「全然利かないねぇ。もういい加減限界だって認めちゃいなよ」

「お前がもう少し協力的であれば、こんな苦労はしないんだ」

「俺の所為じゃないって。"走"が悪いんだろ」

喉の奥で笑う声は、確かに獰猛な猫科の生き物のそれに似ていた。

大きな目は人懐こさではなく、けれど真実を映しているように見える。

善悪を正しく映すものに人は弱い。醜さを見せ付けられることを最も嫌う生き物たちは、彼のような目をもつものを毛嫌いし、そのことこそが罪であるように叫ぶ。

 

本当に醜いのは誰か。

 

救い難いのは誰か。

 

 

彼は知っているのだ。

それを分かっていて今、ここにいる。

 

人としての摂理を説けるほど人間に近しいわけでも、それほどまでに力を持つわけでもないのに。

同じものを志す仲間であると言い続けてきたのに。

 

「いよいよ耐えられなくなったってさ。まあ元から無理な話だったんだよ、"走"は"歩"に歩み寄るわけがないし、俺だってそうだ。いつもヘラヘラ笑ってなんでも一人で受け止めますみたいなイイコちゃんを、ここにいるような毒の強い奴らが受け入れられるはずがない。特にあいつは…イエローはそうだろ。あったかい友情なんて、"生温い"としか思えないような奴らしいし。ま、別に誰が死のうと俺には関係ないけど。"走"が表に出てるのは耐えられないって言うし、俺もあいつに死なれるのは今のところ困るからさ。仕方ないから出てきてやったよ」

「封じても封じても、それは無駄だというのか」

「ふふーん、あんたの嫌がる顔が楽しくてねぇ」

「…嫌がっているのではない」

「あれ?じゃあ歓迎してくれるの?そっかぁ、じゃあ感謝をこめてサービスしないと」

「ふざけるな」

「真面目だよ、いたって真面目。あちこち固いからねー」

試してみる?と下品な笑いを滲ませながら、レッドは、レッドであるはずの男は着ているものを脱ぎ始めた。

「よせ」

「ん?あれー、精霊ってセックスできないの?でも動物でしょ、盛りとかあるんじゃないの?春と秋にはニャーオニャーオって鳴き叫びながら天空島の中走り回るんだろ」

「やめろ」

「ああ、あんたは鷲だからそういうんじゃないんだ。鳥の交尾って色気なくてつまんないよな。純粋に子孫残してますーってそれだけじゃん」

「走」

歩み寄って、裸の肩にジャケットを掛けてやる。無造作に投げ捨ててあったそれは彼の心をそのまま表していたのだろう。

哀れなのは。

一番、労わられるべきなのは、本当は。

抱きしめると、細い躰が微かに身震いする。切り込む感情にはそれ以上の力で対するのに、向けられる優しさにはどこまでも臆病な子供。

そう、彼はまだ子供なのだ。

彼らは。

長いことそうして抱き締めていると、まるで互いが愛しいもののように思えてくる。

事実、ガオイーグルは彼を嫌っている訳ではない。もっと深い理由をもって接しているうち、この哀れな青年に共鳴する部分が生まれてしまっただけなのだ。

似ている。

守護するものと、されるもの。

ガオライオンと、ガオレッド。

二つの魂はとてもよく似た宝石のようなものだと思う。

価値がある。

皆が憧れる。

焦がれる。

でも。

 

光り輝くその石は、埋もれ誰の目にも触れぬうちが幸せなのであって、掘り起こされ手を加えられ、自分自身を失ったその時から望みもしない手の中を渡り歩く運命にあるのだ。

 

彼らは"そこにあること"を拒む。

自らを拒む。

生きることを。

 

「なあ、あいつら…もう戻ってこないのか?」

「お前は戻らぬ方がいいか」

「…戻ってくれないと困るんだけど。あんたは迷ってるね。イエローが死ぬなんて許せない、だけど帰ってくれば嫌でも俺と向き合うことになる。向き合えば結果は一つだ、そうなれば今度はあいつが傷付く。イエローが傷付くのだけは絶対に避けたい…」

「心を…読むな」

「読んでないよ、パワーアニマルの心は読みにくい。普通の動物なら全部分かるけど、あんたたちのは感じる程度だからはっきりとは分からない。でも読まなくても分かるよ、ガオイーグルは"岳"か゛大事で可愛くて仕方ないんだってね」

「やはり…読んだではないか」

「名前なんか、顔見りゃすぐ読めるよ」

 

獅子走は人の心、生き物の心を読むことができる。

他にも、彼は隠しているようだが人が"超能力"と名付けたものの幾つかは体得しているようだった。ガオイーグルはそれを見た訳ではないし、こちらから話を向けることをしたこともないが、ガオライオンが険しい表情で語っていたのを今も鮮明に覚えている。

抱き締める腕に力が入る。

 

ガオライオンが、自らの力を託す相手を見つけたと言ったのは、千年前に根絶やしにしたはずのオルグの波動を初めに巫女が感じてから間もなくのこと。

その時のガオライオンは、今より穏やかな顔をしていただろうか。それとも。

 

「じきにテトムとガオシルバーが、オルグと対峙することになる。その知らせが着たら…」

「行けばいいんだろ」

「行ってくれるか」

「行くよ。願ってもない千載一遇のチャンスってやつじゃん」

「走」

「あ、ゆ、む」

「走」

「…好きに呼べば。とにかく俺としては、なんで自分じゃないのかなって思ってたからな。やっと来た!と思った途端、なんかあいつらがバタバタ倒れていって、"走"は足が竦んで動けなくなってるし…ホント、あいつは役立たずだよ」

「目の前で仲間を失えばそうなって当然だ」

「なにそれ。俺があれだけ嫌われるように頑張ってんのにさ、メソメソと連中の気を惹こうとしてるんだぜ?頭に来るったらねぇよ」

「レッドにとっては…自らの場所を漸く定められたのだ。大切に思うだろう」

「だからさ、俺としてはそういうバカみたいなヒューマンドラマはいらないんだよ。約束通り働いて、約束通りにしてくれりゃそれでいいんだからよ」

「私が結んだ約束ではない」

「ガオライオンとした。あんたなんか関係ない」

「そうはいかない。私には岳を守る義務がある」

「おーおー過保護なこと」

 

言いながら言葉が震える。

きっと聞いているはずの"走"が震えているのだ。

守られたい。

大切にされたい。

愛されたい。

愛したい。なにかを。誰かを。

生きる証が欲しい。

生きる術が欲しい。

生きていて欲しいと。

誰かに言ってもらいたい。

 

いつだって。

 

「オルグを倒せばいいんだろう?」

「ああ」

「倒せば、それで俺の方の契約は果たしたことになる」

「ああ」

「そうなれば、今度はそっちが約束を守る番だ。当然のことだよな」

「…ああ」

「じゃあ、これ以上邪魔するな」

 

道を、塞ぐな。

 

背中に置いた手で彼の背を摩る。

指先に感じる違和感は無数の傷。古い、古いその傷は戦いの中で付いたものではなく。

 

初めて彼に会い見えたときには、もうその傷は彼の一部となっていた。

彼を作る"時間"の全てがそこにあった。

 

痛ましかった。

 

「あのさあ、思う通りにならないのが人生じゃん?」

「…そうだな」

「だったらパワーアニマルだってそうなんじゃないの?運命は簡単には動かない、変わらない。自分で何かをするったって限度がある」

「それに向かい進むことができるのが"人間"だろう」

「その人間をもう長いことやってるけどさ、それって地上のどんなに難しいパズルより何倍も、何百倍も難しいんだって分かっただけのことだよ。解けないものを躍起になって、寄ってたかって弄繰り回してるだけなんだ。それが俺には漸く運が向いてきて、ガオライオンと出会えたんだからさ」

 

笑う。

 

「邪魔、すんな」

 

低い声。

その一言は、彼の心の底の温度をそのまま表すような音で。

 

「取引したんだ。それを横からゴチャゴチャ言って来たのはガオイーグルの勝手だろ。俺はあいつと取引をした、それで済んだはずなのに余計な手を加えるからこんなにややこしいことになったんだ。だから今、こうなったのはお前の所為だ。ガオイーグルとテトムがつまらないエセ博愛精神と猫可愛がりの結果に生み出したものなんだから、それを俺の所為みたいに言われても困るんだよ」

「私は、お前を蔑ろになどしたくはない。走にも、岳と同じような、」

「それがお節介なんだよっ」

 

抱かれていた胸から飛び出す。振り払われた腕は虚しく空を掴む。

 

「あんたに何がわかる?俺は俺のことをよく知ってる。誰より知ってて誰より憎んでる。俺の始末は俺がつける、折角掴んだチャンスを無駄になんてで出来るか、諦めるなんてできるかよっ!」

 

 

 

叫んで。

吼えて。

痛みをぶつけて。曝け出して。

 

暗闇の中で蹲るしかない子供が手に入れたのは夢にまで見た自由。

自由、と名付けた開放。

開放と摩り替えた赦し。

赦しと表裏の――――――

 

 

 

   『オルグ反応よ!』

 

 

 

「走っ」

 

 

 

駆け出す彼を呼び止めた。

呼び止めて、そして何を言うのか分からない。それでも自分には彼の名を呼ぶことしか出来ないかのように。

 

策は、潰えたかのように。

 

 

 

 

 

 

 

シルバーが。

テトムが。

傷付いた体で敵を睨み据えている。

駆けつけたレッドがマスクの下でどんな顔をしているのか、それは彼らには分からなかったけれど、戦う意思を持ってくれたのだと安堵の思いで迎え入れた。

叫んで、挑んで。

圧倒的な力に屈し、固い地面に叩きつけられてもなお諦めず起き上がるレッドに、シルバーは鬼気迫るものを感じ数瞬、味方でありながら恐ろしさを自覚する。

違う。

これは、違う。

彼じゃない。

優しい微笑みと暖かな気遣い。傷付いた心ですら笑ってみせる、自らの知る"レッド"ではない。

違うんだ。

答えを掴む前にその思いは霧散した。敵の攻撃を受けたことも理由だが、走り寄ったレッドに掴まれた腕がその思いを弾き飛ばした。

彼は、誇り高きガオの戦士。

弱い人間の心のまま戦いの中に身を置き、煮詰まった思いが少し歪を生んだに過ぎないのだろう。だからあれは一時の惑いだ。

彼を襲った瞬間の間違いだ。

そう思い込むことで、シルバーは自らの罪も治めることが出来る。

 

 

レッドは。

まるで死ぬことを恐れぬような戦い振りでシルバーを導く。

膝を付いても、倒れ付しても、それでもまた立ち上がり、その度低く何かを呻く。

声は血の滴りを帯び、聞く者の…シルバーの心を締め付けていった。

 

「………ロ、……」

 

幾度目かの攻撃で、レッドの体は砂埃の中に沈んだ。

 

「イ……ロー…」

 

名を、呼んだ。

 

「っ、イエロー!」

 

 

 

 

絶叫が地を揺るがす。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここはどこだ?

 

イエローは目の前に広がる光景をぼんやりと眺めていた。

足元はごつごつとしているが、視線をやっても闇ばかりで確かめることは出来ない。ただ、その感触からそこが岩場であることを理解するだけで、前方も同様に夜の世界が見て取れるだけだった。

隣を見ると仲間がいる。

同じように、心細そうに前方を見ている。

言葉はない。ただ、辺りの様子を少しでも探ろうと視線を前方や足元に向けているだけだ。

ホワイトの手が、ブラックの腕に絡められている。

怖いのだろう。当然だ。自分だって恐怖を感じている、こんな暗闇を今まで知らなかった。

想像したこともなかった。

死ぬなんて。

 

自衛官として働く間も、ここに来て戦う瞬間も、今にして思えば本当の"死"などというものを意識したことなどなかったのだ。図々しい思いだがイエローにとって死というものはやはり遥か先にある他人の出来事に過ぎなかった。

闇は続く。

進んでいるのか、それとも立ち止まっているのか。

それすらも分からぬままに彼らはどこかに向かっていた。あてはない。示されたわけでもない。ただ、どこかに向かっているのだという意識のみでそこにいる。ただ、ある。

 

前方に何かが見えたのは、もう、かなりの時間が過ぎてからのことだった。

時間の概念は疾うに消えていたはずなのに、それが見えたときにはそこにいる全員が安堵の息を漏らしていた。それが、なにかも分からないのに。

 

見えていたのは青白い光だった。

ぼんやり輝くそれは温かみのない冷たい色で、事実側へ寄っても温もりを感じることはない。光りは、丸を基本に少しずつその形を変えけれど霧散も分散もせずうねうねと身を捩るように光り続けた。

歩いて。

見えてからかなりの距離を歩いて。

そして漸く、彼らはその光の元に辿り着いた。

辿り着いてみれば、それは光りなどではなかった。

子供だ。

笑っている。

その身を包むぼんやりした燐光が、耐えがたい冷たさをはらんでいるように感じたが笑顔は温かかった。

子供は笑いながら暗闇を指差す。向こうに行け、と言っているようだ。

従っていいものか、イエローは躊躇い仲間を見回す。皆一様に緊張した面持ちで彼を見詰め返した。決断は彼に託されているようだ。

リーダーとして、イエローはこの面子を束ねてきた。

闘い方は個人に委ねていたが生活や身の回りのことは彼が中心になり決めることが多かった。当時はここまでの繋がりはなかったけれど、レッドをリーダーとし団結することで取れた統制であり、今となっては"決定権"を握るものはなくてはならない存在となっていたようだ。

子供は微笑んだまま、今度はイエローの胸を指差した。

首を傾げその辺りに視線をやると、薄白い靄の中で何かが激しくぶつかり合う様が映し出されている。

すぐに分かった。

レッドとオルグとの死闘が、その靄の中に繰り広げられている。音のないその光景は現実味がなく、イエローは暫しぼんやりと眺めてしまった。

腕を引かれる。ブルーだ。彼にも見えているらしく、闘うレッドの姿を必死に見詰め小さく喉を鳴らしていた。気付けばブラックもホワイトも、同じようにその靄を、戦いを見詰め唇を噛み締めていた。

レッドの闘い方は尋常ではなかった。まるで無防備に飛び掛っていく。その度打ち付けられる体は見る間に弱っていき、後ろで同じように蹲っているシルバーですら耐えがたいというように絶叫しているのが分かる。

まるで。

その戦い振りは、まるで。

 

死ねばいい。

 

ふと、そう思う。

死ねばいい。薄気味悪い、理解しがたいあの男に興味はない。第一"近付くな"としつこいくらい言われているのだ、存在が消えればそう言われる煩わしさも解消され元のような自分に戻れる。環境に、戻れる。

 

死ねばいい。

いなくなればいい。

消えれば、いい。

 

半身を起こして。

震える足を立てて。

レッドが、叩きつけられた地面からまた敵の前へと進んでいく。惰性で動いているような足を引き摺り、ただ、目的を果たしたいというその気概だけで進んでいるように見える。

武器など役に立たない。

丸腰ではそれ以上。

それでも、分かっていても、レッドは進んでいく。

この瞬間にも倒れそうな足取りで、それでもレッドは進んでいく。

敵の前へ。

 

   "ここにいても、意味はないよ"

 

子供の声に振り返る。

 

   "ここで見ていても何も変わらないよ"

 

変わる?

 

   "この先がどうなろうと、それは自分で選ぶことだよ。自分で決めることだよ"

 

選ぶ。…決める。

 

   "この先に、それを決める手助けをするものがある。決めるのは自分だけど

助けが必要なら行ってごらん。自分の手で、掴んでごらん"

 

何のことを言っているのか、イエローには理解できなかった。

理解は出来なかったがその心に触れることは出来た。

笑っているのに。

子供は笑っているのに、その胸の内で泣いているようだ。

はらはらと涙を零しているようだ。まるで、仮面の中の表情を見てしまったような居たたまれなさがイエローを襲う。

 

見てはいけないもの。

感じてはいけないもの。

 

知っては、いけないもの。

 

レッド。

 

 

 

 

 

靄の中では、また敵に向かい立ち上がろうとするレッドの姿がある。

 

 

忘れていることがないか?

 

 

 

 

イエローの胸の中に、突然閃いた言葉はそのまま澱のように沈んでいった。