月光譚 12 未確認出現の報を高徳院の離れに用意された自室で聞く。 生活に必要なものは全て揃えられ、足りないものは何一つない。それでも欲しいものがあれば身の回りの世話をする家政婦に言いつけなさいと、兄の顔をした支配者が柔らかに取り繕った声で言った。 一条さんはどうしてるだろう。 窓から見る空はどんよりと重い雲が低くかかっている。今にも雨が降り出しそうな、湿った空気が余計に気持ちを暗くする。 誰もが明言を避ける“警察と政財界の名門”の取引。 笑顔を守りたいと言い続けここまでの闘いを乗り越えてきた。それは自分自身のエゴでしかないのかも知れないけど、それでも見返りを求めることはなかったし何より誰かを苦しめることもなかった。 大切な人を、傷付けることはなかった。 「雄介、呉々も無理はするな」 「そんな理屈の通じる相手ならここまでの闘いになんかなってません」 「私が言うのは未確認のことじゃない。本来、お前がいなければこの事件は警察や自衛隊の管轄となるはずのものだ。それを怠惰としか言いようのない無能さで被害拡大を余儀なくしてしまった、ならば責任を取ることも当然だろう」 口元に浮かべた笑みが歪む。 「適当に協力姿勢を見せておけばいい。お前はあくまでこの家の当主だから、命を危険にさらす様な闘いはする必要がない。その辺りは向こうも承知している、深追いはせず後は彼らに任せ戻ってきなさい」 「そんなこと…出来るはずがないでしょう」 「出来るさ。雄介のサポートには私が指示を与えた者が着くことになっている、あの刑事に任せていては前線に借り出されるのは分かり切ったことだからな」 「俺がやらなきゃ…簡単に倒せる相手ならこんな悲惨な状況になんかなってない!」 「ニュースの中の悲劇は、直接の痛みを伝えてきたりしないものだ」 冷たい目。他人の顔。 何も分かってない、知るつもりもない。利益と保身が優先された、悲しいほどに利己的な人間。血の繋がりのない、兄弟。 「状況は深刻化するばかりです。俺は俺に出来ることをやり遂げる…それだけのことです」 「気の済むようにしろ。こちらもそうさせてもらう」 ドアが開くときちんとしたスーツ姿の男が入ってくる。兄に一礼をした後、俺にどこまでも無機質な光のない目を向け、抑揚のない声で挨拶をした。 「未確認生命体特捜本部より、昨日付けで五代雄介氏の身辺警護を任された白川と申します。現在未確認生命体は北区赤羽周辺に潜伏中とのこと、出動願います」 こんな会話ややり取りの末にある闘いで勝利を収めることが出来るはずない。誰もが命をかけ最善と全力を尽くす、それでも尚襲いかかる血塗れた現実を前に恐怖したり絶望したり、新たな闘志を燃やし明日に備える。利益はこれ以上失わないことであり、人の心の温もりが闘うことの全てだった。 車寄せには覆面パトカーと白バイ隊員、TRCS2000A、俺が仲間として迎えられた証であるBTCSが並んでいる。 「彼は私の指示であなたのサポートをします。併走しますのでご安心下さい」 「俺は直接未確認と闘うんですよ、彼の身の安全は保障できない」 「問題ありません。彼の代わりは常に補充できる状態を整えています」 会話を聞いても白バイ隊員の敬礼姿勢は崩れなかった。寒気がした。 名前も知らない隊員は風防から見える視界に何を思っているんだろう。 自らの運命を“職務”に捧げ、その先の恐怖を“指令”に任せ。そうして二度と帰れない場所に辿り着くかも知れない現実を、第三者には『代わりはいくらもいる』と言い捨てられ、それに返す言葉さえ許されない。 無線に呼び掛けてみようか。 大切なあの人を。 仲間を。 側で闘う信用と信頼を互いに得ることが出来た戦友を。 声を、聞きたい。 ピーという無線の呼び出しに胸が高鳴る。けれど聞こえてきたのは既に遙か後方を走る白川という刑事の乾いた声で、未確認出現を知らせるものだった。 余計なことを考えている場合ではない。 今はただ、敵を倒すことに集中せねばならない。自らと、多くの人の笑顔のために。半端はしないと誓った彼のために。 敵は既に数百人の命を奪っていた。だから迷っているヒマはない。それに。 そこには彼がいる。必ずそこに、彼が。 アクセルを全開に。 成すべきことを、最優先に。 俺の出来ることを信じ、進む。 ライフルを構えた一条さん。 取り囲む警官。 杉田さん、桜井さん。 既に倒され、冷たくなり始めた、“人”だった人達。 前に出る俺を制止しようとする声が聞こえて、一条さんは、きつく、歯を食いしばる。 俺は、自分のために闘う。 守りたい人がいる。 守らなきゃならないものがある。 自分のために。 それはエゴだ。俺のエゴ。 笑顔を見たいのは俺。守りたいのは俺。 誰に頼まれもしない、誰も俺を、俺自身を求めない。 それでもいい、泣き顔なんて見たくない。見たくないから。 振り上げた拳が未確認の横顔を殴りつける。ただの暴力を正当化して、自らのエゴのため闘う。 一条さん、俺はなんのために闘うのですか? みんなの笑顔のため。自分のため。それでも守れたものは決して薄汚れた取引の上にあるものではなく、ただ純粋に交わされるギブアンドテイクに似たものだった。 なのに。 もう、止まらないの? 俺にはどうすることもできないの? 滅茶苦茶に殴りつける“敵”の体が不自然に折れ曲がる。 人として人のために闘うのではなく、欲望のための手先となり暴力を振るう。 俺は、なにをしてるんだろう。 なんのために、ここに…… ソードで貫いた体が爆発する。 物陰に隠れていた一条さんが駆け寄ろうとする。 変身を解いて、だけど振り返ることが出来ず立ち上る潰えた命の煙を見る。 脇から腕を引かれそのまま横付けされた車に押し込まれた。走り出す寸前の窓に一条さんの顔が映る。五代、と叫ぶ声が聞こえた。 どうしようもないね。 リントは変わったと奴らは言ったらしいけど、それは確かにそうなんだろう。 同じ人間同士で争い、醜い欲望のため暗闇を広げる。 一条さん。 俺はあなたに、何を言えばいいんだろう。 何を言ってどう謝ればいいんだろう。 この先、一体どうすれば…… 「お兄ちゃん…元気そうだね。よかった」 「みのりもね」 「私は元気だよ。だって子供達と一緒だもん。毎日元気を分けてもらってるから」 「そっか」 離れの警備は数が増えた。逃げようとして捕まったのは既に片手以上で、その度険しい顔の兄に蔑みの言葉を投げられる。 みのりに会いたい。 なにも許されないならせめて妹に会いたい。この家は彼女の帰るところでもあるのだからそれくらい認めて欲しいと懇願し、叶うまでの一切を拒んで三日。 根比べなら、貧しい暮らしでも厳しい冒険の旅でも切り抜けてきた自分の方が有利だった。 「みんな心配してるよ。連絡はないのかって聞かれて…私も心配してた」 「ごめんな。もっと早く話しておけばよかったんだけど」 「ううん。聞いたって自覚ないもん、こんなすごい家が実家ですなんて、今更言われても困るだけだから」 「だよな」 「だよね」 鉄格子の入った窓。カーテンで隠してるけど、きっとみのりも気付いてる。 「あのね、科警研の…榎田さんって人から伝言があるよ。特殊弾が更に強化されたから一条さん達の戦力になってくれるだろうって」 「そう。俺が最後に闘ってから、未確認は出現してる?」 「一度出たみたい。でもその特殊弾のお陰で追い払うことは出来たらしいよ」 「追い払うだけじゃ…だめなんだけどな」 「そうだね」 コーヒーから立ち上る湯気が揺れる。細く、頼りなく。揺れる。 「一条さんが…来たの」 「うん」 「長い間、何も言わないで…ずっと爪先を見つめてて…」 「…うん」 「五代に、伝えて下さい。待ってるから、って…」 「うん……うん…」 俺が二十六号にやられた時も、一条さんは椿さんにそう伝言を頼んでいた。信じてくれてる。こんな俺を、信じて、頼って、待ってくれて… 「お兄ちゃんにしかできないことだよね」 「ああ」 「子供達の笑顔、守ってくれるよね」 「ああ」 「私や桜子さん…奈々ちゃん…実加ちゃん」 大事な人。 「みんなを笑顔に、してくれるんだよね?」 「笑顔に…したい」 守り通す。 妹の背中を見送り、それから長い間目を閉じ座り込んでいた。考えて、考え抜いて、そして目を、開く。 「救急車だ!いや、車を回せ!」 兄さんの声。 「関東…医大へ」 「なにっ」 「あそこなら…俺の、体…ちゃんと診て……もらえ、る…」 舌打ちが聞こえる。 でも、仕方ない。どうしようもない。 頸動脈を切ればあとは時間との闘いだ。普通なら助かる率の低いこの怪我も、俺なら多分切り抜けられる。回復力の異常さを知らない兄ならきっと誤魔化せるだろう、乱暴な手段だけどそれしかないから、呼び立てたその目の前でやった。サイドボードのガラスを割って、それを自分の首に刺して。俺も、おかしくなってきてるのかな。 こんな無茶をして、もし万一、手遅れになったら… みのりと約束した。 一条さんが、待ってる。 死なないよ。 まだ、死ねない。 死を選べない。 腹の中の石が激しく動く。全身の神経が蠢く。気持ち悪い。首が熱い。体が重い。 一条さん。 一条さん。 俺の声が聞こえる? 叫びが、聞こえる? 間違えたくなんかない。自分の意志で闘いたい。 守りたい。 ここから抜け出して、今を変えたい。 歪んでしまった道を元に戻して。 本来の自分の成すべきことだけをしたい。 待ってて。 一条さん。 |
|||