星想 **Star light Star bright ** 3 Su-jinさま 1500hit Request 博雅の唇が、躊躇いがちに頬に触れる。 横たわった晴明の胸の上に、彼はおずおずと手のひらを乗せまるで鼓動を感じようとするようそっと包み込んできた。不快な熱を発する身では、彼自身の熱さを量れない。それは互いに思うことか、博雅の手に重ねられた晴明の指先も焦れたように絡んでくる。 濡れた、主を見詰める犬のように純真な瞳がじっと見下ろしている。その視線を受けるのが紛れもない自分であるという事実に震えながら、晴明は小さな息を吐き出した。 合図だったのかも知れない。 怯えた様子の彼がそれでも晴明の躰の上に折り重なると、まだ惑う腕はそれでも必死に友の体を抱きしめた。 真の友と呼ぶことはもう出来なくなる、その、魂を。 「博雅。お前はいずれこうか、」 「しない」 遮られた言葉は、聞きたくないと振られる首に行き場を失いそのまま二人の周囲に飛散していく。拾い集めることも出来ぬそれに、"これでいい"と繰り返す彼の幼子のような声音が降りかかり風に流されるよう消えていった。 無言のまま抱きしめあう腕が優しく、やがて博雅はほうと吐きだした息に紛らせ、甘えるように囁いた。 「悪くはないな」 「…なにがだ」 「こうしておることがだ。とても不思議な心地だが、晴明に抱かれていると思うとなぜだかひどく安らぐ。お前は決して面倒見がいい訳ではないし、どちらかと言えば人好きのせぬやつだが…これは俺がお前のことを思うておるからなのだろうな」 「博雅は…俺を好いておると申すか」 「ああ。お前を…そうか、これが恋なのだな」 身を起こした博雅が晴明の顔を見詰める。初めてのことに対する戸惑いと言うよりは、思い当たったその"想い"の深さに自ら驚いてでもいるようだ。その姿に苦笑が浮かび、そして躊躇いもまた沸き上がってしまう。 「博雅の恋する相手は…決して俺ではないと思うていたのだが」 「なぜだ。俺はいままで惚れたと思うた姫にすらこのような心地を感じたことがついぞないが、こうして安らぎ、幸せを感じる相手がお前であったことは喜ばしいとしか思えぬ」 「正直だな。だがそれがまことか、過ちではないのか…それはお前には分からぬことよ」 「俺の気持ちは俺自身のものだ。分からぬことなどない」 「いや、分からぬさ。恋心というものは、己のことであるが故に分からぬように出来ている」 「そういうものか」 「そういうものだ」 思案げに寄せられた眉が、すぐに困ったように下げられる。 「やはりよく分からぬ」 「俺とて分かるものではないさ。言葉にして表すことの出来ぬ、それこそが恋なのだから」 留めることなど、出来ようはずがなかったのだ。 出会うたことが定めであれば、心を重ねることもまた運命(さだめ)であったのだろう。弱き人の心根のみで動かすことが出来るのならば、人の世の恋路すべては味気なく、趣もない戯れ言でしかなくなるのだろうから。 胸の上に伏せた博雅の背を撫でていると、いま安らいだ思いがもう次を求めて暴れ出す。因果な"雄の性質(たち)"に呆れながらも、彼に思われているという事実の前には堪えることは出来そうになかった。 ごそり、と背においた手のひらで彼の背中を探る。もぞりと博雅が身じろぐ。 さわさわと腰の辺りを撫でると、居心地悪そうに腰を捻る。その動きが晴明に与える刺激など考えに及ばぬのだろう、こそばゆいとばかりに鼻を鳴らし逃げるように更にすり寄ってくるのだから質が悪い。 そろりと動かした指を、絡んでいる程度の小袖の中に進入させその肌を探る。途端に鳥肌の立つ様子に低く笑いながら悪戯な指を巡らし脇を掠めたところで漸く気付いたのか、むくりと身を起こすと晴明の顔を上から睨み付けた。 「なにをしておる」 「なにと問うなら答えてやるが…いいのか」 「いい、とはなんだ」 「言ってもよいのか、俺がしようとしていることを」 「待て。言うな。いくら俺でもそのくらいのことは分かる。言うな」 「では黙っていよう」 さわり、さわり。 「こら晴明、よさぬか」 「なにをだ」 「なにを、だと」 忌々しげに舌を鳴らし、背に絡む晴明の腕を掴むと力任せに外させる。きつく睨んでいる目はなかなか本気の迫力だが、それすらも愛らしいと思ってしまう己の思考に含み笑いをこぼす晴明には一向に効き目などないようだ。 「お前、少しは考えろよ」 「なにを考えろと」 「だから、その…病が本復した後であってもこのようなことはその…あからさまにするものではないというのに、お前はまだ熱のある身ではないか」 「熱がなければよいのか」 「なんだと」 「本復すれば、お前を抱いてもよいのか」 「だっ、」 絶句した。 「よいのだな?博雅が閨には、俺という男が忍び夜ごと逢瀬を重ねていっても良いというのだな。聞いたぞ、もう取り返しは付かぬからな」 「なっなっ、なにを申すかこの阿呆めっ」 錯乱したように手足を振り回すから、支えきれずまた晴明の胸に落ちてくる。それをすかさず抱き留めてしまえば晦日ごとにはとことんまで鈍い博雅に勝ち目はなく、うーうーと狗のように唸りながらせめてもの抵抗と腕の力で逆らってくる。 「卑怯だぞ」 「なにが卑怯だ。俺の思いの丈すべてを込め、お前の身のうちに愉悦の花を咲かせてやろうというのだ、幾久しく受けるがよい」 「勝手なことを!ええい離せ、離さぬかっ」 「離さぬよ、ひろ…」 不意に手を外し額に当てる。苦しげに息を吐き出すと思った通り博雅の腕が晴明の体に回された。 「どうした、苦しいのか。ばか、無理をするからこのようなことになるのだ」 優しく、負担を掛けぬように抱きしめてくるのを口の中で笑い目を閉じる。すまんな博雅、それほどの柔で悪鬼悪霊相手に挑むことなど出来ぬのよと、聞こえもしない謝罪を呟いたあとに弱々しく彼の顔を見詰めてみる。 「晴明、俺はお前が望むならなんでもしようと思う。求めるというなら応えもしよう、しかし無理はだめだ。いまは大人しく、俺の言うことを聞いてくれ」 「すまん博雅…俺などのことをそのように…」 「"俺など"などと言うのはやめてくれ。お前は大切な友なのだ」 「友…か…」 「ああ。…友では不満か」 「不満ではない。だが…ああそうか、そうだな。お前を思うておるのは俺だけのこと。博雅には俺など…」 芝居がかった仕草で顔を逸らすと案の定博雅は己の方こそ泣きそうな目で彼を見詰め、そして意を決したように胸元へと身を寄せる。暖かな温もりが重なり、その鼓動さえもが同調するようにすり寄る様は初夜に震える深窓の姫君かくあるやといったところか。 「分かった。言の葉のみでは信じられぬと申すなら、俺も男だ、覚悟を決めよう」 「…なんとする」 「お前が俺を、だ、だ、…その、だき、だき…」 意を決したと言いつつ言い淀むばかりの博雅の耳に盛大な溜息を聞かせてやる。ふるりと震える背は笑いを誘うが、ここが正念場とばかり再度長く細い吐息を響かせた。 「だきっ抱きたいというのなら、それなら俺は甘んじて受けて立とうっ」 「…なんと色のないことよ」 「なに」 「いや。よいのか、まこと俺と契り交わすと申すのか」 「口にしたことは翻さぬ」 唇をへの字に曲げて言い切る彼に微笑みかける。内心ではしてやったりという思いもあるが、なにより愛しいと思う心に偽りはなかった。"人"というものに対し沸き上がる愛情を久しく…いや、これまで一度足りと自覚したことのない事実に気付き自嘲に唇の端が歪む。 「晴明、それで…よいか?」 「尋ねられ、それに頷けば約定は交わせようが…心のない答えであるならいらぬよ」 「心はある。俺は晴明が好きだ」 いよいよの覚悟で言い募る背をかき抱くと、確かに身を捩ることなくぴたりと寄り添うてくる。素肌は暖かく、官能を刺激するその甘えた仕草に吐きだしたそれは先ほどのような作り事ではなく確かに彼を愛しいと思う心が押し出したものだ。 「好いてくれるか、俺を」 「でなければ、このような淫らがましいまねなどせぬ」 「ほう、淫らか」 どの辺りが、と問いたくなるほど閨の空気は明るく澄んでいる。それが彼という男の持つものだと分かってはいるが、からかいたいし羞恥に悶える様も見てみたい。 俺は病を得ている。熱があり、まともな思考をしていない。 病人の乱心と取ってくれよと、熱く力の籠もり始める下肢を博雅のそれに擦り付けると、鼻から吐き出された息は存外に甘かった。彼とて男であり、恋の一つや二つはその身をもって知っているであろう。怯えて逃げるか、やはり不快を露わにするか、そう思い続ける動きを裏切るように、博雅の下肢も彼の動きにあわせ揺れ始めた。 「確かに…淫らであるな」 「…………お前が悪い」 泣きそうな目をしていた。けれどその腰の動きは止まらない。背にあった腕で腰を押さえ、くるりと器用に上下を入れ替え更に密着した体を揺すり上げると博雅の口からは堪え切れぬような喘ぎが零れた。 経験の薄い彼だから、欲望には忠実なのかも知れない。 腹をくくれば言を翻すことはないと言ったのはあながち嘘ではないのかも知れぬ。 「腰が…揺れておるよ」 「…ばか」 「快いのか」 「…ああ」 「このまま、続けてもよいか」 「…ならぬ」 「だが抑えられぬよ」 「本復してからと言うたであろう」 真下に見詰める瞳は潤み、甘えた吐息は大胆なまでに晴明の耳元を掠める。これで止められるなら出家でもしたがよかろうよと、顔には出さず腰の動きを早くした。流してしまえばいい。溺れさせてしまえばよい。男を通わすと承諾したのだ、続ける気があるのなら拒んだところで逃さぬよ。 低く笑ったその声を、博雅は確かに聞いていた。 聞こえてはいたがその意味を掴むことは出来なかった。 ぬめり始めたそれが、なによりまことを伝えていると、彼自身とて気付かぬ訳にはいかなかった。 「博雅…ほれ、聞こえるか。お前の笛がほんに見事な音を奏でておる」 「お前は恥というものを…知らぬ」 晴明の背に回された腕が彼を引き寄せるように力を込め、その首筋に顔を埋めた。甘い香の薫りが鼻腔に広がり、痺れるような官能が思考すべてを埋め尽くす。 愛しいものを抱いている、その真実を全身で享受しながら揺する腰を早め彼の喘ぎを強要する。縋って、溺れるよう、離れさせぬよう、繰り返し。 「ああ…気を遣りそうだ」 「…………だ」 「なに」 「…おれも、だ…」 小さな呟きは耳元で溶けるように。 鼻にかかったそれは晴明の身の内にたまらぬ愉悦を巻き起こし激情が出口を求め暴れ始めた。他愛ないものよ、自らに揶揄の言葉を投げてはみるものの沸き起こる胸の温みが初めての恋に身を躍らす頃のような安堵と幸福を主張する。 あっあっ、と息ばかりの声を上げ博雅の四肢が晴明に絡み付く。薄く開いた目は己を抱き締める相手を確かめてでもいるようにひたと彼の顔に当てられ、苦しげな表情をしながらも甘く潤んだ瞳は逸らすことなく見詰めている。 ぶるり、博雅の体が震えた。 極みの声はかみ殺されてしまったが、背中に立てられた爪が彼の快楽の深さを物語っている。愛しいと、そして手に入れたのだと、抱えた思い人の躰を強く折れよとばかりに抱き締めたとき晴明の唇から淫らな喘ぎが零れた。博雅の耳元に吹き込まれたそれに彼は小さな悲鳴を上げながら、その腕の力を緩めることはしなかった。 涙ばかりの掠れる声で、"すきだ"と確かに、囁いた。 清めた体に申し訳程度の衣をまとい、嫌がる博雅を抱き締めたまま横たわっている。 彼があまりに暴れるので、照れているのか悔やんでいるのか、そう尋ねると怒りも露わに"お前、熱があるのだぞ"と叱り飛ばされそういえばそうであったと他人事のように思い出した。 『熱は出しきったのでな』 そう言うと益々激昂した博雅は涙目になりながら抗いはじめ、けれど彼には過ぎた官能の時に言うことを聞かぬ四肢は意志を裏切り晴明の腕の中へと落ちてきた。 往生際というものを遙か彼方に蹴り飛ばした博雅は未だぶつぶつと何事か呟き、深く抱き込まれた胸を拳で叩いたりしているが、そういうところが愛しいのよと囁き返され漸く諦めたように大人しくなった。 「寒くは…ないか」 「お前がおるからな」 「俺が共におれば寒くはないか」 「ああ」 「一人ではないか」 「ああ」 「幸せか」 「幸せだ」 「悔いたりせぬか」 「それはお前だ」 「俺は悔やまぬ。…もう腹を決めた。晴明が好きだから、これでよい」 「そうか」 「そうだ」 「俺が好きか」 「好きだ」 「共におるのだな」 「ここにおる」 「俺のものか」 「晴明は俺のものなのか」 「うむ、そうかも知れぬ」 「そうではないかも知れぬのか」 「時としてな」 「では俺も時としてお前のものではない」 「ひどいな」 「なぜ。お前が先に言うたのであろう」 「そうだったか」 「そうだ」 「そうか。ではやめだ。俺はどのような時も博雅のものであるよ」 「嘘くさい」 「嘘に聞こえるか」 「お前が言うとな」 「俺の言葉は嘘くさいか」 「陰陽師の言などすべて怪しい」 「はは、言うな」 「言うさ」 「そうか」 「そうだ」 「博雅」 「なんだ」 「俺が好きか」 「…もう言うた」 「もう一度言え」 「えらそうな物言いだ」 「えらそうか。それはいかんな」 「では謝れ」 「いやだ」 「なぜ」 「博雅、ごまかすな。俺が好きか」 「ごまかしているのはお前だろう」 「そうか。俺がごまかしたのか」 「…そうだ」 「博雅」 「……なんだ」 「目が閉じているぞ」 「…眠い」 「眠いか」 「ああ………眠い」 「寝てもよいよ」 「…いい、か…」 「ああ。"お夜(よ)り遊ばしませ"博雅様」 「ばか………それは、女房の……言葉だ………」 すう、と。 吸い込まれた息が吐き出されたとき、博雅は夢寐(むび)の旅路に付いていた。 「俺を…好いてくれるのか」 誰も信じず、誰も求めず。 そうして生きてきた己が初めてほしいと求めた相手に思われることが、これほどに暖かく幸せなこととは思いもしなかった。眠る彼の背を優しく撫でながら、その温もりを一人静かに噛み締める。 離さぬよ。なにがあっても、誰に後ろ指を指されようと、この先の道は共に歩むと決めたから。その手を離さぬと誓い合うたのだから。離さぬ。…離れぬ。 独白を胸の中に繰り返し、やがて彼の瞼も静かに、静かに伏せられた。博雅の見る夢の中へと、安らかなまま進入を果たせるように。 お前が好きだよ。 溢れる愛しさは神泉の如く尽きることなく、彼の胸を浸し続けるであろう。 始まりは今宵、このとき。 永劫を重ねたいま、恐れるものなど、なにもないから。 ふたり、だから。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-* Su-jinさまのリクエスト作品です。 海を越えたお客様が、よもや極東の片隅に咲いた(咲いてるつもり)徒花、 |
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