一瞬だった。

 

瞬きほどの間でしかなかった。

 

ブルーの咆哮と駆け出すその背中を、ストップモーションのような映像として捉えていた。

 

誰も動けなかった。

 

動けずに名を呼んだ。

 

ブルー、と。

 

血の出るような叫びを揚げたのは自分ではなかった。

 

ブラックが、まるで後を追うように無謀な攻撃を仕掛け、次いでイエローが走り出す。

 

倒れていく仲間を救おうとその時唯一と思われる癒しのパワーアニマルを召喚しようとしたホワイトが、その小さな体が同じように地に沈む。

 

一瞬だった。

 

瞬きほどの間でしかなかった。

 

なにも、できなかった。

 

 

 

 

なにも。

 

 

 

 

 

 

叫び、そこへ駆け寄ろうとしたと思う。

けれど自分の悲鳴をレッドが聞くことはなかった。

 

気付くとそこは住み慣れたガオズロックの泉の前で、先ほどまで共に戦った仲間も今は静かにそこにいた。

立ち尽くしたシルバーと、彼らに取りすがり泣き叫ぶ巫女と。

ただ、ぼんやりと座り込む、レッド。

「なんで…みんな、どうしてこんな…目を開けて…目を開けてよっ」

テトムの絶叫が耐えがたい苦痛をシルバーの胸に植え付ける。明るく澄んだ声で高らかに唄う、その面影を微塵も残さぬ悲痛さに目を伏せると、何も出来ない自分を責めるように拳を握る。

シルバーは、すでに"もの"となった仲間の体を呆然と見ていた。

全てが一瞬で動くことさえ出来ないまま勝敗は決した。完膚なきまでの敗北が突きつけられ、辛うじて生き残った自分とレッドがいま、ここにあるという事実。

泣き声は、だからそんな自分を責めているようにしか聞こえなくて、辛い。

 

「これから…」

 

ぽつん、と。

落ちた雨粒のような声。

 

「これから、どうしようか」

 

丸めた背中が寒そうに言う。

誇り高きライオンのエンブレムを纏う彼は、まるで子供のような頼りない、舌足らずな声でそう言った。

 

「みんな、死んじゃったね。死ぬのって、あっけないね」

「レッド…そんな風に言わないで」

「なんで?だってそうでしょ?みんなは死んじゃったんでしょ?」

「レッド」

「死んじゃったんだよ…みんな。みんな、僕のこと置いて、いっちゃった」

 

ぼくを、おいて。

 

「レッド?」

テトムとの会話に違和感を感じ身を乗り出す。同じように彼の顔を見ようと近付いた巫女は、次の瞬間泣顔を更に歪めレッドの体に縋り付いた。

「しっかりして、レッド、ねえ駄目よ、こんな時に駄目だったら!」

「テトム?」

「シルバー、レッドを呼んで、呼び戻してっ!」

 

叫びが、こだまする。

 

「みんな…おいてくよ…いつも僕のこと…おいてく…悪い子だからって…僕が悪いからって…お仕置きされるの…もうやだよ…やだ…」

 

肩を、掴もうとしたシルバーが思わず手を止めその横顔を凝視する。

幼い目をしていた。

大きな瞳いっぱいに溜めた涙は、けれど零れることなく揺れている。まるで他人の、子供のレッドに言葉もなく立ち尽くす。テトムを、見る。

「僕はそんなに悪い子なのかな」

「レッド、しっかりして。あなたはもう子供じゃないわ。虐げられていた子供じゃないの」

「なんで…どうして僕は嫌われてるの?"声が分かる"のはそんなに悪いことなの?」

「お願いこっちを向いて、私の話を聞いてっ」

「僕だっていい子になろうとしたよ、叱られるの、嫌だから。だから頑張っていい子にしてるよ、走はいい子だって誉められたいよ」

「大丈夫、あなたはあなた。他の誰でもないし悪くもない。落ち着いて、周りをよく見て、ね?もう怖いことなんてないの、誰もあなたに意地悪したりしないから」

「みんな…死んじゃう…死んじゃった」

「レッド!」

「……死んじゃったね」

 

くすっ、と。

 

「あーあ、バカだね」

 

笑い声が、密やかに。

 

 

「みんな、やっぱり僕のこと嫌いだから、仲間はずれにしたから死んじゃったのかな」

「レッ、ド」

「僕に意地悪してきたんだから、仕方ないよね。いい気味」

「レッド、しっかりしてっ」

「おじさんも…おばさんも…お姉ちゃんも…みんなみんな…みんな…」

「レッド!」

 

テトムが叫び、虚ろに微笑むレッドの肩を思い切り掴み揺さぶる。ただ呆然とその様を見ていたシルバーが漸く我に返りそれを真似るようにレッドの頬を叩いた。

幾度も名を呼び続け、何物も見ていないその瞳を自分に据えさせようとする。取り戻そうと。

 

 

「テト…ム?」

「レッド?」

「うん…シルバーも…どうしたの?」

 

ほうっと吐き出された安堵の息は長く、緊張に強張っていたシルバーの背も少しだけほぐれた。まだぼんやりした視界のままながら、正気を取り戻したのかレッドの瞳は周囲を見回し現実を見定めようとしている。

「あれ…ここ…」

「ガオズロックよ。荒神様が連れ戻してくださったの」

「なんで…?」

答えられず、目を伏せる。

テトムも、そしてシルバーも。

「あ…みんな…」

瞳の中に映る光景がまるでスクリーンの中のことのようだった。

事態を把握するまでにかなりの時間を要したのか、何度もテトムとシルバーの顔を交互に見て、それから。

這うように進むその先にいるのは、仲間であった"もの"たちの。

「嘘だろ…嘘だよね…みんな、俺のこと騙そうとしてるんだろ?俺のこと…俺が嫌いだからって、ちょっとからかおうとか…そうなんだろ?なあ、ブラック、ブルー…ホワイト…」

伸ばされた腕が、彼らに縋ろうとして、そして躊躇われる。

「俺が悪かったから…もう何も言わないから、見ないから。また子供の頃みたいにするからさ…ただそこにいるだけでいいから、だから起きてよ、起きてくれよ、頼むブラック…」

目を閉じたブラックの肩に。

「ブルー」

ブルーの肩に。

「ホワイト」

ホワイトの、肩に。

「なあ…」

触れられないまま、それでも。

「なあ…イエロー…」

 

指先が、イエローの頬に向け伸ばされる。

焦がれたものに触れようとして、けれどまるでその指が汚れているかのような仕草で戻される。固く握り締め、それでも解けまた伸ばし、引き戻す。

幾度も繰り返すそれは見ている者の胸をさえ締め付け、堪らずシルバーはその腕を取るとイエローの頬に触れさせた。

「あったかい…よ?」

頼りない、舌足らずな声。

「イエローまだ、あったかい、よ?ねえ、やっぱり嘘なの?騙してる?」

そっと、何度も何度も頬を撫でる指先が今はもう永遠に眠る彼を目覚めさせようと必死になる。

「ごめん…俺のこと、嫌なのは分かってるけど、でも…でも俺はイエローのこと好きだよ。イエローがどんなにまじめに、真剣にガオレンジャーであろうとしてるか分かってる。だから俺も力になりたいし、出来ることならなんでもしようと思ってる。本当だよ?」

その思いに嘘偽りはないだろう。

テトムは直視することが出来ず顔を伏せる。震える体を隠しようがないと知りつつ、それでも彼を見続けることは出来なかった。

「イエロー…起きてよ。ねえ、頼むから…起きて…」

頬を撫でていた指が止まり、そっと、そっと耳元へと滑る。

首の下に差し入れた腕で弛緩した体を抱き起こすと、自らの胸の中に抱え込んだ。

「俺、イエローに聞いて欲しいことがあるんだ。俺の言うことなんか聞く耳持たないって怒るだろけど、それでも聞いて欲しいことがあるんだよ」

大切な宝物を抱えたような、優しげな表情で語りかける。

もしイエローが気付いていたなら、きっと、困り果て何も言えなくなるだろう暖かな微笑み。穏やかに。

「俺はさ、人の上に立つような人間じゃない。だって、人間らしさから言えば俺なんて最低の部類だよ。犬や猫は嘘を吐かないし、裏切ったりもしない。汚いことも…しないだろ。だから俺は、本当はガオレンジャーになんてなれるはずがないんだ」

抱きしめ見詰める表情は、既に正気を取り戻しているようだった。だから語られる自らを貶めたようなその言葉にシルバーは唇を噛み締めた。

「そういう俺の嫌なところ、イエローは分かってたんだよな?無意識に気付いて、だから俺のこと、避けてたんだ」

テトムが、何かを言いかけて止める。

「俺がしてたこと、知ってたのかな?ここに来るまでに俺がしていたこと、知ってたら認められなくて当然だよ。あんな…あんな最低なこと…してた奴がリーダーなんてありえないもんな。ガオライオンが間違えたとしか思えなくて当たり前なんだから…」

懺悔とも、悔恨の告白とも違うそれ。

レッドが生きた時間を全て否定する言葉。自分自身で。

「俺がいなければみんなはもっと戦い易かったのかな。こんなことにはならずに済んだのかな?もう分からないけど…それはわからないけど、でも…」

こみ上げた涙は、その時。

「せめてイエローには、そんな嫌な気持ちを抱かせたまま…逝かせたくなんか、なかった!」

 

叫びは、虚しくこだまして。

 

 

 

 

 

 

 

声を立てずに、ただイエローの体を抱きしめレッドはその肩を震わせていた。

なにも出来ず立ち尽くすテトムとシルバーは、これから先のことを考えねばならぬ状況だと知りつつやはり身動くことも出来ないままその痩せた背中を見詰めていた。

愛しげに。

大切そうに撫でるその頬に伝う血の筋を。取り出したハンカチで拭い取ってやる仕草がひどく緩慢で遣る瀬無い。

どうしてこんなことになったのか、繰り返しても意味のないその言葉ばかりが二人の胸に渦巻く。こんなことになるなら、もっと他にしておくべきことがあったのではないかと悔やまれ一歩も前へ進めない。

俺が。

シルバーの胸中に浮かぶ言葉。

俺が、全ての現況なんだ。

自分さえ蘇らねば、生き残らなければ、闇狼の、面などつけなければ…

 

「シルバーの責任なんて、これっぽっちもないよ」

 

ぽつん、と染みのように広がる声。

寂しそうな、けれど暖かな。

 

「シルバーはなにも悪いことなんてしてない。みんなのために頑張ったんだ、今も、昔も、自分は二の次でやってきたことだよ」

「レッ、ド?」

「ごめん、俺さ、人の心が分かるんだ。普段は言わないし、意識して見ないように頑張ってるけど、強い思いはどうしたって伝わってくるし、自分に関わることなら聞かないようにしていても入ってくる。心の中に、入ってきちゃうんだ」

「それは…」

「イエローが…みんなが嫌がってることの一つだと思う。動物の声が分かるのはただの超能力とか、変な奴くらいで済むだろうけど…自分の心の中を覗かれたら誰だって嫌がるだろ?いい感情なんて持てるはず、ない」

「しかし、そんなこと一度も…みんなはそんなこと一度も口にはしていない」

「うん。でも分かるよ。一緒にいる時に時々感じるんだ。"いま、こんなことを思ったらレッドに聞こえる。読まれてしまう"って…」

「そんなっ」

叫んだのはテトムだ。

「無意識でもさ、覗かれたくないことを考える時はみんなそう思うんだよ。そういうときの声は大きいから、離れた場所にいても届いちゃう。俺が部屋にいてみんながここにいても聞こえるものは聞こえる。無理して耳を塞いでも、心の声は耳で聞くものじゃないからね。分かるんだ」

寂しそうに微笑みながら、それでもイエローのことを見詰めていた。

「イエローの声は特に分かりやすい。俺のこと嫌いだって、いつもいつも叫んでた。嫌いだって言いながら、俺のこと感覚が探してる。探して、見つけて、嫌な部分を見て直感で感じて、また嫌いだって叫ぶ。見なければいいのに、探さなければいいのに、それでも俺たちがここで暮らす以上仕方ないことだから俺には何も出来なくて」

嫌いだと、常にぶつけられる負の感情。

認めないと突きつけられる痛ましい感情。

イエローは。

「俺が、無意識のうちにイエローに求めてた救いに気付いて…だから誰より俺を嫌ったんだと思う。イエローなら助けてくれる、俺を自由にしてくれるって、なんでだかそう思い込んで誰より近くにいようとしたから」

「それはっ!…それは…」

口篭もるテトムにレッドは悲しげな目を向けた。何か答えをくれそうな彼女を見詰め、けれど結局俯いた巫女に寂しく微笑む。

「俺には何もないのは分かってたんだ。仲間なんてものをもてるほど、それまで綺麗に生きてきた訳じゃないのは自分が一番分かってる。"獅子走"がしてきたことは、取り返すにはちょっと大きく、重くなりすぎたからね」

答えのない体を抱きしめて、深く、深く呼吸する。まるでイエローの匂いを覚えようとするようなそれに知らずシルバーの眉が寄る。

「俺が欲しがったから…だからイエローも取り上げられた…」

「なんだって?」

「みんなそうだ。父さんも母さんも、妹だって連れて行かれた。みんな俺を庇ってくれたのに、守ってくれたのにいなくなった。俺の身代わりになって死んでいった。みんな」

「レッド、さっきからなにを言ってるんだ?俺たちは正義のために戦ってきた、お前も、イエローたちも、みんな真剣だった。邪気に取り込まれ割れを失った俺でさえ、お前たちが呼び戻してくれたから今ここにこうしてあるんじゃないか。おかしなことを言うなっ」

「違うよ、違うんだシルバー」

冷たくなり始めたのか、イエローの体をレッドの掌が摩りだす。腕を、そして胸を。

「俺が悪いんだよ。俺が殺したんだ、みんな」

「妙なことを言うなっ、お前はガオライオンに選ばれた戦士だろう!リーダーだろうっ」

「そんな立派なものじゃない。俺はね、もう何人も殺してるよ?おじさんもおばさんも、そこの一人娘のお姉ちゃんも。誘った女も、男も…もう数え切れないほど殺してきた。みんなことの手でしたことなんだ」

「馬鹿を言うなと言ってるだろう!」

沈黙したままの巫女を振り返ると、彼女は怯えたように首を振った。否定なのか、それとも肯定なのか、判別のつかないままシルバーは苛々とした足取りでレッドの側へと歩み寄る。

「人の命を故もなく奪う奴に、パワーアニマルが力を貸すはずはない!」

 

その、叫びに。

 

 

鋭く息を呑んだのはテトム。

 

 

 

「テトム?」

「あ…」

「なんだ、どうした?なにをそんなに驚いているんだ。…なにか知っているのか、レッドのことをなにか知っているんだなっ」

「私は、」

「なにを隠してる?なにか隠してるんだろうテトム!」

「私は何もっ」

「イエロー!」

 

思わずテトムの元へと歩みかけていたシルバーが、突然の悲鳴で振り返る。

「なんだ、一体…」

「イエロー、ブラック…みんなっ」

しっかりと抱きしめているイエローの体が、見えないものの力によるような動きで上空へと引き上げられていく。必死にその身を抱えようとするレッドの動きさえも嘲笑うように、彼の体も上へ上へと引き上げられ。

「嫌だっ、どこにも行くなよイエロー!イエロー!!」

ついに離された腕を一杯に伸ばし、レッドは狂ったように何度も彼の名を呼んだ。幾度も繰り返し取り戻そうと宙を掴む指が虚しく舞う。

「イエロー!」

 

最後の叫びと共に、その場に"あった"仲間の姿が消える。

ブラック、ブルー、ホワイト。そしてイエロー。

既に命の費えた四人の体は、初めから存在すらしていなかったかのように消え去った。

後にはガオゴッドの声が響いたけれど、それをレッドが聞くことはなかった。

感知すらしていないようだった。

 

 

 

虚構を見るレッドを引き摺り、彼の部屋の寝台に寝かせるとシルバーはそのままテトムの元へと戻った。

彼女も放心したように瞳を彷徨わせていたが、シルバーの気配に気付くと小さく笑い、それから隣に座るよう即した。

長いこと二人の間に言葉はなく、外に吹く風の音だけが微かに耳に届いていた。

何を話せばいいのか、それはシルバーにも分からなかったが黙りこんでいるわけにもいかない。残っているのは彼女と、自分。そしてレッド。たった三人になってしまった現実に加え、その要となるべき人物がどうにもままならぬ様子となってしまった今でも戦わぬ訳にはいかないのだから。

「シルバーは…レッドのこと、どう思う?」

「どう、とは?」

「説明出来ないのに聞くなんてだめね」

「なんとなく…分かることもあるが」

「そう…ああ、そうね。シルバーからはレッドの匂いがするものね」

「匂い?」

くすくすと、場違いな明るさで巫女が笑う。

「レッドのこと好きなの?」

「は?」

思わず、と言った風にあげたシルバーの声と表情が次の瞬間ひどく歪んだものとなった。

笑顔で見詰めていたテトムの顔も、その反応に暗く翳る。

「シルバー…あなた、レッドと…」

取り繕う言葉もなく俯いたシルバーに、けれどテトムは静かに笑うと首を振った。

「責めてるんじゃないの。あなたは悪いことなんてしてないから、だから気にしないで」

「気にするなとはどういうことだ」

「どう、って…」

突如変わったシルバーの視線に、テトムが困惑を顕にした顔を向ける。

「気にするとかしないとか、そんな問題ではないだろう。威張れたことをした訳じゃないのは十分承知しているし、恥ずかしいことだとも思っている。けれどあの時はレッドがあまりに哀れで、俺で少しでも痛みが癒えるならせめてもの罪滅ぼしにはなるかと、」

「待って、待ってシルバー、あなたのことを責めてるんじゃないし、レッドのことを悪く言ったわけでもないの。ただ、ただねシルバー、そのことであなたがなにか責任を感じたり、居辛くなったり、とにかく何か嫌だと思ったりする必要は一切ないってことを言いたいのよ」

「意味がわからない」

「それは、…それは、私の口からは、言えないから…」

ただ、そう思って欲しいと。

沈黙に俯く巫女の肩は細く、それは"責めてはいない"と言いつつやはりシルバーのことを追い詰めているように感じられた。

言えないなら、感じた不安は拭いようもない。そんなことに気付かぬ彼女ではないと充分すぎるほど知っているシルバーには、気落ちした彼女にかける言葉はもうなにもない。

ただ。

「俺は…レッドのことを愛しく思ったわけではない」

残酷だと思いながらそう言った。

「愛情ではない。けれどあの時のレッドを突き放すことなど出来なかった、一人放り出すことなど出来るはずがなかった。涙を零さず、けれど泣き叫んでいるようだったレッドを…あの縋る手を振り切ることなど、出来なかったんだ」

 

誠実な言葉は彼女に真っ直ぐ届いたらしい。

俯いたまま頷くと、小さな声で"分かってるから"と囁いた。

 

 

静かで、その静寂が耐えがたい雑然さを思わせるその場から、彼も彼女も動けぬままに時が過ぎる。

何かをしなければならない、闘わねばならないと承知しているのにそこから出て、どこへ行くかがまるで見当もつかずただ蹲っていた。

大きなものの腕の中にいるような、そこから放り出されたような、妙な感覚に囚われたままシルバーは何もない中空を睨んでいる。テトムも、それに倣うかのように蹲る。

何をする気も起きなかった。

なにも、出来ることなどないかのようだった。

 

 

 

 

 

 

「そこでなにをしている」

 

 

 

「…ガオ…イーグル」

 

 

 

 

 

 

 

テトムの呟きに顔を上げたシルバーの目前に薄っすらと靄がかかっていた。

きらきらと輝くそれがゆっくり人の形を成していくのを呆然と見ているその前で、影は静かにその実態を結んでいく。

 

ガオイーグルは険しい目をテトムに据えた。そして、シルバーを見て、低く唸る。

 

不快を、表すようなその声が綴る言葉に震えたのはテトム。

未知の恐怖に突き上げられ、思わず拳を握ったのはシルバー。

 

 

 

 

 

「控えよ。我らが王のお出ましだ」

 

 

 

 

 

 

ガオイーグルの背後に、煌めく薄靄がもう一つ浮かぶ。

紅い、紅い輝きを四方に放つそれは静やかに、そして速やかに人形へとその存在を表していく。甘く、清しい香りが漂いそれが地上に存在するものとは全く異なるものだと知らせているようで、シルバーの本能に"警鐘"として響き渡る。

 

ガオライオンだ。

 

言われずとも分かる、圧倒的な気配に息苦しくなる。

喘ぐような呼吸を繰り返し、徐々に濃くなるその存在を見詰めつづけた。

まるで負けることを認めぬ野生の獣の瞳のままに。

睨みつけた。