欲しいと思うものを口にするのは、それだけで贅沢なことだと思う。 感情をそのまま表現することは、それだけで贅沢なことだと思う。 見上げる空は高くて、どこまでも他人の顔した異国の蒼。 青白い頬をさらに染め上げ、無遠慮なまでに無関係を突き付ける。 鳥が。 鳥が、飛んだ。 真っ直ぐに、深くて不快な、空の蒼を。 飛んだ。 自由ってなんだろう。 どうして自由なんてものがあるんだろう。 知らなければ欲しがらない。 知らなければ求めない。 救いなんて。 神様、という言葉には一体なにが含まれているのか。 友達、という言葉には一体なにが含まれているのか。 信頼、という言葉には。 足下を見る。 薄汚れた足元を見る。 他に自分の見るべき世界はないから。 求めるものは、ないから。 笑うことは、もう、忘れたから。 NOD-約束の地 正親町柚瑠 「レッド、なに見てるの?」 大きな瞳の少年…少年と呼ぶにはその頬に浮かぶ陰影がひどく大人びても見え、結局少年とも青年とも言い難い不思議な印象を与えるその人物が、ぼんやりと空を見上げる男に声をかけるのを盗み見る。 レッド、と呼ばれたのは、こちらもまた実際の年齢より若く…極端に言えば幼くさえ感じることのある青年で実のところ未だに掴み切れぬ、ふわふわと定まらない印象を持つ人物だった。 穏やかな午後。 洞窟の中で暮らすには、やはり日の当たる時間は出来る限り外で日光を浴びるべきだ。 “レッド”が発案したそれに自分以外の全員が、一瞬の間のあと大きく頷き戦闘のない日の日課となってしまったそれ。 戦闘。 オルグと対峙するもの。 人を、自然を、平和を脅かす存在。あってはならないもの。 精霊の戦士として闘う自分たち。 彼は航空自衛隊員として、エースパイロットへの道を歩むことを自身の目標としていた。 空を飛ぶ、それは漠然としてはいたものの子供の頃からの夢だった。何ものにも囚われず、己の力で空を駆ること。 悲しいかな人間の身では翼をはためかせ自由に空を行くことは叶わないが、自らの力で空を支配することは、全てを従えることと同じような気がしていた。 純粋に“鳥”に憧れたことはない。 空に対する執着も、それとはまた違うものであったけれど。 飛びたい。 空を。 自由を。 何かから逃れ、ただひたすらに前を見詰め。 どこまでも広がるその蒼の中に溶けることが出来たら。 「レッドってば」 「…あ、ごめん。なに?」 ぼんやりとしていた視線が定まると、柔らかな笑顔で埋め尽くされた彼の顔が振り仰ぐ。 嘘だ。 胸の中に響く声。己のものと、似ている、それ。 嘘、だ。 「どこ見てるんだよ」 「どこって…空だよ。上、見てたでしょ」 「上を見てたからって空とは限らないじゃん。本当は何を見てたの?」 「その言い方だと…なにか見ていて欲しかった?“未確認飛行物体”とか」 「そんなこと言ってるんじゃないだろっ!俺はね、最近のレッドがなんかぼんやりしてることが多いなって、心配してやってるんだからなっ」 「心配は、してやってる、なんて言い方しちゃだめだよ」 「なんで?ブラックは心配してやってるって言うと、ありがとうって言うぜ?」 「え、だって…ブルーに心配してもらったんだからありがとうって言うのは当然だろう」 「あーっブルーだけじゃなくて、あたしだってみんなだって、心配しあってありがとうって言い合うものじゃないの?」 「それはそうだけどさぁ」 子供の声が耳につく。 “子供”と呼ぶのは失礼かもしれない。彼等とて闘う日々の中で格段の成長を遂げた立派な戦士だ。言葉選びは拙いまでも、仲間を思う心はきちんと伝わってくる。今も“レッド”の身を案じ素直にそれを口にしたに過ぎない。 ぼんやりしている、それはもう誰もが気付き始めたことだったから。 「ねえ、俺のこと話してるんだよね?」 遠慮がちな声に子供の視線が戻される。 「レッドが変なこと言うからいけないんだろっ」 「あ、ご、ごめん」 勢いに謝ってしまうのは彼の人柄なのか、それとも。 手にしていた本を閉じ、彼は静かに立ち上がる。それに気付くものはなく、足音を消し気味に歩けば喧噪はあっという間に遠ざかった。 苦手だった。 彼の第一印象は最悪で、こんなやつとともに闘うことなど出来ないと本気で思った。 灼熱の赤き戦士。 ガオライオンに選ばれし、リーダーとなることを定められた気高い魂。 こいつが? 胸に湧き起こるそれはあからさまな嫌悪だ。受け入れられない、どうしても、彼の全てが自分に取りなにか耐え難い苦痛を呼び覚ます。 それは感覚ではなく、直感。 心の底に響くもの。 ガオイーグルとは、黄色の翼を持つ鷲の姿をした精霊だった。 イエローと呼ばれる彼には“鷲尾岳”という名前があったが、戦士として闘うことを決意した時からその名は捨てた。 捨てたつもりだった。 彼等はガオレンジャーと呼ばれる戦士で、邪悪な波動により生まれる“オルグ”を倒すためその精霊により選ばれ、集められた戦士たちである。 はじめがイーグル。そしてタイガー。 シャーク、バイソンと続き最後がライオンとなる。 リーダーであれば最も早く選ばれ、自らの仲間となる戦士を精霊とともに選び出すのではないか、彼、鷲尾岳がガオイエローとして戦士の命を受けて数日後のこと、世話役とも言うべき巫女に尋ねた質問はこれだった。 彼女は笑った。 いたずらな子供のような女性であったが、年齢は既に千を超えているという。この非常識な事態に身を置いたあとでなければ信じられるはずもないことだが、彼女に備わる不思議な力を見ればそれは納得せざるを得ないというのが正直なところだった。 彼女は笑った。微かに、唇の端を歪ませて。 嗤った。 見つからないの。まだ。 よく通る柔らかな声で、まるで歌うように囁くように。 実際、なにが楽しいのかくるりと体を反転させ、そしてまた忍び笑いで空気を振るわす。 いないのよ。ガオライオンが自らを託すべき戦士は、まだ、いないの。 深くは考えなかった。 いや、彼に取り“深く考える余裕”は、今もってないといっても過言ではない。熾烈を極める闘いが続くこともある、誰もが傷付き疲れている。励まし合い、なんとか前を見詰めることは出来ても足下に視線を送る余裕はないのだ。 巫女の笑いをどこか薄寒い思いで聞きながら、それでもいつか現れるであろう“リーダー”に思いを馳せた。共に闘う、信頼し尊敬しうる人物の登場を彼は心から願い待ち焦がれた。 それがどうだ。 「やってらんねぇよな」 呟いて、つま先の小石を蹴り上げる。 子供たちはじゃれ合いの中で信頼を見つける。ガオバイソンが選んだ戦士、ブラックだけは子供という年ではなかったけれど、それでも調和し和気藹々とやっている。それはいい。 でも、あいつは違う。 なにかが違う。 それがなにかと言われれば言葉にすることも叶わず、歯がゆく黙り込むしかないが、それでも許容しかねるなにかが彼には存在するのだ。 彼。 ガオレッド。 灼熱の獅子――リーダー。 レッドは初めから型破りなことを連発し、いつも彼の心を乱した。手始めが名前だ。 彼は自らを“獅子走”と名乗り、その場のメンバーたち全員の名を聞き回った。戸惑い、みな一様に視線を送る“イエロー”にでさえ、屈託ない笑顔を浮かべ同じように名前を尋ねた。 許せないと思った。 どうしてそこまで激昂したのか、自分でもよく分からない。 けれど彼が笑えば笑うほど腹が立ち、怒鳴りつけずにはいられなかった。 “仲間だろ?共同生活をしていくんだろ?” 追い縋り、しつこく言い連ねる“レッド”を力任せに突き飛ばす。 その甘い考えを正さないなら死はいつでも目の前にある。心を持たぬ化け物相手に、話し合おうと言える無神経さは仲間さえも傷付ける。 リーダー不在のまま増えていくメンバーをまとめるのは自分の仕事だった。面倒見がいいわけではない、戦闘経験のない子供たちをいきなり実戦に借り出すのはさすがに躊躇われ、彼の自衛隊員としての経験が自然とそうさせていったというだけのことだ。 レッドは上にバカがつくほど真っ直ぐで単純な男だった。 少なくともここにいるものにはそう映った。 笑った顔しか見たことがない、深く悩んだり躊躇ったり、人間なら当然ありそうな負の感情というものが全く見あたらないのはいっそ気味の悪いほどで。 イエローを除く誰もが数日経つうち受け入れてしまったそれは、苦しい闘いの中漸く訪れた柔らかな時間を失いたくないという思いから発していることは痛いほど伝わる。それを否定するつもりはない。 張り詰めるばかりでは緊張が保てない。細く頼りないその糸がいつ切れるか分からない状態では真剣勝負など挑めない。だからレッドが持ち込む“俗世”や“情け”を、全て真っ向から否定しているつもりはなかった。 呆れていたのだ。実際。 視界の隅に入るレッドの顔はいつだって笑顔だ。それは悪いことではなくてもイエローのような人間性を持つものなら正直に“お近づきにはなりたくない”と思う種類の人間で、事実彼は随分長いことそれを実戦していた。 不自然にならぬよう、さりげなく躱わす。“交わす”のではなく、“躱わす”のだ。 話しかけられれば相槌くらいは打つが、理解する気のない話は殆どが右から左と流れていく。それでもなにやらやかましく語り続けた彼は、満足そうに微笑むとまた次の相手を求め話題を探す。 バカか、それとも過剰な芝居なのか。 一度真剣に彼の行動を観察したことがあるが、大抵はブルーやホワイト相手に自分史を語って聞かせたり、ブラックの初恋からこれまでの惚れっぽさを涙まで浮かべた爆笑で聞き入っている姿を見るのが関の山だった。 つまらないヤツ。 そう思った。 こんな状況でもなければ決して相容れぬ存在だ。リーダーでなければこの状況下にあっても無視したい、とことん馬の合わない人間なのだと既に諦めと悟りの境地にまで達してしまいそうだった。 その、レッドが。 蹴り飛ばした小石が前方に根を張る大木に当たる。 彼が見れば“木にも心はあるよ。痛がってるよ、きっと”ということなのだろうが、生憎口を利かない樹木に向かい“ごめんね”などと詫びるつもりは毛頭なかった。 自然を大切にはする。けれどレッドの言う少々ずれた感覚ではなく、だ。 イエローは、男二人が手を回しても抱えることなど到底出来ない巨木の根本に座り込んだ。寄り掛かって、目を閉じる。 仲間であるホワイトとブルーを“子供”と評してはいるが、実は彼も成人から二年しか経っていない青年だった。経験と本来の性格、鋭い視線と物言いが必要以上に彼を大人びて見せてはいたがレッドから比べれば二つも年下の十分“子供”の枠に括られるであろう年でしかなかった。 いや、だから余計気にくわないのだ。 リーダーに拘る訳じゃない、それは確かだ。けれどそれまで積み重ねた規律のようなものをあっという間に崩し、浮ついた空気をそこここに染みつけ当たり前にしてしまったバカが自分よりも年上だというのがイエローの怒りを密かに助長させている。 彼にとっての“先輩”は常に完璧である。仕事も生活も圧倒される差があり、そこで初めて自分より優れた人物だと認めることが出来るのだ。それがどうだろう。 ヘラヘラと笑いつつ、買い物当番から戻った彼は片手に持った食べかけのソフトクリームを平気な顔で突き出してくる。 “食べたいかと思って、走ってきた” その台詞を、ホワイトにでも言ったのならまだ許せる。けれど溶けて流れ始めるそれを差し出されたのは紛れもなくイエロー、自分自身に他ならなかった。 怒鳴る気力もなく、目の前が狭まった。大袈裟ではなく貧血を起こしたのだ。 だめだ、落ち着け鷲尾岳。心の中で幾度か唱え、視線は伏せたまま深呼吸をする。 大体彼との接点は極力削ってきた。近付かなければ済むと分かっている問題に自ら立ち向かうほど暇ではない。同じ空間にいても膝をつき合わせて語り合うほど、彼は人懐こくも協調性を重んじる方でもないから至極簡単で当然の結論だった。 けれど。 けれどこんな風に立ち入ってくるリーダーの無神経さに腹が立つのと同時に、なにやら哀れみの気持ちさえ湧いてくる。 仕方ない。言いたくはないがここで黙っていれば同じことを繰り返しそうだと判断し、伏せていた目を静かに上げた。 上げて。 彼を、見た。 真っ直ぐな瞳は嘘でしかない。 思わず息を飲んだ。あまりに澄んだ目がまるで作り物のようで、正視することさえ出来ず逸らしてしまう。 なにもない。 鬱陶しいほど感情豊かな彼の目を評するには的外れすぎる感想だけど、それでもとっさに浮かんだ言葉はそれだった。 澄み切って、凪いで、波立つものの一つもなく。 なにもないようにしか、見えない。 “ハイ” もう一度、突き出すように口元へ寄せられたソフトクリームの甘い香りが吐き気を呼ぶ。 誰だ。 これは、誰なんだ。 どうしてこんな人間が側にいるのか、なぜ彼が選ばれたのか。 逸らした視線を戻さず、一言の言葉も残さず。 逃げるように去るのは自分の信条には反するものだが、彼の側にいる苦痛から逃れるためなら構わない。 誰だ、こいつは。 繰り返す言葉を胸に逃げ出した、あの日の記憶は今も鮮明に残っている。 「やってらんねぇよな」 もう一度呟く。 彼が笑うたびにそう思う。意味は自分でもよく分かっていないが、それでもやりきれない思いが胸に残る。しこりのように。 笑っていた。いつでも。いつも笑顔で嘘くさい男。 獅子走という名前の鬱陶しいやつ。 リーダー。 彼が、気付くとぼんやり空を見上げるようになったのはいつからだっただろう。 目を逸らしてばかりの自分では、もう思い返すことも出来ないけれど。 いつから、だったのだろう。 |