レッドがイエローに聞かせた話には、正しい部分と全く違う部分がある。

第一に彼は自らを多重人格だと打ち明けたがそれは事実とは異なる。

 

彼は、いつ何時、どのような状況にあっても"獅子走"その人だったし、それが違えられたことなど過去一度として有り得ない。

獅子走は、生まれたその瞬間から彼であり、そして彼であり続けることをやめたりもしなかった。そのことについて全く考えなかったといえば嘘になるが、それでも自らの命を疑問に感じる余裕など彼には与えられなかった。

 

悪いのは誰か。

 

その言葉の書かれた札が目の前におかれていれば、彼は間違いなくそれを誰か違うものの方へ弾き飛ばしただろう。

彼は彼を生きるという当然の道を歩んできた。押し潰されるかもしれない恐怖に震え、身を竦め堪えるうちに"そう"なってしまった自らを嘆くことなど考えもしなかった。

死ぬことだけが怖かった。

あの日、彼の手で殺した犬の、最後の呼吸を覚えている。細くなるそれがまるで生への執念の如く、大きく、深く行われた直後。

流れる血液が冷めていくあの瞬間を、彼は決して忘れることが出来なかった。死ぬということの大きさを、あっけないほどの下らなさを。

あの時、彼は知ってしまったのだから。

 

生きることに意味はない。ただ、命ある以上生きていかなければならない。淡々と、なにがあっても、どうなろうとも。

彼に残されたのは自らが生き抜くことだけだったから。

 

命への執着は、同時に死へと近付くことだ。

 

 

常に"生きる"ことと"死ぬ"ことを意識しながら、彼は辿りつく場所を求めていた。

そこがどんな世界なのか分からぬまま、ただ、安らげる場所であることを願いながら。

 

 

 

 

 

 

レッドは絶えずイエローの側にいたがった。

敵の攻撃は激しさを増し、倒したはずのオルグが蘇る。圧倒的な力の前にただ成す術もなく呆然と見上げるその前で、千年前のそれが繰り返されるような光景が広がった。

 

退却を余儀なくされ、ガオズロックごと戦場からかなり離れた土地に着陸した。全員が沈黙する中、レッドが外の空気を吸いに行くと一人その場を後にした。すかさずテトムが追おうとするのを制したのはイエローで、彼は自分が付いているからと彼女を押し戻そうとする。厳しい目が、イエローを捕らえる。

「イエロー、あたなには言ってあるでしょ。レッドには近付かないでって」

「だからなんでだよ。あいつのこと信用してないのか?」

「そうじゃなくて、」

「大体、テトムとガオイーグルが余計なことを言うから、俺のレッドに対する思いが歪んだってこともあるだろ!」

「そうじゃないの、そうじゃなくて、」

「ああもういいから。一人にしたくないんだよ。せっかく最近調子がいいって言ってたのに、こんな状況で入れ替わられてみろ、なにしでかすか分かったもんじゃない」

「それはそうだけど、でもねイエロー、」

「あいつがっ」

細い、テトムの腕をイエローが掴む。真っ直ぐに見詰める。

「レッドが俺にいて欲しいって言った。側にいて、助けて欲しいってそう言ったんだ。散々嫌な思いをさせたのに、それでも俺に頼ってきてるんだよ」

「頼ってるとか、そんなんじゃないわ」

「なんでテトムが決めるんだ?あいつの気持ちだろう?選んだのはガオライオンだし、テトムだって相応しいと思ったからここに連れてきたんだろう!今更なんだよ、入れ替わられたら困るからか?ただでさえ厳しい状況であいつに裏切られたら困るからか。バカにするな、俺たちだって自分の意思でここにいる。自分の意思で闘っている。守りたいものがあるから頑張ったんだ、守りたいと思うから堪えてるんだ。何よりその強い気持ちでいるのがレッドだってことくらい、俺にももう分かってるしみんなもそう思うからあいつを信じて乗り越えようとしてるんだろっ!」

切るような鋭さで。

潔さで。

イエローの言っていることに間違いはないし、それが最善だとも思う。

レッドが彼らに聞かせた言葉が全て真実であれば、それはそのまま結束という名の最も強い絆となる。

けれど。

「イエローは…レッドのことが、好き?」

「好きとか…そういうのじゃないだろ」

「でも、でも目が変わったよ。レッドのことを見ても優しい目のままだよ」

「そりゃさ、ちゃんと分かりたいと思うようになったんだから当然だろ。今考えればなんであんなに毛嫌いしたのか不思議なくらいなんだ。あいつ、全然悪くないし俺たちにも常に心を配って自分ばかり損してたっていうのにさ」

「いま…いま、もしレッドがいなくなったら…どうする?」

「そんなことあるはずない。俺たちは全員で闘って全員で勝つ。オルグを全滅させて平和を取り戻して…あいつが、もしその後も俺のことを頼るなら…ずっと側にいてやりたいと思う」

 

 『なあ、イエロー…この戦いが終わったら…もし、俺のこと、嫌じゃなければ…』

 

その後は口には出さなかった。必死な目で見詰めながら、けれどそれ以上の言葉を続けることはなかった。けれどその思いの真剣さと一途さは真っ直ぐに伝わってきて、だからイエローは笑い返した。笑って、手を差し出してやった。

戸惑って。伸ばした指をもう一度握って。そして。

強く握り締めた手は冷たかったけれど、しっかりと返されるその力強さに安心した。彼は大丈夫。彼なら大丈夫だ。きっとやり直せるに違いない、痛みばかりの時間ではなく、人として過ごす暖かなものを、その手の中に抱えることがきっと出来るはずだから。

 

「テトム、俺は思ったことをストレートに表しすぎると思うけど、肝心なことは言えないどうしようもない奴なんだ。その自覚はあるけど今まで後悔せずにやってこられたことは少ない。その俺がレッドのことは絶対に間違いたくないって決心したんだよ。あいつのこと、助けてやれるならなんでもしたいと思う。罪滅ぼしにしか聞こえないかもしれない、でも頼られてるなら俺は応えてやりたいよ。辛いことを、一緒に抱えてやりたいよ」

テトムは何も言わなかった。

何も言わず、ただイエローの顔を見詰めていた。

唇を噛み締める彼女の腕を掴んだ時とは全く異なる優しさで叩くと、イエローはそのまま踵を返しレッドの後を追った。

立ち尽くす巫女の背中を、ホワイトの指が癒すように撫でる。

「大丈夫だよ。イエローはああ見えても本当はすごく優しいし面倒見もいいんだから」

「そうだよ。テトムもさ、もうキーキー言わないで見守ってやりなよ。俺たちも応援するって決めたし、なによりこんな状況で仲間割れしてる場合じゃないじゃん」

「あら、ブルーもいつの間にか大人の意見が言えるようになったのね」

「ホワイトより俺のが年上だぞ!」

「そういうムキになるところが子供なんですぅ」

「子供に子供って言われるほどムカツクことはないんだぞっ」

「二人ともやめろよ。自分から見れば年下だけど、ガオレンジャーとしてしっかりしてるのはちゃんと認めてるんだからさ」

「なに自分だけ大人ぶってるんだよっ」

「ええっ」

「ほら、せっかくブラックが取り成してくれてるのにそうやって突っかかってさ。この中で一番子供はブルーに決定!」

「だからホワイトより年上だって言ってるだろ!」

 

レッドとの確執が解けて安堵している。

戦いは熾烈を極めても戦士の中の和は取り戻され、しかも相容れないばかりだった二人が急速に近付いたことでその緊張は以前よりずっと緩和されていたから彼らのはしゃぎ様も本来嬉しいことであるはずなのに。

テトムの視線がイエローの去った方に向けられる。

その瞳の中にあるのが悲しみだけだということに、彼らは気付くことさえなかった。

 

 

 

一人外に出たレッドは足の向くままガオズロックの中を歩いていた。岩ばかりのここにも僅かな草地が存在している。本当は天空島へ行きたかったが、あそこに行けばまたガオイーグルがやってきてうるさく言われるのが目に見えている。それどころか…

前方の人影に足を止める。窺うまでもなくシルバーだった。細身の長身がじっとこちらを見ているので、無表情の顔に笑顔を乗せて近付いていった。警戒心を顕にした彼はレッドが近付くにつれ険しい表情へと変わっていく。

「みんな中にいるよ」

「レッド、聞きたいことがある」

「なに?」

目の前に立つと、視線は上目遣いになる。首を傾げて、甘えた仕草を付け加えると彼は険しく細めた目でレッドのことを睨みつけた。

「お前は誰だ」

「なに、やぶから棒に。…ああ、大丈夫。いまは俺だよ。走だ。このところあいつも出てこなくなってさ、調子いいんだ。こんなことならもっと早く打ち明けていればよかった」

「嘘だ」

「うそ?なんで?…そっか。シルバーはまだ…俺のこと信用してくれてないんだな…」

「違う。お前のことは信用するしない以前の問題だ」

「なんで?って…聞く方がおかしいか。そうだね、シルバーには…嫌なことさせちゃったもんね。俺の意識じゃなかったけど、でも、仲間なのにあんな…」

「だからそうじゃない。俺が言っているのは、あの時も、今も、お前という存在そのものがなんなのかを聞いてるんだ」

「あの時は俺じゃない。だから責任はないなんて言わないけど、シルバーとそういうことになったのは歩だよ。いまは走だ。信じて」

「信じられない」

「どうして」

「風が知らせている。お前から感じる風はレッドのそれとは違いすぎる」

「なにそれ」

「初めて会ったときのレッドは本当に柔らかな風を俺に届けてきた。千年前と今と、風が違うということを強く意識させたのはだからお前のおかげだった。俺が安心できる現代の風はレッドから感じるもので、今のお前からはそれが全く感じられない以上別人だとしか思えないんだ」

「そんなこと言われても俺は俺だよ。レッドになる前はただの獣医で、弱い心しか持ってなかった獅子走だ」

「違う!」

「シルバー…」

悲しげに潤む瞳で見上げられる。その目は確かに彼のものだが、媚びた光がないとも言えない。実際シルバーにも言い切れるだけの根拠はその一点にしかなかった。レッドとしか見えないこの男から吹き出す風の冷たさと鋭さ。初めて感じたそれとは全く異なる嫌な感じ。曖昧なものでも邪悪な風に強く反応するようになったシルバーには、その違いが痛いほど感じられる。

「シルバーは…俺が何を言ってもだめなんだな。ごめん、あんなことになったから、だから…」

「そうじゃない。おい、いい加減みんなを謀るのはよせ。なにが狙いだ、ここにいて何をしようとしてる。本当のレッドはどこにいるんだ!」

「本当もなにも俺は俺なんだけど」

「違う!」

「シルバー、なに怒鳴ってるんだよ」

走り寄って来たイエローはレッドの体を自らの肩で庇うと既に怒りの表情さえ浮かべているシルバーを睨みつけた。

「よせよ、俺たちが仲間割れしてる場合じゃないだろ。敵はいつどこに現れるか分からないんだぞ」

「それは承知している。だからこそそいつの正体と目的を暴かないと」

「なに言ってるんだ、これはレッドだ。俺たちのリーダーだぞ」

「違う」

「なにっ」

「いいよイエロー、シルバーの言う通りだ」

「レッド」

「シルバーには嫌な思いをさせてるから、だから俺が悪いんだ」

「自分が悪いって思い込むのはよせって言っただろ。レッド、戻ってろ」

「でも」

「いいから」

安心させるように微笑みかけると、数瞬躊躇ったあと小さく頷き背を向けた。寂しそうに去っていく彼を見送った後、イエローはシルバーに向き直り諌めるような眼差しで彼を見詰めた。

「お前の気持ちも分からなくはない。でも終わったことなら水に流せ」

「俺の気持ちとはなんだ」

「だからその…レッドと、そういう風になったってことだ。あいつはそのときもう一人の人間になってたんだよ。レッド自身の責任を問える状況じゃない」

「だからそうではない。俺が感じているのはそういうことじゃなく、今この瞬間にもあいつから流れてくる風がレッドではないと言ってるんだ」

「そんなはずないだろ、レッドはレッドだ。俺たちが信じてやらなくてどうする」

「イエローはすっかり騙されてるが、あいつは絶対レッドじゃない。誰か違う別人だ」

「お前こそどうかしてるぞ」

「目を覚ませイエロー!」

叩き付けられるような絶叫にイエローはどう応えていいのか分からない。ただ、彼が冗談や私怨で言っているのではなく本気でそう思っているのだということだけは伝わった。

伝わりはしたが、かといってそれを納得することは出来ない。

「なあ、俺たちはいま、いよいよ最後の戦いに向かってるよな」

「…ああ」

「だったら今一番大事なのはオルグを倒すことなんじゃないか?それが終われば俺たちに一緒にいる理由はなくなる。だからもし、シルバーがレッドを認められないなら二度と会わなければそれでいい。誰も咎めない」

「俺が言いたいのはそういうことじゃないんだ」

「ああ、分かった。だったら余計にもうなにも言うなよ。闘うことだけに集中すればそれでいいじゃないか」

「お前は…すっかりあいつに取り入られてるな」

「言葉に気をつけろ。俺は俺の意思であいつを信じることにしたんだ」

鋭い視線は彼本来のものだ。そこに他者の思惑の入り込む余地はない、強い決意を秘めたもの。

「もし…もし、裏切られていたら、どうする」

「そんなこと有り得ない」

「言い切れるのか」

「ああ」

 

それ以上、シルバーに言葉はなかった。

無言で立ち去る彼を悲しいとすら思った。イエローは後悔していない、彼と肌を重ねたことも含めレッドのことを全身全霊で信じ、共にあることを誓ったのだから。

 

誰かが信じてやらなければ。真っ直ぐ、最後まで彼のことを信じ、側にいて癒してやらなければ。

戦いが終われば日常へと戻っていく。生きて、その時間をまた続けていくのに、彼だけは不安しかないというなら助けの手を差し伸べるのは当然だと思う。自らに課せられたそれは義務だといってもいい。

生きて、その時間を得たい。彼を本来の彼にしてやりたい。

辛い時間を過ごした子供の時から今までに与えられずにいた幸せを、自分の手で少しでも持たせてやれればこんなに素晴らしいことはないだろう。悲しい瞳の色を、イエローはもう見たくはないから。

 

「なんか…これって恋って言わないか?」

 

自分の呟きに赤くなる。火照る頬を撫でながら、緩んだ気を引き締めるべく歩き出した。

最終決戦は目前に迫っている。その空気を肌で感じながら彼は成すべきことだけを見詰めていた。

彼にしか出来ないことを。

彼に、与えられたことを。

 

 

果たすため。

 

 

 

 

 

 

 

泉の中に見えるレッドの体が、深い奈落の底に消えていく。

 

 

 

倒したはずのオルグが復活してきた時、正直イエローは恐怖に竦んだ。一度は自分たちの命を奪ったものに本能的な恐れを抱いた。それでも怯まず戦いを挑んだのは彼の中の戦士としての襟持ちであり、やがて訪れるはずの平和な暮らしへの憧れだった。

あっけないほど簡単に跳ね返された体が固い地面へ叩きつけられる。仲間の誰もが子供が遊ぶボールのように砂利の上を跳ねやがて蠢く虫のような姿を晒した。

痛みを過ぎたそれに声も出ない。霞む視界に見える光景はさながら戦場のようだ。

馬鹿なことを。

自分たちは戦士だ。もう幾度も戦いこんな光景には慣れていた。まして自衛官として勤めていた自分には有り得ないことではない、けれどその時のイエローは霞む思考の中で確かにそう思ったのだ。

なにをしているんだろう。大切なものも守れず死んでいくのか。無念さと後悔だけを残し、ここで消えてしまうのか。

 

意識が戻ったのは、血の滲む傷口に当てられた薬草が痛覚を刺激しその衝撃によるものらしかった。

周囲には彼と同じように苦しむ仲間の声が響いている。誰もが岩や地面に身を預け、痛みを紛らすことも出来ず呻く様は、映画の中に見た野戦病院さながらで自虐的な笑みさえ浮かんできた。

平和とされる日本に生まれ、"飛びたい"というただその気持ちだけで選んだ職業だった。

憧れのエースパイロットになるため、人を殺すことを目的とした翼に乗り込み大空を駆け巡っていた自分は一体なんだったのだろう。

正義というのは、同じ価値観の中にのみ存在するものだ。正しいと信じたことが万人に認められるはずはない。だから職業として"戦士"たることを選んだイエローはその矛盾を黙殺し飛ぶことのみを正義とした。

それが誤りであるとは言えない。訂正することも出来ない。生きるために必要な殺戮は確かに存在するのだ、今のこの現実がそう告げている。オルグの中にもオルグの正義があるのだと、そういう思いに囚われる。

でも。だからこそ自分たちは勝利しなければならない。

他の誰でもない自分たちの世界を守るため。幸せな日常を取り戻すため。

 

痛みの中で、仲間の悲痛な声を聞きながらイエローはそう思った。思いながら視界を巡らせた。レッドの姿が霞んで見えた。

 

彼は比較的軽症だった。手当に翻弄するテトムの背後で、無表情なまま自らの包帯を口でくわえ巻きつけていく。今朝、盗むように口付けられたそれは温かでイエローの心を激しく揺すった。口付けた後、レッドは泣きそうな目でイエローを見た。

なぜかひどく怯えて部屋へ訪ねてきた彼は一晩中イエローの腕をねだり、まるで恋人たちのように抱き寄せたまま朝を迎えた。言葉はなくとも穏やかな空気に安堵したのか、そのうちレッドは眠りについた。

レッドが眠った後に訪ねてきたのはガオイーグルだった。

空間が歪みそこから金の光が零れる。完全な姿を現すことはなかったがいつになく冷たい波動がイエローを緊張させる。

「イエロー…岳…お前は、それを選ぶのか」

「…それ?」

「レッドを…お前は、そうして受け入れるのか」

「そうしたいと思う。こいつが俺を必要としてるから俺も応えてやりたい。…イーグルも反対なのか?テトムみたいに止めるのか」

「止められぬ」

「なに?」

「もう、止められぬよ」

ひどく静かな声だった。静かで悲しい響きだった。

「ガオライオンの結界により、私がそこへ行くことは叶わぬ。レッドを呼び寄せることも出来ぬ。初めから無理であったなどとは思いたくはないが、私では運命と言うものを操ることが叶わなかったことは認めねばなるまい。王は王だ、その力の程は弁えているつもりだったのだがな」

「言ってることが分からない」

「よい。もう、よい。取れる道は、もうただ一つしかないのだから」

「なんだよ、何の話をしてるんだ?レッドがなんだっていうんだ」

「岳よ、お前には強くあって欲しい。それだけが私の願いだ」

「人間の身じゃあ限界があるだろうけどな。ま、やれるところまではやってみるよ」

「深追いはするな。生きてあることを第一にしてくれ」

「死にたいとは思わないけど…自分だけ安全地帯って訳にはいかねぇな」

苦笑すると、同じように微笑むかと思われたガオイーグルはただ沈黙をもって返した。

光が薄くなる。

「誓ってくれ。今度こそ私の言葉を聞き入れてくれ」

「なんだよ」

「それを…レッドを、お前の最も近しいものとは思わぬと」

「はあ?」

「それだけを誓うてくれ。岳」

「なに言ってるんだよ」

呼び止める言葉は届かなかった。消えていくその光を不思議な気持ちで見ていた。

腕の中に抱えたレッドは、ガオイーグルの消滅と入れ替わるように目を覚まし、彼が消えた辺りをじっと見詰めた。

「ガオイーグルが来てたの?」

「ああ。なんか訳の分からないことを言って帰っちまった」

「俺のこと…かな」

「…まあな」

「イエローは、俺を信じてくれるんだよね?他の誰が認めなくても、イエローは…岳は、信じてくれるよね?側にいてくれるんだよね?」

「約束したからな」

「よかった」

安心したように笑うと、また、甘えるような目で見上げてきた。

この目は"歩"のものに近い。無意識の媚態はイエローの心を刺激するが、それを押さえ込むのが彼に対する信頼の現れだと思う。関係を持ってしまった今、こんな目で見詰められて穏やかにいられるはずもない、けれどそれが彼の望まぬものであったのも事実だから、精一杯の自制で踏みとどまらねばならない。

大切にしてやりたい。関係を。気持ちを。側にいたいと願ってくれる、その穏やかさを守りたい。

「岳って、呼んでもいい?」

「いいけど…いや、よくないか」

「なんで?」

「名前は捨てろって言った手前、格好つかないからな」

「じゃあ、二人の時ならいい?」

「あんまり挑発するな」

「挑発?」

「なんだかその…恋人みたいな雰囲気になるじゃないか」

「だめ?」

「だめって、お前…」

「ごめん。うそ。忘れて」

離れていこうとする躰を抱き締めたのは、今度こそ湧き上がる愛情の所為。

「走」

耳元で囁くと、強張らせた背中が反応する。吐き出す息が甘く香る。

おずおずと伸ばされた腕がイエローの躰を抱き締めると、まるで彼のために誂えられたもののようにその身はしっくり腕の中に納まった。痺れるような満足感が広がる。

愛情だと思った。紛れもない恋だと思った。痛ましい彼の直向な思いを、受け止められる幸福に酔った。心底嬉しかった。

髪に口付けて、それから頬に。こめかみに、額に、唇に。

震える躰をゆっくり横たえると、泣きそうな目が怯えを伝える。だからできる限り優しく微笑み、自分は彼を傷つけるものではないと知らせてやる。愛情からの行為だと、囁く名前に含ませる。

決して失えないものが出来た。

なにものにも変えられぬ、生涯を貫ける思いを手に入れた。

愛しい、という言葉は知っていてもそれを向ける相手など今まで出会いはしなかったのに、いま、抱き締める彼に全身全霊でその感情を注ぎこめる。

もっと早くに出会えれば。

悲しい彼をもっと早く抱き締めてやることができれば。

子供のように泣きながら、強い刺激に身を捩る彼を腕の中で乱れさせる。怖いと繰り返す彼にこれは愛情だと教えてやる。

感じていい。

感じて欲しい。

素直に求め、受け入れて欲しい。大切だから。愛してるから。

 

紛れもないこれは愛情だから。

激しく求める、愛だから。

 

 

 

 

 

 

痛みの中、それでもまどろんでいたイエローの耳に届いたのはテトムの絶叫。

どうしたと問うと彼女は引き攣った顔で振り向き恐ろしいことを口にした。

なにを言われたのか分からず問い返そうとした時、ブルーが食い縛った歯の隙間から搾り出した言葉が耳に入る。

レッドの目が、甘えを含んだ夕べの眼差しが蘇る。

 

 

ぎしぎしと軋む躰をどうにか泉の前まで運ぶと、テトムが震える指で示す水面に目を凝らす。そこに映るのは彼の愛したレッドが敵の前に一人、悠然と立ち向かう姿だった。

たった一人。

誰にも告げず、ひとり。

 

 

 

 

 

谷底に消えていくレッドを、イエローは血の気の引いた頭でただ見ていた。

叫ぶことも出来ずただ見ていた。助けの手を差し伸べることも出来なかった。

 

 

本当に、なにひとつ、出来なかった。