The Ring finger   m*j*s

 

 

 

 

 

 
 「婚約者?」
蒼い瞳が鈍く光る。
 
この瞳が煌くときは、即ち、人が死ぬことを意味する。
学生である自分は未だその輝きを目の当たりにしたことはないが、学生ではない自分はもう幾度も見てきた光景だ。
焦土に立ち尽くす彼。
マジック。
ガンマ団総帥にして青の一族の長。
なにもかもを手に入れるためになにもかもを消し去る。
その矛盾に気付かぬ愚か者。
破壊と殺戮を好む悪魔。
いや、聞けば悪魔が気を悪くする。
 『命を対価にはするけれど、そこに交わされるのは人の望むものを与える契約だ』
と。
 
装わずとも“田舎もの”である自分の振りまく空気はひどく鈍化されたもので常に鄙者扱いをされる。
それはとても都合のいいことだ。
どこで生まれ、どこで育ち、なにを見てなにを考えなにを求めてこの場にいるのか。なにをなそうと企むのか。
いつもヘラヘラと笑っている口元を、友人であるサービスですら馬鹿にしたように窘めるのだ。
もっと見栄えのするいい男にしてくれれば良かったのに。
いつか、自分を作り出した石に向かってそう文句を言ったこともあるけれど、いまとなってはこれほどの隠れ蓑はなかったしこの容姿を持つからこそのポジションを得ることが出来た。
蒼く、けれどいまは冷たさを感じないその目を薄紙を隔てて見るようなぼんやりとした視線をつくり、見返す。
 
日中の授業が終わり、生徒たちは各々トレーニングや課題などに向かう夕暮れ時。
あと一時間もすれば食堂から温かな食事の香りが漂う頃。
寄宿舎の裏手にある噴水の脇に設置されたベンチに腰掛ける大柄の男と、石造りの水槽に座る自分。風はないけれど、時折微かな水滴が流れてきては頬を濡らすのが気持ちよかった。
この、乾ききった“異国”の中で。
厚い雲に閉ざされた、仄白い牢獄の中で。
 
少しの安堵を感じてしまうのは、それは、罪でしかないのだろうけれど。
でも。
 
 「婚約者です」
 「きみの?」
 「あー、俺のところに来てくれる嫁さんがいたら奇跡です。サービスに言わせると、“ジャンとは五分以上一緒にいると苛々する”んだそうですから」
 「おや、私の知る限りあの子は一日の大半をきみと過ごしているようだが」
 「だから俺、数分おきに怒られてます」
なるほど。
小さな声で呟き、少し、笑う。
蒼い目が微笑む。
潰してしまえば彼の笑顔は、―――――
 「で」
 「で?」
 「話の続きです。総帥には婚約者はいらっしゃらないんですか?」
 「いないよ」
 「本当に?」
 「なぜそんなことを聞く?」
 「なぜって…」
この男の一族がどのような繁栄を続けてきたか、そんなことは聞かずとも知っている。人間としては不自然といわざるを得ない方法で作り出した血脈。病や、相応の理由があってのことならともかくそうではない。
純血種というものには、どうしても偏る部分が生じる。身体的にも精神的にも、健康とは言いがたい事象を含むことが間々あるのだ。それを踏まえたうえ、敢えてそうすることになんの意味があるのか。外から見るだけの自分には口を出す権利など当然ない。けれどその不自然さを受け入れがたいと思うことは留めようがない。
青の一族の秘める、呪わしき因習。
 「総帥は、すごーくモテそうだし」
因習という言葉に痛む胸の奥。
彼にも、その弟たちにも、等しく訪れる“作り物の命”の絆。
痛む心を持つことなど、自分に許されるはずもないのに。
 「モテないよ。そんな試しは一度としてないね」
近付いてはいけない。
心は。
 「そうですかぁ?」
預けられるはずもない。
 
成績はいいけれど、戦士としては使い物にならないだろう。
士官学校の理事長室で交わされる会話を盗み聞いたとき、自分に対する評価が狙い通りで一安心した。
成績はいいし身のこなしも悪くない。武器の扱いもそれなりにこなしているし学生の中でも上位にいることに間違いはない。けれど戦闘に対する適合率は七十パーセント。一兵卒であれば問題はないが、上官として部隊を預けるには若干頼りない。
教官の報告に理事長は面白くなさそうな顔を見せた。
彼の気に入る報告ではないのだから仕方ないが、それでも機嫌を損ねることは恐ろしかった。ごくり、と唾を飲み込んでから、緊張に掠れた声で続ける。
戦略を立てさせても突飛な案を出すことがあり、作戦本部での利用もあまり進められない。以上のことを踏まえ、彼には士官候補生としての入隊よりも諜報部への移籍を勧めたい。
平凡で、目立つことがない。卒なくこなす割りに有望すぎることもない。
スパイとして使うには申し分のない生徒だと、縺れるような舌でどうにか言い終えた教官は報告を終えた安堵感から静かに、大きく息を吐き出した。
 
センセエ、なかなかいい線いってるよ。
 
確かにスパイとしての天分は十分すぎるほどに満たしている。団にとって申し分のない働きをするだろう。
随所に仕掛けられた隠しカメラやマイクを避け、天井裏で聞き耳を立てるジャンは唇の端だけで笑った。いまこの瞬間にしている活動を人間は“諜報行為”と呼ぶのだ。しかも団の抱えるスパイたちすべてを集めたところで自分を越えるものなどいはしまい。
なにせかの総帥ですら気付いてはいないのだ。
ここに自分がいる事実を。
 
 「毎日毎日、会議と書類と戦闘に明け暮れる生活をしているとね、恋愛などというものがこの世に存在することすら忘れてしまうものだ」
 「そんなものですか。でもだったらなおのこと婚約者がいらっしゃるんじゃないですか?生まれたときから決められている、顔も見たことのないような深窓の姫君〜、みたいな」
 「きみはジャパニーズだよね。ありがちな想像だ」
 「血統書がないのでルーツは不明です。ついでにブリーダーも不明ですね」
 「純血種は血が濃すぎる。血統書つきは脆いとも聞くな」
 「総帥は犬がお好きですか」
 「嫌いではないが愛でる暇はないね」
 「そうですか。総帥ご一家はみんな犬嫌いかと思っていました」
 「なぜ」
 「サービスが、…さまが、躾のなっていない犬は嫌いだと豪語していましたから」
 「ああ、そんなことを言っていた気がする。誰にでも尻尾を振るのは馬鹿犬の証拠だとかなんとか。私は人懐こい方が可愛いと思うがね」
 「俺もそう思います。ですが総帥」
 「うん?」
 「ジャパニーズのありがちな想像、というのはどうでしょうか。彼らの思考はそんなものなのですか?」
 「…私よりきみの方が詳しいと思っていたよ」
 「さあ。資料で見聞きする程度のことでしたらすぐにお答えできますが」
 「面白いね」
 「はい?」
面白い。
もう一度呟き、蒼い瞳の男は笑った。
彼には似つかわしくない優しげな笑顔を見上げる。その視線に意味を籠めてはいけない。不思議そうに。そう、まるで聞きなれない物音を聞いた犬のような瞳で。
 「資料を見る以外の興味はあるのかな」
 「は?」
 「日本に、興味はあるかと聞いている」
 「興味というよりこれまでにも何度か言われたことがあるので、擬似祖国ってことで風習や何かを調べたことはあります」
 
 『どこがいいのか知らないけど、兄さんはあの小さな島国がお気に入りなんだ』
 
やたらと頭を下げて、ヘラヘラと嫌な笑い方をして。
機嫌をとるような物言いをし、強く言われるとどんなことでも“イエス”と答える。
サービスは、総帥の弟は、その対象を“日本人”だと思い込んでいる自分に暗に置き換えそう非難した。敢えて訂正をしなかったことに深い意味はないが、彼は、自分に対する執着が強すぎる。
強すぎて、巻き込まれる。
果たさねばならない使命を前に、彼から向けられるその想いはあまりに重く、熱すぎて。
このまま進めばどうなるのか、それは薄々、分かることだ。なんとかしなければならない。
そう思うのに。
 
 「今度…」
 「はい?」
 「次に私が日本に赴くときは、きみの同行を命じる」
 「俺が?総帥に随行するんですか?」
 「ああ」
 「学生ですよ」
 「だから、だ。きみの考え方やものの見方には興味がある。面白い」
 「ああ、面白いって俺のことですか」
 「早ければ来週には連れて行く。準備をしておきたまえ」
 「…はあ」
 「面白い」
 「はあ?」
 「私に向かってそんな気の抜けた声で返事をするのはハーレムくらいなものだよ」
 「あー、サービスの、さま、の、えー」
 「いちいち言い直さなくてもいいさ。きみはあの子と仲がいいのだろう」
 「仲がいいって言うと怒ります。サービスにとって俺は使い走りの犬程度ですからね」
 「素直じゃないのはいまに始まったことではないが、あれが兄弟以外の名前を口にしたのは後にも先にもきみだけだよ」
 「そりゃ相当の悪口雑言だったでしょう」
 「ああ。聞くに堪えなかった」
 「総帥が紳士でよかった」
笑って、それから空を見上げる。
オレンジの夕焼けは霧と、夜に侵され始め心許ない色合いを見せている。
 「ジャン」
 「…はい」
 「きみは、あの子が、好きなのかい?」
視線を空から彼に移す。ゆっくり。ゆっくりと。
蒼い目の、相容れぬ強敵を見る。
視線に色は乗せず、思いを絡めず。ただ彼を。
 「好きですよ」
締まりのない、と評されるそれではなく。
 「好きです」
気位の高い親友にすら見せたことのない笑顔。
すべては疑いを招かないための小細工。
作り物でしかない。
 「あんなに綺麗なものを、俺はほかに、知らないです」
降り注ぐ南国の太陽のきらめきとは違うけれど絶対的な輝きを放つもの。
喩えるならそれは真夏の太陽をそのまま凍りつかせたかのような。
熱いのに冷たく、冴えた光を浴びせる無慈悲さで。
絶対の支配者はただ黙って見詰めてくる。感慨もなにも感じさせないその瞳から探れるものはなかったけれど、いま、この瞬間口にする言葉にだけは嘘がない。髪の毛一筋もの偽りを含まぬから、伸ばした背筋をことさら正し真っ直ぐに。
 「サービスがいるから、俺は、ここにいるんです」
 「…そう」
 「ここに、います。それだけです」
 「そう」
笑いはしなかった。
けれど、他の感情もなかった。きっと。
彼は。
 
 
そう思うことで逃げている。
気付かぬ振りをしている。
 
 
 
自覚する心はけれど硬く封じ決して取り出すことのないように。
悟られても、悟ることも許されない。
許さない。
 
ここに、いることの、意味。
 
 
サービスを失うことは考えられないけれど、その気持ちを誰かに伝えることも出来ない。伝える以前の問題で、当人には勿論知られているし学校中から“身分違いの恋”と嘲笑われている。
自分が一番意地悪をするくせに誰かがジャンを蔑むとそれは我慢が出来ないらしく、あの冷たい眼差しで完膚なきまでの威圧を送る。それが彼なりの愛情だということは分かっているし、その気持ちを理解しているのも本当だ。
サービスが傍にいる。
それは諸刃の剣。
弱くなる。
弱みというより急所を掴まれているようなもの。
命を死の隣に置くということ。
自分の存在理由を覆す愚行。わかってる。
 
それでも。
 
 
 
去っていく蒼の支配者を見送り、ジャンは、小さく息を吐いた。
彼の求めるところも恐らく“身分違いの恋”なのだ。
口にはしないし態度に表すこともほとんどない。けれどさりげなく向けられる眼差しの中にあるものを間違えようはないし、それが、不快でないから困るのだ。
もし、彼が。
相容れるはずもない敵対者である彼が手を伸ばしてきたら、そのとき自分は躱すことが出来るのだろうか。気付かぬ振りでやり過ごすか、冗談だろうと一笑に付すか、とにかくいっそ一途なほどに窺う瞳が自分を見たらそのときなんと言ってどう対処をすべきか、ジャンには当分、答えを出せそうにない。
 
泣きそうな目をするから。
あらゆる恐怖の源である彼が瞳の奥で飼い殺す感情を知っているから。
戸惑いと、疑いと、嫌悪と、それを凌ぐ感情を自分の中に見てしまったから。
だから振り払えない。
知っていながら気付かぬ振りをする。他にどうすればいいのか、彼になにを告げればいいのかわからない。わかるはずがない。
 
自分は赤。
彼は、青。
 
変わらない事実。変えられない、事実。
 
 
 
日はすっかりと傾き、肌寒さに少し、身を竦める。
ここには南国の煌く太陽も、芳醇な花の香りも届かないから。
 
夜が、くる。
 
 
 
 
 
END