ありがとうなら

        ☆BUG&BOM特別番外編☆

                              進藤りえさま 500hit Request

 

 

 

 

 「もう見たのか」

 「……………」

 「博雅、これはもう見たのか」

 「…………ああ…」

 「見たのか、見ていないのか」

 「……ああ」

 「ああでは分からぬ。見たなら片付けよ。見ていないならばきちんと起きて、終いまで見たら片付けてくれ」

 「……ああ」

 「博雅っ」

 「…ああ…」

 「…ひろまさ…」

 

かわいい妻はいま、だらしなく柱に寄りかかった姿で琵琶を磨いている。手元の作業は時々止まりそうになる緩慢なもので、それが決して熱心に行われている訳ではないことは誰の目にも明らかであった。そんな博雅の後ろで拳を振り回し小言を言っていたのは晴明である。

平安最強の陰陽師でありながら倭国随一のアホでもある彼は、その職業柄驚異の片付け魔であった。陰陽の道には秘事が多いが、それに比例するかのように使用する道具や書物も生半な量では済まされない。元来の気性もさることながら、それらを必要に応じて素早く取り出せなければ仕事にならぬこともあり、彼の屋敷の中はいつでも整理がなされ散らかっていたことなど一度もないのだ。

その晴明の屋敷が。

厳密に言うと、彼とその最愛の妻(晴明予定)が常日頃くつろぐことに使用している北の対屋は現在すごいことになっていた。

なにがどうすごいのか。それは博雅の背後を見てもらえればすぐに分かる。

さて状況を説明する前に今度は博雅について少し語っておこう。彼は言わずとしれた醍醐天皇の皇孫であり、いまは臣下に下り朝廷より従四位を頂くいとやんごとないお貴族様だ。出世や私利私欲に駆られた宮中にあっては無垢すぎる彼ではあるが、貴族であることに何ら代わりはなく当然それは生活すべてに反映されていることでもある。

つまりなにが言いたいかというと、博雅という漢は望めば大抵のものは手に入ったし、自らは口に出すだけで行動に移すのはすべて家人任せであったということだ。

横のものを縦にする必要がない。据え膳上げ膳、至れり尽くせり、ゴージャスアフターケアー完全看護(?)、天下無敵のおぼっちゃまである。

 

で、その結果。

 

 「興味などないのではないかとあれほど申したのに、お前が見せろと言うから出してやったのだぞ」

 「ああ」

 「ああではない、博雅、見ないなら片付けてくれ」

 「ああ」

エンドレス。

 

昼過ぎに、職務を終えたその足で安部邸までやってきた博雅は出された菓子をつまみながらすいと指先を伸ばし大きな葛籠(つづら)を指し示した。

 『あれはなにが入っておるのだ』

北の対には陰陽道に関する大切な道具が保管された厨子や葛籠が並んでいる。そのどれもがまるでテトリスのようにぴたりと隙間を埋めている様は神経質に映るが、そうしておかねばあとで苦労するのは晴明自身であり性分でもあるから苦にはならない。彼は出したものは必ず元の場所に戻さねば気が済まぬし、これはここ、あれはそこと、積み木を重ねるようにサイズを考慮した配置を組むのが好きであった。電化製品を買えばその箱は決して捨てることなく、使い終われば元通りにしまってしまうあの習性を持っていたと言えば分かり易いか。

とにかく博雅は"見ても面白いものではないぞ。唐渡りの書物だが、かの国の起こりや政についてなどが記されたものばかりだ"という晴明の言葉を聞いちゃいませーんという顔で出してほしいとせがんだのだ。惚れた弱みでえっちらおっちら、葛籠の紐を解き巻物や書簡を彼の元まで運んでやった。実に健気だ。

けれどそれを受ける博雅にしてみれば見たいものが手に入ったというそれだけのことであり、これですべてだと息を付いた晴明に労いの言葉もなく伸ばした指でパラパラと書類のいくつかをまくってみていた。

 

つまんないよ?

晴明は確かにそう言ったのだ。でも博雅が見たいと言うのだから仕方ない。本当に見るつもりがあるのか、疑わしい目を向けながらも別の葛籠の中身を整理し始めた。

ぱらり

ぱらり

ぱら

 

…終了。

せーちゃんチェックによると四つの書簡をそれぞれ二、三枚ずつと、巻物の紐を解きダラダラーっと広げられたのが七本。勿論冒頭の数行を斜め読みして終わっているのだから本来広げる必要など全くないことも追記しておく。

結局彼は散らかすだけですぐに興味を失い、片付けをしていた晴明がうっかり奥から出してしまった琵琶に気付くとすぐさまそれを所望しびよんびよんと爪弾いたあと、今度はそのままお昼寝タイムに突入し、いまや半眼で手にした琵琶の紫檀の胴を袖口で磨くというにっちもさっちも動物以下の本能丸出し状態へと移行している訳だった。

晴明でなくとも呆れるやら腹立たしいやら、文句の一つも言いたくなって当然だろう。

 

 「博雅、お前が出せと言ったのだ。戻すくらいはしてくれ」

 「…ああ」

 「ひろまさっ」

ビーン

 「あ………」

 「…ああ…」

弦が切れた。

 「晴明、お前がいきなり大声を出すから切れてしまったではないか」

 「大声で切れるものか。お前が爪でもかけたのだろう」

 「俺の所為だというのか」

 「かわいい顔で寝惚けておるから悪いのだ」

 「寝惚けてなどおらぬ」

ぷい

 「寝惚けていたではないか」

頬をふくらませ横を向くハニーはかわいいが、部屋は片づかない弦は切られると晴明にとっては踏んだり蹴ったりなのでいつもの通り"ぷくぷくほっぺを、つんつんつーん"などということはしない。…そういうことしてるからナメられるんだって。

 「目が覚めたのなら丁度良い。葛籠には俺が戻すから、お前は巻物を戻してあそこまで運んでくれ」

言いながら歩き出した晴明は反応がないので振り返ってみる。

果たして自分を見詰めているのは博雅なのだが、鳩が豆鉄砲どころか吹き矢でも食らったかのような顔をしている。なんとも間抜けだがこの期に及んで晴明の心の中には"やん、カワユイ"という乙女チック爆弾が炸裂している。

いいでしょ、乙女チック爆弾。プラスチック爆弾よりある意味効果は絶大です。

 「どうした」

 「いまなんと申した」

 「いま?」

 「俺になにか言うたであろう」

 「ああ、巻物を巻き戻し、散らかした書物を運んでくれと言うたのだが」

 「俺にか」

 「そこにお前以外の誰がおる」

 「俺しかおらぬ」

 「そうだ。博雅しかおらぬ」

なにを言っておるのだ。口の中で呟きながら晴明は葛籠まで戻ると片付けを再開する。

これはこの隅に置いた方がジャストフィットするのではないか?…やはりな。うむ、これでここにあの文箱が二つ入るぞ。しめしめ、あれらの出っ張りが気になって仕方なかったのだが、なんのことはないこれでスッキリしたではないか。

満足げに頷きながら手を動かしていた晴明だが、一向に音沙汰のない博雅に怪訝な顔を向ける。彼は未だに"びっくりしてます"という表情で晴明を凝視していた。

 「なんだ、まだ一つも片付いていないではないか。早く運んでくれ」

 「俺がか」

 「だからお前だと言うておろう」

 「俺にせよ、と晴明は申しておるのか」

 「お前にだ、博雅」

いい加減頭に来たが顔には出さない。そのまま片付けを続行する。

かたん

ごそごそ

とん

かたり

…よし。

満足のいく収納に頷いた彼は、未だに空き箱状態の葛籠を眺め次いで博雅を振り向いた。

 「………博雅よ、お前は犬か」

とろん、と眠そうな目をしたまま大あくびをしている。

全くこれっぽっちも片付ける意志のない彼に漸く気付いた晴明は、幾分怒りのこもる足取りで博雅の元に戻るとその腕を掴み引き上げた。

 「俺が手伝うと言うておるのだ、早く片付けてしまえ」

 「なぜ俺がするのだ」

むーとかうーという音がしている。多分博雅の口から漏れているものだが、子供が駄々をこねるときに発するあれに近い。つか、そのもの。

 「お前が見ると言うから出してやったのだ。広げるだけで見ないのであれば邪魔で仕方ない、片付けよ」

 「だからどうして俺が片付けるのだ」

 「お前が見たいと、…博雅、いい加減にしてくれ。俺は散らかっておるのだけは許せぬのだ。片付けさせてくれ」

 「許す」

 「は?」

 「だから、許す。片付けても良いぞ」

 「…はい?」

話は済んだとばかり満足げな博雅に目が点になる。

 「こら、なにをどう許すというのだ」

 「もう気は済んだ。だから片付けても良いと言うたのだ」

 「お前の気が済むと俺が片付けるのか」

 「式を召し出せば良かろう」

 「そう言う問題ではない」

 「なぜだ。俺はもうこれらを見るつもりはない。だから片付けても良いと言うておるのだ。だがなにも晴明にせよとは申しておらぬぞ」

 「己で出来ることは極力自らの手でするものだ。式は召使いではないのだからな」

 「では仕方ない、晴明がせよ」

 「博雅…」

 「散らかっておるのは嫌なのだろう?止めはせぬ、存分に片付けよ」

…………………

 「ああ、晴明よ」

 「なんだ」

 「その前に弦を出してくれ。張り替えてやらねばこれが哀れだ」

手にした琵琶を撫でさする。

ふらふらとした足取りで二階厨子の前まで進むと、そこに収納してある琵琶の弦を取り出し博雅の前まで戻る。"ん"と差し出すと"うむ"と受け取るがやはり労いの言葉はない。

 「博雅…お前は人になにかをしてもらっても感謝の気持ちを述べぬのか」

いや、そのようなことはない。彼はバカ正直であったし実直が衣を着て歩いているようなものだから、恩義を感じればきちんと礼を言うしそれなりの対応をしている。だから自らの言葉にこそ誤りを感じる晴明としては、なんだかとことん納得できずモヤモヤしたものが胸にたまった。

 「俺になにを言わせたいのだ」

 「なにを、と言われても…」

ありがとうだろう、この場合。

 「もうよいぞ、片付けを始めてくれ」

 「そうか」

 「そうだ」

きりきりと音を立てつつ弦を張り替える博雅の手元を見詰める。不器用なくせにこと楽に関することだけは素早くこなすそれを恨めしく見ていると、晴明の口が自然と開き言葉を発していた。

 「ありが…とうなら…」

 「うん?」

 「そうだ、ではなく、お前の言葉がありがとうなら…」

せめて弦を持っていってやったことくらい感謝してくれれば、諦めて片付けをしてやったかもしれないが…

 「ありがとうなら…」

博雅が繰り返す。

 「ああ!」

ぽん、と膝を打つ。

 「芋虫、二十歳?」

 

は?

 

 「ありがとうなら、芋虫はたち。むかで三十で嫁に行く。…であったか」

確かそのようなことを兼家様が仰せであった。

うむうむ、と頷いた博雅は張り替えたそれを調弦し、暮れ方の薄赤い空に向けゆるゆると琵琶の音を響かせ始める。

びよーん

カー

びよよーん

カー

じょじょぉぉぉぉん

 

カー

 

空を行くカラスの合いの手が晴明の悲しみをさらに煽る。

立ち尽くす彼の背後では、ついに見かねた式たちが自らの意志で姿を現し散らかった周囲を片付けていた。

平穏な一日が、こうしてまた暮れていく。

 

 

 

後日、博雅の"散らかし"についてさりげなく俊宏に探りを入れてみたところ、あれは彼なりの甘えでもあり近しく心を許したものであれば"ボク、おぼっちゃん"魂を遺憾なく発揮し何事についても人任せであるということを聞き出せた。

頼られているのだ。甘えられていたのだ。晴明であればなにを言ってもいいと、博雅なりの結論に達した上での愛らしい暴挙であったのだ。

無理にでも自らを納得させようという、哀れな陰陽師はしかし、翌日師輔の元に大量の几帳を求める旨を知らせていた。視界に入るから気になるのだ。すべて隠してしまえば被害は減るやもしれない。

 

虚しい願いのような気はしたが、どうせ几帳を用立てるのは師輔なのだ。懐が痛まぬのをせめてもの幸いとし、今日も愛しの博雅が尋ねてくるのを首を長くして待ち焦がれる晴明であった。

 

 

お気の毒?

                       いいえ、自業自得にあと、一歩。