月光譚 14 未確認の動きが激しくなる。 それにつれ犠牲になる人々が増える。何百人も、何千人も。 頑張っているのに。 闘っているのに。 殺し続けて、いるのに。 一条さん。 俺は、どうすればいいのでしょうか。 兄さんの妨害は相変わらずで、だけどそれに比例するように未確認の虐殺は凄惨さを極めてきた。無差別殺人である奴等の犯行は身分階級に関わりなく続けられ、被害者の中に高級官僚と呼ばれる人物が含まれたあたりで事態はさらにややこしくなってしまった。 俺を頼りにするのは警察官でも現場で直接、未確認と対峙する立場の人たちだ。そして連日、新聞やテレビが流す情報に脅え、神頼み的に四号を…クウガを求める町中に溢れる人々。 レンタルしましょうか? 松倉さんを含む警察関係者が再三に渡り俺の出動制限撤回を求め兄を訪ねたが、その度に裏取り引きを要求され上層部はそれを無条件で飲まされる羽目になる。 政財界で生きるものは皆足の引っ張り合いだ。低い笑い声とともに兄が呟く。 どんなに陰惨な事件があろうと私腹を肥やすことだけが連中の生きるすべてだ。お前が命を懸けて守り抜きたいこの国は、そういう下らない者を押し頂いて、ようやく成り立っているものなんだ。 現場の捜査官が苦労の末に検挙した犯罪者たちが、最も自身を律するべき人間の都合で次々と釈放されていく。俺は兄とは関わりがないと言っても、実際に彼の言葉はすべて無視しても。高徳院という名前の持つ権力が見えない重圧となり圧し掛かる。 グロンギを倒して、リントの罪を増やす。 それがどれほど悲しく情けないことかを兄は知らないのか。話し合える言葉を持つ、同じ人間としての理性も、正義も、何もかもなくして。 あなたは、自分を貶めていく。 闘って、傷付いて、相手にも深手は負わせたものの結局逃がしてしまった。変心を解き蹲っているとすぐに俺に駆け寄る二人の足音。一条さんと、兄の要請で俺の保護にあたる警官。無駄話を一切しないこの人物は、役柄的にいえば二代目だ。初めについた人は四日前に亡くなった。赤の金の力で招く爆発の凄まじさは承知していたはずなのに、一条さんより先に現場に戻りその後、血塗れの変わり果てた姿で発見された。 恐らく零号ではないかと一条さんは言った。倒した敵の数は四十六。そして繰り返し出てくる“ダグバ”という、名前。 零号とダグバが同一の存在であると推察され、一条さんはバラのタトゥの女がそれなのではないかと呟いていた。 言葉通り、すぐに交代要員としてやってきた彼に、命は大切にして欲しいと言ってみたが聞き入れられず、仕方なく自分から訪ねた兄は気味が悪いほど優しい声で出迎えてきた。 俺は闘うから。決めたから。だから何を言われても何をされても、その道を歩き続けることを止めたりしないと言い切る。すると口端だけの笑みで俺を一瞥した後、それでもお前の所有権はこの家にあると囁いた。 所有。俺は、ものじゃない。この家のための傀儡じゃない。 拘束されることはなくなったけど、俺のしていることに正義はないと思った。戦いを正当化するつもりはないし、人に感謝されたいと思って始めたことじゃない。だけど今、俺がしているのは犯罪の片棒を担ぐことでもあるという事実に。 打ちひしがられずにいられるほど、楽天的な奴でもなかった。 帰宅中の官僚が殺されたという一報は特捜本部に暗雲をもたらした。 何台もの車が一瞬のうちに炎上し、その中の一台に乗車していたという。隣には行き付けのクラブの女性を乗せていたとかで、その情報をいち早くつかんだ兄は楽しげに喉を鳴らしまた一つ罪を重ねた。恐ろしい、その事実。 「覚醒剤?」 「そうだ」 「そんな…そんなものを…」 「成り行きだよ。企業が成長し、発展を遂げるためには多少のことは必要悪とせねばならない。雄介にもいずれ分かるときが来る」 「そんなこと分かりたくない!」 膝を組み、優雅に座った姿勢のまま、血の繋がらない兄は薄く微笑み首を振る。 「お前を貸し出すことだけではなく、政府の要人と呼ばれる連中の弱みは大分掴んできている。全てを掌に乗せ差し出せば向こうが黙って首を縦に振るのだ。いいか雄介、上に立つ者は自らの保身を第一に考えねばならない、隙を見せればそれまでだ。彼らはそれを怠り、破滅の道を自ら作り出している。後ろ暗いところなど、なければ私も動きようがないからな」 「兄さんは…人として間違ってると、自分で微塵も感じないんですか」 「威張れたことではないが、かといってお前に人のことを責める資格はあるまい。私は、あの男のことを容認したつもりはないからな」 嫌な目だ。 嘲笑を含んだ、見下す眼差し。 一条さんは…こんな風に、人を見たりはしない。 「あなたには理解してもらえないでしょうね。出来れば分かってほしかったけど、あまりに違いすぎて願うことさえ虚しいですから」 「開き直るのか?やれやれ、五代という男は下らない遺伝子をお前に残したものだ」 「俺は父さんを尊敬してる。兄さんにはない、素晴らしいものを沢山持った人だったんだ!」 「庶民の言う素晴らしいものは、大抵の場合つまらないものさ」 「そうですね。高貴な身分の人間は、犯罪行為でさえ尊いと思ってるんですから」 いくら言っても彼が動じる気配はない。確立した自己とそれを支える組織が幾重にも心を覆い本心など微塵も明らかにはしないのだ。 それでも…それでも兄だと。 信じたいと思うのに。 「企業のことは分かりません。だからその部分に口出ししたりはしないけど、犯罪行為からはすぐに手を引いてください」 「そうはいかない」 「兄さん!」 「雄介。この家は大きくなりすぎた」 ふいと逸らす視線が大きな窓へと流れる。夜の空気がキンと張り詰め、人を拒絶する冷たさが心を締め付ける。 「高徳院という名前だけが一人歩きしている。そこに群がる連中の生き血を啜り、代わりに欲望を満たしてやるのだ。そうして出来た関係は今更崩すことが出来ないし、誰にも止めることは出来ない。雄介、お前もいずれ分かるだろう。眺めのいい高い場所に座り続けていれば多少のことは麻痺してしまう。今の気持ちも、時が経てば変わるように…」 「俺は…俺は変わりません。自分で決めたことは曲げない。気持ちも」 「だが相手がそうだとは限らない。雄介、いつまでも子供のような恋愛ごっこをしている訳にはいかないのだ。お前にはこの家を収める義務がある」 「兄さんがいるでしょう。俺は、たとえ母さんが望んだとしてもこの家に戻るつもりはない。もし、万一戻ることになるなら、それはその大きくなり過ぎた組織を縮小…いえ、解体する時だけだと思っています」 「交渉は決裂するたび、互いに意地が出るものだ」 すらりと長身の彼が立ち上がる。本当に、何から何まで違う、“兄”という存在。 「覚えておきなさい。あの刑事のことはこのまま済ませるつもりはない。お前が意地を張り通すならそれもいい、だが私にも我慢の限界があるのだ。雄介の都合にあわせ、あの医者に任せてやっているのが最大限の譲歩だと思いなさい 「何度も言いますが、俺は自分のことを全て自分で決めます」 「どんなに優秀なロボットも、自己判断で動くその仕掛けは人工頭脳だ。それを作り出した人間という存在を忘れてはいけない」 「俺は…ロボットじゃ…ない」 「いいだろう。では手始めに一条警部補には交番勤務にでもなってもらおうか。池袋辺りの巡査なら、密輸拳銃を持ったチンピラにでも撃たれたところで不思議はない」 「なに、言って…」 薄い、琥珀の瞳。心が目の表情を作るのは知っていたけど、この人のそれは今まで見たことがないような冷たさで俺を拒絶する。 俺の、正義を。 「悲しむだろうな。自分の想い人が出世の邪魔をするなんて。しかも麻薬犯罪の片棒を担いでいる…知れれば信頼も愛情もあっという間に霧散するに違いない。彼はキャリアには貴重な“叩き上げ派”らしいから」 「やめ、て…」 「キャリアならそれらしく、日々をデスクで過ごせばいい。それとも将来を考え、今から私の犬にでも成り果てるか…そうすればお前の側にいることも出来るし、惨めに路地裏で野垂れ死ぬこともない」 笑う。 嘲う。 最も近しいはずの人が、最も愛しい人を傷付けると。 わらう。 「あなたは…あなたはどこまで…」 「何度も言っているだろう、雄介は、既にこの家の頭首として迎えられている。私と同類だということを忘れるな」 「俺は兄さんのようにはならない。絶対にならないっ」 「では彼に死んでもらおう。いつまでも未練を残すからそんな聞き分けのないことを言うんだ」 「一条さんに指一本でも触れたら俺が許さない!」 「好きにするがいい」 「あなたには人の心がないのかっ」 「四号となって闘うお前に言われたくはないな」 言葉が。 言葉が鋭い切っ先となり胸を刺す。 「雄介…私は再三止めるようにと言ったはずだ。人の心をなくすのは、お前と私ではそう大差もあるまい。無能な警察などの手先にされ、自ら命の危機を招くお前に何が与えられる?誰一人として感謝などしない、犬死にを待つようなものなんだぞ」 「俺は見返りのために闘ってる訳じゃない。みんなの笑顔を守りたくて、」 「それはお前のエゴだ」 ぴしゃりと言い返された。一番、言われたくないこと。 みんなの笑顔を守るために闘うのは、俺が作り出した大義名分。俺だけのエゴイズム。 未確認だけが人々の笑顔を奪っているのではないという事実は、この国に生まれ生きてきた者なら誰もが知っている当たり前のこと。 「雄介は…いつまで子供でいるつもりだ?嫌でも、辛くても、認めなければならない悪は年を重ねた者なら誰もが持つものに過ぎない。この家はそれが人より多いだけのことだ。そのための見返りは充分すぎるほど与えられる…だから割り切って、早く私の隣を歩きなさい」 「いやだ」 「雄介」 「いやだっ!」 握った拳が震える。食い込んだ爪が掌を傷つけてもなお、それを開くことが出来ない。 俺を見詰める目は鋭い鷹のそれのよう。 端から俺なんかの言うことに耳を貸すような人じゃないと分かっていたけど。 それでも。 「一条さんに何かしたら…俺はあなたを許さない」 「好きにしろ、と言っただろう」 「俺は…あなたを、………許さない」 立ち上がるその仕種が嫌みなほど静かで。 閉まる扉の向こうは明るい光に満ちていた。そこに俺は辿り着けないけど。行きたくもないけど。 歯車が歪んだ音を立て回転を増す。 俺は、どうすればいい?まず何をすれば… 一条さん。 あなたに真実を告げるべきか。 兄を捕らえて下さいと。 この家を、壊して下さいと。 母の生まれた大切なその場所を、俺のこの手で…壊すから… なんで、分かり合えないの? ほら、ね、奈々ちゃん。 言葉があれば大丈夫。人間なんだから、みんな、心があるんだから。 通じるよ。 理解、し合えるよ。 所詮、奇麗事だって。 奈々ちゃんが言った、あの言葉を。 繰り返し唇で呟き、ただぼんやりと爪先を見詰める。 動けずに。 何も、出来ずに。 |
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