紅い靄が晴れると、そこには赤く長い髪を高く結い上げた大きな瞳の男が立っていた。 年齢の分からない顔立ちだった。 シルバーは千年の時間を越えてはいるが、封印されていた時は彼の体も活動を止め人間として蘇った今、当時の年齢のままの若い体を保っている。 ガオライオンだと紹介を受けても、正直シルバーは信じきれず無遠慮にその姿を眺めていた。細いとまでは言えずとも、とても豪奢で力強いあのパワーアニマルの面影は微塵も感じられなかったし、彼と共に戦うガオウルフやガオリゲーターの方が余程がっしりとした王者の風格を備えた姿を持っていた。 女性のような顔立ちではない。しかし男性とも明らかに違う。 人間であれば間違いなくこの人物の前に狂わされるものが出るだろう。赤い前髪の隙間から覗く額は秀麗で、通った鼻筋も意志が強く、そして賢さを伝えるのに十分な役割を果たしていた。特に大きな瞳は蒼みがかった紅で、あの中に映されればそれだけで逆らえぬ力に縛られそうな気がする。 対等な仲間だと、今までそう理解していたパワーアニマルの長は明らかに他の精霊とは一線を画した存在なのかもしれない。 柔らかな絹のような幅広の布を身に纏い、更にローブのようなものを肩にかけている。風もないのに緩く波打つそれを不思議に思って見ていたが、隣のテトムが厳しい顔で二人を…"ひと"と表現していいものか迷ったが、とにかく現れたその二体の精霊を睨んでいたことで漸く現況というものを思い出した。 「ガオイーグル、みんなは…イエローたちはどうなったのですか」 「いま彼らはガオゴットの導きより冥府を目指しているだろう」 「冥府、って…それじゃあ…」 ふらりと足を縺れさせたテトムを支え、シルバーがガオイーグルを睨み据える。 「あいつらは…もう、戻らないということか」 「私から言える言葉はない。すべては神がお決めになることだ」 「ガオゴットはみんなを…連れて行ってしまうということもあるのですねっ」 「なにも、言えることはない」 言葉は救いのない、まるで刃のような意味を持つそれだったのに、ガオイーグルの唇から紡がれるそれは優しく暖かかった。これがあの鋭い目をもつイエローと対なす精霊だとは、一見シルバーには理解できない穏やかさだ。 逆ではないのか? そう思った。 逆であれば納得できる。この温かみの篭る目を自分たちに向けている精霊がガオライオンであれば、レッドを守護するのにこれほど相応しい存在はないと頷けた。 ガオイーグルの一歩後ろに立つ精霊は、冷たい瞳をきらきらと輝かせ泉の周辺を見回す。そして薄い唇をニイッと吊り上げると流れるような動きで歩み始めた。 「ガオライオン、どこへ」 サッと飛び出したテトムが彼の進む道を塞ぐ。さりげなさを装うようにその隣へ回るガオイーグルがとりなすような眼差しで精霊の王を見詰めた。 「いまはこれからのことにつき話し合うべきではないか」 「それはお前に任せよう」 「ガオライオン…」 不思議な声だ。 静かで、そして冷たい響きを持っている。低いような、高いような、同じ精霊であるはずのガオイーグルとは全く違うその声音にシルバーは思わず聞き入ってしまう。声が、何かに反響しているような、そんな印象のある涼やかなもので彼の耳には心地良いとさえ感じられるものであった。彼が知る先代の長、ガオレオンの人形を取るものにはついに会う機会がなかったが、このような威圧的な空気は持っていなかったと思う。 いや、それを言うならガオライオン…"これ"はリーダーであるレッドを守護し共に戦うものとして、これまで幾多の危機を救い彼を支えて来た筈である。 その印象からは、なにかおおきく外れているように感じるのは気の所為だろうか。 シルバーは、見詰める先の精霊が口元だけで微笑むのを盗み見ていた。 「何をどう考えたところで現状は変わらぬ。イーグルよ、我がここに出でた理由をお前は十分承知しておろう」 「承知しているから共に参った」 「ふん、お前、我に逆らうか」 薄く笑んだ顔が恐ろしいほどに美しい。けれどその美は沈む夕日や野に咲く花のようなそれではなく、明らかな毒を含んだ禍々しいほどの美麗さであった。 睨み合う二人の視線は丁度同じほどの高さでぶつかっている。シルバーより頭一つ高いそれに、所詮は人である彼が入り込める余地もなくただ息を潜めてその様を見守っていた。 「レッドのことは私に託すと言ったろう」 「言った」 「では、」 「言ったが、それはお前を過信していたからと知れた。我はあれを"生かせ"とは言わなかった。"闘わせよ"と申したこと、忘れているのであろう?」 唇が微笑む。 「忘れたのなら仕方ない、イーグルよ、お前にも失態することがあるのだな」 「ガオライオン、私は、」 「よい、咎めぬ。お前にはこれまでつまらぬことを押し付けたものよと悔やんでおったところだ。だからこうして我が、自らの手で始末をつけようと参ったのだ」 「始末?」 「お前も巫女も、なにを躊躇うのか…理解できぬ」 「ガオライオン、私の話を聞いてくれ。一先ずここは収めて一度天空島に、」 「レッドをどうするつもりなの」 厳しいテトムの声に振り返る。 「レッドは私たちにとって大切な仲間、彼がここまで闘ってきたのは彼自身の意思だし、これからも変わらないことです。それにあなたにとっては守護する責任のある戦士よ」 「巫女よ、それではこれまで、我が手を抜いてきたと申すか」 「そうではなく、」 「始めに交わした約定を覚えておらぬか」 ぴんと伸ばした背筋で、恐ろしく張り詰めた空気を一身に浴びそれでもテトムは怯まなかった。怯まないが、その顔には明らかな惑いと痛みが浮かぶ。 「我は我に相応しき戦士を求めた。人として闘う身なればその重責は互いに承知せしもの。それを推してなお共に尽力する力をもつ、そういう"人間"を選び出せと申したのはお前たちであったなぁ」 あからさまな嘲笑を含んだ唇がテトムを、そしてガオイーグルを黙らせる。 「力あるものが統べる。それに従い我があれを見出せば気に食わぬと差し出口を挟む。戦士を選ぶは何のためだ?闘うためではないか。お前たちの見出したもの共が悪いとまでは申さぬが、長として統べるなら我に近しいものでよいはずだ」 「ガオライオン、"人"はそれだけでは生きられぬもの。我らとは根本からその生命の理に異なる道を示されたものなのだ」 「人の世のことなど我に説いてなんとする。ああ、承知しておるわ。お前たちは我がなにをどう動こうと動かそうと気に入らぬのだろう?ではレオンに泣き縋り復活を願えばよい。あれならば慈悲深く、生温き水の中の如くに計らうであろうよ」 「今の長はあなただ。ガオライオン、何をそこまで荒れておるのか」 「荒れておるか」 楽しげに笑うその表情に見覚えがある。シルバーが目を細め見詰めてると、ガオライオンはそれに気付き薄く笑った。 「シルバーか。お前も割を食うたものよな。仲間はみな疾うに朽ちておるというのに、よみがえりし後もこうして拳を振るうておる」 「それが…それが自分の成すべきことなら」 「はっ、心意気天晴れ…とでも申すか。好きでなすことなれば、思う様闘うがいいさ」 言いながら背を向けると、その足取りは確実にレッドの部屋へと向き進んでいく。走りこみそれを止めたのはガオイーグルで、その表情には怒りさえも含んでいるかのようだった。 「私に任せると言った、それは違えず守ってくれ」 「守るのは構わぬが…あれはもうもたぬであろう」 嬉しそうに見える。その表情に不快感を顕にしたテトムが嗜みも忘れた仕草で二対の精霊の間に割って入るとピシリと指先をガオライオンの鼻先に突きつける。 「あなたは自分のしたことの責任も取れないバカなの?私たちはそんなあなたを仲間だと思って闘ってきたの?違うでしょ。言ったことは最後まで守って、私たちのこと信じたなら最後まで信じて。レッドのこと、信じて」 鼻白んだ表情でテトムを見下ろすガオライオンは、同じようにきつい眼差しで自身を睨むシルバーをもまるで馬鹿にしたような眼差しで眺め下ろす。 これがあのガオライオンか?レッドが、みんなが信じ共に力を合わせ闘ってきた精霊なのか。驚きと、そして怒りがシルバーの胸の中に湧き上がる。今この状況下で何をどうすればいいのか、導いてくれるはずのテトムでさえ混乱しているところにまるで見捨てられるようなものの言い方をされたのだ。当然の感情に拳を震わせていると、ガオライオンはまるで楽しむようにその場に居合わせたものの顔を見回し、そして意地が悪いとしか言いようのない顔で嘲った。 「よい。ではガオイーグル、引き続いてお前に託すこととしよう」 「頼む」 「だが」 長い、優美な指がガオイーグルの顎に触れる。くすぐるように動くその軌跡が、ガオイーグルの首筋を真横に辿ることに気付きシルバーの背に冷たいものが流れた。 殺気は、偽りのない激しいものだ。同じパワーアニマル同士であってもガオライオンはその長であり、従うより他に道はない。 引き攣ったような顔のガオイーグルは、僅かに震えている。 「お前のかわいいガオイエローは、その選択を悲しむことになるやも知れぬ。よいのか?」 「それだけは…させない」 「させぬ、か。精々気をつけるがいい、あれはもう生半な封ではもたぬよ」 「だから、それだけはさせないと言っているだろう」 「言い張るのは構わぬ。だが後に苦しむことになるのは誰なのか…我はその場の修羅を感知せぬよ」 「もとより承知。もし、望まぬ事態になるのなら…私が、この手で始末をつける」 「お前では勤まらぬ」 ひらり、と掌が舞う。優雅な動きに視線が流れる。 「……………よ」 なにかを、ガオライオンは呟いた。低く零れたそれを聞きとめたものはなく、ガオイーグルが問おうとするともう一度掌を舞わせ、それ以上の発言を封じた。 「では我がここにおる謂れもないな。帰還する」 「ガオライオン、巫女の前にて誓ってくれ。必ず私に任せると」 「お前に、では勤まらぬことゆえな。我の心根も少しは汲んではくれまいか」 嫌がらせのような媚を含んだ甘い声にガオイーグルは眉を寄せた。それでも再度詰め寄るように一歩進むとガオライオンも顔を改めその目を受け止めた。 「ガオイーグルよ、このままイエローが戻らねばお前は苦しいか」 「当然のこと」 「では戻り、戦いに身を起き傷付く様を見ることは」 「それも、辛い」 「では」 細めた瞳が紅く光る。 気高いと思った。 その光は確かに人を畏れさせる、どこまでも澄み渡り見透かす、この世のものは決して持ち合わすことの出来ない輝きを持っている。 シルバーも、テトムでさえも、平伏すような力を秘めている。 「では我も申し付けておこう。お前はいずれ悔やむことになる。決してならぬと、させぬとどれほど叫ぼうが、その願い聞き届けられることはあるまい」 「それは…そのときを迎えてからのこと」 「来ぬ、と思うか」 「思う。来させぬ」 「そうか」 そして。 静かに微笑む彼は、やはりどこかレッドに似ている。 消えていくその姿を最後の瞬間まで目の中に捉え、彼が残した言葉を繰り返し胸の中に刻み込む。 "悔やむことになる" なにを? 二人は何の話をしていた? 誰のことを言った?なにがどうなると言った?ガオイーグルの願いとはなにか、ガオライオンが嘲ったのはなぜか、苦しむのは。 誰のことを、示すのか。 精霊の消えた泉の淵に、テトムが力なく座り込む。 静まり返ったガオズロックは、訪ねたことの少ないシルバーをしても寂しく感じる。ここには千年前に暮らした記憶は鮮明に残っているものの、やはり彼らの、現代の戦士の匂いが濃く染み付いてしまっていたから。 項垂れるテトムの肩に置こうとした手を、幾度か躊躇い考えていると俯いた彼女が小さく笑った。 「シルバーは優しいのね」 「優しくないから、こんな時にどうすればいいのか分からない」 「何も言わないのも優しさでしょう」 そう気遣ってくれることが優しさでは。そう思ったが口にはしなかった。暖かな気持ちに飢えている今では、互いに傷の舐めあいにしかならないからだ。 辛くとも今はそんなことをしている場合ではない。 「テトム…聞きたいことがある」 切り出した声は静かだった。彼女の苦悩を感じているから、シルバーは極力抑えた声で問い掛けた。 けれど。 「…ごめんね。まだ、言えない」 「テトムは俺にレッドのことを頼むといった。あれは…なにか、大きなことを示すことなのか」 「あれは…あの時、レッドは一人で苦しんでいたでしょう。誰かに話を聞いてあげて欲しかったの。私では本心を話しにくいこともあるだろうし、シルバーならレッドとは打ち解けられるんじゃないかと思って」 「俺は、期待に添うことは出来なかった」 「そんなこと、」 「何も出来なかった。それどころか…」 縋り付いてきた腕を、確かにシルバーは握り返した。けれどそれはテトムが望んだ方法ではなかったはずだ。あの時のことは、自分でもよく分からない、はっきり覚えていないうちに、腕の中で喘ぐ彼を抱いていたようなものなのだから。 「俺には…レッドは救えなかった。救うなんて、そういう考え方自体がおこがましいとは思うが」 「そんなことないよ。シルバーが来てくれた次の日に、レッドはみんなのところに自分から出向いていったじゃない」 「いや、あれは…」 あの日、シルバーは逃げるようにレッドの部屋を後にした。その後に来たガオイーグルの存在はテトムでさえ気付いていなかったのだ。 だからシルバーには、なぜレッドが自分からイエローの元へ赴いたのか心当たりはまるでない。訪ねられ、頼み込まれて仕方なくやってきたところにオルグ反応が出て、そのまま戦いに…あの悲惨な突入した。 「レッドのことは私に預けよ。お前たちはオルグの波動を追ってくれ」 「ガオイーグル!」 天空島に戻ったはずのガオイーグルの声が聞こえ、二人は慌てて振り返る。 黄金の輝きがゆっくり降り積もり、その中央にガオイーグルの姿が現れた。 「先の件では不安を抱かせたな。このような時にすまない」 「ガオイーグル、彼はなんと言っているの?」 「ガオライオンは、私に預けると再度誓ってくれた。だが予断はならない…このような時に苦労かけるが、敵の波動は増すばかりだ。どうせよ、と指示も出せぬがとにかく敵の気配を探り位置を掴んでくれ」 「みんなは…みんなは、戻ってくると信じていいの?」 「…分からない」 ガオイーグルは唇を噛み締め俯きそうになる。それを堪えるのは天駆ける荒鷲の意地なのか、それとも。 「私はレッドの元にいる。何かあればすぐに知らせよ」 「分かったわ。シルバー、一緒に来て」 「ああ」 そこにいても、出来ることは何もない。 いまこの場を離れ、テトムと二人敵に出くわせばそれはそのまま死を意味することになるけれど、それでも。 止まるのは嫌だ。 諦めたくはない。 逝ってしまった仲間たちは、そんなことを決して喜ばぬとシルバーもテトムも痛いほどに分かっていたから。 「ガオイーグル」 「なんだ」 走り出し、そして数歩で立ち止まったシルバーはガオイーグルの涼やかな顔を見上げた。 「レッドは…あいつは、こんなことで負けたりする奴ではない」 「ああ。ああ、そうだ」 「イエローの心は確かに分かり辛いし、あの二人が対極にいるのも確かだと思う。だが俺にはもっと違う何かを引き出すことの出来る力が感じられるんだ。あいつらにしか出来ない何かが、必ずあると俺は信じている」 「…伝えよう。イエローに。そして、レッドに」 納得したように走り出したシルバーはもう振り返りはしなっかた。先を行くテトムも、恐怖など感じさせぬ軽快さで出て行った。 「二人にしか出来ぬなにか、か…」 呟きは苦く響く。 「それが、我らの危惧する元は違う道を示していることを祈りたいものだ」 そのまま立ち尽くし、自らのうちに沸き起こるものをガオイーグルは押さえ込んだ。 それからでなければ彼を訪ねることなど出来なかった。 きっとレッドは、波立つものに感応するだろう。そうなっては畏れたことが近付いてきてしまう。 震える指を握り込み、ガオイーグルは足元の石を踏みつけた。 自分には助けを求める先もないことは十分承知しているが、それでもこれから起こることを食い止める自信はまるでなくて。 イエローを。岳を。 彼を悲しませることだけはしたくない。彼がその手で掴むのは、人としての幸せだけであって欲しい。 血を。 なにより、誰より紅いその血を浴びる姿など、決して現実のものとさせてはいけないのだから。 二度目の訪問になるその部屋は、暗く沈んだままガオイーグルを出迎えた。 ベッドの上に座ったレッドの姿を認め近寄ると、彼は無表情のままガオイーグルを見返してきた。 眠っていると思っていたのに。 微かに鳴らした舌の音を、レッドは気付いたようだった。 「ガオライオンが…来たの?」 「…ああ。だがもう天空島に戻っている。テトムとシルバーはオルグの波動を探りに出ているから、ここにいるのはお前と私だけだ」 「そう」 そう、と答えて。 笑う。 嘲う。 「予想通り、俺は"歩"くんだよ」 「歩ではないだろう」 「歩くんでーす。誰がなんと言っても、俺は"歩"くんなんだって。いい加減諦めたら?」 「諦められないのはお前だろう」 鋭い眼差し。 似ている。 似すぎている。 精霊を統べる王にして、戦士の長を助けるもの。 ガオライオンの選びし戦士。 灼熱の。 「レッドよ…走よ、お前に…お前の心に、伝えねばならぬことがある」 この先の修羅を招かぬために。 レッドは、小さく、笑った。
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