月光譚 18

 

一条さんの部屋は、住む人の性格そのままにきちんと片付けられ、機能性を重視した家具や雑貨で整えられている。

 

 

 

み「俺の部屋って、自分で買ってきたから仕方ないけど結構変なものでいっぱいなんですよね。おやっさんにはいつも“少しは整頓しろ”って怒られてて。でもみんな愛着があるからなかなか捨てられないし、特に滞在先で知り合った子供なんかがくれる石とか葉っぱとかって、それを見るとその時の笑顔が思い出されちゃったりするから益々処分するなんて出来ないんですよ」

「……きみらしいな」

そっけない返事で。

乱暴な仕草で靴を脱ぎ捨てた一条さんは、右足を引きずりながらもどんどん部屋の中に入っていってしまう。

怒ってるんじゃない。俺に腹を立てているのではなく、心の中の嵐を収める術が見つからないんだ。

俺はいくと決めた。

究極の闇をもたらすものにはならないけど、それでもあの、幻の中で見た黒い奴になって闘うことを、もう硬く決心してしまったあとだから。

圧倒的な強さ。

俺を挑発する、目。楽しそうに。

死にたくはないよ、でも全力を尽くして、すべてを懸けて闘わなければきっと絶対、あいつに勝つことなんて出来ない。それが分かっていながら曖昧な約束は出来ないから、あなたには惨い仕打ちであっても俺は約束の一つも残さず決戦の場に向かいます。

長野の、あの、遺跡が浮かぶ。

それはもう直感であり、何より侵しがたい真実だった。ダグバは必ず、あそこにいる。

俺を、待っている。

 

 

 

 

 

物の少ないリビングには、上等な革張りのソファーがある。いつだったか趣味のよさを誉めたら“結婚する先輩が無理やり押し付けたんだ”と呟いた。

確かに、一条さんという人はその外見にそぐわぬ無頓着なところが多々ある人で、身の回りに関することはかなりの割合で驚かされることが多かった。

大きなサボテン。これもまた似合わないかな?と思いつつ、かっこいいですね、と無責任な感想を述べたら瞬時に悲しそうな顔をされてしまった。

バカにしたわけじゃないから俺は大いに慌てたけど、次に出た一条さんの言葉に俺はこみ上げる嬉しさを隠しようもなく微笑んでしまった。

『これは学生時代に椿がくれたものなんだが、もう少し生き物に敏感になれと言われて少なからずショックだったことで、実はあまり嬉しくはない同居人なんだ。でもそんな気持ちが伝わったのか、日に日に元気がなくなっていく。サボテンだから水をやらなくてもいいと思っていたのが間違いだと気付いたのは大分たってからのことで…花屋に駆け込んでサボテンの知識を目一杯詰め込んだ後は、これでも神経注いで育ててるつもりなんだ』

全てのことに真面目な刑事さん。自分のことは二の次で、それにも気付かず俺の心配ばかりする。

一条さん、あなたは俺にとってとても大切な人だけど、同時に果てしなく悲しい人でもあるんです。

残るものと、残されるもの。そのどちらが悲しいかと言えば比べることなど出来ないだろうけど。

だけど俺は、あなたを残していくことが、ただそれだけが心残りです。

 

 

「ねえ、何か飲みませんか」

「…何もないぞ」

疲れきった顔で蹲るように座った一条さんは、俺を見ずにそう言った。

小さなキッチンに行くと申し訳程度の冷蔵庫があって、開けてみると中は本当に、見事なまでに何も入ってはいなかった。

流しに伏せてあるカップと箸。茶碗は戸棚に仕舞われたまま、一度も使われたことなどないような寂しさで放置されている。

俺が訪ねることが暫くなかったことで、この部屋はまた、元の寂しい空間に戻ってしまっている。

ここに俺が訪ねることがなくなれば、きっと、もっと寂しさは増すだろう。

でも。

 「ダメじゃないですか、最低限、牛乳とかチーズとか、栄養があるものは確保しておきましょうよ」

 「別に…ここに長くいることもないし」

 「一条さん」

暗い瞳。俯いて、何も映さぬ視線をただ足元に落としている。

ダメだよ…そんな顔しないで。

そんな顔を、彼の記憶に残さないで。

 「ねえ、コーヒーでいいですか?」

 「こっちへ来てくれ」

振り向いた俺を見もせず、投げ付けような声で言う。ぞんざいなそれは一条さんらしくないけど、言いたいことは分かるから、黙って彼の隣に向かう。

 「、いった、」

きつく捕まれた腕を思い切り引かれ、俺の体はそのまま一条さんの胸に抱きとめられた。

強いその力は感情の現れ。

殺せない思いの全て。もどかしさ。

 「行かせたくない」

 「一条さん」

 「行かせたくないっ」

涙の混じる声。

心を殺して、いつだって職務を優先して。

だけど恋心を消すことなんか出来やしない。誰だって一番大切だと決めたものを奪われ、平気でいられるはずがない。

でも。

でもね、一条さん。

「子供みたいな事言わないで。一条さんは俺に中途半端をさせたいの?」

「半端でいい…きみがここにいるなら…それでいいっ」

「ダメです。俺は一条さんに“中途半端に関わるな”って言われて決心したんですよ?今更それを否定されたら、二人が出逢ってここまで来た全てがあやふやになっちゃうじゃないですか」

「それでも…ぞれでもいいから…だからここに……俺の側に…いてくれ…」

「一条さん…」

涙で声が掠れる。震える背中を俺に預けて。

ベッドの中で、俺を自由にした同じ人とは思えない、その脆さで今、縋り付いてる。大切な恋人。

たった一人の、あなた。

「ねえ…俺は一条さんと一緒にいられたことをとても幸せだと思ってます。今もそれは同じで、どうしてそんなに悲観するのか、却って理解できないんですけど」

「きみは…きみの言葉は残酷だ」

「そんなこと言われても…あのね一条さん、俺、別れるなんて言ってないよ?さよならなんてしてないでしょ」

「目が…」

「ん?」

「目が、そう言ってる。隠しても分かる」

分かる。

そうだね。

ばれちゃうよね。だって。

「もう…そんな分からず言って…」

決めたから。

 

そっと背中を抱き締めて、優しくさすると漏れる嗚咽が激しくなった。

成人した男がこんな風に泣くところを俺は見たことがない。一条さんが泣くところを、本当は見たくなんかなかった。

愛し愛されて。甘やかして、甘やかされて。

穏やかな時が刻めれば、進む先もまた違っていたのに。

何度も繰り返す後悔と、それと同じだけの諦め。決心。

「一条さん…寒いね」

泣き崩れる体を支え、真っ赤な瞳を覗き込みながらキスをする。

長く、熱いキス。

思いの全てを込めたキス。

心を。

語れない思いを伝えるための。

 

 

あなたへの、感謝と愛を込めた、キス。

 

月が輝いてる。

 

 

カーテンを開けて、窓の外に見える月を涙の膜が張った瞳で捕らえる。

真冬の凍えた空に抱かれたそれは冴え冴えと光り、孤高の人を思わせる清冽さで俺を見下ろしているようだった。

月は一条さん。

語らず降り注ぐ柔らかな光。人を狂わせる怪しい波。

あなたは俺を捕らえ、その懐深く閉じこめ満足するような、そんな激しさを持ち合わせはしない。いつでも優しく、残酷なまでに優しく、自分の感情を殺してでも俺に自由を与えてくれる。

その自由は決して喜ばしいものばかりではなく、今も、支配する指先でさえ悲しく未来を予感させる。

教える。

 

俺はあなたに逢えてよかったと思ってる。

やせ我慢ではなく、本心から。

だって人を愛することを知ったから。

愛せることを、知ったから。

妹を愛する。子供達を愛する。父を、母を愛する。知人を愛する。

草花を愛する。

青空を愛する。

道端で欠伸をする、薄汚れた野良猫を。

短い鎖で繋がれた、うとうとと居眠りをする老犬を。

冷たい雨を。

吹き付ける風を。

空を、横切る鳥を。

流れる日常の全てを。

あなたという、それら全てを引き替えにしても惜しくはない大切な人を。

愛せるという些細なこと。

些細で、そして尤も尊いもの。

尊いこと。

一条さん。

 

 

上がる嬌声は彼の興奮を伝える。

口の中に含んだそれを、丁寧に、愛しさを込め愛撫する。

時折薄く開く目が俺を求め揺れるから、その度柔らかく微笑むと泣きそうな顔が更に歪む。

愛してるよ。

舌先で伝える。

愛してるの。今。あなたを。

奥歯で先端を甘噛みしたら、鋭い悲鳴を上げ腰を浮かせた。途端に口中に広がるそれは癖のある粘液で、だけど彼のものだと、俺が育てた欲望の証だとそう思うだけで自分の腰を痺れさせた。

セックスを、二人は幾度も繰り返した。

頻繁に夜を共に出来るわけではないけれど、大切な時を慈しむよう、二人で作り上げた時の中でそれは輝きを持つ瞬間となった。

体を重ねる。

心を重ねる。

大切なものを重ね、昨日より大きなそれを二つに分けて抱える。

抱き締める。

気持ちいいから、そんな単純なことで交わることは一度としてなかった。だってどんな一瞬であっても俺達二人にとっては取り返せない時となることが分かっていたから。

だから流された上の行為なんてものは存在し得なかったんだ。

一条さんが好き。

好きって、とても簡単な言葉だけど、その意味するところはとても深く、本当に理解するには大きすぎるものだった。

好きに幾つも種類はないから、だから一言を伝えることがこれほど困難なものはないと思う。

冒険が好き。

人間が好き。

笑顔が好き。

あなたが好き。

どれも“好き”で表すもので、けれどあなたは特別だから。

好きと一言、それだけで伝わるはずのないものだから。

 

好き。愛してる。欲しい。求めて。

俺を、あなたの愛で満たして。

 

好きは、こんな沢山の感情を含んでいるのに、後にするとたったの二つに変わってしまう。

好き。

あなたが、好き。

 

起き上がろうとする彼を制して、上目遣いで微笑みかける。

少しの不安を宿した瞳が、俺の動きを追っている。

幼いと言ってしまえる、彼の持つ無防備さが堪らなく愛しい。

 

彼の腰より胸に近い辺りに跨ると、驚いたような目で見上げてくる。可愛いね。あなた、卑怯なくらい。

 

右手を取り、その指先をねっとりと舐める。

指を伝い唾液が滴ると、それにすら感じるのか下半身が捩られた。

欲しいの?

欲しいんでしょ?

だって、俺が、欲しいんだから。

十分に濡れたそれを俺の体を這わせながらゆっくりと下ろしていく。辿り着く先は彼にも分かっているから、欲情に溶ける瞳は早く、と言いたげに力を増した。

あなたを受け入れる場所。

本当は、ないはずの体。

無理をしてでも繋がりたいのは、言葉の少ない自分たちでは仕方のないことと知っている。

あなたを感じる場所。俺を感じてもらえる、場所。

悪いことだなんて思わない。

思えない。

技と新入を拒むように、支えたままの指先を彷徨わせると彼は焦れたような声で抗議してきた。

俺だって堪らないよ。あなたの指先で円を描く様に刺激しているのは他ならぬ自分なんだから。

「雄介っ」

怒っているような、渇ききった音。彼の声。

そっと指先を解放すると、まるで蠢く昆虫のように素早く、確実に内部へと進入する。不躾なほどに撹拌される。

声は抑えなかった。

聞いて欲しいから。

伝えたいから。

 

自らももっと欲望を煽るため、鼻に掛かるその声を留めたりはしなかった。

蠢く指は俺の体を知り尽くしてる。

だから俺が鳴き声を上げるポイントばかりを攻めてきて、その刺激だけで果ててしまいそうな予感さえした。

だめ。

だめだよ。

まだ足りない………全然足りないから。

空いている彼の左手には自らの欲望を託す。

撫でて、さすって、少しの意地悪と思わせぶりで泣かせて。

溶けさせて。

 

 

貪るように俺の体に夢中になる。

綺麗な彼が、俺に堕ちる。

溺れる。

交わるために。

 

 

彼の指を濡らす液体が白く濁ったものに変わると、それに満足したのか卑猥な笑みが口元を彩る。

恥ずかしいとは思わなかった。

嬉しい、とは感じたのに。

 

粘膜を擦る音が室内に響き、それより大きく俺の喘ぎが泣き声の様に繰り返す。

感じてる。

刺激を受け、こんなにも。

あなたを。

欲しがる。

 

彼の足を庇いこの体位を選んだけど、それはもしかすると失敗かも知れない。

性を解放するタイプではないと思っていたのに、この大胆さは反則だろう。

声を上げるところを次々に刺激して、満足げにまた場所を変える。焦らして、様子を窺って、いきなり擦り上げて。

内部にある彼の指を締め付けると、それが合図になった。

揺らしながら引き抜いた指が腰に回ると、即すように優しく撫でる。

敏感になった体をゆっくりずらし、口の中で育てたそれを愛しげに撫でる。俺を求め震える、正直で可愛い彼。

俺を、愛してくれる、それ。

 

 

入ってくる感じが堪らない。

嬉しくて喉が鳴る。

ずくり、とした刺激が下半身を支配して、それ以外の全てはどうでもいいことになる。

一条さんが、同じように喉を鳴らす。

気持ちいい?

目で尋ねたら唇の端の笑みで答えてくる。

もっと?

僅かに腰を揺すったら、それより少し強い力で突き上げる。

くん、と。

愛しさが、増す。

 

 

境界線を越えれば後は、本能のままに振る舞う二人がいた。

 

自らの腰を懸命に揺すり、激しい快楽を自らに与える。

下から突き上げる刺激は際限なく激しさを増して行き、泣き声は呻く様な獣のそれに変わっていく。

音が。

匂いが。

視界が。

汗が。

二人の行為を余すところなく伝えてくるのが嬉しい。

彼と交わる自分が嬉しい。

愛される自分が、誇らしい。

 

限界が近いのか、俺の腰を掴む力が痛いほどになる。

支えているだけの力がなく、彼の胸に伏せてしまう。

抱き締めてくれる。

「あ、あ…いちじょ…さっ」

「ゆうすけっ」

 

 

 

注ぎ込むその熱を忘れないで。

俺を愛した、この瞬間を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れないで。