Just magical

        ☆BUG&BOM特別番外編☆

                              Su-jinさま 5000hit Request

 

 

 

 

いつもの濡れ縁に一人座している晴明は、深く重い溜息を零すと自分の両手をじっと見詰めた。いつになく萎れた姿だが、彼には"いつだってエキサイト"という枕詞が付くほど鬱陶しい人格だという事実が付きまとっているので、その程度のことで騙されるものはこの屋敷内に存在してはいなかった。

先日の祓いの礼に納められた品々を、あちらこちらと指示を出し片付けに勤しんでいた蜜虫もそれは同じことで、"まあいつになくはかどること"と満足げに頷いていたのだから晴明も気の毒といえないことはない。…かも知れない。

とにかく、朝目が覚めて彼が一番にしたことと言えば博雅に文をしたためることだった。

顔を洗って更衣を済ませ、その他諸々陰陽師らしき仕事を終えたら朝食の粥でも啜っていただき、あとは存分にお騒ぎ遊ばせ。と思っていた蜜虫としては、目やにが付いたままのような状態で筆を執られ実に腹立たしかった。我が殿は、眉目秀麗、清廉潔白、天上天下唯我独尊の大君なのだ、無様な姿などたとえそれが大病を患っている時であっても見たくはない。見たくはないがよく目撃してしまう。それが彼女の、この屋に仕えるに辺り一番不満に思う事柄であった。

だから今朝も、寝崩れた単のまま、だらしない口元で筆を執る姿に大きな溜息を零し仕方なく後ろに控えていた。

 

 『愛しいぴろまちゃへ、ナイスガイせーめーたんより。うむ、よい書き出しだ』

 

殴りつけてやりたい。

蜜虫の震える拳を、きょとんとした眼差しで百足が見ている。この女は本当に大人しく、式としての使い勝手はいいが些か情緒に欠けるのだ。

…いや、式神に情緒があったらそれは最早式ではない。蜜虫の方こそ異常なんだよと、誰かが優しく諭すべきだが、暴走陰陽師の使う第一の式神である彼女に意見できるものはこの屋敷内にはおろか、都中を捜したところで見つからないだろう。

さて、蜜虫のことはいいとして、問題は晴明だ。

彼は、気の毒なことにその最愛の妻である博雅にここ一月ばかりまともに顔を合わせてはいないのだ。年末年始の忙しさは晴明とて同じこと。だから彼なりに"逢えない時間が愛を育てる"などという安い恋愛小説のような文句を胸に堪えてきたのだ。

源博雅といえば身分だけは高く、また年賀の御遊びのような場には欠かせない楽の名手でもある。その為あちこちの貴族から宴への参加を賜りたいとの書状が後を絶たず、この時期俊宏などはマネージャー業に徹するため屋敷の運営に支障を来すほどであった。

言い換えれば、この時期を外せば博雅の存在など禁中の中において重要視されていないという実に悲しい結果をお知らせせねばなりません。と言うような有様だったが、とにかく彼はこの時期、モテモテラブリーボーイちゃんとして大活躍をしているのだ。言うまでもないがモテモテ云々は晴明が言いだしたことで、貴族の間ではもっぱら"ナイスBGM発生器"と呼ばれている。

しかし博雅の人柄は常春の思考だと誰もが認めているので、疎まれていると言うことではない。のんびりくつろぎたい時などは、彼の幸せそうな顔を見ているだけで気も弛み酒も進む。宮中での精神安定剤としての役割はきわめて重要であると言えた。

そんな訳で、ここ一月の間に晴明が彼と交わした言葉と言えば"ひっひろましゃっ、おめっおめでっ"に対し"お、晴明、めでっめでたっ"の一つだけ。

大内裏の中を歩いていた博雅を偶然見かけた晴明が声をかけたのだが、その時も彼は大勢の男達に囲まれあっと言う間に連れ去られてしまった。残された晴明の伸ばした指先はいつまでも柳のように揺れていて、密かに後を付けていた蜜虫の頬を濡らしたことは言うまでもない。

 

さて、こんな調子で過ごす晴明が焦がれ死にでもしないかと不安に思っていたのも事実なので、蜜虫は彼の行動を咎めずその筆の行方を目で追った。

 

   愛しいぴろまちゃへ、ナイスガイせーめーたんより

   おは!元気にしておるか?俺は今朝も元気でおる

   だが博雅のおらぬ暮らしは実に味気ない

   どれほど味気ないかというと、塩抜きした鮑を

   水で煮込むほども味気ないものだ

   だからどうだ、もうそろそろ酒でも飲みに来ぬか?

   程良く煮込んだ鮑でも振る舞うてやろう

   鯛がよければそれもよいがな

   いずれにしても、お前の好みの肴を揃え待とうほどに

   疾く、疾く参れよ

   あいらっびゅーんぴろりんへ、灼熱の恋泥棒せーちゃんより

 

開いた口が塞がらない。

いや、蜜虫でなくとも塞がらないだろうが、それより問題はこれを受け取った博雅がなんの抵抗もなくやってくることだ。時間に都合が付けば彼は間違いなくやってくる。酒か、肴か、なにがしかの差し入れを持って"おるかな、晴明"と、いつも通り一条戻り橋で呟いてしまうのだ。バカップルだ。

それでも。

手紙の体裁を整え、自ら庭に降りた晴明が寒梅の枝を手折り文に添える姿を見て、蜜虫は彼女の表情筋を総動員しその口元に笑みを添えた。

殿がお幸せであることが、我ら式神の一番の願い。

寂しく暮らしてきた晴明が、博雅を迎え漸く人としての春を迎えたのだ。これを喜ばずになにを喜びとするのか。仄かに温かくなる胸を感じながら、蜜虫は文の遣いを申し出た。

きっとよいお返事をいただいて参りましょう。清楚な香りに包まれた文を胸に、彼女はふわりと宙に浮いた。

 

 

それが、今朝方の出来事。

 

 

 

 

はあ、とまた一つ溜息がこぼれる。

晴明の背中は、ノートルダムのせむし男ほどにもひん曲がり、その鼻先は自らの膝に付いている。落胆ぶりはその姿を見ずとも分かるが、いつでも美しくあって欲しい蜜虫としては実に口惜しく、そしてもの悲しい。彼にこの様な仕打ちをする博雅を本気で呪ってしまいそうな勢いですらあった。

文を届けに彼の屋敷に向かうと、なんと博雅は二日も戻っていないということが分かった。忍び込んだ母屋に人影はなく、なにより彼の気配が感じられなかったのだから確かであろう。

仕方なく蜜虫は眠る女房の枕元に立ち、行き先を尋ねた。むにゃむにゃという鼻づまりのような声は"殿は三条にお越しですぅ"と答えてくる。

 『三条、橘清巳さまおの屋敷に招かれ既に二晩、戻らぬ』

 

蜜虫の眉が跳ね上がる。ついでに髪も逆立つ。

浮気だ。これは間違いなく浮気だ。怒りで目が眩む思いがしたが、そこは蜜虫すぐに気を取り直しまたふわりと宙に浮いた。この目で確かめるまでは疑う訳にはいかぬ。博雅様は殿の奥方、真意を突き止めずただ呪詛を仕掛けるのではそこらの雑鬼と変わりがない。

どうにか気を取り直し、急ぎ橘家に向かった蜜虫は忽ち博雅を発見した。

彼は客室として宛われているのであろう一室に、それはもう幸せそうな顔をして眠っていた。思わず蹴飛ばしてやりたくなったがそうもいかず、逸る気持ちを抑えゆさゆさとその肩を揺する。

ふにゅう、とかむにぃ、とか、よく分からない声とともに目を覚ました博雅は、蜜虫を見ると不思議そうに首を傾げ、それからほっこり微笑んだ。

 『蜜虫殿ではないか。久しいな』

 『はい。博雅様、主より文を預かって参りました』

 『晴明から?どれ』

嬉しそうに受け取った彼は、当初の予定通りなんの疑問も抱かぬ顔でその奇怪な文章を読み終えると困ったように眉を寄せた。

彼の話によると、宴に呼ばれた当日には帰宅するつもりであったという。だがその夜の月があまりに美しく、つい酒を過ごしたことで滞在を余儀なくされた。申し訳なく思いつつ世話になり、翌日改めて礼と退出を告げると今宵の宴にも是非出席願いたいとの依頼をされた。なんでも清巳の妻の両親が、遙々伊勢より都見物を兼ね上京するというのだ。博雅の笛にて是非とももてなして欲しいと頼まれれば、親に縁のない彼にとり断ることは難しかった。

清巳は博雅より十も上の男だが、気心の知れた優しく思慮深い友であり彼の願いであれば是非とも聞き入れてやりたい。また、そうこう迷っているうちにここに博雅が滞在していることを聞きつけた仲間が宴に仲間入りをさせろと言ってきたので益々断ることは出来なくなった。好きな笛が吹けて、うまい酒が飲めるのならば仕方ない。急ぎの仕事もないことだしと、つい承知してしまったがなにやら清巳の妻の両親にいたく気に入られ今日は都見物に付き合うこととなってしまった。

そんな訳で申し訳ないが、今宵も晴明の元にはいけそうにない。

口頭で伝えられた返事は確かに博雅の人柄を思えば仕方のないことだし、貴族には貴族の付き合いがあるので我が儘も言えぬ。如何に彼が晴明の妻だとはいえ、そんなことは当人と俊宏、帝の胸に秘められた"心の絆"でしかないのだから、彼の外交でもある事態を責められようはずもなかった。

日を改めて、必ず参ると伝えてくれと言われれば、蜜虫にはもう頷くより他になくふらふらと屋敷に戻り正直に告げたのだが…

以来晴明は濡れ縁に座したまま半日以上、ぐったりと伏せったままとなっていた。

 

 「殿、そろそろ中にお入りになられては」

 「うむ…いや、よい…」

 「風が出て参りました。白湯でもお持ち致しますので、さ、こちらへ」

 「よい。ここにおる…」

 「殿…」

袿を手に、立ち尽くす百足も困り顔で蜜虫を見ている。

空は既に色付き初め、半時もすれば夜の闇に沈むだろう。博雅に振る舞うため、彼が頂き物の中から吟味した食材達はそのまま台盤所にうち捨てられていてそれもまたもの悲しい。

晴明に夕餉を摂らせねばならないのだ、仕方なくあとのことは百足に任せ、蜜虫は一人その場をあとにした。鮑と鯛は"地雷"であることが分かっているので踏む訳にはいかない。それを承知し、守れるのが自分だけだという安倍家の式神事情に、益々彼女の心労が募るのは当然のことといえた。

 

 

茸を蒸し、ごぼうを茹で、塩漬けの岩魚を炙ろうとしたところで蜜虫の手が止まる。危ない、塩漬けはNGワードに含まれているのだ、用心して外した方が賢明であろう。

もう一品、もう一品…辺りの食材に目をやったところでふと気付く。

 「…鯛を焼きましょう。鮑も、いまからでも煮付けて…」

小さな呟きが唇からこぼれる。

微かな微笑みが、その口元に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

アルマジロ、またはオウム貝と化していた晴明は、常ならば聞き逃すことのないそれに全く気付かず濡れ縁を濡らしていた。まん丸に丸まった姿はちょっと可愛いかも知れない。冬毛のテンだと思えば…って思えるはずはないが。

とにかく、垂れそうになる鼻をぐしゅん、とすすり上げた時、その叫びを漸く耳にした。

 「晴明っ晴明がイタチになってしまった!」

…思った奴はいたようだ。

 「どうしたのだ晴明、お前は狐ではなかったのか?いや、狐などと思うたことは実は二度ほどしかないが、それにしてもイタチであったのならそうだとなぜもっと早う打ち明けてくれなかったのだ」

 「ひ…ろま、さ?」

 「おお、汚いぞ晴明、顔がぐすぐすになっておる。百足殿、なにか拭くものを」

言いながら駆け寄るのはまさしくボンクラ貴族、源博雅、その人。

 「あまりに丸まっておるから、随分大きなイタチがおると感心してしまうところだったぞ。いや、しかしお前は存外かわゆい男であるからな、ふわふわと冬毛のイタチであれば俺は忽ち寝所に引き込んでぬくぬくと休めると算段しそうになった」

 「ひろま…しゃ…」

 「どうしたのだ、寒いのか。ならば中に入って酒を飲もう。清巳殿に土産をもろうて来たのだ、程良く蒸した鮑なのだが、これがまた格別にうまいぞ」

 「ひろましゃぁ」

 「こら、しがみついては上がれぬではないか」

しっかりと抱えてくる晴明に身動きの取れぬ博雅は、仕方なくそのまま彼の好きにさせることにした。風は冷たいが晴明に抱き締められているとそれを感じる暇もない。

 「博雅…都見物に行くと言っていたではないか、よいのか」

 「なに、この辺りを歩くことに付き合うてな、早々に逃げてきたのよ」

 「よいのか?」

 「よい。蜜虫殿に文を届けてもろうてからは、晴明のことばかりが浮かんでしまいいても立ってもいられなくなったのだ」

 「まことか?」

 「もう一月も逢うておらんのだぞ、寂しいではないか」

 「寂しく感じておったのか」

 「当たり前であろう。晴明はどうだ、寂しかったか」

 「当たり前ではないか…」

ずずっとまた一つ鼻を啜る。遠慮がちに差し出された練り絹に気付いた博雅がそれを受け取ると、晴明の鼻をちーんとかませてやった。

 「博雅は皆に愛され、皆に求められ…俺のことなど忘れてしもうたのかと思っておった」

 「なにを馬鹿なことを。俺が飲む酒で一番うまいと感ずるのはこの庭で、晴明とともに交わす杯であると常に言うておろうよ」

 「分かっておる。分かってはおるが…お前が誰にも可愛い顔を見せるのが口惜しいのだ。怖いのだ、俺は」

 「晴明を怖がらせておるのか。それはいかんな。反省するぞ」

 「まことか」

 「うむ」

 「態度で示すか」

 「よく分からぬが、よいぞ。示そう」

こくん、と頷いてしまう辺りが博雅のアホなところ。寄せられる唇に温もりを感じ、ほっこり笑ってしまうのも。

それもこれも、結局バカップルだから仕方ないんだけどね。

 

 「……………晴明?」

 「なんだ」

 「これが…示したことになるのか?」

 「なるな」

 「なるのか」

 「ああ、なる」

 「そうか。晴明がそれでよいなら、よいが」

 「なんだ、もっと示してくれるのか」

 「もっととは、どういう…」

 「うむ、それはな…」

 

ぼそぼそぼそ…

 

 「そそそ、それはっそれはならぬっ」

「なぜだ」

「なぜと言われても、それは、その…」

「新年を迎え、この屋を訪ねてくれたのは今日が初めてではないか」

「それはそうだが、だがそれは、」

「いやか」

「う、」

 「いやなのか」

 「うう」

 「嫌なのか博雅」

 「いやでは…」

 「否はなのか」

 「いやでは…ない…かも…」

 「嫌なのか、嫌ではないのか」

 「嫌では…ない、が…」

 「ではよいのだな?」

 「むむ」

 「よいのか」

 「よくは…」

 「よくないのか」

 「よくなくはない、というか…」

 「どっちなのだ」

 「うー」

 「博雅」

 「…よい」

 「うん?」

 「よい」

 「よいのか」

 「ああ」

 「もう取り返せぬぞ」

 「よい。晴明がそうしたいのであらば、それでよい」

 「あとで泣かぬか」

 「泣かぬっ」

 「まことだな」

 「うむ」

 「それなら許そう」

 「許す?なにを許すのだ、俺はなにもしておらぬぞ」

 「したではないか。俺のことを放っておいた」

 「放ったりなどしておらぬ。役目があるのだ、致し方ないであろう」

 「だか寂しかった」

 「むう」

 「寂しかったぞ博雅」

 「俺も…」

 「うん?」

 「俺も寂しかった」

 「そうか」

 「寂しかった」

 

 

 

寂しかった。

 

 

 

 

 

 

むぎゅっと抱き締めあった二人を、ほけぇ、とした顔で眺める百足の襟首を掴み、蜜虫が去っていく。冷たい風の吹いていたそこは、晴明の発する熱で既に寒さなど寄せ付けぬ常夏空間へと変わっている。

 「灼熱の恋泥棒…あながち間違いではございませんわね」

ふむふむ、と頷く蜜虫は台盤所に並べた膳の始末を考えた。

月が高くなるころ、久方の逢瀬を楽しんだ二人はきっと酒を所望するに違いない。それまでに鮑は、保存の利くようもう少し強く煮込んでおく必要がある。

 「鮑と鯛は、きっと狗も食さぬなんとやら、なのでしょうねぇ」

 「蜜虫様、狗はなんでもいただく生き物ではありませんの?」

 「お前のように、虫をいただくものには分からぬことですよ」

 

 

 

 

 

 

新しい年を迎えて、新しい時を刻んで。

それでも変わらないものがある。

変わらない絆がある。

 

…いー加減、変わってくれると、有り難いこともあったりするけどまあそれはおいておいて。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 


Su-jinさまリクエストの「みんなに愛される博雅」です。
愛されてますか?愛されてはいる…かなぁ。
長らくお待たせした結果がこれで、なんだかもう申し訳!
としか言い様がありませんが、ゆずポンなりに頑張らせていただきました。
2003年の新作として、今年もお願いしますという意味も込めまして、
Su-jinさまに捧げたいと思います。ありがとうございました。