戦闘中に負った傷を、テトムの作った薬草で手当てしながらふと顔を上げたイエローは、既に慣れつつある違和感に眉を潜める。 レッドが。 同じように怪我をしたレッドがそこには大人しく座っているが、渡された薬草をくるんだ包帯を手にしたまま、ぼんやりと宙に視線を飛ばしている。 いつもうるさいほど一人でしゃべり続ける彼の沈黙は誰にも不可解に映るのだろう。ブルーなどは自分の怪我の手当をブラックにさせつつその足下にしゃがみ込んだ。 「なあレッド、どうしたの?」 反応がない。 「レッド、なあレッドってばっ」 気が短いわけではないが、思慮は浅いとしか言い様のないブルーがリーダーの腕を掴むと乱暴に振り立てる。視線とともに心まで飛ばしていたようなレッドもそれにはすぐに反応し、明るい髪色の少年を… 睨んだ。 「…レッド?」 「……え、あ…ブルー…」 一瞬のことだ。 ほんの一瞬、瞬きほどの間に起こったこと。 見逃してしまえばよかったのに。 「ごめん、聞いてなかった。なに?」 「なんだよ…手当もしないでボケーッとしてるから心配してやったんじゃん」 「ああ、そうか…なんかさ、ほら、疲れて…ちょっと疲れて眠くなっちゃったんだ」 「俺も眠い」 尖らせていた口を元に戻すと、甘えたようにレッドの足にすり寄る。 「一緒に寝ようか」 「…遠慮しとく」 「なんで?」 「ブルーって寝相悪そうだもん。痛いところをけっ飛ばされたら嫌だからね」 「なにそれっ!手当もまだのくせに、痛いとか言わないでくれる」 「じゃあブルー、これ巻いてくれるかな」 「高いよ」 「なに、お金払うの?」 「うーん…考えておく」 「なんだよそれ」 笑う。 なんでもないこと。 見慣れた風景。 彼と、彼の周りの空気。 妙に気に障るそれを意識せぬよう、視線を逸らすことでごまかして。 「俺さぁ、見ちゃったんだよね…」 「…あたしも、見たよ」 ブルーの呟きにホワイトが言葉を重ねる。 二人は躊躇いがちに視線で先を譲り合い、ブルーの情けない目かそれともホワイトの女性として持ちうる母性がそうさせたのか、結局口を開いたのは彼女の方だった。 「今日のレッド…おかしかった」 「おかしかったって…どこが?」 「うん…」 レッドが持ち込んだ電化製品のおかげで食事のレパートリーが増えた。 明かりはついているとはいえ、洞窟の中で取る夕食というのも物悲しいがそれでも全員が満腹感にほっと息をついた頃、日常生活では当番制にしている仕事のどれにも該当しないレッドは早速と自室へ下がっていた。 実際彼はひどく眠そうな目をしていたし、テトムが気遣うように休むよう指示も出していたから特別気にとめることもなかった。だからイエローは彼女の視線の先にいるのが自分だということに気付くと軽く目を細め不快感を顕わにした。 本来ブラックは人の心の機微に聡い方ではない。けれど自分を慕う二人の前では常に兄という存在でいたいのか、反応の薄いイエローから自分へと意識を向けさせるよう微笑みかけ先を即す。 「ブラックは見てなかった?闘ってる時のレッドのこと」 「自分はいつもオルグにばかり気を取られてて…仲間のこと、もっとちゃんと見てないといけないとは思うんだけど」 「それはあたしも同じだけどね、そうじゃなくて…」 「なに?」 大きな体を丸め、ホワイトに笑顔を向ける。 優しい大男。 今時流行らないな、冷めた感情でそう思いつつ、イエローはその場を去ろうとした。 「レッド、わざと怪我したみたいだった!」 「え?」 まるでイエローの関心を引こうとするように叫ばれた言葉を、彼が理解するまでには数瞬の間があった。その隙に彼女は見たままを早口にまくし立てる。 「避けなかったの。オルグの攻撃をまともに…まるで自分から飛び込むみたいにして受けたんだよ。普通、目の前で手を叩かれただけだって咄嗟に目を閉じちゃったりするでしょう、だけどその時のレッド、全然怖がったりとか、そういう顔じゃなくて…しまったとか、危ないとか、そういうんじゃなく…」 どう言えばいいのか、言葉を濁した彼女に痛ましいという目を当てたブルーが静かに言い放つ。 胸の奥で、響く、音。 「楽しそうな顔してた。飛び出す瞬間」 そんなはずはない、とブラックは静かに言って二人に柔らかな笑顔を見せた。 実際そんなはずはないのだ。それはイエローとしても同意見で、あるはずがないと一笑に付した。 あり得ない。 レッドは戦士として仲間に加わるまで獣医という仕事を生業としていた。動物相手とはいえ命は命、ましてオルグにすら“話せば分かる”などと甘いことを言った男なのだ、生命に対する認識が誰より強いのは分かり切っている。 その、レッドが。 自室に戻ったイエローは、怪我での疲れ以上に重く感じる体をどさりとベッドに投げ出した。 剥き出しの岩肌にかけたバンダナは赤。いつだったか、戦闘中にはぐれレッドと二人きりになった時、彼が買い与えてくれたものだった。 攻撃を避けようと咄嗟に顔の前にかざした腕が熱くなる。手首に近い部分を切り裂かれ、そこからかなりな出血があった。闘っている間は気に留めることもなかったこともなかったけれど、装着を解き生身の体になると痛みも増し思わず顔をしかめる。 気遣うように、彼が自分のポケットからハンカチを取り出す。差し出されたそれをぞんざいに断ったのはほぼ無意識だったと思う。これくらいなんでもない、低くそう呟いたが本心ではただ構って欲しくないというそれだけのことだった。彼と深く関わることはしたくない、本能が鳴らす警鐘に従い傷口を自らの手で押さえ止血をしつつ歩き出した。 レッドはその背に物言いたげな視線を送り、それからなぜか駆け足でイエローを抜き去る。 夕暮れを過ぎ、濃い紫から濃紺へと変わっていく人気のない道を走る姿はコンビニエンスストアの中へと消えた。なにをしているのか、そうは思ったが興味はない。 その店の前にイエローが辿り着くのと、レッドが飛び出してくるのはほぼ同時だった。 パリパリと堅い感触のビニールに包まれた赤いバンダナを、レッドは必死な顔とともに差し出してくる。受け取らなければ済まないような勢いにそれでも躊躇していると、彼はひどく傷付いた目をしながら小さく、囁くように言う。 “包帯の方が、よかったかな” 思わず目が点になるというのはこういうことなんだろう。 確かに、傷口に新品のバンダナを巻くのはどうかと思う。止血の助けにはなるだろうが、イエローが彼のハンカチを断ったのは包帯じゃないことが理由などでは勿論ない。 彼のものを借りるのが嫌だった。 親密になることが、嫌だったのだ。 反発し、反目しあうのがいいことだと思っているわけではない。けれど彼と馴れ合うのはどうにも我慢しがたいことだった。“闘う仲間”以上の“仲”には、なりたいとは思えなかった。どうしても。 泣きそうな目のまま立ち塞がれて、これが昼間でなくてよかったと心底安心する。いい歳をした男が二人、道ばたで修羅場のような場面を展開するなどイエローの精神的許容範囲を大きく逸脱した状態は考えられないし許せない。 まるで子供のように。 もう一度、“ん”という曖昧な音とともに差し出されるバンダナ。 躊躇って、考えて。 答えなんか出ないし、出すつもりもないのに。気を持たせるように彼の顔を斜めに見た。 気に入らない。感情に名前を付けることはとうの昔に諦めた。けれど彼の“自分は悪くない”と言うような目は鬱陶しいし嫌悪しか感じない。 なぜここまで彼のことを嫌うのか、自問自答してみたこともあるけれど。 無言でひったくった。 乱暴に引きちぎったビニールから取り出したバンダナを彼の手に押しつけて。 そのまま、歩き出す。 背中を向けて。 機嫌が悪いねというホワイトの声を無視して部屋に籠もり、結局その日はそのまま眠ってしまった。釈然としない思いを抱えていても疲れた体は休息を求め、彼らしくもなく熟睡したらしい。 目覚めは、悪くはなかった。 あれを見るまでは。 机の上には丁寧に畳まれたバンダナが乗っている。 泣きそうな目のレッドが差しだした、新品のそれ。 猛烈に腹が立ち、とにかくそれを視線から遠ざけたくて掴み締め、ドアに向かい… 投げようと振り上げた腕は痛みに竦んで止まる。 出血は治まっていたが生傷は癒えてはいない。包帯の上からでもそれは分かる。 じっと、手首を見詰める目。 イエローの、深い色をした瞳が細められる。 夕べは腹立ち紛れに食事も取らず眠ってしまった。夜中に寝苦しくて目が覚めたが、その後すぐ落ちるように訪れた穏やかな睡魔に身を任せ、起きれば随分楽になった自分がいた。 夜中に起きたこと。 考えられること。 泉の広間に現れたイエローにまとわりついたホワイトは、顔色もいいし大丈夫だねと、女の子らしい笑顔で微笑んだ。 腹減っただろう、そう言ったのはブラックだ。彼の側に座っていたブルーも、食えばもっと元気になるよと励ましたし、珍しく朝から姿を見せたテトムも嬉しげに笑っている。 支度できてるよ。 岩陰から声をかけてきたレッドは、イエローの姿を認めるとすぐに身を隠す。 悪戯を見つけられた子供、という風情ではなく、明らかに萎縮した表情。 “レッドにお礼言った?ずっと看病してたんだって。薬草を煎じたのはテトムだけど” “あれすさまじいからなぁ。イエロー、よく飲めたよな” ホワイトと、ブルーの声。 遠くで聞こえるあれは、誰の声? 結局、きちんとした礼など言わなかった。言えるはずがなかった。 テトムの作る薬湯は確かにめざましい効果を発揮するが、その味ときたら人を殺せるほどだと本気で思える代物だった。 そんなものを飲んだ覚えはない。ないが確かに効果の現れた体がここにある。 バンダナは、だからそのまま放り出してあった。いつの間に壁に飾られるようになっていたのは誰の仕業か、考えることももうしなくなっていたけれど。 寝返りを打って、赤いそれから視線を外す。 赤。 紅き戦士。 灼熱の。 レッド。 こうして彼のことを考える時間そのものを嫌っていた自分が、ここしばらくは盗み見る視線すら自制出来なくなっている。勿論それは気遣いや好意ではない。 目が離せないのだ。 あのぞっとする横顔から。 なにもない、空間のようにぽっかり開いただけの瞳から。 楽しそうな顔してた。飛び出す瞬間。 彼女の言ったことが事実なら、自分にとっては好都合かもしれない。 レッドはおかしい。 どこが、という具体性ではなく、彼という人間はどこか病んでいるのだ。そうでなければあんな目は出来ない。あんな風に生きられない。 おかしいと思う人物をリーダーに据え、それでもなおチームの結束を保てるはずがない。彼は、この闘いには不向きだ。 この空間には無用の人間だ。 けれど。 至った結論に満足しつつ、それでも湧き上がるそれらイエローを納得させる回答を一蹴する現実にまた立ち戻る自分を知っている。 レッドは、獅子走という人間は、パワーアニマルを束ねるガオライオンに選ばれた戦士だと言うこと。 その事実が歴然とある以上、彼がここにいる意味も意義もありすぎてイエロー如きの考えなど軽く跳ね返されてしまうのだ。 ガオライオンはなぜあの男を選んだのか。 どうしてあんな奴を認めたのか。 それが分からなければ自分自身の闘う意志にも悪影響を及ぼす。信頼や結束が揺らぎ、いつかとんでもないことが起こる気がする。 誰に尋ねればいいのか、それは勿論戦士を選ぶパワーアニマルであり巫女であるテトムなのだけど、彼等にこのことをうち明けるには根拠が曖昧すぎて話にならない。 気が合わないという尤もくだらない理由でごまかされては堪らない。 じっと動かず、妙に冴えた思考のまま扉を睨む。 そこに答えがあるわけでもないのに、じっと睨んで息すら潜めて。 睨み据えて。 聞こえたノックに、黒い炎が燃え立つのが見える。 自らの心の中で荒れ狂うそれを、彼は、この時初めて自覚した。 |