「あれじゃあ俺たちが意地悪してるみたいだよっ」

「ブルー、テトムにも考えがあって、」

「考えってなに?だってそうだろ、外れたのはレッドの勝手じゃないか、俺たちはなにもしてない、あいつ自身の問題だろ。ホワイトだって言ったよ、あんな風になにもかも諦めた顔をされるとこっちからはなにも言えないって」

「それはそうだけど、でも、」

「ブルーもホワイトもよせ。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう」

「じゃあなんだよ、ブラックは全部俺たちが悪いっていうのか?一人だけいい子ぶるなよ」

「そんなつもりは、」

「あなた達、いい加減になさいっ」

テトムの一括でその場は水を打ったような静けさに包まれる。

「なんのためにシルバーを呼んだと思ってるの?」

腕組みをし、言い争う三人の間に立つと全員に座るよう目で制す。初めから、泉とは一番遠い広間の隅に座っていたイエローは我関せずと言う顔で視線を逸らす。

「レッドのことはシルバーに任せておけばいいわ。なにがあったのか、あなた達には言えないことでも彼になら話してくれるかも知れない」

「最後に出てきてまだ全然うち解けてもいないシルバーには無理じゃないの?一緒にいて、なにもかも分かり合えたはずの俺たちとこんなことになってるんだからさ」

「深く知り合う前だからこそ、うち明けられることがあるかも知れないでしょ」

「テトムはレッドに甘すぎるんだっ」

気にくわない、顔中に不快を顕わにしたブルーは言うだけ言うとブラックの背後に隠れた。彼の苛立ちが分かるだけに、ブラックもホワイトも言葉がなかった。

心配している、だけどそれ以上の苛立ちがある。

何かあるなら話せばいい、遠慮をするような仲では既になくなっているはずだから、今のように自分から孤立しているのは彼自身の責任だとしか思えない。

自分たちにも非はあることくらい分かっているけど、それを認めるにはレッドの態度は頑なだったしあまりに身勝手にも見えていたから。だから彼の言い分も至極尤もでそれにはテトムとて黙り込むしかなかった。

「結局、あいつ自身の問題だろう」

それまで黙っていたイエローが、低く呟きながら立ち上がる。不安げに見つめてくる四人の瞳を軽く払うように背を向け自室に向けて歩き出す。

「あいつがどうしたいのか、シルバーが聞き出せるならそれでいい。俺たちが悪いんだって言うなら謝りゃいいんだろ?ご機嫌直してもらって、とっとと戦線復帰してもらわないと困るのは俺ら自身だからな」

「そんな言い方はないんじゃない?」

追ってきたテトムがイエローの肩を掴む。存外強いその力に苦いものを噛み潰しながら、仕方なく彼は巫女の険しい瞳をからかうように覗き込んだ。

「リーダーにはリーダーとしての勤めを果たしてもらわないと。その為なら頭を下げるくらいなんでもないし、気に入るようにすることくらいわけないぜ?」

「イエロー、あなた今、とっても嫌な顔してる」

「悪いな、生まれつきでね」

嘲るような視線をひたと見つめ返しながら、それでもテトムはそれ以上の言葉を紡ぐことはなかった。黙って、立ち尽くしたままのブラックを、ホワイトを見る。

「あなた達も同じ考え?」

「自分は…レッドには、元通りのレッドになって欲しい。それだけだ」

「私も同じよ。なにかレッドを怒らせるようなことをしたなら謝る。だからレッドも、一人で抱えてないでちゃんと言って欲しいの。私たちのこと…もし、嫌いならそれでもいいから…どこが嫌なのか、なにが嫌なのか、ちゃんと聞かせて欲しい」

「ブルーは…あなたはイエローと全く同じ、いえ、それ以上にレッドのこと、怒ってるの?」

「全部あいつ次第だ」

言って、引き結んだ唇はその後のどんな言葉にも開かれることはないだろう。

もう一度全員の顔を見回したテトムは大きく息を吐き出すと黙って泉へと戻っていった。

消える間際に呟いた言葉を耳にしたのはイエローだけのようで、誰もがまるで魔法がとけたかのように自室へと走り去ってしまう。

 

“なにも知らないくせに”

 

ああ、知らないさ。

知らされていない、の間違いだけどな。

頭の中に残る鮮烈なイメージ。テトムが叫んだ、なにか大切な言葉。

聞き逃してはいけない…忘れては、いけない、言葉。

胸騒ぎと、レッドへの嫌悪を抱えたまま、今夜もイエローは眠れそうにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドに腰掛けたレッドは、何かを考えているようでぼんやりした印象の中にも鬼気迫るものを浮かべた瞳で冷たい床を凝視している。

なにを言えばいいのか、分からないまま立ち尽くすシルバーは、まるで捨てられたかのように転がっている赤いものを認めるとそっと近寄り手を伸ばす。

「これは…」

俯いたレッドを振り返り、出来るだけ刺激しないよう声をかけた。少し彷徨った視線はやがてシルバーの手にしたものに当てられると、途端に笑いがこみ上げてきたのか口に手を当て笑い出した。

それまで浮かない顔で俯いていた彼からは考えられないような笑いに、シルバーは正直なところ面くらい、なにも言えずに眉を寄せる。そのシルバーを見るともっと笑えてくるのか、今度は体を折って声を殺すことに必死になっているらしい。

「レッド、俺は何かおかしなことを言ったのか?」

「え、ううん…言ってない…言ってないよシルバー。ごめんね」

謝罪しつつもまだ笑いの治まらないレッドの元へ歩み寄ると、ベッドに腰掛けた彼の頭を睨み付ける。

真意が分からない。彼の、考えが分からない。

テトムから聞く彼の状態はとても同情を禁じ得ないもので、何か力になれるならとシルバーの正義感を奮い立たせたというのに。

「レッド」

「ごめん、ごめんねシルバー。シルバーのことを笑ってるんじゃないんだ。本当だよ」

上下する肩を沈めるように、レッドは幾度か深呼吸を繰り返すと漸くその顔を上げた。

ここに来た時よりも随分頬に赤みが差している。それは安心できるものだったが、彼がなにに対して笑ったのかが分からずシルバーは首を傾げたまま彼の前に跪いた。

「レッド、お前は強い。俺には狼鬼の時の記憶がかなりはっきりと残っているが、お前はどの場面でも仲間を思い、自然を思い、気高くそして力強く闘っていたように思う」

「そんな風に言ってくれるの?ありがとう、嬉しいよ」

晴れやかに笑われ、今の言葉の重みを一蹴される。いや、決してレッドが自分を軽んじたなどとは思わないが、シルバーとしては自らの仕業に反省を込めた謝罪をも含めたつもりだったのだ。あっさり流されては立つ瀬がないというものだろう。

「あのね、そのバンダナ…ハンカチって言っても分からないよね。ええっと、タオル。手ぬぐいみたいなもので、今はファッションに使ったりすることも多いんだけど」

「手を拭うものが…そんなにおかしいのか」

「それ自体がおかしいんじゃなくて、“それがここにある事実”がおかしいんだ」

シルバーの手にしたバンダナに軽く指先で触れると、レッドはそれをさっと奪い取りシルバーの手首に巻き付けた。

「怪我をしたら、これで傷口を保護することが出来る」

「薬草を包めるな」

「うん。これね、イエローが怪我をした時に買ったんだ。手当をしてやろうと思って」

「そうか。では怪我はもう治ったのだな」

「さあ…治ったんじゃない?知らないけど」

「手当をしてやったんだろう?」

「してないよ。拒絶された。俺なんかに触れられるのは嫌なんだって、イエローは。イエローだけじゃない、みんな…みんないやがってる。俺がここにいること、みんな本当は嫌なんだよ。シルバーだってそうだろ?テトムに言われて仕方なくここに、俺の側にいるんだろう?」

「確かにテトムに頼まれてきた。けれどそれが自分の意志でないなら、俺は誰にも従ったりはしない。それはレッドにも分かるだろう」

「シルバーは…優しいね」

瞳の奥に光る、覚えのある輝き。

冷たく冴え冴えと光るそれは月の煌めきのようだ。現代に目覚めてから、まず風の違いに驚いた。禍々しい気配は京の都にも満ち、人の足を引くのは鬼だけに限ったことではなかった。けれどこの地上に溢れる気はなんだろう。胸の中にねっとりと絡みつく空気。呼吸を苦しくさせる不快な重み。悪意が、人の心の中に姿を隠すことなく渦巻いているのが見える。見えてしまう。

「俺にも…優しくしてくれるの?」

静かな声。

彼を包む空気。

違う、と思ったのがなにに対してなのかシルバーにも分からなかった。けれど何かが違うのだということだけが本能の底を掠め、伸ばされた指から僅かに身を引く。

途端に曇る、目。

「そう…そうだね。俺のこと、誰だって好きになんか…ならないよね」

「いや、あ、すまないレッド、そんなつもりではないんだ」

「いいよ」

すい、と立ち上がりそのまま扉へと進む。出ていくのか、視線で追う彼の背はだが扉脇に置かれた棚の上にある箱を手に取ると、ゆっくり振り返りシルバーを見た。

「シルバーにあげる」

「…なんだ?」

「ん…シルバー、ここで暮らしてないから、必要だろ。俺はいらないから」

「だから、なんだ」

じっと箱を見つめる目の中に、微かな痛みが見えた。シルバーには、確かにそう見えた。

黙ったまま戻ってくると、跪いたままのシルバーの隣りにしゃがみ箱をおく。

「訳を聞けばいらないって言うだろうけど…受け取ってくれるはずはないと思うけど」

なにが入っているのか答えるつもりはないのだろう。

このままでいるわけにもいかず、シルバーは箱を手前に引き寄せると蓋を開けた。中には彼が最近見知った“紙幣”らしきものが詰まっている。

シルバーの知るそれは札のようなものだったが、これは何故だか奇妙な形に折り曲げてあるものばかりだ。何か意味があるのか、レッドの顔を盗み見ると、彼はまた薄く笑いながらそれを眺めている。

「これ、は?」

「俺の稼ぎ」

「かぜぎとは」

「労働報酬だよ。俺が自分の体で稼いだから、どんな理由で手に入れた物より正当な賃金」

「意味が…分からない」

「だから、俺が…」

笑いながら。

けれどシルバーにはそれが笑顔には見えなかった。

哀しそうにも。辛そうにも。

「体で稼いだ金だ」

楽しげに。

 

 

 

 

 

そうして生計を立てるものは千年前にも存在した。

高貴な身分の姫君は、屋敷の奥深くに籠もりある日突然現れる公達を夢見るばかりの退屈な日々。けれど大路を行き交うものの中には、その日食べるものにも困るものが確かにいた。そういう女の悲劇をムラサキが嘆いたこともある。

レッドが。

この時代に生きる、ガオの戦士が。

なぜ。

 

飛行機だよ。

彼は言った。一つを掌に乗せシルバーの前に差し出しながら。

飛行機。空を飛ぶもの。

飛んでいっちゃえばいいと思って折ったんだけど、うまくはいかないね。いつまでもあるんだ。ここに。俺の側に。ずっとあるの、ずっと。もうずっと、ずーっと、ここに。

 

なぜ。

聞けなかった。怖かった。聞いてはいけないことだと思った。聞いたら、きっと自分は何かとんでもないことを言いそうで。頑なに閉ざした唇を震わせながら笑うレッドを見ていた。見ているしか、なかった。

 

 

 

「シルバー、俺ね、寂しいんだ」

 

 

 

ふいに。

小さな囁きで彼が言う。

 

「寂しいよ…独りぼっちだ。ここで、仲間だと思ってたみんなに意地悪されてる。俺がこんなことしてたの知ったら、もっともっと軽蔑して、嫌って…だから俺、なくなれって思うんだけど…自分のしたことは消せないもんね。シルバーも言ったろ?狼鬼だった時にしたことは消えないって。あれと同じ。俺とシルバーは、ある意味同じだね」

 

同じ?

そうなのか?

 

「ここにいるのは辛い…でも離れるわけにはいかない。だって俺がいなくなったら戦えないだろう?だからここにいなきゃならない。こんなに苦しいのに…嫌われてるのに…一人で、いなきゃいけないのに…」

 

涙を。

胸を締め付ける泣き顔を。

 

 

「シルバー…助けてよ…俺のこと…助けて。一人にしないで。汚いって言わないで、嫌いだなんて…言わないで」

 

 

 

 

 

 

 

拒むなんて、出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月の出る頃、その日の夕食の支度が出来たと呼びに来たホワイトの声に返事をしたのはシルバーだった。

顔を覗かせた彼は何かに怯えるような目で辺りを見回し、彼女が引き留めるのも聞かずそのままガオズロックを後にした。逃げるような態度を訝しみ、また興味もあって室内を覗き込むと部屋の主はこちらに背中を向けベッドに腰掛けていた。

ぼんやりと薄明かりの中に浮かび上がるその姿を、ホワイトは美しいと思った。肩にかけたジャケットはとても哀しく見えてはいたが、それでも背に浮かぶのは静寂を楽しむような余裕に違いなくて。

 

ふ、と。

 

息を吐き出す音が聞こえ、ホワイトは僅かに身を乗り出した。その微かな気配に気付いたのか、レッドの横顔がゆっくり彼女へと振り返る。

永遠のような一瞬に、息を呑んだのは確かに自分だ。微笑んだ彼の口元に吸い寄せられた視線が外せず、きっと見てはいけないものだと分かっているのにその場から動くことも出来ずただ、彼の微笑みを見つめ続けた。

 

「夕飯…呼びに来てくれたの?」

「…ええ」

「そう、ありがとう。でも…いいよ。俺はいらないから、みんなで食べて」

「どうして?」

「どうして?」

繰り返され、ホワイトは自分の背筋が凍り付くのを感じる。

大きな目。

レッドの、なにもかもを映す目。なにを見ているのか分からない、瞳。

あなたは誰?

「俺にだって、耐えられないことはあるよ」

「レッ、ド」

「闘うけど。その為にここにいるけど…もう、それだけだから。それでいいって、決めたから」

「レッド」

「戻りなよ、みんなのところへ。ホワイトは、それでいいんだよ」

「レッド」

 

 

呼んでも、再び見せられた背中が振り返ることはなかった。

彼女にそれ以上の言葉がないように、彼の心も閉ざされたのだ。ホワイトの胸に痛みを残し、けれど為す術もなく全てが動き出してしまった時間の波に乗せられ流されていく。

 

 

 

去っていく足音を耳に、レッドは頬に浮かべた笑みをゆっくりと消していく。

彼が完全に表情を消したその時、まるで光の雨が降り注ぐよう辺りを包んだ。

 

 

「レッド…」

「そろそろ来る頃だと思ってたよ」

「やはりそうか…レッド、いや…獅子、走」

 

ふん、と鼻を鳴らすそれは相手を見下す嘲笑だった。

 

 

「走、ねえ…」

「そうなんだろう?」

「いや、違うよ。俺は“走”じゃない。それはお前たちの方がよく分かってるんじゃないか?なあ、ガオイーグル」

 

金に輝く体は薄い影のような靄に包まれ、ぼんやりとした人型を彼の目に映している。

 

 

 

「何か用か?俺に…“歩”に」

 

 

 

 

瞳の輝きはそれを見ているからだけではなく。

自らの意志で輝くそれは、禍々しいほどの光を放ちイエローと対をなす精霊の姿を見据えていた。

凍えた、何ものをも拒絶するその煌めきに戦慄するのは、万物を統べる精霊といえど変わりはなく。ただ、ただ逸らすことなく見つめるだけが精一杯であった。