「あゆむくんには、なにを言っても無駄だって知ってるだろ?」

「訪ねたのは“走”だ。…幾度沈めてもお前は現れるのだな」

光が、ベッドに座したレッドの側へと近付く。人と、大きな鳥と、朧な形を交互に現しながらそれはゆっくりと人型へと定着していく。

長い金の髪は風もないのに揺らめいて、レッドの手元まで流れていった。

サラサラと零れるそれを指に絡め、一房を恭しく唇へと寄せる。柔らかな匂いが彼の胸の中に広がる。

「走、だな」

「歩だってば」

焦がれるように零された声音は甘えるようで、差し出された指先もまるで恋人に向けるようなそれだった。

ガオイーグルの怜悧な顔が歪む。

色素というものを欠落させたような、抜けるような白い顔には切れ長の瞳が光っている。その額には普段は開かぬ第三の目が隠されていた。なにもかもを見透かすはずのその瞳は、いまは固く閉ざされ真実から背けられているかのようだ。

伸ばされた指を、躊躇し、そして決めかね身を躱した。

かの精霊にもレッドという存在は重く苦しいものだった。彼を前にすると諸々の決心が崩れ去るような気がする。

心を定め、そして彼だけを…ガオイエローとして闘う鷲尾岳だけを守護し、導くべき自らの道を曲げることなど考えはしない。思うはずもないのだがこの赤き戦士として選ばれた男を振り払うこともまた…出来ない。

人として、脆弱な命を生きる彼等を闘いの場へ借り出した責任は精霊たちの胸には常に息づいている。それでも彼等が自らの運命を受け入れ、戦場へと赴くことを決意してくれたからこそ人の世と自然の平和が成り立っているのだ。

守らねばならない。

彼を、彼等を。導かねばならない。

それなのに。

「お前は…なにがしたいのだ」

「さあ」

「なぜ静かに眠ることが出来ない?どうして岳を追い詰める」

「イエローがどうかなんて、そんなの知ったことじゃない」

「だが知っているだろう…お前は、知っているだろう」

 

 

戦士は五人。

ライオン、イーグル、バイソン、シャーク、タイガー。

精霊はそれぞれの戦士を求め、自らを託す。

戦士は五人。

一つの精霊に一人の戦士。

地上に生きとし生けるものを、守り、慈しみ、明日へと送る。気高き魂を持つ、彼等の友を探し出す。

 

 

初めに見出されたのは、それは。

 

 

 

一人目の戦士は、ガオイエロー。

 

 

リーダーとして統べるレッドより早く、鷲尾岳という青年はガオズロックに半ば監禁されるようにして連れ込まれた。心細さと恐怖の時間を味わうことになるのは分かっていたが、それでも彼を離すことは出来ず気に入る言葉を与えることも出来なかった。

一人目の戦士はガオイエロー。

やがて見出される四人の戦士、中でもリーダーとして迎えられるべきレッドの誕生を心待ちにする彼の心は痛いほどに伝わっていた。

伝わっていただけに、イーグルの胸に広がる痛みは罪悪感と合わさり忘れる瞬間はまるでなかった。いまこの瞬間にも絶えることなく責め続ける。

 

真実を。

伝えられぬだけ、それは余計に。

 

 

 

 

「過保護だねぇ」

大きな目が細められる。いやらしく流された視線に眉を寄せると、レッドは心底楽しいと言った顔で笑った。唇を薄く開いて、息を漏らすような。

「ガオイーグルはイエローのパパなんでちゅかぁ?」

「やめよ」

「事実だろ?そうやって大事に大事にしてるのに、肝心なことは話さないんだもんなぁ。それってただの過保護だろう?」

「レッド、頼む…静まってくれ」

「はあ?俺はいつも冷静ですよ。お前たちが現れるまで、“歩”くんは心静かに生きてましたよ。好きなことして、好きなものだけ選んで」

「それは、」

「間違ってるって言うんだろ?大きなお世話だ、俺は俺だよ」

「違う。お前はガオの戦士として、ガオレッドとしてこの世に生まれそしてその使命を果たすために、」

「だからそれが図々しいって言うんだ」

ゆらり、と立ち上がる。イーグルの前に立つとその視線はかなり下に位置するものだが、それでも瞳の強さはレッドの方が上だと認めざるを得なかった。

生きる時間は比べるべくもなく長いはずの精霊は、清浄な空気と無垢な環境に囲まれ過ごしている。だから人の心の裏側に存在するであろう薄暗く汚れた部分には極端に弱いのだ。“ただ闘う”ことだけを繰り返す理由はその辺りにも起因する。

鬼を倒す。理由などない、ただそこに平和を脅かすものとして存在するそれらを、精霊の御名において繰り返す。

神であっても。

正義であっても。

殺すことには変わりなく、そのやり切れなさを隠すことも出来ず。

それ故、イエローには“オルグ”というものの存在をただの鬼だと繰り返す。人の心を介さず、ただ破壊と殺戮を好む“無機物”であると言い含める。

彼は信じ、闘う道へと踏み出した。一人きりの恐怖をいつか現れる信頼すべき仲間を、リーダーを待ちつつ闘い続けた。

それは過保護と言えばそうなのかも知れない。けれど。

「お前はイエローだけが大事なんだろう?」

「そんなことは、」

「ない、とは言わせない。お前はあの単純バカが可愛くて仕方ないんだ、目の前にある汚いものは何一つ見せないで、あいつだけが無傷なら本当はなんでもいいんだよ」

「確かに岳は私の選んだ戦士だ。私が見出したことで負わせた痛みを償うことは当然のことだろう」

「生温い師弟愛を語って戴きありがとう」

掴んでいた髪をきつく引き寄せる。伸び上がったレッドの体が、唇が、触れるほどに近付く。

「いいなぁ、仲良しさんで。俺なんか可哀想だよ?ガオライオンはさ、俺のこと大嫌いだからね」

「お前にとっての守護精霊だ。そのような言い方はするな」

「なんで?事実だよ。あいつは俺のこと嫌いじゃん。…ああ、嫌い、とは違うか」

クスクスと耳元で笑う、その細い身体が擦り寄ってくる。

甘えたような仕草。

「殺したいほど、憎い…だな」

 

 

 

口付けられた唇が、まるで凍るように冷たくなる。

背中に回る腕が蛇のように絡まり、そしてゆっくりと締め付けてくる。

 

 

 

 

   ガオイーグル

 

 

 

 

響くのはガオライオンの声。

思念となり流れるそれは当然レッドの耳にも届いている。彼は小さく笑うとイーグルにしがみつく腕を強くした。

 

 

   ガオイーグル、それを封じろ

 

 

「ガオ…ライオン…」

 

 

   それを封じよ

 

 

「お前は…お前はそれで…」

 

 

 

 

それで、本当に。

 

 

 

 

 

 

レッドの細い体を、まるで慈しむように抱き締める。

薄く笑った彼はなにもかもを知っているかのように、目を細めそしてうっとりと胸に頬を埋めた。

イーグルは。

双眸は金。

そして三つ目の目が薄く開かれ、中にある翡翠色の瞳がじっとレッドの瞳を見据えた。

「頼む…頼むレッド…獅子、走。あれには近付かぬと誓うてくれ。岳には近付かぬと、もうなにも思わず、なにも感じず、ただ闘うためだけにここにあると…誓うてくれ」

レッドはなにも言わなかった。

なにも言わず、ただ薄く笑んだまま翡翠の瞳を見詰めていた。

それは悲鳴であったのかも知れない。

現のものとして聞こえた声ではないけれど、それは確かに、長く尾を引く悲鳴であったとガオイーグルは受け止めていた。

誰の声か、それは考えるまでもないことだ。

大切な半身である彼の声。

そしていま一人、こうして腕の中にある哀れな青年の声。

殺される。

 

死んでいく青年の、血を含むほど痛ましい、声。

 

 

 

 

 

 

 

目を閉じた体は静かに力が抜けていき、やがて意識を手放したそれは後ろへ引かれるように倒れていく。

イーグルはその身をそっとベッドに横たえると、慈しむように頬をなぞった。その指が震えていることに気付く訳にはいかず、ただ、幾度もその行為を繰り返した。

 

目が覚めれば、また痛みだけの時間がある。

 

なにもしてやれないのか。本当になにも、してやることは出来ないのか。

彼も、そして、彼も。

傷付けたくはないのに。

 

 

殺すことなど、出来ないのに。

 

 

 

 

 

 

 

静かに立ち上がり、気配をゆっくり波動へと変えていく。

アニマリウムへ。

 

“ガオイーグル…どこにいる?”

 

「岳、か」

 

 

 

いま、逢うことは避けたかった。けれど彼の常ならぬ心細そうな声にイーグルは深い溜息を零すとその声の元へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

「近くに…なにか用だったのか」

疑わしいという目で見詰める彼の目に、ガオイーグルは静かな微笑みを返した。

心の乱れは微塵も感じさせぬそれにイエローの苛立ちは募る。ただでさえこのところの状態に嫌気が差しているのだ、信頼すべき守護精霊の不穏な動向に敏感になるのは仕方のないことだろう。

「どこにいたんだ?」

「ガオズロックをな、そぞろ歩いていた」

「一人で?こんな時間に?なんのためだ?」

矢継ぎ早の質問に答えるつもりはないが、まるで子供のような膨れ顔で詰め寄る彼には思わず笑みがこぼれた。

「お前はそうやっていつも俺を子供扱いするな」

「いやすまない、そんなつもりはないのだが」

薄くしていた気配を、彼の目にもはっきり見えるよう現してやる。すると途端に嬉しそうに微笑む。これを子供と言わずして…心の中で呟きながら、立ち尽くした彼に座るよう促してやる。

「このところガオズロックから流れる波動が乱れているからな、それが気になり様子を窺いに来たのだ」

「…ハッキリ言えよ。レッドのことなら俺はもうお手上げだ」

「そう言うな、お前たちは仲間だろう。うまく手を取り合い進んでくれ」

「それはレッドに言ってくれ。大体ガオライオンはなにしてるんだ?あいつの選んだリーダーの所為で、下に続く俺たちが苦労してるんだぞ」

「下、などと言うな」

「なんだよ、リーダーがいるならあとは平だろ?俺たちはあいつの指示で闘ってるんだぜ?命を預けるには不安すぎるんだよ。お前が様子を見に来たってことはそろそろ重い腰を上げたってことなんだろうけど…で、どうするんだ?」

「どう、とは」

「レッドだよ。あいつの様子がおかしいのは分かってる。それに、お前の言ったことも気になるしな」

「私の…言ったこと…」

「しらを切るつもりか?俺は覚えてるぜ、“レッドに近付くな”って、お前は確かに言ったんだ」

 

近付くな。

近付いてくれるな。

そうしなければ、二人は…

 

「レッドは、かなりの気の乱れを生じているようだが…心配はないだろう。お前たちが案じるようなことはなにもない」

「なにもないって、現にこうやって困ってるし苛々させられてるんだ。俺たちに不満があるなら言えばいい、何かに困っているなら相談すればいい。それを一人で傷付いたみたいな顔をされて、俺たちが悪者扱いされてるようなのは我慢ならないんだよっ」

「岳が誰にも言えず、一人で抱え込んでいるのは分かる。だが…案ずるな、本当にお前が思い悩むようなことはなにもないのだ」

「ありすぎるほどあるから言ってるんだろ」

「岳、頼む、これ以上私を追い詰めるな。お前の気に入るようなことはなにも言えぬ」

「逃げるのか」

「そうではない。ただこの状況に対してお前が案ずることはもうないと言うことだ」

「…それは、どういう意味で」

「レッドは戦士としては真っ直ぐすぎる。命に対して固執しすぎる。そういった脆さが引き起こしたことだが、あれもガオライオンが選んだ戦士なのだ。立ち上がることは出来る」

「それでも…」

「岳、約束してくれ。あれのことはもう構うな」

「…またそれか」

「お前が案ずることはない。苛立つなら余計に、なにもかもを目に映すだけに留めよ」

「共同生活して、命がけで闘っているのに、か」

「そうだ」

無理を承知で言っている。けれど他に話しようもない。

真実は、彼に告げるには重すぎるから。

 

辛すぎるから。

 

「岳よ、私はお前のためにある。闘うお前のためにあると言うことを忘れるな」

「それは…分かってるよ」

「過酷な運命を強いた、そのお前にしてやれることとあらば惜しみはしない。だから信じて欲しい、私を、信じて欲しいのだ」

「ガオイーグル…」

 

 

闘いが続く。

この先の困難さは想像に難くない。だからこそ、彼の魂を守り力となりたい。それは心の底から思うこと。

安らいで。

精錬で。

真っ直ぐそこに、生きて欲しい。だから。

 

 

「頼む。頼む、岳。私を信じ、常に私を呼んでくれ。レッドのことは私に任せ、お前はここで、人として生き抜く道を歩んでくれ」

「レッドのことは…どうしてガオライオンじゃなくお前が?」

「…それでいいのだ。レッドのことは、私が…」

 

 

 

 

 

 

私が。

 

 

 

 

 

 

 

 

細めた視界に映るのは、いつかのレッドの微笑みだった。

汚れないそれが醜く歪んだその冷たい輝きを、彼は二度と見ることはないと信じていたのに。いや、信じたかった、いまも変わらず。

真実を覆すことは出来ない。

永き夜を超えた精霊といえど、出来ぬことは確とある。

彼等が。

だからせめて彼等が苦しまぬよう。

せめて。

 

 

 

その願いも虚しいことを、本当はもう、気付いている。