目が覚めて一番に思ったのは"どうしよう"の一言に尽きた。

 

 

 

「レッドの怪我、どうして治りが遅いのかな」

「今回は随分無茶したからね。大丈夫よ、私特製の薬草をたっぷり使ってるんだもの、ホワイトは心配しなくていいの」

「でも…」

「大丈夫だって。レッドはちゃんと分かってるから。ね?」

レッドの部屋の方に視線をやるホワイの頭を撫でてから、テトムは隅に立ち尽くすイエローを目で呼んだ。

明け方のガオズロックを、物音を立てないよう慎重に進むイエローの目指す先は聖なる泉。覗きこみ、小声でテトムを呼ぶと彼女はすぐに飛び出してきた。

事情を詳しく説明など出来ない。けれど彼女に頼らねばならないのは確かなので、半ば投げやりにレッドの手当を依頼した。

無理をさせたつもりはない。殆どが彼が望んだ行為だし、出来る限りの優しさは込めたつもりで接していた。けれど朝になってみればレッドの体はそれまで以上に傷付き熱を持っている。潤んだ瞳で見詰められ、"イエローの所為じゃない"などと言われれば罪悪感を刺激されないはずもなく。

外に出ると、冷たい風が吹き付けてくる。首を竦めて後を追うと、テトムは無言のまま進んでいき居住空間からはかなり離れた岩陰で漸く足を止めた。

そのまま、暫く黙り込む。

「あー…えーっと、すまんっ」

「…なんで謝るの?」

「いやだって、その…なぁ…」

語尾が小さくなることで分かって欲しい。自分でもこんなことになるとは思わなかったし、正直今となっては不思議で仕方ない。

イエローは、これまでの人生を全て"普通"に過ごしてきた。目指す夢やここに来る前の職業は確かに普通よりは少し特殊だったかもしれないけれど、彼自身が生きることに関わる問題は何もかもが常識的と名付けられた範囲にあったと胸を張って言える。

そうでないことが異常とは言わない。事実、彼の知り合いにはそう言う趣味を持ったものがいた。寛容に受け止めたわけではないので大きなことは言えないが、それでも自らのテリトリーに侵攻して来なければそれでいい。ああそうですか、で済ませてしまえるほどのものだった。

つまり。

ぶっちゃけて言えばイエローにその気はなかった。子供の頃からバレンタインには、女の子が通り過ぎた後の下駄箱をこっそり覗いたりするごく普通の男として生きてきたのだ。

それがなぜ、つい先日までは憎みきっていたレッドを…かれをその腕の中に抱いてしまったのか、我がことながらまったく理解できず首を捻るばかりだった。

「イエローは…レッドのことが好きなの?」

「そーれは…ないと…思うんだけど…」

「好きでもないのに抱くの?」

「だ、だ…だ……」

切り込むように真実を突きつけられ、イエローにしては珍しく口篭もる。それでも容赦のない瞳で振り向いたテトムは、厳しく細めた目でイエローを睨み付ける。

「私、言ったよね?レッドのことは私に任せてって。近付かないでって。言ったよね?」

「言ったよ」

「イエロー、約束してくれたよね?」

「約束って言うか…テトムもイーグルもあんまりしつこいし、俺だってあいつなんかどうでもいいと思ってたから渡りに船かなーって」

「そんな…そんないい加減な気持ちなのに、どうしてレッドに構うの?なんでそんなことになっちゃったのよっ!」

「それは俺が聞きたいって!なんか分かんねえけど気が付いたらそうなってたんだっ!」

「そんな言い訳が通ると思ってるの?」

「言い訳じゃねえ、あの時はそれが正しいって思ったんだ!」

「正しい?」

「そうだよっ!レッドがいて俺がいて、二人とも生きてこの世にいて。絶対にダメだと思ってた相手が実は"自分の思い込みだけで作った嫌な奴"だったと分かって。そいつが傷付いて助けを求めてきたら、それまでの分も返したいと思うじゃねえか、優しくしてやりたいって思うじゃねぇか!」

「イエロー…」

困惑と、怒りと。泣きそうに歪む表情と。

テトムは、ただ切なげな顔でイエローを見上げる。ただ、見詰めている。

「レッドはさ、寂しかったんだと思う。俺たちに分かってもらえなくて、いつも一人で。ここに連れてきたのは俺たちなのに、リーダーだって何もかも押し付けてあいつの所為にして。そうやって一人になっていくのになにも言わずに変わらない態度で居続けて」

笑っていた。

いつも。

辛そうなところなんて見たことがなかった。

能天気と、だから苛立って彼を責めた。理解できないと突き放した。

「俺たちと同じなのに、その不安を見せないようにしてたあいつの気遣いも分かってやれなくてさ。責められて当然だしあいつの方が苦しかったのに。何も言わないでただここにいて、耐え切れなくなってもまだ我慢して、自分のこと…責めつづけて…」

言葉があるのに。

伝えられる言葉はあったはずなのに。

誰もが距離を置くその中で、心無い仕打ちを受けても抗うことはしなかった。段々と壊れていく自我にそれでも自らを殺すことで耐えてきた。

そこまで考え、ふとイエローは思考を止める。

気が合わない。多分理由はそれだけだった。他の仲間とは上手くいっているようだし、それなら自分ひとり彼を無視したところで問題はない。ここでは確かに共同生活を送ってはいるものの、それが目的ではないのだから構わない。構わないはずだ。

レッドは笑っていた。

常に笑っていた。

イエローのどんなに冷たい視線にさらされても、心遣いのない言葉を投げつけられても、それでも変わらず微笑んだまま、自分の言葉は飲み込んでいた。

では、おかしくなったのは?

様子が変わったのはいつからだろう。

ぼんやりとした目で、気味の悪い気配で、不快感をより一層煽ってきたのはいつ頃からのことだったか。

「…なんだ?」

イエローの呟きを、テトムは怪訝そうな顔で見ている。

待て。

ちょっとおかしくないか?

自分の中の呟きと共にイエローは考える。レッドのことを毛嫌いしていたのは自分だけで、他の仲間はうまく中立を保っていた。だからレッドはイエローに対してのみ憂鬱な気分にされることはあっても、他の全てのものからは疎まれてなどいなかった。ここでも、そして今は離れている"元の生活"の中でも。

では、なぜあそこまでおかしくなった?一人きりで思い詰めなければならない。

気遣ってくれる仲間はいた。ブルーも、ホワイトも、ブラックも。彼らは常にレッドを囲み笑っていた。笑って、自分たちの不仲でさえ感じさせない自然さでこの場は満たされていたはずだ。

外れていったのは、だからレッドの方からで――――

 

「イエロー!」

 

テトムの声を背中で聞きつつ、イエローはレッドの部屋へと走りこんだ。そこには青白い顔で眠る彼がいる。

夕べは無性に愛しいと感じた、"つい昨日まで疎ましい"と思っていた彼が。

 

駆け寄り、寝顔をじっと睨み付ける。自分の行動の不可解さを反芻する。

レッドが仲間を思い、自然を思い、闘うことを選びその道を進んできたのは確かだ。その姿に感応し仲間はみな惹かれていった。自分たちの死を受けて、自らも極限を越えた戦いをして、その姿に彼の優しさや大きさを知りこの部屋を訪ねたけれど。

それは間違いなく自分の意思ではあったけれど。

吸い寄せられるような目。今は閉じているあの目を見た時、なにか頭の中に忍び込む声が聞こえた気がする。甘く、低く、その声はイエローの正気と官能を刺激して来たような気がする。

操られるように、眼差しが。指が。唇が。

 

近付いていって。

 

 

「レッド」

呼ぶ。呼びかける。

「レッド」

焦燥に灼かれはじめる気持ちを意識しながら、彼の名前を呼びかける。

「レッド!」

「…ん…なに…がく」

 

 

がく。

 

 

「う、わっ!なに、なにするんだよっ離せ!」

「てめぇ…俺になにをしたっ」

「なに言ってるんだ?痛いよ、離してっ」

「なんで…なんで俺の名前…」

 

岳。

 

あの時、彼の唇は確かにそう綴った。気のせいかと思ったし、あの時はそんなことを考える余裕もなかった。流されるように彼に触れた。でも。

「動物の心が読めるって言ったよな。じゃあ俺を読んだのか、俺の心を読んだのかよっ」

「そんなことしてないっ」

「嘘を付け、じゃあなんで俺の名前をお前が口に出来るんだ」

「それはっ」

襟元を掴み、引き起こした彼の体が悲鳴を上げているのが分かる。痛みに顰めた顔が、他の痛みを浮かべている。

心の傷。

「ガオイーグルが…教えてくれたんだ…イエローのこと、ちゃんと知りたいって言ったら、教えてくれた。上手くやっていきたい、これ以上嫌われたくないって…そう言ったら色々なことを話してくれた。俺はイエローに嫌われてて、それが辛くて、ガオイーグルに聞いたんだ。どうして嫌われるんだろう、俺が何をしたんだろうって…なんで俺のこと嫌うの?どうして俺だけ避けるんだよっ!いまも、こうやって責めるなら、何で夕べは優しくしたんだ?どうして抱いたりしたんだよ!」

 

ぶつけられた言葉に、イエローはその手を緩めるしかなかった。

なぜ、と思って問い詰めた相手もまた、身に起こったことが自らの願いではなかったと叫んでいる。不実を責める。

なぜ、も、どうして、も。白黒付かない感情はイエローの苦手とするところだ。何より自分のしでかしたことであればどれほど些細なことでも責任をとる覚悟はあるし、これまで全てに対しそうしてきた。これからもそうするだろう。完璧な人間ではないがそうありたいと願うことで向上する自分でありたいと彼は常に思ってきた。

「なんだよ…なにが…どうなって…」

「離せ。離してくれ。いいよ、もういいんだ。イエローは、なにをどうしたって俺を赦せないんだろ。仲間だなんて、思えないんだ」

泣き声の混じる、彼の声。頼りないレッドの、長い指。

「あの時…俺が死ねばよかった。俺が消えれば何もかも上手くいってた。俺がいなくなっても、誰も困らないだろ。頼りないリーダーが消えれば、元通りイエローがみんなをまとめていける。問題もなにも起こらなくて、俺は最期までただの役立たずで…誰の中にも残らなくて…」

ぽつり、と。

 

「死にたかったのは、俺の方だよ…」

 

零される、声。

 

冷たい指がイエローの腕を外し、乱れた胸元を直す。

包帯を巻かれた痩せた胸に、幾つか鬱血の痕が見える。イエローが付けた所有の証。

違う。所有などと言う言葉が存在する間柄ではなかった。

二人に通うものなど一つとしてなかった。

ないままにしておいたのは、それは二人ともだと思っていたけれど。

 

ふらりとレッドが立ち上がる。気まずいまま盗み見るイエローの前で、レッドは覚束ない手付きのまま着替えると、ベッドの上にあるジャケットを掴み、その胸のエンブレムを指先で撫でる。元に、戻す。

歩けるような状態ではないはずの彼が、暗闇の中を進むような足取りで進んでいくのを見ていた。掛ける言葉を捜すうち、彼の体は大きく揺れその場に崩折れる。

駆け出して、抱き起こしたのはイエローの真実。それとも。

 

傷に触れたのか、身を竦めたレッドはイエローの腕を拒むことも出来ずそのまま蹲っている。熱を孕んだ呼吸が嫌でも昨夜を思い出させ、イエローの胸に遣り切れない何かを連れてきた。

小さく繰り返す言葉はどれも"死"を含んでいる。憑かれたように繰り返すそれを止めたくて、けれど手立てのないイエローには何をどうすることも出来ない。

出来ないと思っている。

やがて漸く抵抗を試み始めたレッドの手が、体に回されるイエローの腕を解こうと緩い抵抗を繰り返す。まるで子供のように打ち振られる頭が、少し痛んだ髪をも揺らしイエローの胸を打つ。

ベッドに戻そう。まず、それを思った。

彼は怪我をしているのだ。それだけでも手を差し伸べるのに充分な理由がある。

邪魔なほどに長い足は抱え上げるのに苦労したけど、痩せた体は眉を顰めるほど薄く頼りなかった。死に向かおうとする彼の言葉を裏付けるようで怖かった。

 

ただ、今この瞬間の彼が、怖かった。

 

 

 

 

言葉もなく。

交わす心もなく。

ただイエローはそこに、彼の隣に居続けた。

物言わぬ彼の心の内を思った。

 

レッドは、それから何度もベッドから降りようとし、その度イエローに押し留められ今は諦めたのか横になり天井を見ている。眠って欲しかったがそうすると二度と目覚めないのではと考えてしまい、彼が目を閉じるとそれはそれで怖かった。

 

ぼんやりと。

暗い室内でイエローは自らの呼気だけを耳にしている。どれほどの時間が過ぎたのかそれを思うことすらなかった。

やがてテトムがレッドにも食べられそうなものと、イエローには食事の支度が出来ているからという言葉をもって現れたけれど、彼はそこから離れるつもりはないと言いレッドの分の食事を自らが受け取った。

テトムは、瞳の中の不安を隠そうともしなかった。近付かないで欲しいと言い続けた、それは今も有効なのだろう。去り際、何かあればすぐに呼んでくれと囁いた声は冷たく乾き震えていたから、イエローは出来る限りの優しさで微笑んだ。そうするしか答える術がなかった。

枕を立て、そこにレッドの体を寄り掛からせる。抵抗はなく、人形のように従っている彼に苛立ちより悲しみが湧き上がった。彼が自分を罵れば、自分の責任を問い返せる。けれどそうはされず、ただ沈黙を持って内に閉じこもる様を見せ付けられればそれ以上の追求など出来るはずがなかった。元より、イエローは情けに弱い性質だった。顔には出さないものの、信頼しきった相手にならとことん甘える脆い部分もあったのだ。

口を開けるよう命ずるとレッドは黙って従った。運ばれる食物を機械的に摂取した。目は、何も見てはいなかった。

ふと、イエローは気付き手を止める。

甘える相手。イエローにとってはガオイーグルが、その対象に他ならない。甘えることを許し、甘えられることを望む。利害というより自然に発生したその関係をイエローはとても大切にしていた。

ガオライオンは、今のこのレッドの状態をどう見るだろう。

そうだ、彼に来てもらおう。それで解決するかもしれない。人間の問題に精霊が口を挟むかどうか分からないが、それでも何より強い信頼関係に結ばれたはずの彼なら最善の方向へ導いてくれるに違いない。

もっと早くにそうすれば良かった。意地を張って、テトムやガオイーグルの言葉に縛られてそうしなかったことを今更ながら後悔する。彼らもその解決策を提示してくれればここまで拗れなかったのではないかと思いつつ、添えられた最後のトマトをレッドの口に押し込んだ。

 

 

テトムは泉の前でシルバーと話し込んでいる。小さな声で、けれどそれがとても重要なことだと分かる緊張が漂っていて声を掛けられる雰囲気ではなかった。

仕方ない。

イエローはレッドの部屋に戻ると、彼は変わらずぼんやりと天上を見ている。"見て"というより視線の先が天井だというだけのことだろうが、とにかく心ここにあらずの態でいる彼を慎重に抱き起こした。長く抱えているのはさすがに無理だが、天空島へ跳ぶ間くらいどうにでもなるだろう。心の中でガオイーグルへ語りかける。今から行くと、それだけを念じ彼の元へ意識ごと跳ぶ。

 

腕の中のレッドが、小さく声を上げた。

何を言ったのか聞き取れなかった。笑ったように感じたのは、だから気のせいだと思う。

 

全身が清浄な空気に包まれる。

 

 

 

 

 

「イエロー、お前からレッドの匂いがいやというほど香っておるぞ」

 

柔らかな獣の毛皮の上に座った青年…青年としか見えないものに、イエローは引き攣るような顔を見せた。ガオライオンだ、すぐに分かった。けれど彼が自分の前に姿を表したことに困惑する。これまで声すら聞いたことのない人形の精霊と突然対峙することになり、その焦りは気の毒なほど滲み出ていた。

イエローはガオイーグルの前に跳んだはずだ。彼にレッドを託しガオライオンへ届けてもらうつもりだったのだから結果としてこれは悪いことではない。でも。

ガオイーグルが自分に向けてくる愛情を考えれば、同じ守護精霊としてここまでレッドを追い詰めた相手に良い感情を持つはずがない。

ガオライオンの目は笑みに彩られているがその獰猛さは始めて見るイエローにもひしひしと感じられる。ガオイーグルとの印象、空気、その他全てに至るまで違いすぎる精霊を前に、らしくもなく萎縮し始めるイエローに相手は容赦ない蔑みの目を向けた。

「散々に毛嫌いして、自らの責任を追及されればこの様か。戦士の身でも人は人…浅ましいものだ」

「ちがうよ…」

言葉に詰まったイエローを庇うように、腕の中のレッドが呟いた。軋む体を動かし、イエローから逃れるとふらつく足取りでガオライオンの前まで進んだ。

「違うよ。悪いのは俺だよ。何もかも全部、俺一人が悪いんだ。イエローはなにもしてない。なにもしてないから」

「そうだな、何もしていないのは確かだ。何もせず、ただお前を傷付けた」

柔らかな紗のローブに包まれた腕が伸びる。レッドの体を。

抱き締める。

「哀れな」

性別があるとは思えない。ガオイーグルは見るからに男性だと思えるが、ガオライオンの印象は全てが曖昧で霞の向こうにある。ただ、座したままでも分かるその長い手足が作る動きは果てしなく優雅でイエローの視線を釘付けにした。

母親が我が子を包むような光景だった。

光景、だけだった。

イエローに向かい放たれる気は繰り広げられる情景とは全く異質な刺々しいもので、それはレッドを追い詰めた自分に対する当然のものだと彼は思う。

「傷の具合はどうだ。さぞ辛かろうよ、走」

「…大丈夫。テトムが薬草をくれたし…イエローが付いててくれたから」

「看護ではあるまい。お前はまた傷つけられた」

「違うから…イエローなら、いいんだ…」

「そうして誰をも赦すのだな。一人傷付き、沈黙を守る…同じことの繰り返しだ」

「いいんだよ。俺は…俺なんか、優しくされるはずない。好かれるはずもない。願うことだって図々しいのに、物欲しそうにするからこんなことになるんだよ」

自分が悪いと繰り返す。その度に湧き上がる涙をガオライオンの指先が拭う。

「哀れな子よ。ただ愛情を欲するだけなのにその唯一が与えられぬ。我では叶わぬそれを人同士に望み、そしてまた裏切られる」

流された視線にイエローの背が竦む。闘いに慣れても禍々しい気配を受け止めることは出来なかった。敵に対しいつも感じていたそれを、それよりも数倍勝るものをガオライオンから投げつけられる。パワーアニマルの長として戦列の最前に走る姿からは想像も付かない強い恐ろしげな気が、いま、イエローに向かい叩き付けられる。

「楽になりたいと願うたのか。我をおいても冥府へ旅立つと申すか」

「俺…俺が、悪いんだよ…一人でいるのが、いいんだ…」

「かなしいことを…走」

かける。

彼の名前か。地を、空を駆ける、そんな願いが込められているのか。

似合うな。胸の内で呟く。

「お前たちの間では"走る"、と記すのだろう。走はその足で大地に立つことは出来るが、未だ駆けたことなど一度もないというのにな」

「そんなこと…ない…みんなに力を貸してもらって、だからここまで来られたよ」

「お前は常に他者への感謝を口にするが、一度たりとそれが実を結んだことなどないだろう。それでも尚、仲間と呼ばれるものどもを助け我が身を傷つけ…それを知りつつお前を我が戦士と定めた。全ては我の至らぬばかりに…」

「違うってば。ガオライオンは俺のこと…俺なんかのこと、拾ってくれたんじゃないか。少しでも人の役に立つなら、俺、嬉しいよ。俺にも出来ることがあるって教えてくれたじゃないか。こんな…どうしようもなく汚くて、正義なんて言葉が一番遠くにある俺のこと…必要だって、言ってくれたんじゃないか…」

 

やり取りを見る限りでは随分芝居がかった話しだと思った。

レッドのことはとことんまで無視し、だからこそ冷静に観察して来たイエローにとってはこんな風にマイナスの感情でしつこいほど自分を卑下するその様子が不可解に見えたのも当然と言えばそうだったのかも知れない。

けれど。

傷付けた。都合のいい様に振り回した。彼はいつでもそこにいて、先陣を切ることを厭わなかった。それに甘えたつもりはないが、細やかな感情はないかのように接してきた、その瞬間ですら笑って過ごした彼を気付けずに。

それは、間違いなく自分の所為だ。自覚ある罪悪だ。

 

肝心なところで"自らの感情"を殺し続けたレッドの本当の姿を、いま、イエローは漸く目の当たりにしたのだと理解した。

見ないようにしたつもりはない、それでも見ようとはしなかった自分の、自分たちの過ちだ。認めないわけにはいかない。

 

「イエローは…本当に、なにも知らないから…俺が自分で招いたことだし、きっとまた…また、無意識に…違う、無意識なんかじゃない。俺が自分で、自分でイエローを…」

「走、もうよい。何も言わずとも我には分かっておる」

これがあの赤い聖獣かと思うほどに柔らかな、イエローを睨み据えたあの瞳と同じものかと疑いたくなるほど自愛に満ちた光を浮かべレッドを包む。抱き締める。

「言わなきゃいけないよね。俺のこと、責任とか、そういうの感じなくていいんだから。イエローは何も悪くないんだから、だから…」

「よい。語る必要などないぞ、走」

「だめだよ。言わなきゃ、イエローに負担がかかる。…聞けば、もっと負担を掛けることになるけど、それでも黙ってちゃいけないことだよ。だってもうここまで来たから。闘いも、多分、もう終わるから…」

 

戦いが終わる。

 

終わりを告げる。

 

それは熾烈になる戦闘を体験していることで逆に現実味を帯びているだろう。

無に帰するか、それとも殺されるか。

生命体ではないオルグを始末することは殺人ではなかったけれど、それでも"消滅"させることは"死"の匂いをも含んでいたから。

死にたくない。生あるものの当然の執着を身近に感じつづけた一年、イエローにとっては二年であった。それが終わる時、自分は…仲間は、そこに立つことが出来るのだろうか。

 

自らの死の体験と、目前で起こったレッドの"命と引き換えるような"戦いぶり。

 

それは恐怖に他ならない。

人として生き続けたい。

何より正当な願い。

 

 

 

 

「イエロー…口止めは出来ないから、必要なら話していいよ」

 

 

ガオライオンの腕に包まれたまま、レッドの虚ろな目が彼を見た。

小さな子供のように、丸めた指先がローブを掴む様をざわめき始める胸で見詰める。

 

走、と。

 

声を掛けたくなった。その名を呼んで抱き締めてやりたい。痛々しい、哀しみに包まれた風情の彼を救うのはじぶんの勤めなのではないかと思えた。ごく自然にそう思った。

 

 

 

 

視線が、逸らせない。