月光譚 7 杉田、桜井の両氏に続き本部長室に入室する。 この部屋に来るのは大抵の場合が緊急時…まあ自分自身が招いた服務規程違反などの弁明や説得が主なものだったけれど、とにかくそういう歴とした呼び出し、奇襲ばかりが続いていたので改めて扉を潜ると妙な緊張感が背筋を走る。 五代雄介という、警察組織として危険視せざるを得ない存在をその背に庇っている。だから本来『仲間』であるはずの関係者であっても、第一線で共に活動している現場の人間でもなければ全てにおいての信頼はまだまだ遠いところにあった。自分がこんな態度ではいけないとも思うが、それこそが警察という組織であることは誰より身に滲みていることだったから。守りきる事こそが最優先事項であり、その為になら自らが孤立することも厭わないし避難されることも仕方ないと思っている。 全てが手を組み、連携を守り。それで初めて成される『未確認殲滅』であるはずなのに。 どうしても信頼できない。 「わざわざ呼び立ててすまなかったな」 それでも、この人を信じることは出来ているはずだったから。 「この忙しいときに、なんだって俺達まで借り出されにゃならんのだ」 「俺達だから、ってことですけど…その間に未確認でも出たらどうするつもりなんですかね。本当に上の連中の考えてることは分かりませんよ」 「まったくなぁ。一条、お前が早く上に行って組織改革の一つもしてくれないと、俺達下にいる者はいつまで経っても小間使いだ」 「私にどれほどの力量があるのか…」 言葉を濁しつつ歩調を早める。 そう、いつもそうだ。つまらないことに『威信』をかけ、本当に注力せねばならないことは後回し。治安と体面とを秤に掛けて、本来全うされるべきである警察としての機能は結局下らない式典や無意味に大袈裟な要人警護などに廻される。 「制服かぁ、さて何処にしまったかな」 「杉田さんはいいですよ、奥さんがちゃんとクリーニングに出してくれてるでしょ。俺なんか前回着てからどうしたか…まずいな、丸めてロッカーにでも入ってそうだ」 「おいおい、明日だぞ。早く探して笹山くんにでもアイロンかけてもらえ」 「そんな、借りなんか作ったらまたどんなこと要求されるか」 「なんだお前達、いつの間にそんな仲になってるんだ」 「そんなんじゃないです。もう聞いて下さいよ、これだけの非常事態でも女は女って生き物なんですね。何かって言うと『一条さんの好みの食べ物は』とか『好みのタイプは』って聞いて来るんですけどね。そんなの本人に直接聞けばいいじゃないですか。そう言うと『この非常時に不謹慎だと思われる』ってこうですよ。じゃあそんな質問をさせられる俺は非常識じゃないのかって言うんですよ」 「お前も苦労してるんだな。おい一条、ここは一つ桜井のパリッとした制服のために好みのタイプの一つも教えてやれ」 「好み…ですか。そうですね、真っ直ぐで…嘘を吐かない人、かな」 「当たり障りのないこと言いやがって。これだから色男ってのは油断ならないんだよ」 人によっては毒になる言葉も、その人柄で全く違う意味に変わることもある。杉田さんは刑事らしい鋭い目を持つ男であったが、その実マイホームパパを地でいくような優しい眼差しをも併せ持っている。苦笑しながら彼を振り返ると、何事か考える様に顎を撫でそれから閃いたという顔で満足げに頷く。 「じゃあ一条は、五代くんの人柄に惚れてるってことだな」 「は?」 「真っ直ぐで正直だろ。自分を二の次に廻しても誰かの為になりたい。殉教者の顔を持ってるよ、彼は」 「………そうですね」 これ以上、誰かの涙は見たくない 「そうですね」 誰か。 不特定多数を示す言葉。 彼の知人は勿論、見ず知らずの他人をも含むそれ。関わりなど一切なくとも、彼は守ると言い切った。そんな義務は微塵もないのに、中途半端に関わるなと言った自分の言葉に縛られたように。引きずられたように。 今になってこんなことを考えるなんて卑怯だ。悔やみ始めるのは愚かだ。 走り出す桜井さんと、その後をのんびり歩く杉田さんの背を見送り唇を噛む。 五代の様子がおかしいのには気付いていた。けれど笑って躱す彼に後一歩のところで踏み込めないそれは遠慮や後悔などではなく。 惚れてる?ああ、その通りだ。 人間として、友として、仲間として。心を重ねた者として。 「綺麗事だ」 自分の弱さを見せつけられる。五代の、あの透明に澄んだ微笑みは自分の汚さを際だたせる。卑しい考えを浮き彫りにするあの笑顔に晒され、本当に伝えたい思いが更に薄汚れたものだと気付かせる。 欲しがっていいはずがない。自分のものにしていいはずが、ない。 弱く、そして卑怯な自分には彼に捧げる言葉さえない。職務としての正義感と、父の遺志を継ぎたいという感傷的な思いでは、彼の高潔な決意には到底叶うものではないから。 そんなことを彼が聞けば、きっと困ったような、怒ったようなあの表情で。 けれど言葉を持たない二人は、本当に帰るところも持たないのか。 元よりそんな個人的感情に捕らわれたことを考えている時ではないことは十分承知している。分かった上でより追いつめられる。 結局、先延ばししているだけではないかと疑われているのではないか。 五代はもう分かっている。答えを出せない自分の弱さを。進めない卑劣さを。分かっているからああして笑うのだろう、全て許した諦めの微笑みで。 「一条さん!制服の準備はお済みですかぁ?」 飛び跳ねるように近付いてくる笹山さんに、愛想笑いさえ浮かべられず立ち尽くす。 情けない。 ただ、それしか繰り返せない。 警視総監と警察庁長官、非公式ではあるが友人が列席するということで官房長官も臨席するという会議は、終了後に夕食会まであるという。 今日一日、未確認関連の事件は起きていない。五代が負わせた傷はまだ癒えていないのか、けれど油断できない状況は時間が過ぎればそれだけ切迫したものになるはずだ。 経済界の重鎮と呼ばれるメンバーが通り過ぎる中、最敬礼で控える。馬鹿馬鹿しい、結局は今尤も世間を騒がす未確認関連の捜査をする自分たちを呼び寄せ、その前線での話を聞きたいという興味本位なものでしかないのは分かり切っている。 そんなことはテレビを点ければ、真実と、より恐怖心を煽るだけのねじ曲げた情報が嫌と言うほど耳に入ってくるだろう。自分たちに出来るのは血生臭い殺戮と殲滅するための死闘という聞いたところで面白くも何ともない…けれど命を張った熱く苦しい現実でしかない。それを聞きたがる卑しさが堪らない嫌悪を呼び、ただそこに立つことさえ不快であった。 通り過ぎる人物から値踏みするような視線で見つめられる。表情を消した本部長が立ち並ぶ警官達を紹介し、それが自分の番になると嫌でも威儀を正し忠実な警官の顔を保たねばならない。 「彼は一条薫警部補です。特捜本部では、特に第四号と連携し尽力しております」 おお、ともああ、ともつかぬ声が一同から漏れる。関係者であれば『一条』という警官がこれまでにしてきた服務規程違反や通達無視、何より唯一四号と接触し行動を共にしていたという経緯を知らされていないはずがない。そしてまた彼らのような人間には丁度いい暇潰しにもなるのだろう。 早く解放されたい。こんなことに割く時間はないのだ。ただでさえ昨日はこの会合の警護打ち合わせなどに忙殺され、五代に連絡を取ることもできなかった。 話をしたい。何を聞きたいのか、伝えたいのか、それは答えの出ない堂々巡りであっても直接会って話をすれば、きっと何かしらの活路が見い出せるのではないかと思う。 このままではいられない。それはきっと彼も思っていることなはず。自分だけの都合ではないはず。 「きみが、一条くん?」 「はい」 誰だ?背の高い、顔の割に鍛え上げられたらしき体躯の人物。着ているものと立ち姿、何よりこのメンバーに含まれているということが彼の世間的階級を知らしめていた。 「失礼。弟が随分世話になっているようなのでね」 「弟さん、ですか」 少し笑った口元が皮肉に歪む。初対面の人間を印象だけで判断するのは良くないことだとは思う。けれど自分の刑事としての勘は彼を許容範囲の外に押し出した。自分に仇なす者。笑い方が気に入らない…そう思った後、すぐに気付く。これは、自分にもある表情。彼と出会う前の自分が隠すことなく晒してきたもの。 似ている。 椿より更に上に位置する視線を睨むように見つめながら、一歩も引かぬ姿勢を貫く。 「会議後に合流しますので、その時ご紹介しましょう」 自分に自信のある人間というのは態度が尊大になりがちだ。それは環境や立場により裏付けられたものであるから一概に否定できるものではない。けれど謙虚さを持ち合わせぬそれは見る者を不快にする。彼には、なぜだか自分を蔑む表情があることは、去っていく背中からも感じられるものだった。 「なんだあれ」 「えーっと、確か官房長官と親交の厚い財閥の跡取りじゃなかったですかね」 「なんだ桜井、やけに詳しいな」 「今日の出席者名簿にちゃんと写真が付いてましたよ。…え、もしかして一条さんも見てないんですか」 「…一応、頭に入れたつもりだったんですが」 「なんですかもう、二人がそんなやる気のない態度でいたら俺なんかもっとダレるじゃないですか。あーこんなことしてる間にも未確認の奴らが何処かで暴れ出すかも知れないっていうのに!」 「ぼやくなよ。とにかく会議の間は自由行動だ、詰め所でコーヒーでも飲もう」 「そうですね。一条さんも行きましょう」 「ええ」 鋭い目。あれは素人が持つものではない。刑事としての直感。 歯車の軋む、音。 会議は警察機構としての公なものではなかったため、警視庁からは離れた施設の一室を利用していた。 その後に予定されている会食会場はそこから更に麻布へ移動して行われることになっていたが、わざわざその見送りに立たされるという事態に杉田さんなどは本気で切れる寸前だった。詰め所で控えていたのは会議の終盤で質疑を受ける予定があったからで、警護担当でもあるまいし敬礼で見送るのはおかしいのではないか。いくら文句を言ってみたところで聞くのが同僚の桜井さんでは意味がない。 しかも特例的な措置を幾度か受けている自分としては、確かに声高に避難する訳にもいかないし。退屈に腰掛ける椅子の上で、ただぼんやりと手元を見ていると予定の時刻になり会議室へと呼び出された。 思った通り、興味本位なだけの質問の数々に杉田さんは皮肉めいた回答を次々繰り出している。こんなものになんの意味があるのだろう。現場の凄惨さを考えれば全てが机上の理論に過ぎない。敵はいつ、どんな形で罪もない人々に襲いかかるか予測は全く不可能なのに、言葉を尽くして『過去の事件』を語り尽くしたところで無意味ではないか。尤も榎田さんや椿のように、今後のための研究として取り組む者たちは除くが、彼らはただの茶飲み話程度にしか捉えていないのはその表情を見ればよく分かる。 「あなた方のご苦労はよく分かりました」 それまで一言も発することなく、なぜか自分を値踏みするような目で見つめていた男が静かに口火を切ると残りの者は皆一様にシンと静まり返り、彼の言葉を待つような空気が室内を包んだ。 「危険な最前線へ常にかり出され、それでも市民のために尽力下さる姿には大変敬服いたしました」 「まあ、そう言っていただけると苦労も報われるのでしょうねぇ」 杉田さんが口を挟む。けれど彼の視線は未だ自分に当てられたままで、背筋に走った感覚は理解不能な緊張と不快感を全身に広げ始める。 「しかし、聞けば四号と呼ばれる未確認生命体は我々と同じ、一般人だということですが」 弾かれたように顔を上げると、上層部と呼ばれる席の者たちが一斉に視線を泳がせた。 五代のことは名前、現住所その他個人的なデータの全てを伏せてある。勿論、少し調べれば容易に突き止められてしまうのは確かだろうが少なくとも警察関係者が外部に漏らしていい情報ではない。 「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」 「ああ、これは名乗りもせずに失礼。高徳院貴志と申します」 高徳院。 その名を聞いて納得する。財閥と呼ばれる家柄の中でも、他の追随を許さない名門中の名門だ。明治維新の前は爵位を頂き、不況と言われる日本経済界においても揺るぎない地位を保持しているのはあまりに有名なことだ。 警察は、犯罪を未然に防ぐ活動と起きてしまった事件に対し解決の糸口を見つける為にある機関だ。自分は常にその意識を持って勤めている。犯人検挙が解決ではなく、その後にどう償われるべきか、それが決定して初めて解決と言える。そんな簡単なことを忘れ、権力におもねり法すらねじ曲げる。それが現在の警察機構かと思うと馬鹿らしくて涙も出ない。唇を噛み、せめてもの反抗心を見返す視線に込める。 「私も関係会社の従業員を未確認生命体により奪われていますし、とても痛ましい事件だと言うことは重々承知しています。しかしだからといって、本来守られるべき一般市民が最前線の、しかも第一線でその命を曝し闘っているというのはどうにも承伏しかねることだと思っています」 「その件に関しましては、当事者である第四号と呼ばれる人物とは再三の話し合いの場などを設け、本人の強い希望により協力を依頼することとなっております」 松倉の固い声が響く。 本人の強い希望。それは紛れもなく事実であったが、だからといって彼が闘いを望んでいると言うことにはならない。中途半端には拘わらないと、その言葉を引き出してしまったのは自分の落ち度だと分かっている。分かっているから歯痒くて、頼りない援護しか出来ぬ現状が悔しくて。 誰かに、改めてその罪を問われると返す言葉はなにもない。 「本人の…ねぇ。ではその家族に対してはなんと説明なさるのですか?」 「ご家族は妹さんが一人と聞いておりますが、そちらは了承済みであると」 視線で促され軽く頷く。確かに、彼女に対し意思確認の機会を持ったことはないが、実兄の選んだ道を肯定し、応援する立場にあることは分かっている。そしてなにより、そんな兄を信頼していることも分かっている。 「彼には他に家族はいないと?」 「ご両親は既に他界なさっているそうです。勤務先の上司が親代わりをしていたそうですが、成人している現在ではその限りではないと判断しております」 「そうですか」 乗り出していた上体を戻したことで、その話は終わりとなった。 誰に何を言われるまでもない。五代と、自分と、これまでに交わす言葉は山のようにあったしそのどれもに納得してきたはずだった。だから不甲斐なさは彼にこそ攻める資格があるのであって、第三者の、現場の苦労を知らぬ彼如きに口を出される謂われはないのだ。 会議を終了するという声に室内の空気が動く。 立ち上がることが出来ず俯いたまま爪先を見つめていると、杉田さんが肩に手をかけ深く頷いてきた。桜井さんも、口の端を上げ笑う仕草を見せる。 五代に連絡を取ろう。 この忌々しい連中が視界から消えたら、すぐさま彼の元に行こう。共に闘う決意を再度確認して、そして今度こそ迷わない誓いを立てて… 建物の玄関先まで見送って行かねばならない。その間も鋭い視線が当てられていることには気付いていた。いいさ、構わない。五代と自分とのことは誰にも踏み込めない深いところで繋がっているという確証がある。今は少し擦れ違いがあるけれど、彼を思う気持ちと彼が傾けてくれる気持ちに嘘偽りは微塵もないから。 だから頭を下げることなく、彼の前に対峙する。 「雄介」 耳に馴染んだ名前を、その口に乗せたのは高徳院という男だった。 夕食会で合流する者がいたのかと、後ろで呟いた杉田さんがその直後に絶句する。 「え、あ、なんで、」 桜井さんが、呆然と指し示す先。 「一条さん…なんで…」 黒塗りの外車から降り立ち、高徳院の隣に並んだのは紛れもなく五代だった。奔放に跳ねる髪は丁寧に撫でつけられ、見たこともないスーツ姿は一部の隙もなく整っている。 五代だ。間違いなく、五代雄介… 「紹介するまでもありませんね。私の弟で、正式な高徳院の当主、雄介です」 優雅な仕草で五代の背に腕を回す。硬直したように立ち尽くす五代はけれどすぐ我に返ったのか隣の人物をきつく睨み付けた。 「ひどいです。こんなこと一言も言わなかった」 「仕事の関係上、懇意にしていただいている皆さんを紹介すると言っただろう」 「でも警察関係なんて…一条さんがいるなんて…言わなかった」 「偶然だろう」 偶然? 本部長は言った。『総監から名指しで頼まれた』と。未確認関連の捜査に当たる者は他にもいる。けれどある程度の権限を持った者と言えば確かに自分と杉田さんなら該当するだろう。けれど考えるまでもなく三人も呼ぶ必要はない、初めから仕組まれたことだったのだ。 「あなた方が四号と呼ぶのは、紛れもなく私の弟です。近日中には家督を継ぎ、いずれは日本経済の要ともなるべき人間を…寄ってたかって怪物相手の化け物に仕立て上げる。許せることではありませんね」 「何度も言ったでしょう、それば俺の意志です!俺が自分で決めて、自分の考えでやっていることなんだから!」 「雄介、皆さんの前で見苦しい」 きっと唇を噛む表情は、微塵も彼には似ていない。 「ご…だい、」 「一条さん、黙っててすいません。でも隠していた訳じゃないんです。ちゃんと話しますから聞いて下さい」 「彼と話すことはなにもないだろう。これからの席には警察長官も、官房長官さえ列席なさる。お前のことはそこできちんと話すから、雄介が気に病むことはもうなにもない」 「兄さん、お願いですから俺のことに構わないで下さい!」 「弟の身を案じてどこが悪い?さあ、乗りなさい」 「嫌です!」 目の前で。 抵抗する五代を数人の男が取り押さえ、横付けされた車に押し込む。まるで映画か何かのワンシーンのような光景に動くことも出来ず呆然と見守っている。 両脇を押さえられたまま、こちらを向いた五代が何かを叫んだ。声は聞こえなかったけれどその悲痛な表情は目について離れなかった。 きっと、ずっと、離れないだろう。 数台の車が連なりそしてゆっくりと遠離っていく。なにも、一言も言えなかった。かける言葉も浮かばなかった。 状況さえ、掴めなかった。 「どうなってるんだ」 「五代さんがあいつの弟って…一条さんも知らなかったんですよね?」 「…ええ」 知らなかった。なにも。五代のこと。 知らないことは、沢山あって… 「厄介なことになったな」 「…お兄さんが反対派で、お偉いさんの知人で…悪条件が揃いすぎですね」 「これからどんな話になるのか…桜井、お前ちょっと偵察してこい」 「無理ですよ。ジェームズボンドじゃあるまいし」 「五代が…」 視界から、彼を乗せた車が消えてから、漸く顔を二人に向ける。本当は冷静な警官の表情を浮かべていなければならないのに、今はそれを作る余裕などなかった。 「ちゃんと話すと言っていました。我々は彼の言葉を信じて待ちましょう」 「そうだな、それしかないか」 幸い本部長が同席している、それだけでも最悪の事態は免れるだろう。 混乱した頭ではなにも考えられない、せめて五代から事情を聞くまでには冷静さを取り戻していないと。 大きく吸い込む息を静かに吐き出す。心を静める。 五代、頼む。戻ってくれ。殺伐とした闘いの日々でも、きみを身近に感じられるその時間こそが大切だった。傷を舐め合う二人であっても、それがきみなら幸せだった。 自分の知らぬ所で大きな何かが動いている。五代を飲み込み連れ去ろうとする。彼の意志ではないそれに、従うことなど到底出来ないから。認められないから。 戻ってくれ。早く。一刻も早く。 待つことしか出来ぬ不甲斐なさを噛み締め、しれでも信じ続ける思いは一途だから。 帰ってきてくれ。ここへ。 俺の、そばへ。
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