BUG & BOM !  憂いのCHAMPION Hop Step Paradise  27


 

 

 

 

塗り籠の中には、主の寝所以外にその屋の宝物を収納する役目がある。

財宝というものに興味のない晴明だから、ここに置かれた物も金銭価値で言えば子供の駄賃にもならないガラクタばかりに見えた。実際、木片や紙片、石、屑水晶などといった盗賊が見れば腹を立てそうな品ばかりが丁寧に並べられ、それがまた彼の得体の知れない感じを助長させている。

手を引かれ、塗り籠まで歩いてきた博雅は初めて入る晴明の寝所にドキドキしつつも、妙なものばかりの空間に違う好奇心が湧いてきてキョロキョロ周囲を観察していた。

 

「なんだ、欲しいものでもあるのか」

酒と瓶子を持った晴明が戻ってくる。ムードは満点だったがそのまま連れ込んで押し倒すのもよろしくない。平安人は"雅な恋"のエキスパートだ、ここは一つ好きな酒で唇を濡らし、文代わりの思いの丈でもじっくりゆっくり交わせばいい。

彼をこの手にしたのだから、焦る必要はもうないのだ。

博雅の隣に座すと土器を手渡そうとして…気付く。

そう言えばこの土器(かわらけ)って言葉、近世語ではちょっとエッチな意味があったりするんだよー。自分で調べてねー。

 「これはなんだ?」

 「そっそれはだな、それはその、式神だ」

 「それは分かる。人形だからな。一体なんの式神なのだ?なぜここにある」

 「あー、えー、それはー…」

博雅が手にした人形をヒラヒラさせつつ、無邪気に晴明に問うている。それは、彼が言う通り呪を施し式神へと転じさせる道具の一つであるのだが、何度も言うように"神"と名付けられてはいても所詮は物精である。つまり博雅が聞きたいのは"なにを利用したものか"ということであり、そのなにかといえばこの屋敷では花だったり蟲だったりと様々に取り揃えられていたので、こうして塗り籠に保管するほど大切なものであればさぞや変わった式神であろうと興味が湧いても当然のことと言えた。

晴明の答えを待ちキラキラお目々で見詰めてくる博雅に、なにか納得させられることはないかと脳内コンピューターをフル回転させるがこんな時ばかりはさすがの彼も対応が出来ない。なんせ"嘘は吐かぬ"と約束してしまった直後なのだ、なけなしの良心が"ダメッせーちゃんはひろましゃに嘘ゆわないって約束したもん!"と叫んでいるのだ。

 「晴明、教えてくれぬのか?…そうか、そうだな。ここにある以上は安部家の家宝、易々と他人に知らせてよいものではないな…」

しょんぼり

 「たったったっ他人などと!俺がお前を他人だなどと思うておるはずがなかろう!」

 「本当か?」

きゅぅぅん

ちょっぴり尖らせた唇が凶悪なまでにかわいい。晴明の主観ではあるが間違いではない辺りが博雅の博雅たる所以だ。

 「お前は俺の…」

 「晴明の?」

 「つ…………妻であるからな」

様子を見ながら言うところが悲しい。いままで散々、屋敷中を逃げ回って"妻じゃない"と主張して来た博雅だ。そんな彼がせっかくこうして仲睦まじく塗り籠の中にいることは承諾してくれたのだ、迂闊なことを言って機嫌を損ねられてはたまらない。しかし。

 「………うん」

 

うん。

 

こくん、と頷き少しばかり潤んだ目で見詰めてくる。

イカン!イカンぞ晴明、落ち着くのだ俺!

内心で己の頭をポカポカ殴り付けながら、なんとか涼しい顔を保つため袖の中にある指で自らの膝を思い切り抓りあげる。

痛い!痛いぞ俺!だが我慢だ、我慢するのだせいめいーっ!

心中でのやかましさを微塵も感じさせず、ゆったり仄かな笑みを唇の端に浮かべ博雅を見詰めていると、彼はなにを思ったか手にした人形を握ったままにじり寄ってきた。ああっイカン、握ってはイカン!と動揺する晴明も知らずよじよじと膝で近付いた彼はちょこん、と晴明の膝に自らの膝を付け嬉しそうに微笑んだ。

 「もう、逃げたりせぬぞ」

 「ひ、ひろ……」

 「俺とて覚悟を決めたのだ。逃げていてはなにも始まらぬし、晴明のことは心から思うておるのだからな」

 「ひろまさ…」

不慣れながらも甘えた仕草をしてくれる博雅に、晴明の感動のレベルはうなぎ登りに上昇する。夢じゃないのか?俺はあの攻め博雅に誑かされておるのではないか。油断していざ押し倒そうとした途端、"よいではないか"と返り討ちにあったりするのではないかと半分恐慌状態に陥った晴明であったが、幸せそうに微笑む博雅はニコニコと彼を見詰めるだけで決して襲いかかって来ようとはしなかった。当たり前だ、うちの博雅がこやつに襲いかかる時などがあるとすればそれは鬼にでも取り憑かれた状態でなければありえない。

とにかくいま、この瞬間にも博雅は晴明のものだった。酒など含まずとも十分ムードはあったし、なにより博雅からゴーサインがでているのだ。据え膳どころか"自らが三方の上に乗る鯛"という言葉通り、もー食べちゃってくださいよーと言っているも同然なのだからここは一気に男の甲斐性を見せるべきところと定め、意を決しともに明けゆく空を見ん、と勇んで……………

 「………晴明?」

ぐっと博雅の肩を掴んだところで、無垢な瞳とバッチリ目が合う。幾分怯えを含んではいたがそれでも拒むことなくじっとしている。これから我が身に起こることを思うと怖い気持ちがこみ上げるのだろうが、それでも信じた晴明との初めての逢瀬を前に博雅とて多大なる決心をしたのだ。微かに震える睫からも、まるで晴明を誘うような色香が漂っている。

 「どうした晴明…なにか、俺はなにか…」

気に食わぬことをしたか?

聞き取れぬほどの小さな声で呟き、この期に及んで不都合でもしでかしたのかと自らの体を眺め回す。肩は晴明に手を置かれたまま、なにも変わったところはないように思うが…そこで博雅はハタと気付いた。

 「あ、晴明、あの…俺はこういうことは…閨の嗜みはよく分からぬのだが…もしかして、俺が脱がねばならぬのか?そうするのが当たり前なのだろうか」

烏帽子を取ること、肌を見せることを由としない貴族である博雅に取り、自ら着衣を解くことなど恥以外のなにものでもない。けれどそれが閨での務めであるのなら泣き言は言っていられない。晴明の妻として、彼には従わねばならぬことの一つなのだと思えばどれほどの恥辱であっても堪えねばならぬと、自己完結した博雅はおずおずと両手を襟元へ当てトンボを外そうと震える指を操った。

が。

 

 「あれ」

そこで漸く気付いた。先ほどまで俺は何かを持っていたはず、確かこの手にぎゅうっと握ったそれは紙のようにかさかさと音を立て、そしてそれは晴明の…

 「うわぁぁっすまぬ晴明、大切な人形であったのにっ!」

あわあわと慌てふためき座っている周囲を見回すが、今の今まで握っていたはずの人形は見つからない。どこだ、どこにいったのだとキョロキョロしている博雅の前で、晴明の肩がプルプル震えだした。困ったぞ、怒らせてしまったかと首を竦めながら盗み見る晴明は、けれど怒っている訳ではなさそうだ。俯き、小さな声でなにやら呟いているようなのでビクビクしながらもそっと聞き耳を立ててみる。

 「………さ………ひろ……さ………」

なんだ、どうやら俺の名を呼んでおるようだ。

ほっと胸を撫で下ろしかけた博雅は、けれどすぐおかしなことに気が付いた。

 「イカン……………出てきてはならぬ…ひろまさっ」

はてな?

出てきてはならぬと、彼は確かにそう言った。そしてその後に続いた名前は確かに自分のもので、つまり晴明が必死の形相で呟いていることには"博雅よ、ここに出てきてはならぬ"と、そう言っているようなのだが…。

訳が分からず、首を傾げつつ晴明の様子を窺ってみる。怜悧な美貌がわなわなと震える様はなにか余程恐ろしいことでも目の当たりにしなければ決して浮かばぬものだと思う。しかもこれは紛れもなく晴明なのだ、いかな鬼でも恐れぬ彼がこれほど怯え狼狽するとは何事かと思わず身構えた博雅だが、すぐにホヤーンとした己の顔に気付き我がことながら腹立たしくなった。

いや、なにやら晴明の大事であるというのに俺という男はなんとノンキな顔をしておるのか。

ほえー、というかふえーというか、とにかく締まりのない顔で嬉しげに晴明を見ている。向かいにある鏡に映るそれはまるで人をバカにしているような緊張感のないものだったから、必死になって頬の肉を締め上げ厳しい顔を作って見る。むんっと気合を入れ唇を引き結び鏡を睨み付け………

 「……俺は…笑っておるな」

再度力を込め表情を引き締める。だが鏡の中の博雅は笑っている。緊張感の欠片もない、なんともだらしのない顔でヘラヘラ笑いつつしかも晴明の膝の上に手を置きあまつさえ…

 「晴明、遊んでくれ」

 「は?」

 「ああっイカン博雅!」

 「え?」

 「遊んでくれ、晴明」

 

は?…………ええ?

 

 

 

晴明の胸元に、ピッタリ寄り添うそれは紛れもなく博雅だ。だがその光景を見ているのも確かに博雅でありそれでは博雅が二人もいることになってしまうし、自分に兄弟はいるがここまで顔形の似た者はいないしましてや彼らは晴明との親交など皆無であった。

 

博雅には他に四人の兄弟がいる。克明も夭逝した割りには子沢山だが、四男一女でありその一人娘は藤原忠平の孫、頼忠の妻となっている。…らしい。春明譚ではなにかと活躍の忠平と博雅はこうして叔父甥以外にも血縁関係にあるのですよーと、こんなアホな物語の中に生かすような設定じゃないだろう。ボカッ、イテッ、すいません。でも"時平の女"つまり博雅の母親もそうだけれど、藤原忠平及び時平の娘はこの辺りの天皇、貴族の妻になりすぎだから。何人いるんだか見当もつかないし、長女と末娘では軽く十八ほどの差がある。ゆずポン算出なのでその辺りは聞き流して欲しいがまあとにかく時平自体が何人の妻を持っていたのか首を捻りたくなる感じは拭えない。

とにかく博雅の周囲には天皇家が控えているので、系図を書き出しても訳が分からなくなってしまう。気になった方は自分で調べていただくとして、さてなにやら緊迫してきた本編に戻ってみよう。

 

 

 

 「晴明…それは、鏡では……ない、のだな…」

 「いやっこここ、これには深い訳があってだな、こら博雅、手をどけよっ」

 「遊んでくれ晴明、いつものように」

いつも。

いつも遊んでいるのか。晴明は、この俺の顔をしたなにかと、いつも…

そこまで考えた博雅はふと気が付いた。己の顔をした己ではないもの。瓜二つであり、けれどまったく異なるもの。異層の世界に暮すもの。晴明ではない晴明を求め愛するもの。

 「晴明、よもやそれは先ほどの俺ではっ」

 「違う!あれはまだ連れ出してはおらぬ」

 「…まだ?」

 「あ、いやそれはこちらのことだ。ちちち違うぞ博雅、これは博雅ではなく、いや博雅なのだがそうではなくっ」

 「俺でないことくらい分かっておる。そして昼間の俺でもないとしたら、それは一体誰なのだ。なぜ俺と同じ顔をしている?なぜ晴明にそれほど寄り添うておるのだっ」

涙目である。

突き付けた指で晴明に詰問しながら、博雅は既に涙目になっている。考えたくはないが彼はこの事態を前に一つの結論に勝手に辿り着いていた。すごいなー、恋に目覚めた途端早速"ヤキモチ"なんて高等技術を身に付けたかー。やるじゃないか、ヒロちゃん。

 「分かったぞ!それこそが晴明、お前の求めたものなのだ。俺は…同じ顔を持つ俺はただの……ただの身代わりに過ぎぬということなのだっ!」

 「…あー博雅くん、どうすればそんな発想が出来るのかね」

 「全ては偽りであったのだな、お前はその、俺とおなじ顔をしたものを求めるが故に俺をも手中にしようと企んだに過ぎぬのだ。愛するものに似た俺を側近くに侍らせることのみが大事であったのだ!」

 「だから、なぜそのように妙な小細工を弄さねばならぬのだ。俺が好いておるのは博雅だと言うたではないか。信じると言うてくれたではなかったか」

 「信じたかった。信じたかったに決まっている!俺は…俺は晴明を好きだと……晴明の側にいたいと…おもっ思ったっひっく、のにっひぐっ、うえっぐ」

 「泣くな博雅、お前が泣くことなどなにもないのだから」

おー、よちよち。

と、手を伸ばそうとしたところに。

 「晴明、遊んでくれ」

無邪気すぎる、アホの子の声。

 

 

 

 「うわーーーーーーーーーーーーーーーん、晴明の、ばかーーーーーーーーーーーっ」

 

 

 

 

 

ドタバタと走り去る博雅の足音を聞きながら、晴明は伸ばした腕が虚しく宙に浮くのをただ見ていた。そしてその腕に、嬉しげに縋る一人の男。博雅の顔をした、それ。

 「俺の……俺の思いが強すぎて、実体を持ちつつあるのだな…はは、これはあれだな、謎掛け歌のようなものだな」

 

ほにゃららでー ほにゃにゃにほにゃにゃにゃ ほにゃほにゃにゃー

 

 「嬉しくもあり、悲しくもあり」

 「晴明」

ぺっとり。

 

稀代の陰陽師、安倍晴明。

彼の作る式神はその容姿の美麗なること他の追随を許さず、そしてその"存在の確かさ"は蜜虫や常葉を見てもらえれば言うまでもないことであろう。

博雅の代わりに彼が愛でた式神。師輔の家では彼と睦み合うことのみが幸せであったという、晴明が自ら作り出した代償行為のなれの果て。

 

 「晴明、遊んでくれ」

 「ううっ俺のかわいい"ラブ式神ちゃん"よ…なぜにいまこの時自我など持ったりしたのだ…」

 

人を呪わば穴二つって言うじゃないか。

いや別に呪ってないけど、でもこう、穴二つって辺りが笑えなかったり卑猥だったり。

 

 

 

 「うわーーーーーーーーーっ待ってくれひろましゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 「遊んでくれせいめいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ」

 

 

 

 

ドタバタと走り去る足音を聞きながら、蜜虫は常葉と二人月を見ている。


 「殿には…もう我らがして差し上げられることなどないようですわね」

 「私もそのように。まあ蜜虫、ご覧なさい。百足と蜻蛉が獲物の取りあいをしておいでよ」

 「醜いこと。これ蟷螂、いまこそお前の鎌が役立つ時です」

蜜虫からの許しを得て、巨大いも虫を取り合う式神の元へ駆け付けた蟷螂は手にした鎌で女たちの仲裁に入る。餓鬼と殺人鬼の闘いのようなシーンを見るともなしに眺める二人の元へ、泣きながら走っていく博雅の声と追いかける晴明、その晴明を追うラブ式神ちゃんの声が届く。

 「ねえ蜜虫、このような宵ですから、我らも酒などをいただきましょう」

 「それはよい考えですわ」

そそと立ち上がり二人は屋敷の奥へと消えていく。残された三人の式の争いはそんな全ての状態からは切り離された世界のように、彼女らの日常として埋もれていくのだ。

人間万事塞翁が馬、というが晴明と博雅の歩む道はまだまだ波乱万丈のようである。

 

 

さて漸く思いを通わせることとなった二人だが、新たなスタートを切ってしまったらしいいまどう対処すればいいのかまた放っておけばいいのか。どなたか妙案でもあればぜひ知らせて欲しい。

長い長い生涯の、短い短い時の中で。

精一杯生きる彼らがどうか幸せであるように。

ただそれだけを祈りながら、この物語は終焉を迎えることとする。

 

お付き合いくださった全ての皆様に

 




                                        感謝