月光譚 2 親族と関係会社の重役、取引先、その他にこの家との付き合いのある政財界の大物や社会的地位のある人物。 そういう俺とは無縁な人たちが集う、広い座敷の上座に座らされたこの状態のなんと居心地悪いこと。 隣の「兄」は堂々としたもので…まあ生まれてから今まで三十五年間、こういう位置に座り続けてきたのだろうから今更何も感じたりするものはないだろう。 季節と天気と業績が主な挨拶。 『いやー、うちの店ってば未確認の所為でちょっと苦しい状況なんですよー』 いっそそう言って仲間に加わってやろうか。…やめた。脇に控えた秘書がニヤニヤしてる俺のこと、ものすごく険しい目で見てるから。 「それでは皆様お揃いのようですので、」 「遅れて申し訳ありません」 初めて訪ねたとき、延々一時間も語り続けた弁護士が司会役らしく口を開いた瞬間、一番末席辺りの障子が開きこの場にはそぐわない青年が…って、俺と同じくらいかな?まあ、なかなか格好いいオニイサンが入ってきた。 入って、来たんだけど。 「………げっ」 「雄介」 品のない呟きを咎められたけど、今はそんなこと聞いてる場合じゃない。えっえっ、なんで?なんであなたが参加してるの?ヤバイなんてもんじゃない、どうしよう、逃げたい! 入ってきたのは椿さんだ。関東医大病院で、主に未確認関連の司法解剖とクウガである俺の主治医をしてくれてる有り難いお医者さん。やたらと俺に絡んでくる、一条さんの友人できっと俺の知らないことが沢山あるちょっと気になる…ちょっと苦手な、椿秀一。 「父の帰国予定が延びてしまいまして、名代として参りました。椿の長男で秀一と申します」 「それはご苦労様。まあ、椿先生にこんなに立派な息子さんがいらっしゃったとはねぇ。お幾つでらっしゃるのかしら」 「二十六です」 「あら、それでは貴志さんの十も年下でらっしゃるの。まあ随分落ち着いてらして、先生もさぞや心強いことでしょう」 チラリと横目で見られる。 『貴志さん』とは十違っても俺とは同い年だ。悪かったですね、フラフラしてて。 愛想笑いの椿さんが向けた視線が一瞬にして凍り付く。そりゃそうだよね、ここにいるのが俺なんて場違い過ぎるもんね。 じっと見つめていた瞳はひどく冷たい感じがした。好かれてないのは仕方ないとして、俺と同じで正面にいる兄はその特別な視線に気付いてしまっている。唇の端がついと上がった。 椿さんは列席者の丁度真ん中辺りに空いていた場所に席を定めると弁護士に目配せする。 この家を…高徳院という財閥を囲む者たちが我が事のように興味を示す、遺産相続と後継者発表の儀は異様な興奮が立ちこめる中厳かに開催された。 「何だ五代、なんでお前がいるんだ」 「さあ」 物々しく始まった割に話は三十分で終わってしまった。 『納得できませんわね。この家を今日まで守ってきたのは貴志さんですのよ』 兄の名前は貴志といった。俺の母さんの弟の後妻の連れ子…舌を噛みそうだけど戸籍上では確かに繋がりがある。 俺の母さんの行方が分からなかった間に、彼がその長男として養子縁組されていたのだから。 面倒は嫌いだ。嫌いだけど。 「血は水より濃いんだってことです」 「じゃあ本当なのか?お前が高徳院の跡取りってのは」 「そう…みたいですね。よく分からないけど」 「世も末とはよく言ったもんだ。世紀末も終わりがけでネタに尽きたんだな」 広い庭を歩いている。着いてこないで欲しいのに、ポケットに手を入れたチンピラみたいな姿勢で後に続く。 着替えて、帰ろう。今からなら余裕で一条さんを迎えられる。好みは完璧に覚えたから、何か喜ぶものを作って待っていよう。きっと笑ってくれるから。 「紡績、製薬、造船。鉄鋼、建設、挙げ句の果てに学校法人。明治維新前なら公爵だぞ?その大財閥の跡取りが未確認生命体第四号ってお前…嘘臭いにもほどがある」 「嘘なんですよ、きっと」 嘘だよ。俺も知ったのはつい最近だし。そう、それこそ半年前のことで体はもうクウガになってしまった後だった。 「薫はそんなこと、一言だって言わなかったがな」 「…知らないことを喋る人じゃないでしょう」 「なんだって?」 「雄介」 きつい口調で呼び止められる。ああ、このまま裏に回って逃げ出すつもりだったのに。椿さんが大声で喋るから見つかるんだよ、ひょっとしてわざとなんじゃないの? 「新涼会の椿院長にあなたのような息子さんがいらっしゃるとは存じませんでした」 「普段、こういうものは父か弟が出席しているものですから」 「そうですか。ああ、改めてご紹介しておきましょう、弟の雄介です」 「これはご丁寧に。いえ、雄介くんとはちょっとした顔見知りですのでお気遣いは無用です」 「それは奇遇ですね。どちらで?」 ピクリと上がる眉。俺のこと、色々と調べ回って閉じこめようとしてる。手駒にしようとしてる。もうかなりのことがばれてるけれど、クウガであること、それから一条さんとのことは絶対に知られちゃならないことだった。 「私の勤める病院に診察に来たことがありまして。少し話しましたがとても楽しい方ですね、いや、その時はご自分のことを語っては下さらなかったので失礼をしました。名字が違うもので気付きませんでしたよ」 「雄介は…今更隠し立てしても仕方ありませんね。彼の母は私の義理の母に当たります。雄介は父方の姓を名乗っていますから」 「そうですか。ああ、立ち入ったことをお聞きしてしまったようで。失礼しました」 慇懃無礼の応酬だ。または狐と狸の化かし合い。 疲れる。 「雄介、話がある。書斎に来なさい」 「もう帰りたいんですが」 「おかしなことを言うんじゃない。ここがお前の家だろう」 ここが?庭は本気で迷うほど広くて、泳げるかってくらいデカイ池には日の丸マークの錦鯉がうじゃうじゃいて。 一歩屋敷に上がったら最後、絶対一人じゃゴールに辿り着かないようなそんな家、俺の家のはずがない。 「ああ、引き留めてしまいましたか。すいません。では雄介くん、また今度」 意地悪く笑った目を兄は見ていた。なんか、この二人って似てるかも知れない。顔で言えば椿さんはサルっぽくて、兄さんは…どっちかって言うと一条さんタイプ。整った、苦労知らずの美青年?青年って年じゃないか。 去っていく背中を恨めしく見ていると、強い力で腕を掴まれ引き寄せられる。 「あれは椿院長も手を焼く放蕩者だ。付き合うのは感心できない」 「悪い人じゃないですよ」 多分。という言葉は飲み込んでおく。確かに悪い人じゃない、だって俺のことを真剣に心配してくれるし、見返りのない治療だって休日返上で当たってくれる。 でも、一条さんのこととなると人が変わるんだよね。容赦なく虐められる。何も言わないまま、結局はあやふやなままそれでも二人で納得して抱き締め合ったあの夜からこっち、気配を敏感に感じ取ったのか益々冷たく当たられてる気がするのは気のせいなんかじゃないと思う。 あっちもこっちも、嫌なことだらけ。 「雄介、冴子さんのことはともかくお前はこの家の主という立場をもう少しきちんと自覚しないとな」 「お母さんのこと、そんな他人行儀に呼ぶのは…」 「私の母はお前の母と同じだ。それを雄介が認められないのは十分分かっているが、話をそこまで戻すことは出来ないだろう。お前も大人なんだから、分からないことばかり言わずに素直になれ」 「…我が儘を言ってるつもりはないんですけど」 左目の下のほくろ。泣きぼくろ。男にしては薄い色素と、冷たくさえ見える整った顔立ち。瞳の色も明るい茶色で、この人と自分に似たところなんて一つもないのは誰の目にも明らかだ。俺の肉親はみのりだけ。父さんが死んで母さんが逝って、身寄りもなく負けそうになったあの頃を救ってくれた のがおやっさん。そして仲間たち。この家の人たちは、そんな俺の思いを知らない。 「周りがどう言おうとおじいさまの残した遺言状こそが絶対だ。お前は堂々としていればそれでいい」 「顔も見たことのない人のお金なんて…こんな大きな家のことなんて、突然言われても困るだけです」 「その気持ちは分かるが…まあいい、部屋に来なさい。せっかく来たのだから少し話をしよう。兄弟水入らずなんて滅多にあることではないからな」 「でも…」 「なんだ?」 「店に友人が来てるんです。今日は久しぶりに会うから、間に合うように帰りたいんですけど」 「今度にしてもらいなさい」 口調は優しく。だけどあっさり、突き放すように。 進みかけた横顔をぼんやり見ていると、すぐに気付いて戻ってくる。背中に腕を回され即される。苦手なテンポ。 俺、なにしてるんだろう。どうしてここにいるんだろう。 一条さんが待ってるのに。 俺のこと、きっと待っててくれるのに。 約束を破らない。それは俺が自分に決めた、最低限のルールだってことも知らない。 それが家族だなんてどうして思えるはずもないのに。 |
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