰りたかったのだ。それは、「放しておけばいつか帰ってくる」と言うこととはちがう。

 動物が人間に飼われると言うことは、動物にとって頼りになるのは人間しかいないと言うことであり飼い主にはその動物をかわいがって一生面倒を見るという責任がある。そしてジーコのように動物は何よりも飼い主のことを信頼し、飼い主がその動物のことを忘れてしまっても動物は飼い主のことを決して忘れないのだ。

 次の日、地方の3社の新聞社がこの記事を掲載した。「善良な市民のエピソード」ではなく、「どうしても帰りたかった犬の話」としてとらえてくれた人が何人いるかわからないが、私たち家族はひそかに、その記事に自己満足をした。

 朝起きると車庫の隅からまたジーコが喜んでしっぽを振って出てくるような気がして、ついいつも目をやってしまう。矛盾してしまうが、正直言うと「嫌になったらいつでも帰っておいで」と、こっそり期待したりしている。

2002年7月14日・記 

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