月光譚 19

 




 人間は業の深い生き物だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ白な雪原に迷子のように立つダグバを見たとき、なんだか堪らなく悲しくなった。

いっそ少女のような無垢な微笑みで俺を見る、その表情は決して狂気を含んだそれではなく、どこにでもいる幸せそうな少年の穏やかなものに見えたからだ。

殺す。

コロス。

人を殺す。

仲間を殺す。

みんな殺す。

全部殺す。

自らも。

 

殺す。

 

 

真っ白な世界で殺し合う、似たもの同士の俺達。

磁石の同極。

 

相容れることはなく、理解し合うこともなく。

言葉がないのは、不便だという直接的なことだけではなく、とても悲しいことだということ。

辛いこと。

抱き締めれば温もりが分かる。だけど俺達には殴り合う拳しかない。叫ぶ声しかない。

届かない。

何をどうしても。

心を尽くしても。

届かない。

伝わらない。

重ならない。

 

グロンギ。

未確認生命体。

生命、と。

生きている命と分かっていても。

人とは近しいものだと分かっても。

 

言葉はなく、心もなく、ただ、虚しくそこに立ち尽くす。

もどかしさに唇を噛み、そこから赤い血が流れたとしても。

 

彼等に、その意味するところは伝わらない。

 

 

 

白い大地に浮かぶ幻。

一条さん。

初めて逢ったこの場所で、彼は俺を愛してなんかいなかった。愛するどころか知ろうとすることさえしてくれなかった。

俺とは、尤も遠いところにいた存在。

 

刑事と、冒険家と。

 

 

何もかも違う二人が、少しずつの言葉と重なる信頼を大切に抱き締めここまできた。

瞳の奥の言葉さえも、拾える二人になれたのだ。

愛してる。

愛されてる。

 

 

胸を張って、言い切る。

 

 

 

逃げないこと。

愛すること。

誓うこと。

 

誇ること。

 

 

 

激しく愛し合った。

明け方の冷たい空気の中でそっと身動くと、彼は怯えきった背中で引き留めた。

震える全身で“行くな”と告げた。

ごめん。

ごめんね。

でも、行きます。だって。

だって俺、クウガだから。

 

闘うことを誓った。

みんなの笑顔のために闘うと、俺はあなたに誓ったんだよ。決して中途半端はしないと、あなたの強い光を放つ、その瞳の中に誓ったから。

 

身支度を整えたところに、まるでタイミングを計ったかのように電話のベルが響く。

それは五回目のコールで留守番機能に切り替わり、電子音声のメッセージの後聞き慣れた人の声を響かせた。

 

『五代…お前の兄さんだけどな……

一時間前から…………植物状態になってる』

 

そんな気はしてた。

 

 

死なないよ。

兄さんはそんなヤワな人じゃない。簡単に俺を諦めるような人じゃない。

生きていて。

どんな形でもいいから。

生きて、そこで、待っていて。

あなたが再びその目を覚ますときは必ず来るから、だから今は静かに。

ただ穏やかに、眠っていて。

犯した罪を償うために、俺のことを分かってもらうために。明日を、歩き続けるために。

 

残念だけど俺はもう兄さんの前に現れることは出来ない。だけどあなたなら分かってくれると信じてる。

抱き締めたあの腕の強さと暖かさは、決して偽物なんかではなかったから。

信じられるから。

 

 

一条さんの震えが大きくなっている。

泣いてる。

俺が泣かせてる。

ごめんなさい、でも、もう側に行くことは出来ない。

その背を温めることが出来ない。

残酷な決断を、自らにも課してしまったから。

本当は駆け寄って、行きたくないって泣き叫びたい。

だけど一緒に逃げてと俺が言ったら、あなたはきっと、今よりもっと悲しい気持ちで。

身を切る痛みに耐えながらも、首を、横に振るだろうから。

 

 

あなたは警察官で、俺は未確認生命体四号で。

初めから違いすぎる二人は最後の瞬間までその役割を放棄することは出来なかった。

それは、正しいことだけど。

 

後悔なんてしてないよ。

今この瞬間であっても、あなたと逢えたことを喜ばしいと思う。人生で最大の幸福は、俺がその命を終える瞬間まで続くのだから。

 

ありがとう。

いっぱいいっぱい、ありがとう。

愛したことを誇りに思う。愛されたことを誇りに思う。

闘いの日々であっても、ともに走るパートナーとして駆けたこの時間を俺は絶対忘れない。

自らの意識が途絶えたとしても、原子の魂に還りその千々に解れた一つ一つにまであなたのことを残しておく。

留めておく。

 

なにも言わなかった。

声が聞きたかったけど、聞けば走り寄ってしまいそうな自分を知っていたから。

抱き締めてしまいそうな彼を知っていたから。

 

 

閉じるドアの向こうにいる、あなたは俺の誇りです。

黙って行かせてくれることが、あなたの愛情だと知っています。

 

どこかで。

いつか、どこかで。

もう一度逢えるよ。

二人は、なにより強い絆で結ばれたから。

このときを俺は忘れない。

ずっと、ずっと、ずっと。

 

色褪せたりは、しないから。

 

 

 

ドアを、閉じる。

 

 

殴る。

殴り返す。

ダグバが笑う。白い悪魔が、嗤う。

 

楽しそうだね。

どうして?

俺はこんなに悲しいのに。

痛いのに。

辛いのに。

 

嬉しいの?

俺が痛いのが嬉しい?苦しそうなのが嬉しい?

お前は痛くないのか?

辛くないのか?

命を懸けて殺し合う、そんな愚かなことはないのに。

最も馬鹿げたことはないのに。

楽しい、なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殴って。

蹴り付けて。

渾身の力を込め、殺すために殴り続けて。

 

俺の手は血の汚れる。

これまででも十分すぎるほどに血まみれた拳だけど、ダグバを殴るほどに黒ずんだそれが勢いを増す。

 

 

どくん、と。

 

 

腹の中の石が疼く。

アマダムが熱くなる。

俺が、本当は闘いたくないと叫んでいるのを、石は黙って聞き続けてきた。変身する力だけを与え、他のなにも庇ってはくれなかった無責任な石。

闘うのは俺が決めたことだけど、こんなに苦しいならもっと早く、俺自身を殺してくれればよかったのに。

消し去ってくれればよかったのに。

 

ああ。

だめだね。

そんなことできない。だって。

 

一条さんと心を重ねることが出来たのはこの石のお陰でもあるから。闘う力を俺が持たなければ、あの人と歩く道など初めからなかったのだから。

 

 

どくん、どくん、と脈動が早くなる。

その度に殴る力が強くなる。

ダグバの切れた頬から溢れる鮮血が辺りを染める。

 

 

殺す。

 

俺が、殺す。

 

 

 

 

殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うっすらと微笑みを浮かべたダグバが仰向けに倒れる。

腹の中の石が燃えるように熱くなる。

 

 

 

一条さん。

これは勝利ではありません。

 

 

 

これは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただの、殺人です。