2.ドライヴ  39*14

 

 

 

 

 

「なんだよ、あんたの車が汚れてるなんて有り得なくないか?」

心底呆れたという声で零しつつ、助手席に乗り込むシンタローはなおもぶつぶつ言いながらシートベルトを引き出した。

息子の尤もな意見には微かに頷きつつも、ステアリングを握ったままのマジックは目を細めその光景を眺めている。

眺めている。

 

視界の中心にありつつも、どこか遠い、その横顔。

 

 「人に頼るのはそりゃよくないけど、仮にもガンマ団総帥の車が埃だらけってのは感心しないぜ」

 「………うん」

 「…なに?」

 「うん。…え?」

 「え、じゃねえよ。なに呆けてんだ」

 「呆けてる?」

 「ああ。ぼーっとした顔してる。すげえ間抜け」

 「ひどいなぁ、こんなダンディ捕まえて」

 「アンタがダンディなら冬眠中のクマなんてハードボイルドど真ん中だよ」

 「よく分からない喩えをありがとう」

 「どういたしまして」

けっ。

悪態を吐いて、それからシンタローは窓の方を向いてしまう。

彼の指摘した通り、埃だらけの窓ガラスに映る横顔は霞んで見える。その向こうには“バカ”というラクガキ。

食事に行く約束をして、実行に移されたのは破ること四回の約束を経てのことでそれだけでもシンタローの機嫌は悪い。べつに共に行かずともと言い放ったその眼差しは、奥の方に寂しさを滲ませマジックの罪悪感を数倍に膨れあがらせた。

今日こそはと切り捨ててきたけれど、やるべきことは山積みで本当は外出など許される身ではなかった。それでもこれ以上彼の失意を招くくらいなら作戦の一つや二つ失敗しても構わない。本気でそう思ったから非難の目を向ける部下たちを無言の威圧で黙らせ抜け出てきたのだ。

車は、勿論新車の頃と変わりのない磨き立てられたそれもあるにはある。

けれど以前、この車が好きだと言ったその言葉を覚えていたので自宅に戻り慌てて乗り継いできたのだ。

待ち合わせ場所に現れたその車体を見たシンタローは、瞬時に眉を潜め溜息を吐く。その様はマジックの目にもはっきりと確認出来た。

好きだと言ったのに。

そう言ったのは、彼なのに。

 

 

 『総帥の車とも思えない荒れ方ですねぇ』

 

 

のんびりとした声。

微笑みなのか、たんに口元が弛んでいるのか、よく分からない。

彼の微笑みはいつだってそんな風で。

 

横付けしたその汚れた車窓に、へにゃりとした、不明瞭な笑いを浮かべた彼が書いた“DESTINY”の文字。

意味は、聞かなかった。

 

 

 「こーんな古い車、レストアしてまで持ってる価値あるのかよ」

窓外を見たまま呟く声は少年のもの。

高くはないが、澄み切った青空を震わすような清潔感に溢れている。

 「ひどいなぁ。シンちゃんが好きだって言うから、パパはいつまでも大切にしているっていうのに」

 「その割りにこぉーんな汚くしてるのはおかしくないですかー」

 「…誰にも触らせたくないんだよ」

 「あー?」

 「パパの大事なものには、誰も触らせたくないんだよ」

 「ふーん」

大した興味もない話だと言わんばかりの、息ばかりの返答にマジックの頬が強ばる。

世界で、この世で、シンタロー以上に大切なものなどなにもない。自分は彼のためにあるとすら思っている。信じている。

 

揺らぐことなど有り得ない。

有り得ない。

有り得ない。

 

 

 『急に呼び出すのは仕方ないとして、俺、こんな服ですよ』

 

 

 「シンちゃん」

 「あ?」

 

 

 『靴だって、ほら。俺の場合、私服は全滅なんですから』

 

 

 「食事の前に、ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いい?」

 「どこ」

 「シンちゃんの新しいスーツをね。作ろうかなって」

 「いらね」

 「どうして?」

 「既に売るほど持ってる。それに“新調したらまずパーティー”って言うだろ。着せ替え人形じゃねぇんだ、やだよ」

 「えー、パパは可愛いシンちゃんがもっと綺麗になるところが見たいのにぃ」

 「見なくていい。ってゆーか、服より車をまず綺麗にしろ」

振り向きもしないで。

 「…シンちゃんは…冷たいな」

 「暖かくされたいならそれなりの態度を取りましょう」

 

 

 『でもこの車はいいですね。埃だらけで、誰が乗っているか、外からはよく見えない』

 

 

 

 

誰が

 

 

       誰が

 

 

                       誰が

 

 

 

 

よく、見えない。

 

 

 

 

 「シンちゃん」

 「なに」

 「私は、お前を愛しているよ」

 「…あっそ」

 「喩えお前が私を愛さずとも、私はお前だけを愛している」

 「なんだそれ」

 「覚えておいて。それだけで、いいから」

 「……あんたって…」

振り向かず。

 「あんたって」

振り向かず。

 「あんたって、本当に…」

 

振り向かせず。

 

 

 

窓の外を見たままのシンタローの眼差しが潤んでいても、それはきっと漂う埃の所為だから。

 

 

 

 「父さんって、本当は――――」

 

 

 

 

本当、は――――

 

 

 

 

 

END