近付いてはいけないという言葉を、もう幾度頭の中で繰り返しただろう。

獣の咆吼のような波動は確かにそう告げていた。気のせいではない、あの時ガオイーグルは確実にそう言ったのだ。

“走”に近付いてはいけない。

レッドではなく“走”と言った、その真意が分からず天空島のガオイーグルに何度か呼びかけてみたが返事はない。レッドのように全てのパワーアニマルの声が聞こえるわけではない自分には他に尋ねる術もなくただ波立つ心を持て余していた。

ガオイーグルは、イエローが仲間の名前を知りたがらないことを知っていた。

“戦士に名前は必要ない”という持論。勿論それは変わってない感情だが、本当のところ少しばかり隠していることがある。

名前を持ち、一人の人間として生きる。そんな当然のことを覆そうなどと思っているわけではない。

思い入れが強ければ、それだけ失ったときの痛みは強く大きい。命がけでぶつかる自分たちに明日を求める方が酷だと思う。

心を許し仲間という暖かなものに触れたら最後、その瞬間の決断を下すことは困難になる。自衛官として勤めた自分はそのことを常に身近に感じていたし、だから恐怖も人一倍あった。

守る者がいては弱くなる。いなければ、などと思ったことなど一度もないが、残せない誰かを作ることも、失う痛みを負わせることも嫌だった。

悲しみに暮れる姿を、過酷な運命を背負わせた仲間に強いるのは嫌だった。

腹立たしいほど楽観的で、思慮が浅いとしか言えないようなレッドを人間的に嫌悪しているのは認めないわけにはいかない。顔を見れば苛々とした気分に嘖まれるのも止める術さえなく顔を背ける。

レッドに対し、個人的な感情を動かさないことだけがイエローを救う手立てだった。義務感だけでは勤まらないそれを無理に押し込めることで今日までやってきたのだ。近付くことなど人に言われるまでもなく自分から辞退していることなのに。

ガオイーグルの苦しそうな波動。

意味するものは、なに?

 

苛立ちの中にある微かな不安に気付きながら、それでも前を見据えるイエローの目が光る。なにかが、そこまで来ているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

新たなハイネスデュークとして現れた狼鬼の桁違いの強さに翻弄され、誰もが傷付き無口になった。気を抜けば確実に殺される、その事実を今更ながら突き付けられた状態で明るく笑っていられる方が異常だと喚きたいのを、噛み締めた奥歯でどうにか堪えつつ目の前でやかましく喋り続けるレッドを睨んだ。

「大丈夫だよ、なんとかなるって」

「その根拠は?」

「えー、だって俺たちの方が人数多いし、みんなで協力しあってるし。パワーアニマルだっているんだからさ、心配ないよ」

「レッド、言いたいことは分かるけど…あいつの強さは半端じゃないぜ」

「ブルーらしくないこと言うなよぉ」

大袈裟に下げた肩と甘えた口調。馬鹿みたいに前向きなレッドに引きずられるように浮上してきたブルーでさえ、今後の戦況の困難さは分かってるらしい。彼より大人でリーダーのレッドならばもう少し配慮した言葉を使えと怒鳴りたいのをどうにか我慢していると、察したようなブラックが間に入るべく手を翳しブルーを制した。

「とにかく頑張るしかないんだよ。自分も出来る限りのことをするから、みんなで協力して闘おう」

「そ、俺もそう言いたかったんだよねー」

「レッドはレッドでもう少し威厳っていうか、そういうのを持ってもらわないと」

「あ、なに、俺は説教されちゃうの?」

「忠告って言うんだよ。イエローカードね」

「マジ?」

「レッドなんかレッドだから、すぐにレッドカード出されないように注意しろよ!」

「ブルー!せっかく自分がまとめたんだから、」

「こんのガキんちょユニットが!」

「なんだよジジイ!」

始まった取っ組み合いに構っていられるほどヒマじゃない。そんな余力が残っていたなら戦闘時に出し切れと思いつつ席を立とうとしたイエローは、考えに沈んでいるテトムに気付き呼びかけた。

「なに?なんかあったか」

「え、…いえ、なんでもないわ」

「気付いたことがあるなら言ってくれよ。戦闘時に役立つことなら余計にな」

「もちろんよ。…あのね、なんだかあの狼鬼って…うまく言えないんだけど、なにか引っかかるものがあるのよね」

「引っかかる?」

「ええ。大事なことを忘れているような、そんな感じがするの」

「感じ、だけじゃなくはっきり思い出してくれ。次に闘うときにはこっちが有利になれるように」

「うーん、そういう“お役立ち情報”を思い出せるといいんだけど」

頼りないことを言い残し、テトムは泉の中へ消えてしまう。

この巫女とリーダーにかかっては、どんな危機でも軽んじられてしまいそうだ。目の奥に痛みを感じ、こんな時は早寝に限ると踵を返そうとしたときホワイトの悲鳴が上がった。

「大丈夫?ねえレッド!」

「あ…平気、なんでもない」

「ごめん、俺の所為か」

「違うよブルー、自分で転んだんだから」

馬鹿が。

そう思いつつ振り向くと、確かに床に座り込んだレッドがふにゃりと頼りない顔でブルーを見上げている。差し出されたブラックの手を取り立ち上がると、ほら大丈夫と飛び跳ねてみせる。

「レッド」

「なに?」

嬉しそうに。

自分に声を掛けられ、まだ嬉しそうに返せるレッドの非常識さに嫌悪しながら睨む視線の鋭さを増した。

「こんな時にお前に怪我でもされたら全員が困るんだ。少し考えて行動しろ」

「ごめん」

「今のは俺が悪いんだよ、ふざけててちょっと加減忘れたから」

「あーブルー、自分が“レッドより強い”とか言うつもりだー」

「そんなんじゃねえよ!なんだよせっかく反省したのに!」

「二人ともいい加減にしろよ。ほら、もう寝よう。明日またあいつでも出てきたらそれこそ洒落にならない」

「そうね。一杯寝て、次は絶対負けないように体力蓄えとかなきゃ」

ホワイトがイエローに微笑みかけると、彼としてもそれ以上は言えなくなる。確かにムキになるようなほどのことではないし、レッドに関わるとろくなことがないのも事実だ。

 

“走には近付くな”

 

反芻しすぎて逆に薄れ始めた衝撃的な言葉をもう一度思い返す。

どう考えたところでイエローは自らの意志で彼に近付くことはあり得ないと思う。無鉄砲なまでの楽観主義は、いつか必ず身を滅ぼすだろう。それについて忠告するのは自分の役目ではないはずだ。

そう、俺は“近付いてはいけない”のだから。

暗い思考に囚われ忍び笑いが漏れる。

近付かない、言われるまでもなくこんな奴に自分から寄っていくほどヒマでも馬鹿でもない。愚かじゃない。

イエローが唇を歪め嗤ったのを見ている者はいなかった。

いないはずだった。

 

 

金に輝く瞳は猫目石のようだ。

キャッツアイムーンストーンは細く鋭いナイフのような光を放つ特殊な石。

 

誰を見るのか、なにを見るのか。

それは闇に沈む獣のようで、誰にも悟られず息を潜めた手負いのそれ。

 

 

 

 

嗤う、その刃物のように鋭い光彩はひたとイエローを見詰め、そして闇に紛れる。

速やかに、そして密かに侵攻する神経毒の染み込むように。

 

 

 

 

動き始める。