きのう、みた、ゆめ

 

 

 

 

 

 「席はここどす」

 

ふふ、うふふ…と薄気味悪い笑いを浮かべながらアラシヤマが手招きする。バスでの席は予め決められていて、嫌だと言っても今更変えようがないのが切ない限りだ。

大体、席順をどうするかを決めたのがクラスの副委員長であるアラシヤマなのだからその時点で逆らいようもないし、なにがなんでも隣に座ると涙目で言い張られた日には抵抗するのも虚しいだけだ。

自分は、その副委員長に唯一対抗できる委員長でありながら、既に彼に関するすべては諦め気味のシンタローにとって『んじゃそうするか』という言葉以外選びようがなかったのもまた事実で。

バスでの席順は“好きなもの同士”という、ここは女子高ですかと聞きたくなるような薄ら寒い表現で決められることとなってしまった。

因みに四人一組で作る班は、教師の提案で同じ数字を引いたものが組むという抽選方式が採られたが、ここでもシンタローは“四”という実に相応しい数を引き当て見事アラシヤマの隣席をしめることとなった訳であった。

 

 「ったく、誰が“好きなもの”だっつの」

 「なに?シンタローはん、なにか言いました?」

いそいそとショルダーバックの中を探っていたアラシヤマが耳聡く聞いてくる。

 「いーえ、なんも言ってません」

 「そうどすか?なあなあ、わて、お菓子ぎょうさん持って来ましたんえ。シンタローはんにも分けたげます」

 「ぎょうさんって、それ全部か」

 「へえ」

なんだか妙にもっさり膨らんだ鞄を訝しんではいたが、よもや中身がすべて菓子だとは思わなかった。持ってきたからと言って取り上げられる訳ではないだろうけれど、一応“おやつは五百円程度”と旅のしおりには記載されているし、読み合わせで音読したのはアラシヤマ本人だった。

 「わてな、こうしてお菓子やお弁当を親友と分け合うのが夢だったんどす」

 「…へー」

 「ほら、みとくんなはれ。おたべどす。シンタローはんはなに持ってきはりましたの?なにと交換するつもりどす?」

交換するつもり自体がない。

と、言ってやりたいがにじり寄る気配が恐ろしい。

大体、“おたべ”がおやつに含まれているというのがまずおかしいだろう。しかもその鞄の中のどこに、どういう風に詰まっていたのか。ペロリと摘まみ出されたそれを視界に入れぬよう顔を背けながら、極力抑えた声で『腹、減ってないから、あとで』と返す。

 「おたべは後どすか?ほんならなににしまひょ。瓦煎餅なんてどうやろ。雷おこしはわて、あんまり好きやないけど、東京に来た以上はこれも食べなあかんやろなあと、勇気を出して買うて来ましたんえ」

なんだ!

なんなんだ、その渋いチョイスは!

ぐおーっと喉元を掻き毟りつつ、それでもシンタローはどうにか堪えた。

この校外学習の旅を終えた頃、自分はいよいよクラスに馴染み誰とでも親しく、楽しく付き合えるようになっているはずなのだ。はずなのに!

 「シンタローはん?なんや、喉渇いたん?それならわての抹茶ミルク分けたげまひょ」

 「余計渇くわっ!」

 「なんやの、そないに大きい声だして。心配しなくてもわてはずーっと隣にいてるから。な?」

な、じゃない。

それが嫌なんだ!とはさすがに怒鳴れず、握った拳で自分の頭を叩くことでどうにか抑える。アラシヤマという人間と、自分を含めたほかの人類すべては違う時間を生きているのだ。そう思えば納得できる…ような気がする。

 「なんやのこの子は。わてと一緒にいられるのが嬉しいのは分かるけど、そないな喜びの表現は危険やわ。はいはい、手ぇ下ろして。塩飴あげるから落ち着きなはれ」

 「…し、しおあ………」

 

 

アラシヤマの宇宙は、広い。

 

 

 

 

都心を離れ南へと進むバスは、やがて窓を閉めていても潮の香りを感じるようになった。

目的地は高校保有の施設が所在するには珍しい、全国的に有名なマリーナに程近い高台にあった。数名の生徒は『ここには父のヨットが係留されている』と言っていたが、年間の管理費だけで郊外に家が建つという、シンタローからすれば愚行に近いような贅沢さだ。

この国にも特権階級というものが実在するということを初めて実感したものだが、その子供たちと机を並べている自分が言っても説得力はあまりない。

尤も、マジックが所有するのは高級車とはいえ自宅マンションの駐車場に並んでいる三台の車だけだから、彼らよりは慎ましい(?)暮らしをしていると思う。

…聞いたことがないけれど、恐らく、車しか持っていないはずだ。

 「でも…どうだろう。あいつ、なーんか色々ありそうだし」

隠している訳ではないのだろうが、自分から話をしない限り聞き出すことをしないシンタローの性格とうまい具合に重なって互いに知らない未知の部分というものがまだまだ存在しているような気がする。

それがいいことなのか、もどかしいと訴えるべきなのか、よく分からないけれど。

 「見て。見てシンタローはん。海やわぁ、綺麗やなぁ」

 「べつに…それほど珍しくないだろ」

 「わて、海を見るのはこれで二回目どす」

 「えっ!なんで」

 「京都に海はありまへんえ」

 「そりゃそうだけど…」

子供なら水遊びや海水浴は好きなものだろう。そう言おうとして思い留まる。箱入りなのは分かっていたが、加えて彼の生まれた家は個人の自由という考え方とは程遠いところに有りそうだし、なにより休日に家族サービスが行えるほど暇な父親ではないだろう。

まあそれを言うなら自分だって、暢気に海水浴を楽しめる環境にはなかったけれど。

 「あれは幼稚園のときどす。おーちゃんが遊びに行こうて海に連れて行ってくれたんやけど、わて、クラゲに刺されましてなぁ…」

フフ…フフフ…

と、顔の上半分に縦線が入ったような暗い表情で笑い出す。

 「わてはショックで意識不明の重体になるし、おーちゃん、慌ててクラゲを手ぇで引っ張りはって、それで自分もブツブツのビリビリですわ。覚えてへんけど、わてが死んだら自分も死ぬ言うてお父はんが暴れるから、なんや偉い人まで集まって大騒ぎになったそうどす」

おーちゃん…アラシヤマは三人兄弟の末っ子で、長兄は“おーちゃん”、次兄は“ちーちゃん”と呼んでいるらしい。因みに家族は彼のことを“あーちゃん”と呼んでいる。

このおーちゃんというのがアラシヤマの話の中に時折出てくるのだが、大抵は弟可愛さ故とはいえなにかしら騒動を起こしている要注意人物らしい。シンタローにとってはマジックの行き過ぎた溺愛だけで手一杯なのに、彼はそれに等しい愛情を二人分背負って生きているのだ。その点では十分同情の余地はあるし、戦友のような気さえする。

 「それ以来、海はあかんてお母はんが言わはるし、ちーちゃんには死にたくなかったらお父はんとおーちゃんには気をつけろ言われるし、散々やわ」

 「まあな、それはなんとなく分かる。うん」

シンタローが台所に立つと、やれ手を切るのじゃないか、やれ火傷を負うのじゃないかとウロウロするマジックに、余計に気が散って危ないからと怒鳴ったことは一度や二度ではない。心配は分かるけれど、炊事には慣れている自分にとって横から手を出される方が危険なのだ。親の心子知らずと言うけれど、子の心もまた親知らずと言えるだろう。

 「そやけど今度は大丈夫やわ。危ないことあったら、シンタローはんが身を挺して守ってくれはるし」

 「えっなんでっ!どうして俺が身を挺することになってんのっ」

 「それはぁ、シンタローはんがぁ、わてのことぉ〜」

もじもじ。

 「す、き、や、か、ら」

きゃっ言ってしもた。

 

 

 

 

――――…タローはん

……ンタローはん

…シンタローはんっ

 

 「シンタローはん!」

 「はっ!」

ガバッと身を起こす。

 「あーびっくりした。シンタローはん、大丈夫どすか?」

 「え、あれ?俺、どうかした?」

 「いきなり気ぃ失いはったんどす。なんやろ、車酔いやろか。先生呼びまひょか」

 「いい!いいから、平気だから!つかもう俺に構うな、頼むからっ」

 「なに言うてはるの。どんなときでもわてらは一心同体、仲良しグループどすえ。なんの遠慮もいりまへん、さ、言うておくれやす。わてになにをして欲しいのか」

 「なんも。なーんもありません!あーっ近付くな、それ以上こっちに寄るなーっ!」

相変わらず仲良しですねぇ、という声が聞こえる。担任教師のその言葉が、言霊となり自分を呪縛していくようなこの感覚は果たして錯覚といえるだろうか。

 「シンタローはん、わてとシンタローはんの仲どす。遠慮はいりまへんえ」

 「ぎゃっー!腕を取るな!目を潤ませるなーっ!」

 「とんだシャイボーイどすなぁ。ほんま、かぁいらしこと」

 

殴ってしまいたい。

きっとここじゃない何処かにいる自分なら、思う存分、徹底的に殴りつけているに違いないのに。

逃げ場もなく、伸ばされる腕をどうにか躱しながらシンタローは我が身を呪う。

家ではマジック、学校ではアラシヤマ。無償の愛と呼ぶには激しすぎるこの求愛は、果たして幸せといえるのだろうか、それとも。

一人ぽっちはもう嫌だけど、こんな異常な境遇に甘んじるのもどうかと思う。

 

四日間を無事に乗り切る自信はなくなった。
これはなにかの天罰なのだろうかと思わず涙ぐむ切ないシンタローであった。

 

 

 

 

 

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