怯えた目で入ってくる、その態度にまず苛立った。 様子を窺う上目遣いが室内を見回し、壁に貼り連れられたバンダナを見ると大きく息を付いた。安心した、と。纏う空気が途端に解れる。 先に休むといった彼が訪ねてきた理由は分かっている気がする。答えられないようなことを言い出すことも、なんとなく分かっている。 昼の、仲間といるときの彼。屈託なく笑いイエローの気に触ることばかり言ったり、実行したりととにかく無神経極まりない態度を取り続けるレッドには近付かないのが一番だという結論に辿り着いたというのに。 あからさまに不愉快だと分かる顔を見せられ、自分自身とて平静ではいられないだろうに、それでも訪ねてくる愚かさに腹が立つより既に呆れてものも言えない。 ジャケットを脱いだTシャツとジーンズという出で立ちは、彼を拉致するように連れてきた当初に見た姿で今は随分違和感のある格好だ。見慣れてしまったそれでないと、見ず知らずの他人のような気さえする。 いっそ他人ならどれほど…そう思いつつ寝転がるベッドから体を起こし、彼が見つめている壁のバンダナを引きはがした。 「イエロー…」 「取りに来たんだろ」 無造作に放ると急なことに動けない彼の足下にそれは落ちた。頼りなくはらりと落ちる様が彼のようで、また新たな苛立ちに舌を鳴らす。 途端に跳ねる、肩。 「疲れてるのはお前だけじゃない。みんな怪我をして、それでも回りに気遣ってる。リーダーのお前が言い出したことだろう、仲間ならなんでも分け合おうっていう生温いチームワークは」 「ごめん、なんだか…すごく疲れて…」 泳ぐ視線。爪先にかかる赤いバンダナ。 なにを見てなにを感じて、奥深くまで踏み込もうとしたレッドが言うところの“親密”は、いま足下に落ち持ち主のないままうち捨てられた、波打ち際のガラクタのようで。 きり、と、胸に刺さる。 「最近、ぼうっとなることが多くて、これじゃいけないと思うんだけどなんだか自分でも分からなくて…迷惑掛けてる自覚はある。イエローにも、みんなにも」 「それでそうやって、全員に謝って歩いてるのか」 「いや…あの…イエローの怪我はどうかな、って…」 赤いバンダナ。 いらないもの。 「初めから大したことはない。用はそれだけか」 言いながら退室を促すようにドアに向かっててを伸べる。 その時。 大きな目。 男にしては甘ったるい表情をしたレッドの、印象全てであるその大きな目がまるで猫のそれのように煌めいた。 細く、縦に光るその光彩に一瞬射抜かれたように硬直した。なにか見てはいけないものを見た気がして、無理に視線を引きはがすと強く、一度瞼を閉じ、呼吸を整えるため顔も伏せる。 イエローは、レッドが嫌いだとか疎ましいとか、そういうはっきりした感情をぶつける相手ではないことは分かっている。けれどなにかが、ふとした一瞬に感じるなにかが彼を苛ただせ嫌悪を感じずにはいられなくさせるのだ。 いまも、そう。 恐い。 目の前に立つ、彼が。 仲間としてともに過ごさねばならぬことが苦痛でしかない。 彼がなにをしたという、確たるものもない状況ではただ子供のように駄々を捏ねる子供のようだと言われるだけのものであっても。 「これは…イエローにあげたものだから」 「もらった覚えなんてねぇよ」 「じゃあ、捨てていい」 「俺のものでもないのに捨てられるはずないだろう、いいからそれ持って部屋へ戻れ」 「なあ、」 「帰れって言ってるだろう」 光る。 それは彼が自らの守護精霊とするパワーアニマルの長、ガオライオンの持つものとは異質の光。禍々しいまでに黒く濡れた、見たこともない暗い輝きを放つ瞳。 これは、だれ? 「イエローは…“レッド”が嫌いなんだな」 「そんなこと言ってない」 「そう。じゃあ、“獅子走”が疎ましいんだ」 「だからそんなことっ、」 笑った。 寂しそうに。 悲しそうに。 得体の知れない光はたちまち消え去り、残ったのは打ちひしがれ怯えた、この部屋に来たときと同じ表情の彼。なにもかもを諦めたような。 「分かってるよ。馴れ合いたくないとか、戦士だからとか、そういう以前のこととして、イエローが俺のこと避けてるのは分かってた」 違う、とは決して言えない。けれどその感情を表す的確な言葉をイエローは持たなかった。 「ごめん」 なぜ謝る。言い返したいのに声が喉に絡まり出てこない。 「ごめんね」 背を向けた彼にぶつけるのは、言葉にならないけれど“罵り”。 苛々して腹が立つ。まるでこちらを責めるような傷付いた目が許せない。飲み込もうとするような、あの黒く濡れた目が許せない。 立ち止まり、それから腰をかがめバンダナを拾った。手の中でそれを丸め、考えるように目を伏せる。青白い、疲れた横顔。 無言で立ち上がり、振り返ることなく出ていったレッドの背中を息を詰めて見続けた。彼が退室していき扉が閉じたその後も、身動くことが出来ずそうしていた。まるで、自分自身が理解できないものであるかのように。 バンダナが貼り付けられていた壁は、それがなくなっただけで随分殺風景になった。 剥き出しの岩肌にぽつんとあった赤色は、彼を連想させイエローを余計に苛立たせていたのは事実なのに、なくなってみるとその一点が放つ存在感が異様な喪失感となり心の中に沈殿していく。 ぎり、と。 奥歯を噛みしめその感情を払拭する。 レッドに感じるなにもかもを自らの中から閉め出し完全に遮断しなければ自分自身が崩れるような気さえした。 どこまでも迷惑なやつと、ただ、苛立つままに怒りを募らせそれをそのまま彼への感情と置き換えた。 相容れないやつ。 決して理解できず、この先も馴れ合うことは出来ない。ともに闘うだけの、ただそれだけの存在。 目的は同じでも、そこに至る道はあまりに違う。自分が彼を理解できないように彼もまた理解できず、歩み寄ることには失敗したのだ。ただそれだけのこと。 無視すればいい。これまでのように。それでも戦闘は可能だし、ここでの生活も不自由はない。他の仲間とはうまくやっているようだから、波風立てるような馬鹿な真似をするより近寄らずに過ごすという楽な方法を選べばいいのだ。 イエローは、深く息をついた。 荒く渦巻いていた感情は概ね静まっている。彼が側にいなければ、見なければこうして落ち着くことが出来るのだ。 寂しいとは思わない。 けれど“なぜ”と思う気持ちを消し去ることは出来なかった。どうしてここまで彼を疎むのか、それだけは説明が付かず胸の奥で燻っていた。 彼を受け入れられぬその理由。 その明確な答えが欲しいと、イエローは小さく舌打ちをした。 誰でもいい、教えてくれと。 冷たい室内で一人、立ち尽くしていた。 「ねえ、レッドは?」 ホワイトの言葉に全員が振り返る。 「あれ?今までいたよな」 「自分の隣にいたんだけど…」 大きな体をあちこちに向け、つい今まで隣を歩いていた青年を捜す。ブラックが見回すまでもなく一本道のそこでは隠れるようなところもなく、彼が忽然と姿を消したことはその場のものの緊張感を一気に高める結果となった。 「オルグか」 「だって今退治したばかりだよ」 「ホワイトはイエローといてくれ。ブルー、様子を見てこよう」 「ああ」 道自体は一本だが、裏通りの雑多さで身を隠すガラクタはいくつかある。本当に出てくるのか怪しい古びた自動販売機もその一つで、ブラックとブルーは慎重にそういった物陰の一つ一つを見て回った。 「オルグに連れ去られたのかな」 「そうかも知れない。ブルーも自分の側を離れないでくれ」 「手でも繋ぐか」 軽口に唇だけで笑い返す。今日の敵はかなり手強く、誰もが傷付き疲れていた。早く戻って巫女の手当を受けようと話していた直後なだけにリーダーの安否は余計気にかかるところだった。 なにが入っていたのか、掠れた英文が印字してある大きな段ボールの影に人の気配を感じる。二人の間に緊張が走り、視線を合わせゆっくりその気配へと近付いた。 「――レッド…」 安堵の溜め息とともにブラックが声を掛ける。 蹲るように座り込んでいたレッドが身動きしないことに焦りを感じたのか、弾むように彼の前に飛び出したブルーはしゃがみ込み、彼の顔を覗き込んだ。 「どうしたんだよ、具合、そんなに悪いのか?」 返事がない。 彼は胸になにかを抱き締めたような格好のまま、小さくなにかを呟いた。様子がおかしいことに初めて気付いたブラックが肩に手を置くと弾かれたように顔を上げた。 光る、目。 獣の目。 「レッド、」 言葉が継げず息を飲む。 いつも、どんなに苦しい状況でも笑っている彼がまるで表情そのものを削ぎ落としたような顔で自分を見上げている様は不信感より別のものを呼び起こす。 「なあ、なにを持ってるんだ?」 ブルーの声で漸く我に返る。そうだ、今は彼の身の安全を確認し、仲間にそう伝えて… 「なんだよそれっ!」 気持ち悪い、そう叫んでブルーが飛び退く。自分の背後に立たれたブラックは自然と押し出されるような形になり、レッドへ一歩近付いた。 彼が抱えているものは、その時はっきりと見て取れた。 「レッド、それ…」 「猫だよ」 彼の言う通り、確かにそれは猫だった。いや、猫であったもの、と言った方がいいだろう。 黒く干涸らびたようなものを大切そうに抱えた彼は正気の目をしていなかった。ぼんやりと、けれどその指先は愛しいものを撫でるようゆっくりと動かされている。 オルグか。 こみ上げたものを吐き捨てるよう、きつく奥歯を噛みしめブラックはレッドの両脇に手を差し入れ無理矢理立ち上がらせた。ふらついた体が彼の方に崩れそうになると、気味の悪い物体が自分に触れることを恐れ咄嗟に身を引いてしまう。 レッドは、その動きを感じると低く笑った。 「大丈夫だよ、移る病気じゃないから」 「なに言ってるんだよ、レッド、それ捨てなよ」 「ブルーまで…この子、鳴いてたんだ。ひとりぽっちで寂しいって、鳴いてたんだよ」 「鳴くわけないだろう。ブルー、イエローたちを呼んできてくれ」 「分かった」 ブルーの気配が遠ざかり、そしてすぐ駆けつける複数の足音が路地に響く。 「レッド、その猫はもう死んでるだろ。帰って墓でも建ててやろう」 「なに言ってるのさ。診てあげなきゃ…俺、獣医なんだから…」 「レッド、それ…」 ホワイトも、まるで汚いものを見るかのような目で彼を見る。 イエローは。 「こいつ、気でも狂ったか」 吐き捨てるような呟きに誰もが目を見張った。その冷たい響きはその場の全員を凍り付かせるに十分な威力があり、ぎこちなく視線を合わせる三人はけれどなにも言えず立ち尽くしていた。 「なにしてるの?」 「テトム!」 突然掛けられた声に振り向くと、普段はガオズロックから動くことのない巫女が険しい表情で立っていた。 「テトムあのね、」 「オルグを倒したのになかなか戻ってこないから心配になって来てみたの。…レッド」 びくん、と。 テトムに名を呼ばれたレッドは明らかに怯えた顔で後ずさった。 「どうしたの?なにかあった?」 「…なにも…」 「なに?」 「なにも…ない…」 「そう」 半ば強制的な口調で気遣われても、萎縮したような彼ではそう答えるしかないだろう。ブラックは眉を潜め、ブルーとホワイトはその常ならぬテトムの様子に首を傾げた。 「みんなは先に戻ってて。私、ここでレッドを落ち着かせてから帰るから」 「でも、」 「ブラック、怪我、随分ひどくない?ホワイトは薬草の場所と調合法、分かるよね?」 「うん。この前教えてもらったから」 「じゃあみんなの手当をお願い」 有無を言わせぬ口調にもう頷くしかないことを悟ったブラックはもう一度レッドの顔を振り返る。唇を震わせた青白い顔は生気がなく、とても“なにもなかった”とは思えぬ様子なのに。 強引に背を押され、それ以上逆らうことは出来なかった。それに、テトムに言われるまでもなく歩き出したイエローの背中が逃げ出すには恰好の先導のようにさえ思えたのだ。 闘って、傷付いて。誰もが疲れていた。だからリーダーの不調も今は気に掛けている余裕がない。それに彼には巫女がついているのだ、案じることはなにもないだろう。 四人は振り返ることなく歩いた。 見てしまえばなにかとんでもないものを見るような気さえした。 なにかが動き出している。それだけは分かる。 誰も、口にすることはなかったけれど。 レッドが、いつもの屈託ない笑顔とともに戻ったのは、それから二日後のことだった。 |