BUG&BOM 2003 映画陰陽師公開記念作品

       *-*- Strip or Trip -*-*

 

 

 

 

晴明には、こればかりは譲れない、彼が彼として生きるため必要不可欠にして絶対条件でもある"とある性癖"があった。

 

性癖という言葉を辞書で引けば、「性質の片寄り、くせ」というなんともむず痒い解釈にお目にかかれる。性質の片寄りと言えば"へそ曲がり"の方が余程しっくり来るような気がするのは最早現代病のようなもので、この場合辞書の表すところにこそ本来の意味があるのだが…まあとにかく、性癖という表現はあまりよくないものを指し示す言葉であるという認識がある以上、晴明についてもその段階で"またかよ"という罵倒と冷たい視線を送ってやればよしということになるのだろう。

 

帝の覚えもめでたい…晴明の場合丁寧語ではない"お"が、めでたいの前に付くともっと相応しくなるその比類なき才覚を持つ陰陽師は、今日も今日とて自邸の濡れ縁でゴロリゴロリと怠惰の限りを尽くしていた。

仕事はある。

今朝まだ早い刻限に師輔の遣いが現れて、帝よりの密書を押しつけられた。いつも主が酷い目に遭わされていることを承知しきったその男は、恐れ多くも帝自らがしたためたらしきその封書を晴明の胸元に押しつけると半べそを掻きつつ下がっていった。懸命な態度だとは思うがそれでは面白くない晴明と、彼の思惑はすべて成就させたい蜜虫の手により哀れ文使いの従者は帰宅の途中牛糞の中に足を突っ込み泣く泣く九条邸へと引き上げていったというがなんのことはない。押したのだ、蜜虫が。彼の背中を。

報告を受けた晴明は口の端で笑ったあと、読むつもりのない書状をその辺に放り出しお気に入りの式神をありったけ召還した。蜜虫、常葉、蟷螂、蜻蛉の美々しい式神の後ろに控える者たちも、彼女らに負けず劣らず美しい容貌を持つ女房姿であった。

 

「殿、本日はどのような御遊びを」

「わたくし、先日来"あれ"が忘れられず…」

「まあ蟷螂、あなたも?」

「ええ常葉様。あの日よりこの方、蜻蛉とも話をしておりましてよ」

ねえ、と蟷螂が手にしたカマで隣の蜻蛉に同意を求める。口数の少ない蜻蛉はそれに対しニッコリ微笑み賛同を示したが、手にしたミミズを口に運ぶことには余念がない。

晴明に向かい嗜み深く問いかけた蜜虫は、随分はしたなく自らの欲求ばかりを口にする女どもを横目で睨み、無言のまま微笑んでいる晴明に再度問いかけた。

「殿、我ら式神は一命を賭し殿にお仕えする所存にございますれば、いかようなるお申し付けにもお答え致しまする」

「うむ。お前たちには全幅の信頼を寄せておるゆえ、これから先なにがあろうともこの晴明に忠誠を尽くしてくれよ」

「かしこまってございます」

深々と手を付けば、漸く他の女たちも喋ることを控え手を付いた。

まったく、殿が甘やかす故この様な無法地帯に拍車がかかるのです。と蜜虫は内心で呟いたが、それがつい先ほど右大臣の従者を牛糞まみれにした女の台詞とあっては一切の説得力がない。尤も、彼女の宇宙は晴明を中心に回っているのだからそんなことは塵ほどの重みもないことなので諦めよう。

とにかく。

今日の晴明に働くつもりがないことを見て取った蜜虫は、いかにして彼が楽しく過ごせるかに心を砕くことが最優先であると判断し再度"本日の遊び"を決定してくれるよう催促した。彼の喜びは彼女らの幸せであり、そのまま存在意義にすらなるのだ。

罪な男よ、安倍晴明。

 

「あれは確かに面白き余興であったな」

「あれ、でござりますか」

頷く晴明に式たちの歓声が上がる。思考や行動パターンが晴明と同調している女たちは、彼が編み出す遊びにひとつとして不満はない。そして元より不満がないところに"あれ"を仕掛けられては、それはもう興奮するなと言う方が無理というものだった。

「あれをお望みなのでございますね」

「蜜虫はいやか」

「いえ、わたくしに殿のお好みを否などと申し上げることはございませぬ。ございませぬが…」

「なんだ」

「はい。本日もきっと参内を終えられた博雅様がお越しになられまする故、あれにうち興じておられるのは些か…」

「危険である、と」

「はい」

優雅に頭を下げる。

手にした扇で口元を隠した晴明は、それから暫し蜜虫から視線を外していたが、やがていつもの品のよくない笑みを浮かべると小声で囁く。

「しかし蜜虫、知られてはならぬことを隠すことにこそ、愉悦の度は増すと思うのだが」

「仰せの通りにございます。ですが殿、博雅様のお目に止まればそのような一時の快楽こそが破滅をお招きになられるのではありませぬか」

「見つかればな。見咎められれば、俺とて焦らずにはおられぬよ」

「殿…」

蜜虫は溜息を吐いた。

こうなれば最早彼女に言うことはない。晴明は既に決めてしまっているのだ、あの遊びをするということを。ならばもう留め立ては無用である。式神は式神らしく、主の言うことに従えばそれでいいのだ。投げやりではなく式としての忠心が彼女の"晴明命魂"を発動させてしまったことで、最早"あれ"を阻止出来るものは皆無となったのだった。

 

さて。

それでは"あれ"とはいったい、どんなもの?

 

 

 

 

 

「それでは殿、どうあっても屋敷にはお戻りにならぬと」

「戻らぬとは言うておらぬ。一刻ほども過ごせばきっと帰るゆえ」

「そのお言葉は俊宏、既に星の数ほども聞いておりますが未だ果たされたことなどございませんね」

「な、なにを言うか。そのようなことはないぞ。ないと…思うのだが…」

しゅーんと項垂れた主の姿にこれ見よがしな溜息を吐いてやる。

政の、どの辺りに貢献したのかはさっぱり分からないが取り敢えず内裏での職務を終え帰宅するはずの博雅は、今日も牛車を前に駄々を捏ねまくっていた。その理由も結果も分かりすぎるほどに分かっている俊宏ではあったが、簡単に"はい"と言う訳にはいかない勤めというものがある。

このボンクラ主人はこれでも皇孫であり、朝廷より四位を賜るお貴族様なのだ。性別が男であっても軽々しく振る舞えるはずもなく、出来れば参内と勤めとしての外出でない限りは屋敷の内深くに籠もっていて欲しい。色々な意味で危険な博雅には家人一同本気でそう思っているという、過保護を越えた状況は彼の身分と性格が招いたもので今更変えようもない事態であった。

晴明と彼は、口に出すことは未だに憚られる始末だがどこでどう間違ったのか所謂"なさぬ仲"になっている。

詳しく聞くことは俊宏にも出来ないが、いまのところ"まだ"らしいものの、本人がキッチリはっきり『俺は晴明の妻』と言い張るのだからどうしようもない。信用はならないが晴明も本心から博雅のことを慈しんでいるのは確かなようだし、熱が冷めるまでの間は静観しているしかないと判断した俊宏は陰になり日向になりと、二人の行く末を見守っている。…見守りつつも、隙あらば引き裂こうとしていることは確かであったが。

そんな俊宏の"親の心子知らず"な博雅は、今日も愛する晴明の元へ赴かんと牛車の前で回れ右を決行した。慌てて止める俊宏には涙目、うもーうもーと鳴き声をあげる牛にはあっちにゆけと顔を押しやるという、それもまたいつもの行動に出たのだ。

押しやられた牛は不満を顕わに口の端に泡を吹きだし、それが手に付いたと情けない声を出す博雅の手を拭ってやりながら俊宏は今日も諦めの溜息とともに呟いた。

「どうあっても、行くと仰せになるのですね」

「うん」

うん、じゃないだろう。

こくりと頷く博雅は間違いなく三十路に手の届いている立派すぎる成人男子なのだが、ちょこん、と立ち尽くす様と甘ったれな視線には誰も逆らうことなど出来ない。所詮は俊宏も博雅命の家臣なのだ。

源家の未来は薄暗くてなま暖かい。

「では殿、俊宏がお供致します」

「よい。お前は先に戻っていよ」

「なりません。殿お一人ではまたいいように安倍殿に言いくるめられるのが落ちでございますからね」

「晴明を悪く言うのはよさぬか」

「悪く言っているのではございません。ありのままを申し上げているのです」

ちろり、と横目で睨まれ博雅は慌てて口をつぐんだ。せっかく許しが出たのだから、これ以上文句を言うのは得策ではないだろう。博雅とて多少は成長するのだ。ここは素早く大人しく、言うことを聞いておくに限るだろう。

 

ごとんごとんと進み始めた牛車からは、暢気な笛の音が流れてくる。

 

さあ、役者は揃ったようですよ。

 

 

 

 

 

 

「よし、これで俺の三十七連勝だな」

「殿のお手捌きは最早神の領域にございます」

平伏す蜜虫に満足げに頷く晴明は、自らの手を前に差し出すとワキワキと指を蠢かせその動きをその場の女たちに見せつけた。

「ここまで来るにはそれなりの修練が必要だ。俺に近付きたくばお前たちも精進を重ねよ」

「精進、でございますか」

きゃっと顔を伏せた常葉にニヤニヤといやらしい笑みを向け、足下に座す蜻蛉の背に触れる。殆ど白に近い顔色をした式神たちだが、晴明に触れられると途端に頬を染めたりするが、それがその指使いにあることはこの屋に住まうものしか知らぬことだ。

 

ぶっちゃけて言うなら、蜻蛉は半裸である。

 

蜻蛉だけではない。晴明、蜜虫の前、いつもは博雅と二人酒を酌み交わす庇の上にそれぞれ一列に座した女たちはみな上半身をむき出しにした状態でうっとりと晴明を見詰めている。英雄然とした晴明は片手を揚げて民衆、いや式たちの讃辞に答えていた。

女たちはみな、彼に仕えるものがそうしているように華やかな十二単に身を包んでいる。裳裾の乱れも艶やかなそれは、男であればパラダイスと呼べる状況だろうがそれが列をなして座り込んでいるとなれば話は別だろう。だって不自然だから。

肌を見せるどころか顔を覗かせることすら許されぬこの平安の時代にあって、年若い女が一列になってプリンと、いや、まあとにかく胸を晒している様など最早"異常事態"とすらいえる。その異常事態を作り出したのが他ならぬ晴明であれば、みな諦めの境地で頷くではあろうがやはり知られてよいものではない。

さて、そんな異常事態はなぜ起こったのか。説明するまでもなくこれが今日の晴明の遊びだったのだ。

ただ今安倍家ではこの"つるり合戦"が大流行していて、普段は召し出されない式たちもこの遊びの時には浮き足だって参加をねだってくる。

ルールは至って簡単。

東軍、西軍に分かれ一列に座らせた女の衣を素早く下ろすこと、これだけである。但し女たちは胸元に勾玉を幾つも通した首飾りをかけていて、脱がせたあとはこれが美しく胸の谷間になければならない。立ったまま座った女の衣をつるりと剥くのは実際やってみると意外と難しいもので、更に装飾品まで瞬時に整えるとなるとやはりそれなりの技術が必要になる。審査は総合的な美しさをも対象とするのだから。

しかしこんな馬鹿げたことになぜ女たちまでもが熱狂するのか。

それも簡単なことだ。彼女らはみな晴明の"お手つき"であり、博雅がいようがなんだろうが我が殿ナンバーワンに変わりはなく、またその寵愛を競うことは式としても重要なことなのだ。よって彼女らはみなこの遊びにより自らの肉体の美しさを晴明に認めてもらおうと必死になり、結果、戦いにも気迫が込められると言うものなのだった。

本当にバカバカしいが、晴明にはそれだけの"技術"があるということであって…早い話がみんな"そっちが好き"ということなのだろう。

ふふん、と反っくり返る晴明に向かってキラキラした視線を送る式神たちに罪はない。

きっと。

その時ふと、蜜虫チームの先頭に座した常葉の視線が動いた。

「殿、そろそろ日も暮れて参りました。酒のお支度を致しましょうか」

「うむ、そうだな。この腕の益々の冴えを祝し、今宵は心ゆくまで呑むとしよう」

満足げに頷いた晴明だが、そこで初めて気が付いた。

常葉の視線が動いたあと、蜻蛉、蟷螂、百足と、並んだ女たちの視線がすべて同じ方向に流れていった。晴明と対峙していた蜜虫と晴明本人は、だからその視線に気付くのが最後となったのだが、人生には試練こそがつきもの。この遊びに危険が含まれていたことは晴明本人が承知していたことなので諦めも付くだろう。

 

「ひ………ひろ……ひろま…」

「………………晴明」

 

鬱蒼と茂る草花の中、二人の公達が立ち尽くす。

夕日を受けたその姿を見間違えることなどないが、いまだけは幻であって欲しいと心から願う。…まあ心の中で願うだけでは、なんの効果もないけどね。

 

「安倍殿」

俊宏の声に、漸く我に返った蜜虫が女たちに指示を出し、さやさやという衣擦れの音とともに一斉に式たちが退っていく。視界から消えるのはいいとして、みな一様に衣を整えながら進むものだから余計に目立ってしまうけれどこの際それは仕方のないことだろう。

「随分と派手やかなお遊びをなさっておいでですね」

「こっ、こここ、これはっ」

「目のやり場に困りました」

実際、俊宏は女たちが退がるまできちんと下を向いていた。こういうことにかけては博雅の方が免疫のない分混乱するところなのかも知れないが、悲しいかな彼には晴明しか目に入っていない。なので、事態を把握するやじっと晴明を恨めしく見詰めていたのでプルンプルンの女体は殆ど眼中になかった。…それもまたどうかと思うけどね。

「いや、これはその、そのだな」

あわあわと手を振りながら、隣の蜜虫に視線を送る。

 

"こら蜜虫、なぜに博雅の気配を俺に知らせなかった"

"申し訳ございませぬ。しかし本日、博雅様におかれましては戻り橋をお渡りにはなられていないご様子"

"なにっ"

"戻り橋をお渡りであれば、私ではなくとも殿自らお気付かれなさいますでしょう"

"ええい、馬鹿のひとつ覚えのようにあの橋ばかりを渡っておったというに!"

"殿、これは俊宏様のご策略ではございませぬか"

"なにっ"

"博雅様にはそのようなお知恵など、いえその"

"ちょっと引っ掛かるが博雅がおバカちゃんなのは確かだ。ううむ、これは俊宏めの入れ知恵に違いないぞ。どうしてくれよう"

"殿、いまは俊宏様への報復よりも、博雅様に対するフォローが先でございますわ"

"むっそうであったな"

テレパシーさえ身に付けた陰陽師は、果たして本当に人間なのだろうか。

なんだか晴明ならエジプトの遺跡に壁画として残されていてもおかしくない感じがする。そのうち吉村先生が発見したりして。…笑えない…

さて笑えないのはこの状況の方だと言うことで、珍しく冷や汗を掻いている晴明は必死に言い訳を試みてみた。

「博雅よ、これはな、これには深い訳があるのだ」

「訳など…聞きとうない」

「そ、そう言わず聞いてくれ」

「いやだ。晴明はやはり…やはり俺などより…」

「ですから再三申し上げましたでしょう。さ、殿、お屋敷に戻りましょう」

ささっと博雅の背を押す俊宏は、振り向いて晴明を睨むことを忘れない。しかしここで睨まれたからと言って引き下がる晴明ではない。怖いのは彼に嫌われることのみであり、俊宏の白目に浮いた血管など問題ではないのだ。

「待ってくれ博雅、俺の話を聞いてくれ」

「安倍殿のお話を聞く耳など殿はお持ちではありません」


「ええい、そこに付いておるではないか、可愛らしいお耳がちょっこりと!」

「近寄らないでくださいっ」

しっしっと追い払われるがそこは野犬の如くのしつこさで博雅の周囲を巡る。既に潤みきった目の博雅はそんな晴明を恨みがましく見詰めている。

「頼む博雅、聞いてくれ」

「せっ、せいめいわっ、せっめいわっ」

ひゃっくとしゃくり上げる博雅は口調まで幼くなり、同人的には可愛いが男としてはどん底という状態で自分の胸元を掴み締めた。いい加減大人になってくれればこの物語も進展しようがあるんだけどなぁ。無理なのかなぁ。

立ち止まって泣き出した博雅に無理強いも出来ず、俊宏は片手で晴明を追い払いながらそれでも彼等の会話を許したようだ。この段階で八割方晴明の勝利は決まるのだから、家臣としてはやりきれないところだろう。なんせ博雅は晴明に惚れていて、彼の言葉は絶対だと思い込んでいるのだ。言いくるめられておしまいなのは目に見えすぎている。

「あーよちよち、泣くな博雅。俺が思うものはお前一人だと言うたであろう」

「だが、だが先ほどの、うっ、先ほどの式たちの姿はっ、ひっく」

「あれはな、あれはつまり、その、なんだー」

「なんだー?」

こてん、と首が傾げられる。

「そ、そうだ、なになのだ」

「ほっほう、なにとは一体"ナニ"でございますか」

「ふん、お前に話しかけてなどおらぬ」

俊宏の茶々に舌を出してから、はてな顔になっている博雅に微笑みかける。興味を引かれてしまえば博雅陥落などは赤子の手を捻るより簡単だ。

「よいか博雅、まずなにがあっても俺はお前だけを思うておるということは忘れないでくれ」

「それは、まあ…そうであるのだろうが…」

ふにふにと情けない声で言うのを、背を撫でることで宥めながら博雅の体を屋敷の方へと導いていく。後ろには鬼のような顔の俊宏が付き従うが、この際彼のことは放置しておこう。心得たもので、いつの間にやら側に侍っていた蜜虫がさりげない仕草で俊宏を引き離しにかかっているから、濡れ縁に戻る前には二人の姿を見失うことだろう。

 

先ほどまで半裸の女どもが並んでいた濡れ縁に上がるよう言われると、それには抵抗を感じるのか無言でイヤイヤと首を振る。そんな仕草が丸飲みするぞ!というほど愛らしいのはもしかしてわざとなのかと、そろそろ疑ってもいいのではと思うのだがやっぱり晴明はそんな彼を世界で一番キャワイイと思っているので、これこそ究極のバカップルと呼ぶべきものなのだろう。

「ここは嫌か。ではあちらへ参ろう」

「…どこも行きとうない」

「しかしここが嫌なら場所を変えるよりあるまい」

「嫌だ」

「博雅…」

涙で潤みきった丸い目が、精一杯の険しさで睨み付けてくる。迫力の欠片もない変わりに可愛らしさは数割り増しだ

「ここは俺と晴明がともに過ごす大切な場所だ。それをあのような…あのようないかがわしいことを…」

「おお博雅よ、やはりそれを気に病んでおったのか。ふふふ、お馬鹿さんめ」

内心の焦りは微塵も見せず、まだ抵抗のため体を強ばらせる博雅を無理矢理濡れ縁に上がらせる。いつもの定位置に二人が付いた時には、常葉らの手により酒宴の支度が整えられていた。空は茜色からより深い夜の色へと変わっていく。

渋る博雅に土器を取らせると、自らが酌をし飲み始める。不審げな博雅は機嫌良く盃を干す晴明をじっと見詰めていたが、彼の顔色がまったく変わらないことに警戒を解いたのか…いや、単に緊張感が持続しないだけだろうが、よい香りを立てている酒を伸ばした舌先でペロリと舐めた。

 

さて、博雅には"顔色が変わっていない"ように見える晴明だが、その胸の内では鼓動がバックバックと騒ぎ立てている。

お歯黒が怖くて女に近付かないような末期症状の博雅には、裸体を見たところでこれと言った反応はないがそれが晴明となれば話は変わる。貴族の間で、晴明ほど恐れられている男は他にない。勿論表だってということではなく、みな人に知られたくない弱みをいつの間にやら握られているということで、大概はは自業自得なのだが恐ろしいことには変わりない。

そんな晴明だが、宮中に仕える女房や本来直接見えることなどあるはずもない深窓の姫君方には絶大の人気を誇っているのも事実だった。

女というのは影のある男や妖しげな魅力を放つ男に弱い部分がある。博雅のような庇護欲を刺激するタイプも好まれはするが、彼の場合は限度を超えているので論外だ。その点晴明は危険な匂いがする上に、細身の体はストイックさの中に脆さをも含んでいるように見受けられ、彼を一目見た女たちを瞬時に魅了することもしばしばだった。

本人を見たものはその涼やかな容姿に惹き付けられ、噂を頼りに忍ぶものは更なる美化で晴明像を作り上げていく。彼自身がそうし向けていることも否めないが、とにかく彼を思う女の数は後宮に女御、更衣を侍らせる帝をも遥かに凌いでいるということは既に暗黙の了解となっていた。

そんな晴明となぜか親交の篤い博雅は、だから貴族の間で貴重な情報源とされてもいる。謎多き陰陽師の普段の生活というのは興味深いし、閑を持て余している貴族にとって人の恋愛ごとほど面白いものはないのだ。

だから博雅は参内するごとに誰かしらから晴明の話を向けられることとなり、その度彼等が驚くような秘話を披露してやったり、またそれとは逆に聞いたこともないような武勇伝を聞かされる羽目にもなる。

その度に彼が小さな胸を痛めてきたのが晴明の恋の話である。

因みに博雅の胸が大きかったら、喜ぶのは帝くらいのものだろう。彼が姫であれば晴明との道ならぬ恋に悩ませることなく、多少の身分違いには目をつぶって嫁がせることが出来るのだから。

まあ婿入り婚が主流のこの時代のことなので、嫁ぐという言葉は相応しくないが取り敢えず博雅が姫であれば確かに問題は少なかろう。精々お歯黒嫌いの彼が自分の顔を鏡で見るたびに怯えて泣き出すくらいが関の山だ。

脱線はともかく、そんな訳で博雅は晴明が女たちの噂話に出ることを快く思っているはずがないし、彼自身が自分以外を思う素振りを見ることなど到底我慢出来るものではなかったので、漸くそこまでの成長を遂げた"最愛の妻"に晴明は諸手をあげて喜んだが、ここでひとつ別問題が発生した。

晴明は女が好きだ。

女のふわんふわんの体が好きだ。

男のために化粧を施し、きらびやかに着飾る健気さと、同じくらい嫉妬深くなり愚かしい考えに振り回されるその一途さと必死さが可愛らしいとさえ思う。

自由に恋をすることのままならない、身分高き姫であればなおのことその思いは強くなり、ちょっとつまみ食い…いやいや、たとえ一夜の慰めであってもその心を癒して差し上げることが出来れば本望と、実に"男らしい"意見で女たちの間を泳いでいる。

都に興味はない。

それは確かなことだが、そこに生きる人間たちには愛着を感じている。

冷たいと思われる陰陽師の本心は、誰に知られることもなく密かに根付いているのだが、きっとこの先もそれに気付くものは誰一人としていないだろう。

博雅さえも。

けれど彼は晴明にとっての特別であり、言葉にすることなくその思いを感じているからこそ傍らにいるのであり、そんな互いだからこそ離れがたいと思うのだ。なんと麗しく美しい関係だろう。

…と美化したところで、それがBUG&BOMの晴明と博雅だと言うことでなんとなくオチがつくのだが、とにかく晴明は女の存在などとは比ぶべくもないほど博雅を欲していたので、彼にとって"恋"と呼べる感情は博雅ただ一人に向けられているし、当然博雅はそれを承知していると思っている。だがしかし。

最近、本格的に恋に目覚めた博雅は自分でも制御出来ない物思いに取り憑かれ、日々晴明に恋することで一杯一杯になっていた。当然無自覚のことだが、彼にとっては生まれて初めての経験であり誰に相談しようにも当人さえ気付いてさえいないものなので、対処しようにも手だてなどあるはずがない。従ってただ闇雲に彼の側にあることだけで自分の気持ちを宥めていた。

健気と言えば健気だが、鬱陶しいと言えば鬱陶しい。

端で見ている俊宏は、だから隙あらば引き離そうという気持ちを改めて固めているところだったので晴明にとっては非常にまずいタイミングでのことだった、と。

まあ晴明の心境説明はこんなところだろうか。

 

「のう博雅、あれはな、いまお前が見たものはな、あれはお前が考えているようなことではないのだよ」

「俺が考えていることとは、どういうことだ」

「おおお、お前の考えと言うたらお前の考えであり俺の考えではないからな、分からぬ。分からぬが分かる」

「俺はお前の言うていることの意味が分からぬ」

犬のように酒の表面を舌先で掬う。

博雅にとっては酒で誤魔化されまいという意思表示らしいが、かわいい博雅のきゃわいいベロりんがペロリペロリと酒を舐める様は晴明の色んな部分を刺激して毒にしかなっていない。帝をも掌に載せてしまうその陰陽師が、たった一人の世間知らずに踊らされているのだから、やはり源博雅は"すごい人物"なのかもしれない。

また脱線。

「よいか博雅、先ほど俺が式たちをつるりと剥いていたのにはそれなりの故というものがあるのだ」

「式といえど先ほど…先ほどここに居並んでおったはみな…みな…」

言っているうちにもう涙が浮かんでいる。晴明のことを都一女癖の悪い男だという公達たちは、大抵自分の好いた姫を彼に横取りされているからという情けない理由からなのだが、聞かされる博雅はいい気分のはずもない。

よもや晴明に限ってと、いつでも彼を庇ってきた博雅ではあったが確かに日頃から見知っている身としては品行方正という言葉から逸脱した人物であるらしいことは否めない。火のないところに煙が立たないことくらい、博雅にだって分かるのだ。

「晴明」

恨みがましく睨む目はいじらしい以外の何ものでもなく、つい鼻の下が伸びそうになるがそれでは今回の博雅は納得しないだろう。仕方なく背筋を伸ばすと、むっと唇を曲げる博雅に微笑みかけた。それはそれは婉然と、思わず彼が怒りも忘れてうっとりしてしまうような艶めかしさを籠めて。

「博雅、お前にやきもちを妬かせるなどと、それをしたのが俺であるならこれほどに嬉しいことはないぞ」

「お、俺がやきもちなど、」

慌てて返してみたものの、これがやきもち、嫉妬というものなのかと気付いた博雅は思わずポカンと口を開け晴明を見詰め返してしまった。

これは思わぬ収穫だとほくそ笑む晴明は、内心のいやらしさを零さぬよう更に流し目で彼を見ながら薄く形のいい唇を効果的に動かす。百戦錬磨の晴明に恋してしまった博雅の不運だが、こんな男に恋されてしまうような博雅も同罪と言えば同罪なのでよしとしよう。

「そうだな、博雅が俺に妬くなどと、そのようなことあるはずもないか」

寂しそうにそう返せば、忽ち不安げな瞳を潤ませる。

「あれで妬いてくれる博雅であればそれは嬉しいことだが、しかし妬いてくれるという心を持つというなら、あれは決して見せてはならぬものであったろう。…それはまあ、俺の都合のよい錯覚ではあるのだが」

「や、妬くとは、俺はそのようなことを思うたことのない無骨者故、よく分からぬ」

ほんのり赤い頬を晒しながらそう言う初々しさがまた好ましい。好ましいがここはひとつ、その無垢さ加減につけ込んで都合のいい方向へ話を持ってゆかねばならぬと、心を鬼にして晴明は溜息を吐いた。

「お前が怒るのは、式とはいえ女性(にょしょう)である身のあのものどもに肌を晒させた俺に対してであろう」

「う、あ、えー、えーと、そうだ、そうだぞ晴明。お前が常葉や他のものにあのような姿を強いるからいかんのだ。うんきっとそうだ、そうに違いない」

頷く博雅に吹き出しそうになるが、それは必死に押さえ込み微かに首を振る。

「確かにあれは軽率であった。お前が来るということは分かっていたというのに、つい夢中になり気付かなかったのは俺の落ち度だ」

「むむっ夢中にと、夢中にとは、」

女の裸を夢中になって見ていたのか!と、叫びたいのだがまさか博雅からそのように直接的なことなど言えようはずもなく、見開いたまん丸な目で晴明を睨み付ける。

「ああ、夢中になっていたさ」

「晴明!」

「夢中にもなろうさ、健康診断なのだからな」

「け、けん?」

 

はい、ハトの代わりに嘘が出ました。

 

「そうさ、健康診断さ」

あっさり言った晴明は、余裕の仕草で土器に酒をつぎ足し唇に寄せる。

「蜜虫や常葉のように重用する式は勿論、普段呼び出すことの少ない式たちにもメンテナンスが必要だ」

「…めんちかつ?」

「揚げ物ではない。因みに関西では"ミンチ"だ博雅、京の貴族であるなら"ミンチカツ"と言うのが妥当だぞ」

「その"みんち"とは一体なんなのだ」

「だから揚げ物ではなく、健康診断の話さ。日頃からフル回転で使役している式と、逆に使う機会の少ない式が体のどこにも異常なく、日々健やかに過ごせるかどうかの調べをしておったのだ」

「それはつまり…」

「人であれば薬師を呼ぼうが、あのものどもはみな俺の作りし式神だ。主としての責をもって、病など抱えていないか調べてやっていたのだ。お前とて薬師に見立てを求める時には、衣の前をはだけるだろう」

「…確かに」

「得心がいったか」

「いった」

 

いっちゃいました。

 

こくん、と頷いた博雅は舐めてばかりの酒を一息に飲み干すと、晴明の前にずいと膝を進めその目の中を覗き込む。

「晴明は、式の身を気遣うて病がないかを調べてやっていたのだな」

「他のものには任せられん。みな可愛い俺の式神たちであるのだからな」

「うむ。どれもみな、大切な晴明の式だ」

「我が屋敷では春と秋に、"大健康診断会"と称してあのようなことをしておるのだ。先に話をしておけばよかったのだが、式はその殆どが女房の姿を取っておる。お前にあらぬ誤解を招くようなことでもあればと黙っておったのだが…しかしよもや博雅に見られたところでこの様な騒ぎになるはずもないと油断しておった」

「べ、別に騒いでなど」

「そうか、妬きも騒ぎもしておらぬか」

「おらぬ」

「そうか、そうだな」

 

はっはっは、と笑い合うそれぞれの心の中にズーム・イン!

 

 

  『俺は晴明を好いてはおるが、それは俺の気持ちのこと。

やきもちと言えば嫉妬ではないか。そのような心を晴明に

押しつけてよいはずがないぞ。

博雅よ、この世に晴明ほど俺に対し誠実で清々しい男は

他におらぬではないか。二度と忘れるでないぞ』

 

 

  『セ―――――――――――――――――――――フッ!!』

 

 

 

 

 

これでいいのでしょうか?

 

 

 

…いいんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

その後、妖しげな霧によって足止めをされていた俊宏が蜜虫によって通された濡れ縁では、彼の主人がすっかり酒に酔った赤い顔でピープー笛を吹き鳴らしていた。分かっていたことではあるがそのバカバカしさに思わず嗜みも忘れインチキ陰陽師を睨み付けたが、これも最早効果はないと分かっているので早々に立ち去ることにし、踵を返す。

明日の朝、参内に間に合うよう牛車を回すと吐き捨てるように蜜虫に告げれば、その辺りは心得ている彼女に慰めの言葉をかけられる始末。

曰く。

 

「俊宏様、今宵も博雅様の笛の音は、きっと尽きることはございませぬ。ええ、紛う事なき"正真正銘"博雅様の"笛の音"は」

 

ほら、原作の晴明もよく言うでしょう。

"博雅の声は妙なる楽の音のようだ"、って。

 

 

 

 

 

笛の音が、彼の声に変わる日は…………果たして本当に来るのだろうか。

 

来るのかねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

しーらないっと。

 

 


 

 

novel