しらないくせに。

 

今日がどこから来て、どこへ行くのか。

明日がいつで、昨日がなんで。

 

きみが誰で彼が見るものがどれでここにいて欲しいのは僕で。

 

 

しらないくせに。

 

しらないくせに、笑うから。

 

 

 

 

 

         しらないくせに   m*j*s

 

 

 

 

 

 

 

イブは誰と過ごすのか。

軍人を育成する士官学校の教室であってもそんな会話は年若い者同士なら当然生まれるもので、校舎を囲む木立が色づき、やがてその葉がすべて散った頃にはほとんどの生徒が得意げに予定を語るようになっていた。

信仰心の篤いとはいえない国民性を嘆くことなく、信じるならば神より一族と当然のこととのように受け止めている自分では“知り合いの誕生日ですら記憶できないのに、なにがパーティーだ”と斜に構えて見せるのがせいぜいで、いまも、浮かれた級友たちの顔を見るだけでうんざりとしていた。

 

サービスは、少年の繊細さと青年の冷たさを併せ持つ両極端な年頃だった。

勿論、周囲にいるのは同じ年のものが多く取り立てて目立つというわけでもない。

けれど彼の場合は生い立ちの特殊さと環境が作り上げてしまった傲慢さをそのまま受け止め体現してしまっているので、同年の級友たちには苛々させられることも多かった。

口に出すほど不躾ではないし気に入らないものにほど冷めたな笑みを投げてやるのが常だったが、入学以来なぜかつるむことの多い高松という少年には『女狐』とからかわれている。

 

彼の兄は世界最強と呼ばれる軍を率いる総帥だった。

五つしか違わない兄が数千、数万の軍隊を瞬きひとつで操ることが出来るという事実は面映いものであり、同時に激しく嫌悪するものでもあった。

軍隊と言ってもしていることは暗殺稼業だ。

敵と定めた組織の中深くに潜り込み、反撃の暇も与えずターゲットを片付ける。

軍備は強大国に匹敵するものを揃え、抱える兵士は殺すことと息をすることが同意であるような猛者ばかりだ。そんな中に、自分が組み込まれていくという事実にいまひとつピンと来ないまま士官学校に在籍している矛盾を感じてはいるのに、死も、殺人も、なにもかもが薄靄の向こうにあった。

物心付いた頃には当たり前にあった“殺す”という行為に、サービスは、既に麻痺しつつある自分を自覚している。

だからこそ嫌悪するのだ。

自分を巻き込んだ家というものに。

兄というものに。

確とした答えを見出そうともしない、自分に。

 

 「またなにか小難しいことを考えているんですか」

 「寝ているお前の首を、どうしたら気付かれることなく絞められるか。ここ暫く僕の頭の中はそのことでいっぱいだよ、高松先生」

 「それはいけませんね。一緒に考えてあげましょうか」

黒髪を、肩の辺りで切り揃えた高松はクラスメイトのひとりで将来は化学兵器開発部門に進みたいと明言する悪友だ。

性格がいいとは決して言えぬ食えないやつだが、その点ではサービスも似たようなものなので人のことは言えない。

 「クリスマス休暇はどうするんです?」

 「お前に聞かれるとは思わなかった」

 「あなたなんかに話しかけるのは私くらいのものですよ。あ、と、それから…」

口元のほくろに指先を当て、教室の中を見回す。

 「話しかけてほしくなくても、やたらと纏わり付いてくるあのバカ犬はどこです?」

 「知らない」

 「おや、放し飼いは無責任ですよ。散歩中はリードをつけて、いい匂いのするメス犬にも、相手の飼い主の許可を得てからアピールさせないと」

 「犬なのは確かだけど、僕の犬じゃない」

 「では至急野犬センターに連絡を」

サービスの機嫌が悪いと見切ったのか、高松は薄く微笑み背を向けた。

好きではない。でも、嫌いじゃない。

高松は友人。

傍に、おいても、いい。

 

 

 

 

世界中から集まる士官候補生たちは、その各国の習慣に従い行動することを認められている。

だからクリスチャンであるものはクリスマス休暇を充実させるし、ジャパニーズは正月を祝うため“モチ”だの“オトシダマ”だの意味不明な言葉を並べつつ帰省の支度に余念がない。

サービスの長兄が日本贔屓になったのは最近のことで、彼に聞けばその呪文の意味を教えてくれるのかもしれないが生憎話しかける時間的余裕というものがなかった。

自分ではない。

兄に、だ。

父であり前総帥の嫡男である彼がその職を引き継いだのは十三歳のときで、その頃のサービスときたら未だ枕元にぬいぐるみを並べているような幼子だった。

悩みも苦労も不自由もなく育てられたためいつまでも幼さが抜けきらなかったことは父や兄の責任でもあるだろうが、サービス自体“愛されて当然”という無意識の意識があったためそのような傾向はいまとなっても改められずに残っている。

『核シェルターの中に造られた温室の中で育てられた』という枕詞は高松が彼に与えたものだが、隣で聞いていた次兄は『観察眼が鋭い』などとずれきった感想を述べていた。

この兄にだけは言われたくはないけれど、常々“美しく繊細かつ優秀”な兄に近付きたいと思っていたサービスは同列に見られるならいいか、と納得してしまったのだからどうしようもないだろう。

とにかく。

冬の休暇に入る学校に残ったところで楽しいことがあるわけでもない。

もとより信仰心の持ち合わせのないサービスは、人気の少ない学校にいるより自宅の方がましだと判断したため配布された休暇申請書の“帰省を希望する”という欄にサインを入れた。

隣で、ペンを持ったままぼーっと申請書を眺めている級友の手元に意識を集中させながら。

 

 「ジャン」

 「んー?」

十二月に入って突然冷たくなった風が窓ガラスを叩く。

 「どうするんだ?」

 「なにが」

 「休暇」

 「あー、どうしようか」

どうしようか、と言いながらも考えてはいまい。彼の手は一向に文字を綴る気配がない。

 「残るのか?」

 「うーん、まあ…そうかなー」

 「日本は正月をバカみたいに祝うものだろう。帰らないと叱られるんじゃないか?」

 「へ?」

不思議そうに。

高松は誰かをなにかに例えるのがうまい。“犬”と評された友人は聞きなれない物音を聞きつけた子犬のような顔つきでサービスを見上げる。

視線にしてひとつだけ高い彼も、座っていればサービスより小さい。

 「え、なんで日本?」

 「なんでって、お前は日本人だろう」

 「え、俺?なんで?」

 「…………え、」

心底驚いています、という顔で見詰められサービスも同じ表情で返す。

 「俺、日本人なんて言った?」

 「え、あ、いや、…え?」

 「いろいろ混ざってるから正確には自分のルーツは分かりませんって、自己紹介のとき言った気がする…けど。もう一年以上前のことだよ」

 「…そ、そうだったかな」

聞いていなかった。

入学式のあと新入生全員で自己紹介をしたが、勿論サービスは誰一人として挨拶を聞いた記憶がない。自分に向け語りかけているならともかく、不慣れな英語で訳の分からないことを言い募る少年たちに興味などなかった。その後クラスごとに分けられもう一度繰り返したようだが、そこでもほぼ上の空で誰がなにを言ったかなどなにひとつ覚えてはいなかった。

 「髪が黒いのはジャパニーズだけの特徴じゃない。日本には行ったこともないよ」

 「そう、か」

 「一番可能性が高いのはスパニッシュか、もっと小さい南の島とか…そんなところじゃないの」

 「へえ」

動揺を悟られぬよう背を向ける。

日本人だと思っていた。

今年の夏を迎える前あたりから、それまでにも増してそう強く思い込んでいた。

サービスは、胸の中で必死に繰り返す。日本人だ、だから日本の風習や習慣を知っているのは当然で、そこにはなんら問題がない。

矛盾はない。

ないはずだった。いままでは。

 

脳裏に浮かぶ兄の顔。

昔はもっと笑ったのに、いまでは高い壇上から見下ろす怜悧な瞳があるばかり。

冷たい。

冷たい兄。

弟なのに。――――弟だから?

 

次兄も、サービスの双子の兄も、長兄のことを悪く言ったりはしないし自分とて心の深いところでは信頼している。当然だろう、彼がいるから生きていけるのだし、いまというすべてがあるのだ。

感謝はしても憎む必要など欠片もない。

それなのに。

 

 「サービスは?家に帰るんだろ?」

 「…そうだな、たぶん」

 「たぶん?なんだそれ」

へらりと笑って、手元の休暇申請用紙に視線を戻す。

 「帰るうちがある訳じゃないし、俺は寂しく寮で過ごすよ。たまには構いに来てくれるよな?」

言いながら走らせたペン先が“残るので暖房を切らないで”という文字を綴った。

 「なんで…なんで僕がジャンのためにわざわざ休みを潰さなきゃならないんだ」

 「そんなこと言わないでさぁ」

キャップを指先で弄びつつ、ジャンが、サービスに向き直る。

霧の向こうにある太陽のような朧の微笑み。温かいけれど、何故だか不安にさせられるジャンの笑顔。彼を見ると、いつもいつも苦しくなるのはどうしてだろう。

なんでこんなに切ないのだろう。

重なる視線を逸らすにはサービスのプライドは高すぎて、その痛みを飲み込むにはサービスの心は幼すぎた。

 「俺、サービスのこと、好きだよ。お前は俺なんかいらないって言うだろうけど、俺には必要だよ。ずっと一緒にいられたらって…本当にそう、思っているよ」

 

その気持ちを疑ったことはない。

 

けれど信じるには。

 

 「それじゃあ…」

 「うん?」

 「それなら、ジャンは、これから先ずっと…ずっと僕だけに…」

縛り付けて。

 「僕だけの、…」

 「なに?なんだよ聞こえないって」

締まりのない顔。

人懐こい雰囲気は、それは、自分だけに向けられたものではなく。

 「っ、僕の下僕としておいてやってもいいって言ったんだ!」

 「げ、下僕ぅ?」

キョロリと目を剥き、サービスのことを数秒凝視してそれから。

それから、弾けたように笑い出す。

 「そんな台詞、臆面もなく口に出来るのなんて世界中探してもサービスだけだろうな」

 「なっ、」

 「うはははは、美人でユーモアにも溢れてて、本当にサービスはすごいなぁ」

 「バカにするな!」

 「バカになんてしてないよ。いやぁすごい、サービスはすごい。益々好きになる」

嬉しそうに笑って、それはきっと嘘じゃない。

嘘ではないと思える。

思えるけれど。

 

 

好きだよ、という彼の言葉は、幸せと痛みを連れてくるから。

だから。

 

 

――――だから、僕は。

 

 

 

 

 

別に会いに来た訳ではない。

誰に対する言い訳なのか、自分でもばからしいとは思うけれど胸の内で“忘れ物を取りに来た”という言葉をもう一度反芻し寮の門へと小走りに進む。

今日はイブで、明日はいよいよクリスマス。たったひとりすることもなく、寮の堅いベッドに転がっているであろうと出不精の下僕を買い物に付き合わせるのは当然だ。その為という訳ではなく、たんに予定が合わず兄弟への贈り物を買いに出られなかった。だから荷物持ちが必要なのだ。

学生であっても休暇中の訪問はゲスト扱いになるため、管理人に見つからないよう通用口に回る。世界最強を誇る軍隊の敷地にほど近いこの学校はセキュリティに隙が多い。これは、その程度で命を落とすようなら入隊後に生き延びることなど出来ないという教訓が籠められているのだというのは学生たちの間でまことしやかに囁かれていることだが事実かどうかは分からない。

冷たい廊下を、足音を忍ばせ進んでいく。

 

寮ではサービスの隣室がジャンの部屋だが、近付いてみるとドアが開いていることが分かった。この寒さでよくも堪えられるものだと思ったが、こっそりと覗き込んだ狭い部屋に主の姿を見付けることは出来なかった。

どこかへ出掛けたのだろうか。

ドアを閉め忘れて?

そんなに慌てて、どこへ。

気が抜けて、しばし立ち尽くしてしまったもののクシャミが出たことで我に返る。

窓が開いていた。

 

ドアも、窓も開けたまま。

構ってくれと言ったのは彼なのに。

 

恐る恐る踏み込んだ室内は、彼のあけすけな性格には似合わぬ整頓された空間だった。学生の身ではそんなものかも知れないが、生活感というものが感じられない。

ものの少ない、寒い部屋。

机の上にある小さな写真立ての中で微笑む自分たちは、とても、幸せそうなのに。

 

窓辺へ近付くことは本能が拒んでいる。

それでも進んでしまうのは、自分はきっと知っているからだ。

なにが見えるのか。

見えてしまうのか。

 

 

寮の裏に面した窓は、小さな噴水を備えた庭が見下ろせる。

その脇にあるベンチに座りグループレポートの相談をするのは夏場のことで、木枯らしの吹くいまとなっては誰も寄りつくことがない。訓練に疲れた体を寒風に晒す必要はないからだ。

だからいまも。休暇中のいまこそ、誰もいるはずがない。

“いなければいい”という思いで見下ろしたそこには、想像した通りの光景があり、想像した通りの現実があった。

笑わなくなった兄が笑っている。

笑う、というより薄く口元だけに微笑みを浮かべている。

きっと他愛のない、下らない話をしている彼を、それでもただ微笑みながら見詰めている。穏やかに。

ジャンの顔は見えなかったけれど、二人の周りにある空気が決して冷たくないことはここからでも見て取れる。自分の側にいるときと同じあの笑顔を見せているのだろうか。好意を、伝えたりするのだろうか。

 

見詰める自分の瞳から、炎が立ち上るような気がして窓から離れる。

ジャンの部屋を出て寮を出て、それから真っ直ぐ帰宅した。

記憶にある限り家族への贈り物を忘れた年はこの時が初めてだった。

腹立たしいのか、悲しいのか、寂しいのか。

自分の感情なのに分からなかった。

分かりたくはなかった。

 

そのまま、休みが明けるまでジャンと会うことはなかった。

 

 

 

休暇明けに顔を合わせた時ジャンは『どうして会いに来てくれなかったのか』と口を尖らせ言い募ったが、サービスは取り合わず素っ気ない返事だけをした。

 『きみもなかなかいい休暇を過ごしたんじゃないのか』

きみ、という呼び方にジャンは少し驚いたようだが、女王様のいつもの気まぐれだと笑いご機嫌を直して頂くために今日のお茶は下僕が用意させて頂きますよと微笑んだ。

 

 

 『どうして突然日本贔屓になったんですか?』

 『贔屓ではないよ。いいと思ったら知りたいし、集めたいし、行ってみたいと思うだろう』

 『そうかな』

 『サービスはそういうことはないかい?ほら、お前と仲のいい彼…ジャンも、日本人の血が入っているだろう?』

 『確かめたことはありませんが、そうでしょうね』

 『彼から聞いたことがあるんだよ。日本の祭はたくさんの“夜店”が並び、体に悪そうな色をしたアイスクリームが売られるんだって』

 『体に悪い食べ物を売るなんて、妙な習慣ですね』

 『私もそう言ったんだが、彼は笑っていたよ』

 

笑っていたよ。

 

 

 「日本なんて、行ったことはないんじゃ…なかったのか」

 

 

この気持ちがなんなのか。

サービスには名付ける術すらなかったから。

 

 

 

しらないくせに、笑うから。

 

僕の気持ちも、なにもかも。

 

 

 

 

 

END